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2013年6月

2013年6月30日 (日)

「ダン・ラウリン、コレッリ・ソナタop.5他」:轟く雷リコーダー、転がる竜巻チェロ、そして篠付く雨鍵盤

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会場:日本福音ルーテル東京教会
2013年6月14日

ダン・ラウリン再び来たる! 前回はハクジュホールでの公演だった。この時に録音したコレッリのソナタのCDがようやく出たので、その発売記念とコレッリのメモリアル・イヤーだということで同じメンバー(上尾直毅、鈴木秀美)でコンサートをやったらしい。

数年ぶりのラウリンは髪が白くなって恰幅が良くなった? ササッと一人で壇上に登場したかと思うと、M・マレの「フォリア」の編曲版をやおら吹き始めた。
そして、リコーダー一本でそれを吹くかっという怒涛のような演奏で客の度肝を抜いたのであった。

全7曲のうちコレッリは3曲。上尾氏の耳に染み入るチェンバロ・ソロのスカルラッティや、ラウリン抜きでのジェミニアーニのチェロ・ソナタが間に入った。
5-8番ではチェンバロではなくふいご式のオルガンが登場。上尾氏は何回かの公演で使ってるのを見たけど、なぜにふいご式なのか?音が違うのかしらん。

圧巻は後半に演奏されたヘンデルのソナタと、そしてコレッリの「フォリア」だと言っていいだろう。
ラウリンのパワーあふれる、音が連なり押し寄せてくるリコーダーに対し、鈴木秀美のチェロもまた一歩も譲らず。ヘンデルではまるでチェロの音が小さい竜巻となって彼の周囲で幾つも発生しぐるぐると回っているような場面があった。
フォリアの終盤ではチェロの腕の見せどころ、いや聞かせどころの部分が設定されているがそこでもまた圧倒。最初のラウリン独奏のマレに対応するように、ここまで演るかーっと思わせるほどに音と技巧を凝縮させ詰め込んでいた。
「フォリア」でこんな激越なチェロを聴いたことは一度もないっと断言しちゃおう。

配布されたプログラムにあったヒデミ氏の文章では、
「資料として残っているその装飾を守って演奏する人もいるわけですが、それでは自分で装飾をしているとは言えないことになります。またダン・ラウリンが言うように、当時のものとはいえ、アマチュアやさほど程度の高くない奏者を想定して書かれた(でなければ売れない)装飾を、なぜプロフェッショナルな奏者が踏襲しなければならないのか、という面もあります」
こ、これは……同業者及び聴衆への挑戦状かっ(@∀@;)
その言葉にたがわぬ演奏を聞かせてもらいました

ところで、会場は教会だから当然段差はない。で、最前列に座った人がやたら途中で大きく身体を動かすのである。すると、奏者が見えなくなるもんだから私の前列の人がまた身体を動かす。すると、私も見えなくなってしまうのでまたまた動かす……という連鎖反応が延々続いたのであった。
ということで、最前列に座った人はじっとして動かないようにお願いします(^O^)

今回はなぜか満員御礼という程の入りではなかった。チョイ悪おやじ風ラウリンが大々的にフューチャーされたケバいチラシが悪かったのかしらん


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2013年6月29日 (土)

「ハッシュパピー バスタブ島の少女」:元気の素ちょうだい

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監督:ベン・ザイトリン
出演:クヮヴェンジャネ・ウォレス
米国2012年

アカデミー賞に複数ノミネート、しかも主演女優賞は史上最年少ということで話題になったこの作品、ファンタジーぽくて『ナウシカ』に似ているだのなんだのという噂も流れていた。

だが、見始めて十分ぐらい「どうも、これダメかも(=_=)」と思うようになった。
別にドキュメンタリー風の作品でもないのに、ひどいカメラの手ブレ。何の意味もないし、気分が悪くなってしまった。
とにかく感覚が合わない。恐らく、この映画を好きな人が「快」と感じるだろう部分が全て私にとって「不快」であった。ベタ~ッとしたテンポもイライラする。
『ナウシカ』風のファンタジー部分もなんだか取ってつけたようで、現実部分とうまく接合してるとは思えない。

