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2013年5月16日 (木)

イタリア映画祭2013「フォンターナ広場 イタリアの陰謀」:爆弾・謀殺・迷宮

130516
監督:マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ
出演:ヴァレリオ・マスタンドレア
イタリア2012年

この数年、連休はイタリア映画祭に行っている。この日は他のロードショー作品を先に見ようかと思ったら、さすがのゴールデン・ウィーク満員御礼で入れなかった(去年も同じことをしてたような……^^;)。
時間が余ること3時間以上。ハテどうするかと困り、映画祭のスケジュールを確認したらちょうどゲストの座談会をやってるではないか! しかも入場無料、映画の半券も必要ないのだ。
ということで、途中から会場に入ったがまだ一つも作品を見ていない状態なので、監督の話を聞いてもよく分からない。しばらくしてから、自分が見る予定の作品では『家の主たち』の監督がいることだけは分かった。他に監督3人、役者(ジュゼッペ・バチストン)と編集者一人ずつ。

一昨年もそうだったが、一人ひとり順に同じ質問をして行くという形なので、一人が喋っている間は他のゲストはヒマそう。個々の作品の内容に立ち入ったことをイタリア語で長く喋って、その後通訳--なので、どうしても眠気がわくのであった
2010年の座談会のように爆弾発言をする人がいれば面白くなるだろうけど。まあ、時間をつぶすことができてよかったです(^^ゞ

さて『フォンターナ広場』は1969年に実際にミラノで起こった銀行爆破事件を描いたものである。死者17人というからかなりの事件である。恐らく、イタリアでは一定の年齢以上の人はみな知っているような話なのだろう。

60年代末というと世界各地で騒乱の時代であったわけで、背景には右派左派それぞれ穏健派過激派、真面目な奴いい加減な奴、政府の回し者やら外国の諜報機関やら様々な勢力がうごめき、それぞれに繋がってたりするというヌエ的状況なのであった。
しかも、容疑者の一人が警察の取り調べ中に謎の死を遂げるという事件が起こり、これまた騒動に発展する。

事件の顛末は担当者であった警視の視点を中心に描かれていて、ある程度までは明らかになりそうになるが、結局のところ謎の闇に消えていくのである。

まさしく正統的社会派映画という印象だった。日本でもハリウッドでも既に滅亡寸前なジャンルであるが、イタリアではまだ健在ということだろうか。
ただ、人物が多過ぎて名前が覚えられなくて困ったよ(^_^;)
ラストの字幕で「裁判費用は被害者に請求された」というのには驚いた。

それと、当時の記者たちがまさに「権力の監視役」をしていたのは感慨深い。警察の前で見張っていたなんて今の日本じゃ考えられません

ジョルダーナ監督は最近では超長編『輝ける青春』が公開されている。何年か前に『13歳の夏に僕は生まれた』を見たはずなのだがほとんど覚えていないのは困ったもんだ


社会派度:9点
事件解決度:5点


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コメント

古楽経由で辿り着いたところ映画評も滅法面白く愛読していますが、初コメントです。同映画祭は2010年を最後に都合がつかずご無沙汰、これは是非観たかったのですが前売り完売で、実は貴ブログのレポートを期待してました!。1994年頭から9年余りのイタリア滞在中、ラジオの報道番組で(TVは嫌いで持ちませんでした)、同事件と主犯格のネオファシストについてどれだけ聴いた事でしょう(名前も覚えたほど)、衝撃をもって。映画で触れているかは分りませんが、この男は事件の数年後に日本に逃亡し国籍取得(日本名あり)、日本女性と結婚、実業家として大成功を収め、少なくとも数年前までは都心の某一等地に居住。複数の終身刑判決を負う国際指名手配犯が、外国で安穏な生活を手中に収め得た背景(逃亡・国籍取得等)は、不透明という以上にドス黒いものの模様。イタリア政府の再三の身柄引渡し要請に日本政府が応じぬ裡に、2005年伊最高裁は無罪判決を下し、この男は見事逃げおおせた訳です。不可解・不条理なイタリアの裁判事情を知る(「理解」は不可能)には、先日死去した伊政界の怪物アンドレオッティの生涯が参考になるでしょう。2009年の映画祭で上映の『イル・ディーヴォ』(P.ソレンティーノ)の主人公と言えばお分かりでしょうか。ご参考までに:
http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/51893810.html
尚、長年この男の追跡取材を続けたイタリア左派紙の東京特派員は(向うのラジオで良く彼のレポートを聴いたものです)、一度ならず名誉毀損で訴えられ痛い目に遭っています。

