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2013年5月

2013年5月28日 (火)

イタリア映画祭2013「家の主たち」:疑問符大爆発

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監督:エドアルド・ガブリエリーニ
出演:ヴァレリオ・マスタンドレア、エリオ・ジェルマーノ、ジャンニ・モランディ
イタリア2012年

伊映画祭二本目は歌手のジャンニ・モランディが出演、というのが話題になった本作。
タイル張り職人の兄弟が、故郷の田舎町で引退生活を送っている元スター歌手の屋敷の修繕のためにやってくる。

町は閉鎖的で、若者世代はもとより中年・老年も鬱屈したものを抱えている様子だ。さらに自然保護問題で歌手と町民はもめているようである。
歌手の妻は病気(脳梗塞か?)で身体が不自由のようだが、どうも見ていると何か様子がおかしい……。

屋敷の内外でトラブルの種がくすぶっていたのだが、兄弟が来たせいで爆発してしまう。もっとも、その爆発の仕方があまりに性急過ぎる。あれよあれよと陰惨な事件が重なり過ぎて、衝撃的で驚くというよりはそこまでやるかーと疑問に思ってしまうのだった。
一応伏線らしきものは張られているんだけど、それでも脳内で疑問符が爆発してしまうのであるよ(@_@;)
そして「やり過ぎ」のままエンディングを迎えるのである。

屋敷内部の問題と外の問題がそれぞれ描かれていても、この二つがうまく絡んでいるようには見えなかった。

兄の方が弟に「50歳にもなってその振る舞いはなんだ」となじられる場面があって、本当にこの兄がイタ過ぎなのだけは納得いった。だって、息子ぐらいの歳の若者と張り合おうとするのだよ(+o+)

座談会で監督が喋っていたことをちょっと書いてみる。
*すごい役者(兄弟を演じている二人など)が多く出演してくれた。
*モランディは有名な歌手。もう長いこと歌っていない。「好青年」の印象が残っているが、ひどい男を演じてくれた。
*村の周囲の森林の描き方はちょうどデヴィッド・リンチの「ツイン・ピークス」を見ていたので、影響を受けた。


説得度:5点
衝撃度:6点


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2013年5月26日 (日)

ラ・フォンテヴェルデ第17回定期演奏会:モンテヴェルディの燃え上がる情念を聞いたか

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クラウディオ・モンテヴェルディ マドリガーレ集全曲演奏シリーズ”Prologo”
会場:ハクジュホール
2013年5月17日

これから時代順にモンテヴェルディのマドリガーレ全曲を演奏していくという計画のラ・フォンテヴェルデ、第一回は序章としてまず口慣らし(耳慣らし?)というわけでもないだろうが、作者の没後に出た曲集を含めた全九巻の中からベストアルバム風の選曲で行われた。

共演は上尾(1人目のナオキ)直毅と鈴木(美登里の夫)秀美である。もっとも、初期の曲はアカペラばかりだったので、二人はステージを出たり入ったり。
歌詞の訳がステージの上方に字幕で出るので、ゴソゴソとプログラムを見たりせずに済み、ありがたいこってす(*^_^*)

ベスト選曲なので曲調も様々。羊飼いとその恋人がバカップル(いつの世もいるんですなあ)丸出しでイチャイチャするデュエット曲「素敵な羊飼いさん」。星川美保子のブリッコ風演技が笑わせてくれた(後方席のオバサマ方からは「かわいい」の声も)。
かと思えばジェズアルドもかくやというような不協和音あふるる合唱曲もある。「残酷なアマリッリよ」では「残酷」の”Cruda”が繰り返され、Cの発音が尖った石のように突き刺さるのであった。

歌い手ものって来たのか、特に後半の終盤「いとも甘美なナイチンゲール」あたりからものすごい集中力で歌い続け、最後の「西風が戻り」に至るまで歌手は5~6人しかいないのに、会場全体を圧倒した。そのクライマックスでは、モンテヴェルディが作品にこめた情念がミシッと凝縮されているようであった。これこそ「声」の威力だろうか。

それが可能だったのもこのメンバーだからこそと言える。恐らく、今日本で聴ける最高のモンテヴェルディと書いても過大評価ではないだろう。オペラ歌手などでもっと巧い人がいるのかもしれないが、その人たちが6人集まってもこのようには歌えまい。(←あくまでトーシロの感想です)
主催者の鈴木美登里女史の果敢な取り組みに頭を下げたい。