それから主人公の女の子がやたらと気張っているのもゲンナリする。別に「子どもはおとなしくてか弱いものであれ」ってことじゃないよ。元気に子どもが頑張っている姿を描いて、それを大人が自らを慰めるダシにしているその根性が不愉快だ。
その証拠に、他の子どもとの会話や繋がりがほとんど描かれていない(他の子役はシロートで台詞喋れないにしても)。

唯一良かったのは、ダンスホールの場面ぐらいかな。

ロクデナシの父親も好評だったようだが、私は子どもの頃、自分の父親が飲んだくれてご近所にご迷惑をかけていた姿を思い出した。見ているとイライラする。我慢できない。あれからウン十年の歳月が流れたが、未だに怒りが湧き出てくるのに自分でも驚く。

ということで、個人的には今期最低最悪の映画だったのは間違いないのであった。


主観点:0点
客観点:採点不能


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2013年6月24日 (月)

「南蛮ムジカのオルフェオ」:最も雄弁だったのは

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会場:求道会館
2013年6月8日

南蛮ムジカは辻康介と根本卓也(チェンバロ)、佐藤亜紀子(リュート、バロックギター)によるユニット。
以前にも仏教教会であるこの会場でこちらこんなのもやっていた。
今回はモンテヴェルディ版の「オルフェオ」である。しかも能楽とのコラボなのだ。ゲストとしてワキ方の安田登と笛方の槻方聡が参加した。

しかし何が一番驚いたかって、入口で楽譜を渡されて婚礼の場面などで合唱してくれと言われたことΣ( ̄□ ̄ll) ガーン
一応練習タイムが最初にあったけどみんなスラスラ歌っているではあ~りませんか。中には他のパート歌ってる人も(!o!) 客に音楽関係者が多いからか。
自慢じゃないけどね、初見で楽譜見て歌なんか歌えませんよ くーっ(> <;)家出してグレてやる~

それはともかく、この場合辻康介のオルフェオがシテ方になるのかな?(能は不勉強なのでよく分からず) 安田氏の方は場面によってナレーターになったり渡守や冥府の王になったりするという次第。
笛もチェンバロやキタローネと共に一緒に吹く場面があったが、あくまでも一緒に吹いたのであって、当然音楽的には当然相容れないのである。

冥界を行き来するオルフェオの物語は能と融和性が高いように思われるが、実際には難しいようだ。衣装やデザインを借りるか、所作を真似るか、全体の形式を使うか、それとも全く異なるアプローチをするか……。
バロックオペラに関しては過去に見た公演ではこちらが成功していたと思ったが、なかなか簡単にできることではない。

辻氏のオルフェオは繰り返すうちにますます磨きがかかってきたような……(^-^) また来年も意欲的な企画をお願いします。
感心したのは佐藤亜紀子のキタローネ(リュート)。この楽器こんなに雄弁だったのかと認識を改めました--というぐらいに感情豊かに「物語って」いた。

会場は少しムシムシして暑く、衣装を着けてたお二人は大変だったろう。ご苦労さんでしたm(__)m

ところで、静岡のSPACで宮城聡が演出するモンテヴェルディ「オルフェオ」のチラシが会場配布の中に入っていた。
「歌手と俳優がその存在意義を賭けて激突! オペラというジャンルが地上に生まれた瞬間の興奮を、いま体験する!」というのを読むと、猛烈に見たくなってしまうのだった。
東京周辺でもやってくれんかねー。そ、それとも静岡日帰り……(@_@;)


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2013年6月22日 (土)