投稿: emme emme | 2013年5月17日 (金) 23時36分

コメントありがとうございます。遅レス申し訳ありません。

犯人と目される男が日本にいたというのは全く知りませんでした。作中では、最後に字幕で裁判の結果が出たぐらいだったので。
ストーリーは主人公の警視の死で終了してしまうのでそれ以後の展開は描かれなかったのです。
主要な人物として描かれていたのは、その警視と取り調べ中に死んだ穏健左派のリーダーぐらいで、他は多数の人間が出没するので、事前にある程度の知識がないと混乱してしまう感じでした。

『イル・ディーヴォ』は昨年見ましたが、ご本人が亡くなったとはつゆ知らず(^^ゞ 日本にも似たような老怪がいますが、こちらはまだ健在なようで。
イタリアはそのような事情も含めて日本と似ている部分があり、フランスやドイツと異なる印象ですね。映画祭へ毎年行くのもそういう理由からです。

投稿: さわやか革命 | 2013年5月18日 (土) 12時12分

再コメントお許しくださいませ。
記事とお返事で作品の骨格が少し見えてきました。「警視の視点」が如何なる視点か大いに興味あるところです。公開されればよいのですが無理でしょうね(今年のプログラムには一般公開予定作品の記載がなかったです)。「結局のところ謎の闇に消えていく」点が暗示的に思えます。「穏健左派リーダーの取調べ中の謎の死」は大事な鍵で(あの時代に暗躍した「左派潰し」勢力)、丹念に描かれているだろうと想像します。公開時に一騒ぎあったのは想像に難くありません。

確かに「正統的社会派映画」はイタリア映画界で健在なり。ジョルダーナ監督のみならず、ジャンニ・アメリオ、ダヴィデ・フェラーリオ、マルコ・ヴェロッキオ等々。優れたドキュメンタリー映画やドキュメンタリー的性格(又はジャーナリスティックな視点)の作品の多さは、特筆すべきではないでしょうか。私はこれがイタリア映画の真骨頂だと思います(意外や、恋愛ものよりも)。「知的な攻撃性」も優れたイタリア映画人の魅力だと。若い頃は「耽美派」ヴィスコンティを偏愛していましたが、イタリア経験を経て、私にとっての彼の傑作は「山猫」「夏の嵐」と並び(もしかしたらそれ以上かも)、「若者のすべて」です。

「日本の老怪」とは間違いなくあの大御所のことで・・・イタリアのジャーナリストがこの人物のことを「謂わばアンドレオッティの日本版」と書いていましたよ!本当にイタリアと日本は最も駄目なところ、三流政治とそれを許す社会、という面で似ていてほとほと嫌になります。ただ違いとしてイタリア社会には、駄目な政治の皮肉な副産物として、「風通しの良さ」があると感じますけれど。

投稿: emme emme | 2013年5月19日 (日) 01時02分

主人公の警視の立場は「知らないうちに陰謀に巻き込まれた」でしょうか。
取り調べの最中にちょっと席を外して戻ってきたら、容疑者が死んでてビックリ!--という感じです。容疑者が鉄道の組合員だったことで組合が問題視し、さらに警察署長など上司が彼に責任を押し付けるような発言をしたため、メディアに大々的に取り上げられて針のむしろ状態になるわけです。
それで、納得いかずに事件を詳しく調べて真相に迫ろうとする……という次第。

『海と大陸』みたいに2年後に公開されることもあるので、未公開のままかどうかまだ分かりません。あと「三大映画祭特集」なんてのもあるし。

2010年の座談会では「イタリア国内じゃこんな顔ぶれが一堂に会するなんてことはないよ」という発言があったぐらいなので、向こうの映画界事情も大変そうでした。

投稿: さわやか革命 | 2013年5月19日 (日) 12時43分

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