それにしても、モンテヴェルディって「薄情な女に恨みつらみをグチる」歌ばかりだねー。そういう性格なのか、それとも当時の歌曲の定番なのか。

会場の後方部分だけなぜか若い学生風の人がいっぱい(それ以外の座席との差が目立つ)。終演後には立ち上がりもせず、懸命にアンケート用紙に書き込んでいる姿が……メンバーの誰かが教えてる学生たちなのか? もしかして出さないと赤点とか(^_^;


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2013年5月25日 (土)

「オディロン・ルドン 夢の起源」:感動、そして恐怖

130525
会場:損保ジャパン東郷青児美術館
2013年4月20日~6月23日

昨年はほとんど展覧会の類は行けなくて、必見のものを幾つも見逃してしまった。有楽町(というより丸の内か)でやったルドンも行きそこなった。無念であーる
なので、今回は絶対行こうと決めていた。

行ったのは休みが取れた平日であった。もっとも、連休の直後だったので他の美術館は軒並み休みだったという理由もある。客の方も休館日だと思い込んでる人が多いせいか、非常に少なかった。それとものすごい強風の日だったので、余計な外出を避けたのかもしれない。

どれぐらい少なかったかというと、作品の前に一分間ぐらい張り付いていても問題がないほどだった。実際、何かブツブツ独り言を言いながら張り付いてる人がいた……
そんな風に他人を気にせずじっくり見られたせいもあるだろうが、いやー本当に自分はルドンが好きだなーと改めて感じた次第。もう何回もルドンの展覧会は行っているのだけど吸引力が違う!(^^)!

「光の横顔」は横顔を見せる女性がかぶっている頭巾(?)の布目の模様が、見ているとまるで指にその感触が伝わってくるようだ。何度も眺めてはその感触を味わう。
色彩の時代に入ってからのパステルでスフィンクスを描いた絵は、その背後にうっすらと柱廊が浮かび上がり、モヤモヤとした色彩が覆っている。このモヤモヤ部分が注視していると脳ミソに染み透ってくる気分だ。

そして、巨大な人の顔みたいな「花」が描かれた、大きめの(ルドンにしては)木炭画「沼の花」--なぜか非常に感動してしまった。ああ、ここまで強固な確信をもって存在しない異形のものを描けるのかと、そのあまりのキッパリとした力強さに思わず涙がにじんでしまうほどであったよ(T^T)

そして心から満足し、最後に常設展示のゴッホ「ひまわり」も拝観して会場も出たのであった。
いつもこの美術館で「ひまわり」を眺める度に思うのだが、左右に配置されたモネとセザンヌの絵はまるで、お寺で本尊の脇に置かれた一回り小さい菩薩像みたい。でもって、ひときわ威圧力のあるご本尊を引き立てているのであった。
こういう展示の仕方だと、つい手を合わせて拝みたくなるのは仕方ないだろう。

ただ、この日の問題は、高層ビルの42階にあるこの美術館全体がユラ~リユラ~リと揺れていたことだ。作品をかけてある壁(間仕切り?)は常にミシッミシッと音を立てているし……。強風のためだと思われるが、なんだか船酔いみたいで最初は少し気分が悪くなってしまった。(しばらくしたら慣れたが)
でも高層ビルでも古いせいだからか? だって、今どきの高層マンションの最上階で強風の度にこんなに揺れてたら、日常的に住んでいられないよ。

というわけで、感動と恐怖を味わえた展覧会だった。

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2013年5月19日 (日)

「シンメトリー」:楽器見学タイム付き

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演奏:アンサンブル レ・タンブル
会場:近江楽堂
2013年5月11日

レ・タンブルはブルージュ国際古楽コンクールの室内楽部門賞と新曲作曲賞を受賞した三人組グループ。他の日にはハクジュホールで日本人二人を加えてイタリアものをやっていたが、ミニコンサートだったので(ホールまで行く時間を考えると引き合わない)こちらを選んだ。