「オリクスとクレイグ」

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著者:マーガレット・アトウッド
ハヤカワ書房2010年

ウィルスによって人類はほぼ死滅状態となり、凶暴化した遺伝子操作の生物が跋扈する近未来を描く。
その世界はケバケバしく毒々しく危険である。もっとも、それはただ一人生き残った主人公にとってであり、新たなる人類である「子どもたち」を見れば牧歌的に美しく思えるかもしれない。

主人公の切れ切れの回想から、どうして世界がこんなことになってしまったのか、その経緯が浮かび上がってくる。
異世界と化した強烈な日常描写は変な生物がいっぱい出て来て、映画化したらCGで表わすのにうってつけだろう(主人公にはなんとなくトム・ハンクス推奨)。
だが、映像化は恐らくされないだろう。原著は十年前に書かれているが、この中で破滅の予兆として描かれている遺伝子操作のテクノロジーの幾つかは、昨今のニュースで実用化が伝えられているからである。

この物語は三部作として構想されているらしい。二作目は既に出ているが未訳。最終巻は書かれていないようだ。
著者の作品は『侍女の物語』ぐらいしか知らないが、他のも読んでみたくなった。


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2013年6月19日 (水)

「コズモポリス」:リムジンは進むよどこまでも

130619
監督:デヴィッド・クローネンバーグ
出演:ロバート・パティンソン
フランス・カナダ2012年

『イースタン・プロミス』の続編が頓挫した代わりに『危険なメソッド』を作ったというクローネンバーグの新作は、近年は鳴りを潜めていた「クロ節」が炸裂の一編である。
レオス・カラックスのやはり同時期に公開された新作『ホーリー・モーターズ』と、設定が似ているとかいないとかで話題になった。

金融で若くして巨額の富を築きあげた男がリムジンに乗ってニューヨークの街を移動する。街は暴動が起きかけていて、交通は渋滞している。
男はどうしてもその日に移動しなければならないという理由はない。さらに危ない取引に手を出して富を一瞬にして放棄してしまう。

のろのろと進む大型のリムジンには様々な人が訪れる。そして、その中ではありとあらゆることができる。外に出なければならないというさしたる理由もない。時々、暴動の参加者が窓をぶっ叩いたりするが、気にしないのである。

一貫してリムジンで繰り返される行為や会話はほとんど不条理に近い。何やらグチャグチャし、ヨレヨレフラフラして小汚く訳がわからず、まともな所は一つもないけど理屈っぽい。その中心に鎮座する主人公をロバート・パティンソンが空虚に演じている。
終盤では不条理から半幻想に近づく。美しいとはお世辞にもいえない幻想だが。

そこに登場するポール・ジアマッティはコソコソとして薄汚くげっ歯類を思わせる。見ているとイライラしてしまう。ここまでイライラさせるとは--さすが名優といわれるだけはある。

久し振りのクロ節はさすがにヘヴィで、見終わった時はぐったりしてしまった。隣の席に座ってた若者は、後半に至ると退屈した小学生のように常にバタバタと身体を動かしていた。
2時間弱は長過ぎ、せめて90分にしてほしかった。

そんな型破りなのに、「巨額の富を得た人間は虚無にとらわれ不幸である」という「常識」から逃れていないのはどうしたことだろうか。私のようなひねくれ者だと、巨万の財産を築きながら素晴らしい家庭を得て幸せな人生を得ている人物が登場したっていいじゃないかと思いたくなる。
もっとも、実際にそんなのがいたら石を投げたくなるけどな(-_-メ)

原作はドン・デリーロの小説だが、このまま芝居にしてもうまく出来そう。リムジンを舞台にデンと据えたまま周囲の人間と背景が動いて行くという趣向にしたらいいかも。


不条理度:9点
清潔度:5点


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2013年6月16日 (日)

バッハ「ミサ曲ロ短調」:とかくバッハは……

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演奏:鈴木雅昭&イェール大学スコラ・カントールム合唱団、ジュリアード音楽院古楽オーケストラ
会場:東京藝術大学奏楽堂
2013年6月2日