この日はフランスもの中心の内容。シンメトリーというタイトルは、マラン・マレ→ブクステフーデ→ラモー→オリジナル曲→ラモー……という構成になっているからとのこと。

チェンバロのジュリアン・ウォルフスはひょろ~と背が高い男性、ガンバのミリアム・リニョル眼鏡っ娘の美人、そしてヴァイオリンの川久保洋子が日本人ということもあってか、関係者やら縁者やらも多く小学生低学年や就学前のお子ちゃまもいた。それどころか乳母車に乗った赤ん坊までいたが、さすがに会場外で待っていたようである

古楽に縁のない人のために川久保女史が曲の合間に色々と解説入れたり、「聖ジュヌビエーヴ教会の鐘」のような押しの印象が強い曲を選んだりしていたようである。しかし、さすがに就学前の子にはブクステフーデのトリオソナタはキビしかったらしく、お母さんと共に途中退場なんて場面もあった。

オリジナル曲(これが作曲賞を取った作品らしい)は紙に81個の短い楽譜が並べられていて、真ん中から初めて隣りあった楽譜を弾いて行くという即興性強いものだった。四隅の楽譜のどれかを一人が弾いたら終了になるそうだが、トーシロにはどういう風に3人で演奏していったのかよく分からなかった。
曲調はもちろんバロックではなく、現代音楽風だった。

全体にオーソドックスで力強い演奏で、メリハリをきかせるべきところはきかせ、なるほどコンクールで優勝するのは納得の堂々たる音楽を聞かせてくれた。
ただ、難を言えば盛り上がりはあっても引っかかりはない--といおうか。要するに、もし彼らのCDが出ていたとしても演奏会が終わった途端に財布をつかんで走って買いに行く((((( ((;^o^)というほどではなかったのである。難しいね。

演奏の後は「どうぞ楽器を間近に見てください」とのことで、多くの人がわらわらとステージに寄っていった。
6月中旬にNHK-BSの「クラシック倶楽部」でハクジュホールの方の公演の放送があるそうだ。


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2013年5月16日 (木)

イタリア映画祭2013「フォンターナ広場 イタリアの陰謀」:爆弾・謀殺・迷宮

130516
監督:マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ
出演:ヴァレリオ・マスタンドレア
イタリア2012年

この数年、連休はイタリア映画祭に行っている。この日は他のロードショー作品を先に見ようかと思ったら、さすがのゴールデン・ウィーク満員御礼で入れなかった(去年も同じことをしてたような……^^;)。
時間が余ること3時間以上。ハテどうするかと困り、映画祭のスケジュールを確認したらちょうどゲストの座談会をやってるではないか! しかも入場無料、映画の半券も必要ないのだ。
ということで、途中から会場に入ったがまだ一つも作品を見ていない状態なので、監督の話を聞いてもよく分からない。しばらくしてから、自分が見る予定の作品では『家の主たち』の監督がいることだけは分かった。他に監督3人、役者(ジュゼッペ・バチストン)と編集者一人ずつ。

一昨年もそうだったが、一人ひとり順に同じ質問をして行くという形なので、一人が喋っている間は他のゲストはヒマそう。個々の作品の内容に立ち入ったことをイタリア語で長く喋って、その後通訳--なので、どうしても眠気がわくのであった
2010年の座談会のように爆弾発言をする人がいれば面白くなるだろうけど。まあ、時間をつぶすことができてよかったです(^^ゞ

さて『フォンターナ広場』は1969年に実際にミラノで起こった銀行爆破事件を描いたものである。死者17人というからかなりの事件である。恐らく、イタリアでは一定の年齢以上の人はみな知っているような話なのだろう。

60年代末というと世界各地で騒乱の時代であったわけで、背景には右派左派それぞれ穏健派過激派、真面目な奴いい加減な奴、政府の回し者やら外国の諜報機関やら様々な勢力がうごめき、それぞれに繋がってたりするというヌエ的状況なのであった。
しかも、容疑者の一人が警察の取り調べ中に謎の死を遂げるという事件が起こり、これまた騒動に発展する。

事件の顛末は担当者であった警視の視点を中心に描かれていて、ある程度までは明らかになりそうになるが、結局のところ謎の闇に消えていくのである。

まさしく正統的社会派映画という印象だった。日本でもハリウッドでも既に滅亡寸前なジャンルであるが、イタリアではまだ健在ということだろうか。
ただ、人物が多過ぎて名前が覚えられなくて困ったよ(^_^;)
ラストの字幕で「裁判費用は被害者に請求された」というのには驚いた。

それと、当時の記者たちがまさに「権力の監視役」をしていたのは感慨深い。警察の前で見張っていたなんて今の日本じゃ考えられません

ジョルダーナ監督は最近では超長編『輝ける青春』が公開されている。何年か前に『13歳の夏に僕は生まれた』を見たはずなのだがほとんど覚えていないのは困ったもんだ


社会派度:9点
事件解決度:5点


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2013年5月11日 (土)

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 「熱狂の日」音楽祭2013 124 リチェルカール・コンソート:やっぱり早起きは三文の得だった!