鈴木雅昭はイェール大学の招聘教授になってたとのこと。知らなかったです(^^;)
で、学生による合唱団(オーディションで選ばれる)とジュリアード音楽院の古楽器アンサンブルの組み合わせで、日本とシンガポールへのツァーを行なった。本国でも公演をやったらしい。

実は2週間ぐらい前まで全く知らなくて、あわててチケットを購入した。自由席とはいえ、2000円! 超格安であります。もっとも向こうの学生の水準がどれほどのものなのかは未知だったわけだが。

実際に聴いてみると、予想したよりはるかに高水準だった。いわゆる「学生」のイメージとは全く異なっている。独唱者たちも瑕疵なく堂々としたもんである。
あら捜しをすれば、合唱が最も複雑な部分に来るとベチャッと潰れた響きになってしまうのと、木管楽器パートのバランスがちょっと悪かったことだった。オーボエが独走してしてしまってたのかな?

合唱は各声部5~6人ぐらいか。珍しかったのは歌ってる時に身体をみんなそれぞれに揺らすこと。なんかゴスペルやってるようなノリである。
コンミスは小柄なアジア人で、名前を見ると日系だった。トランペットは指孔付きを使用。比較してしまってはナンであるが、マドゥフ氏がナチュラル・トランペットであれだけ吹けるというのはスゴイことなのだなあ--と変なところで感心してしまった。
それからチェロがやや迫力不足だった。BCJを聴いた直後では仕方ないか。

全体的な印象としては、スッキリとして簡潔なロ短調ミサだったといえよう。独唱者の一部は「濃厚」な人もいたが。
ただ、やはりこの曲は難しい。テクニック的なことではなくて、受難曲のようなドラマ性はないからである。
ロ短調ミサを聴きながら考えた。心地よさに走れば水のように流れ去り、劇的を強調すれば重苦しい。とかくバッハは難しい。
こんな曲をなぜ作ったか(^^?) バッハ先生のイ・ヂ・ワ・ル

奏楽堂は千人ちょっと入るらしいがほぼ満員だった。フライング拍手は全くなく雅明氏が手を降ろすまで静か。さすが藝大というところか(^^♪
ところで、最後に独唱者たちがにステージの前方に出たが、雅明氏がお辞儀しても彼らは何もしない。2度目に彼に促されて気付いたようにお辞儀した。米国式ではそういうことしないの? それともソロを取ったの初めてとか……なんてことないよねえ。

プログラムの解説にもう少し団員の詳しい情報を載せて欲しかった(年齢構成など)。無料配布だから文句は言えんけど。(と言いつつ文句言ってみる)


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2013年6月15日 (土)

バッハ・コレギウム・ジャパン第102回定期演奏会:新規まき直しの回

130615
復活祭の初期カンタータ集
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2013年5月31日

前回の「ヨハネ受難曲」では後半に集中力が途切れ、そのついでに感想も書かずに終わってしまった。しかし、また新しい年度に入って仕切り直しである。
定期会員をやめて、また毎回公演ごとにチケットを買うことにした。いい席は取れないだろうが仕方ない。

今回はバッハ先生の初期作品でイースターとペンテコステに関係するものを演奏。さらに目玉はパッヘルベル作曲でBWV4と同じルターのテキストを使用したカンタータの演奏だろう。

パッヘルベル作品は合唱2人ずつで楽器も小編成であるが、基本が合唱で二重唱が全体の中で対称形を成すように二回登場するなど構成が似ている。
また双方とも第2楽章に登場するそのデュエットが非常に美しいのだった。やはり影響を受けているのか。と同時にパッヘルベルもこんなカンタータを書いていたのかと驚きもあった。そのうち「様々な作曲家の知られざるカンタータ」シリーズみたいのをやって欲しい。