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会場:東京国際フォーラム ホールB7
2013年5月3日

またLFJである。今回は「バリ、至福の時」で19世紀のフランスものだから、縁はないはずだったが、常連リチェルカール・コンソートが今年も来てバロックをやるというのでチケットを取った。
初日にしたのは、単に他の2日間は朝一番だったからである。この日だけは夕方の公演だった。
予定ではクープランとラモーの器楽曲、そしてやはりラモーのカンタータというプログラムだった。

ところが、《チェンバロ漫遊日記》に歌手(ソプラノのセリーヌ・シェーン)が来日中止との報。なんだ……と思いつつ、広場の人垣(やはり昼間はすごい)をかき分けて会場に行く。
するとステージに最初にルネ・マルタンが登場して来日中止&プログラム内容変更お詫びをしたのだった。(空港で急病になったとか言っていた?)

結果、ラモーのカンタータは取りやめて代わりに、P・ピエルロが演奏するマレのガンバ曲を入れるということになった。
会場のB7は本来は展示場(?)に使われるようなフラットなスペースで、PAシステムを使うような音楽ならともかく古楽器6台ではなんとも心細い音にしかならない。おまけに後ろの方だと演奏者の姿もろくに見えなかったのでは?(もっともそのせいか普段のコンサートよりずっと静かだった

トラヴェルソ組の二人(アンタイ&チェン)は数年前のコンサートで素晴らしい演奏を聞かせてくれたのだが、当然この会場では繊細な息づかいのような音までは伝わらず、聞こえるのがやっとみたいな状態だった。
なお、上記のブログ記事ではお二人は結婚したとか。おめでとうございまーす

代役投入での、ピエルロの「フォリア」と「サン・ジュヌヴィエーヴ丘教会の鐘」は勢いあるガシガシしたガンバで、代役でも聞けてよかった(*^^)vと思った。
もっとも、セリーヌ・シェーン目当てに来た声楽ファンはガッカリだったろうけど。(そういや終わってから「やっぱり古楽器は……」と文句を言ってる人がいたな)

翌日のよみうりホールでは1000人も客が入ったとかでビックリ。リチェルカール・コンソート単体で来日したら、絶対そんなに来ないだろう。さすが音楽祭は違う。
さらに、5日の小さなホールでの演奏は初日とは全く違って素晴らしい演奏だったという……(+o+)
次からは頑張って早起きして行くぞ~ 次があればだが。


来年のLFJは十周年記念ということで、これまで特集した作曲家+ガーシュインをやるらしい。だが、その中にバッハ先生の名前がない(!o!) ということはさらにその次の年に「バロック」特集(本家のナントがその予定)で大々的に取り上げるのか(#^.^#)と期待したのであ~る

ところがツイッターの方では、東京のLFJは収支が取れず(今年も赤字7000万円とか)十周年で打ち止めの可能性あり。来年にバッハが入ってないのは単に古楽器グループ呼ぶと金と時間がかかるからだ--という意見が出た。
なるほどと納得しかけたが、しかし今年みたいに古楽器は1グループぐらいにして後はモダン演奏のプログラムにしたって、構わないはずである。私のように「バッハは古楽演奏じゃなきゃイヤ~(>O<)」なんて狭量なヤツは少数派で、ほとんどの人はどちらでも構わないだろうから、それを理由にバッハだけシカトするのも変である。

ということで再来年がどうなるか冷や汗かきながら(~_~;;;;見守るしかないですかね。


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2013年5月10日 (金)

「ヒッチコック」:ヒッチ先生、ヘンタイ……じゃなくて、大変だあ~

130510
監督:サーシャ・ガヴァシ
出演:アンソニー・ホプキンス、ヘレン・ミレン
米国2012年

『サイコ』製作時のヒッチコックを描く--しかも主役がアンソニー・ホプキンスで、妻役がヘレン・ミレンと来れば嫌でも期待してしまうではないですかっ(!o!)
しかも、冒頭は『サイコ』のモデルとなったエド・ゲインが登場。それを横目に往年の名TVシリーズ『ヒッチコック劇場』さながら紹介するヒッチ先生。おーい、吹替えに熊倉一雄呼んでくれ~。

かように調子よく始まる。映画で描かれるのは『北北西』はヒットした直後、その前作の『めまい』は失敗作とされていて、『サイコ』製作を思いつくが資金を出してもらえない。
当時は検閲もあって大変だ。トイレを画面に出しちゃいけないなんてこともあったんだと、当時の事情もわかったりもする。
しかも同じ映画畑の出身で、陰から彼を支えてきた妻アルマとも夫婦仲がうまく行かなくなってきたのであった--。

こう書くとなかなか面白そうだが、実際にはテンポがゆっくりで悠揚たる進み具合の上に、メリハリがなくてやや退屈な印象を免れない。私の隣に座っていた女の子は終始ウツラウツラしていた。

さらに納得いかないのは、ヒッチ先生がエド・ゲインに憧れ同一化していたという設定。えー、どう見たってそんなのありえないでしょう。違和感ありまくりだ。

そして雨降って地固まる。全てのトラブルが消え去った後、夫婦の絆はより強まりしみじみとした感動のラストを迎えるのであった。

ま、マジですか\(◎o◎)/!
よりによって『サイコ』出して感動だって
ヒッチコックったらどうしたって「変態」を期待しちゃうでしょう。それなのに、ここには「変態」の「へ」の字もないのであった。なんたることかこんな健全な映画だったなんて。金返せ(*`ε´*)ノ☆
これを見て、同じく老夫婦を描いたM・ハネケの『愛 アムール』がいかにイヤミであったかつくづく思い知ったのであった。

せめて、有名なシャワールーム・マーダーの撮影がうまく行かないって時に、アルマがナイフを手に「私がお手本を見せるわよ」とグサグサやる--てなドロドロな展開にしてくれればよかったのに。まあ、今どきのハリウッド映画にヘンタイなんて期待しちゃいけなかったってことか。
監督は誰かと思ったら『アンヴィル!夢を諦めきれない男たち』の人だった。フィクション作品まで感動路線であったか。パロディっぽい部分も中途半端な出し方である。

A・ホプキンスのメイクはいささかやり過ぎの感あり。なんだか着ぐるみっぽい。助演陣も豪華だが、ジャネット・リー役のスカーレット・ヨハンソン(車を運転している時の不可解な表情を完コピ)と秘書のトニ・コレットが光っていた。


変態度:4点
ゴシップ度:3点

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2013年5月 7日 (火)

「シュガーマン 奇跡に愛された男」:感動に国境なし

130507
監督:マリク・ベンジェルール
スウェーデン・イギリス2012年

今年のアカデミー賞を見事獲得したドキュメンタリー。
1970年代初めに二枚のアルバムを出したものの売れずに終わったシンガーソングライターのロドリゲス……だが、彼の音楽はなぜかアパルトヘイト下の南アフリカで爆発的なヒットとなっていたのであった

素性も現在の境遇もはっきり分からない彼を、南アフリカのジャーナリストが探っていくというのが出だしだ。
だが話が進んでいくにつれ、なんだか既視感が--『アンヴィル!夢を諦めきれない男たち』に似ているのだ。

今はパッとせず、くすぶっているミュージシャンが遠い国(日本と南アフリカ)で熱狂的に迎えられライヴを行なう←ここがクライマックスになる。

ただ『アンヴィル』の方は素直に感動できたんだが、どうもこちらは違う。
映像がないのになんとかドキュメンタリーに仕立てようと無理している印象あり。影絵アニメみたいのでごまかしているけどどうなのよ(^^?)
三人の娘たちは出演してるけど、奥さんの事は全く話にも出ない。どうなってんの
南アフリカでレコードが売れた金はどうなった?という問題は尻切れトンボ。
などなど不完全燃焼な部分が多い。

反アパルトヘイトを支えた曲になったというのは感動的な話だし、彼の曲や歌は印象深いし、さらには当人の人柄もよさそうだが、なんだかドキュメンタリー作品として見ると『アンヴィル』の二番煎じ的なイメージが勝ってしまうのであった。

をあげるのなら同じくアカデミー賞にノミネートされた『壊された5つのカメラ』の方を選びたい。
破壊されていったカメラの映像を見せていくという手法が新鮮だし、ラストの映像が心に残る。それにアカデミーに招待されて米国に来たのに、空港で送還されそうになったというトラブルに遭ったご苦労さん料の意味も含めてだ。

ロドリゲスの歌は確かにホセ・フェリシアーノを思い浮かばせる。ただ、声やサウンドはもう少し後にブレイクしたジム・クローチにも似ている。デビューが少しずれていたら売れていたかもしれない。


奇跡度:8点
ドキュメンタリー度:6点

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2013年5月 5日 (日)

「クラウド アトラス」:一口で六味おいしい、か?

130505
監督:ウォシャウスキー姉弟、トム・ティクヴァ
出演:トム・ハンクス他
米国2012年

商店街に「ジブリ・グッズ大安売り」という看板が出ている。思わず店に入って商品を手に取り眺めてみると、なんだか変だ。どうも作りが安っぽいし、トトロの模様も微妙に違っているようだ。こいつはまがい物ではないか? そこで、看板をもう一度よくよく見なおしてみるとこう書いてあった。
「ジブソ・グッズ大安売り」

--というような映画であった。やられた~~っ\(-o-)/てなもんである。
1849年から文明が崩壊した未来まで、異なる時代の異なった6つのエピソードが並行して進んでいく。
まるで6種類の料理がプレートに少しずつ乗ってるランチみたい。数が多くて豪華に見えるが、それぞれの料理はおいしいとは言えないし、そもそも6種類もいらないっていうのよ

特に未来を描いた二編がひどい。今どき誰もやらないような古色蒼然、既視感バリバリ、B級SF臭紛々たる話だ。
老人ホームのエピソードはドタバタ喜劇のつもりなのか? でも笑えなかった。
「クラウドアトラス六重奏」というのが思わせぶりで、もっと後の時代まで登場するのかと思ったら、出て来なくなっちゃってこれまた期待外れ。
過去の時代の三編は本来はもっと長くてもいいような話が、中途半端に短縮されている印象だ。

主な役者にそれぞれの話で色んな役を割り当てて、隠し芸大会もどきの演技をやらせて何を描きたかったのかさっぱり分からなかった。
なに(^^?)いつの時代も人は愛と自由のために闘い続けるって?

人間はいつも闘っている。今も、この地球の上のどこかで誰かが常に闘っている。愛と自由のためじゃないかも知れないが、闘っているよ。そんなことは分かり切っていることじゃないかね。

まあ、この映画を見て唯一分かったのは「ハル・ベリーはやっぱり美人」ということだけだったといえよう。


ハル・ベリー美人度:9点
ペ・ドゥナ人工美人度:8点

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2013年5月 4日 (土)

「偽りなき者」:許す男信じぬ女

130503
監督:トマス・ヴィンターベア
出演:マッツ・ミケルセン
デンマーク2012年

マッツ・ミケルセン祭り第一弾 同時期に公開された『汚れなき祈り』と間違えやすいことは既に書いた通り。

幼稚園の教員をやっている男が、園児の少女(親友の娘でもある)の些細な嘘によって小児性愛者だと思われてしまう。舞台はデンマークの郊外の町のようだが、古きよき共同体の絆が残っていて、男たちは集団で狩りに出かけたりする。そんな地域であるからして、「絆」は一転「鎖」になってしまうのであった。
たちまちに広がる疑惑と噂……一旦逮捕されるが結局釈放、誤解は解けたはずなのに、しかし一度張り付いた疑惑は二度と晴れることはなく「絆」は壊されたまま回復することはない。

前作『光のほうへ』では都会の中の孤独を描いたヴィンターベア監督、今回は共同体の中の不寛容と、個の尊厳を取り上げている。
実際、いつ誰がこのような境遇に陥ってもおかしくはないような話である。

主人公は「男がやるような仕事ではない」と思われている幼稚園で女性職員に混じって、ただ一人元気な子どもたちの相手をしている。一方で、同世代の男たちと狩猟をし酒を酌み交わすし、近所のスーパーで村八分状態のトラブルにあった時は果敢に逆襲する。
かように硬軟両面を持ち合わせた人物で、しかも映画ファン(一定の年齢層以上の女性)に人気急上昇赤丸付きのマッツ・ミケルセンが演じているのである。思わずファンならずとも「私のマツミケをいぢめないで~(>O<)」と叫びたくなるのは必至だろう。その耐え忍ぶ姿がまた、萌えさせるのであろうか

それはともかく、かくも「無実なる人」のわりには少女(というか幼女)との関わりには不明な描写がある。彼女が両親と兄から疎外されて孤独というのは分かるにしても、その仕草は既に男をたらしこむ「妖女」の片鱗あり。
終盤の主人公と彼女が向き合う場面は、何やら意味深な短いカットの切り替えの連続で、単に少女の孤独を理解して受け入れるというだけには見えない。一体なぜ監督はこんなシーンを入れたのだろうか? 疑問であるよ。

他の人の感想を読んで驚いたのは、疑われるのがキモヲタのような男ならともかく、ミケルセンが演じるような二枚目で女にモテそうな男が幼女に走るわけがない、というような意見があったことだ。正直言って、衝撃を受けた。
これこそ誤解と偏見ではないだろうか。私が知っている事例を紹介する。

加害者と目された人物とは顔見知りの程度だったが、若くてカッコよく、すっきりさわやかな二枚目の男だった。被害を訴えたのはこの映画より年齢が上で、思春期の少女である。
彼を知っている人間の半数は被害は実際にあったとみなしたが、残りの半数は無実だと思った。なぜなら「彼のようにモテて困る奴がそんなことするはずがない」のだから。そして「モテる男は大変だねー」という結論に至るのだった。被害を申し立てた者も無垢なる幼女ではなく、不安定な思春期の小娘だし。
実際に何があったのかは、未だに不明である。ただ、疑わしいのはそれが一回だけでなく複数の被害者が数年に渡って現れたからだ。

このようにモテるモテないは関係なく疑惑は発生する。そういえばロリコンとしても有名な作家の中勘助は「大人」の女性からもモテモテだったそうではないか。本人にはどーでもよかっただろうが。

さて、もう一つ気になるのはこの映画の男女の描き方だ。
疑惑は幼稚園から発生し、その職員は園長を含め主人公以外は女である。特に園長のドタバタな対応ぶりは(部外者から見れば)滑稽に見えるほどだ。さらに女性職員が一丸となって主人公を追い込む。唯一の例外がインド系(?)の女性だけというのも意味深だ。
友人たちとの付き合いは「男同士の絆」あるいは「ブロマンス」的なものだが、夫婦ものの男たちは妻に扇動されて(のように描写されている)主人公を排斥する。
姿を見せない別れた彼の妻は常に敵対的である。彼を信用するのは自分の息子と、妻がいない友人たちだ。

あたかも、女たちの偏見と悪意によって彼は窮地に陥れられたようである。そして、彼女たちは最後まで(成人祝いの場)疑惑を解消していないのが示される。
とすればラストシーンはどう解釈すればいいのだろうか。男の神聖な場ももはや安住の地ではなくなったってことかね(?_?)

M・ミケルセンは「耐える男」を好演。驚いたのは子役の少女である。監督はどう演技指導したのかってなもんだ。末恐ろしいとはこのことである。でも案外「二十過ぎればただの人」かもしれんけど。


潔白度:7点
忍耐度:9点

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2013年5月 2日 (木)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 5月版

また今年もLFJの季節がやってまいりました それ以外にもドトーの公演ラッシュ

*11日(土)アンサンブル レ・タンブル
*17日(金)ラ・フォンテヴェルデ
モンテヴェルディ マドリガーレ集全曲演奏突入です。
*25日(土)愛と生と死と(ソフィオ・アルモニコ)
*26日(日)都電荒川線ライブ(ジョングルール・ボン・ミュジシャン)
なんと都電に乗ってライヴだ~\(◎o◎)/!

他にはこんなのもあり。
*3日(金)チェンバロの日
*16日(木)大塚直哉チェンバロリサイタル
行くかどうかまだ迷い中。
*17日(金)花井尚美&高本一郎
       イギリスの古歌(冨山みずえ&つのだたかし)
*24日(金)ランゼッティ:チェロソナタ(懸田貴嗣&渡邊孝)
*25日(土)木村睦幸リコーダーシリーズ
*26日(日)みんなの古楽2013・クロマティズムの官能

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