後半ではお馴染みマドゥフ組のトランペットやティンパニ、管楽器も加わり、華やかな雰囲気が高まる。後方に座ってた学生らしき一団が、バロックオーボエかターユを見たのか「なんだあれはリコーダーか?」などと言ってた。大丈夫か……(-_-;)

そのオーボエは172番のソプラノ&アルトのアリアで三人目の独唱者並みに活躍。何やら異質なサウンドを醸し出す。
もう一人楽器で活躍してたのは31番のバスのアリアでのチェロ。こちらも独唱者と対等に渡り合う。さすがヒデミ氏、やはりバッハのBCはこうでなくちゃと言いたくなった。

座席がこれまで中間のやや前方よりだったのが、もっと後方になったけど、ハナ・プラシコヴァの声は全く変わりなく同じように聴こえてくるのは驚いた。あの細い体にいかなるパワーが秘められているのであろうかっ(゜o゜)
テノールはお久しぶりな感じの櫻田亮氏だった。

全体的にはバッハ先生の若い頃の作品を改めて聞いて、初心に帰った気分になったコンサートであった。
客席には若い白人の男女が目に付いた。どうも二日後に控えているマチャアキ氏指揮のロ短調ミサ公演をやるイェール大とジュリアードの団員のようだった。
彼らはBCJの少人数にして精緻な合唱を聞いてどう思っただろうか。
ただ、彼らを除くと後ろの方の客席はかなり空席があった。やはり受難曲などの大曲でないと客は入らないのかねー。ちょっと心配になったりして(@_@;)

今回より、プログラムのデザインが一新--になったのはいいけど、なんとなく活字が読みにくい気がする。それと曲目解説の内容も高度になり、文語調の対訳は読みにくさ上昇。単に私の眼と脳ミソが退化しているだけかね(^^?)


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2013年6月10日 (月)

「リンカーン」:見よ!今こそ差別の海は裂けゆく

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監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:ダニエル・デイ=ルイス
米国2012年

賛否両論激しく分かれた本作。作品の出来不出来というより、スピルバーグ本人を好きか嫌いかがそのまま評価に反映しているかのようだ。嫌いな奴はケナしまくり、好きな奴は激賞しまくりで両極端なのだった。

タイトルだけ聞くと大統領の伝記のようだが、実際は南北戦争終結目前での奴隷制度撤廃のための駆け引きを描いたものである。従って取り上げられている期間は短く、政治的な論議や裏工作に多く時間が割かれている。
TVドラマの『ザ・ホワイトハウス』では似たような状況がよく登場したが、正統的な伝記物やグロい南北戦争描写を期待した向きはガッカリしたかも知れない。

その戦争シーンだが、冒頭に少しだけ登場する。湿地帯で繰り広げられる陰惨なまさしく泥沼状態の闘いである。後日、国立近代美術館で日本の戦争画(もちろん太平洋戦争の、だが)を見たらよく似ているのでいささか驚いた。時代は異なっても肉弾戦となるとやることは同じようだ。

ここでのジレンマは議会に奴隷制度撤廃の議案を通すためには、その前に戦争が終わっては困るということだ。だが、一方で戦争を引き延ばせば犠牲者はどんどん増える。折しも、親子関係がうまく行っていないリンカーンの息子が軍を志願しようとし、そのため妻からも非難されるのだった。公私ともに苦し~いっ((+_+)) 大統領はつらいよ、である。
加えて、こんな議案じゃ生ぬるいぞもっとキッパリ差別全廃せいな急進派も説得しなければならぬ。右からも左からも砲弾が飛んでくるのだ。これまたつらい。

タイトル役はダニエル・デイ=ルイスで、他を寄せ付けず独走状態でオスカーを獲得したが、この結果には誰も異論をはさまないだろう。たとえこの映画を評価しない人であってもだ。
もう、一個どころか百個ぐらいそこらじゅうの賞をかき集めてやってもいいほど。味気ない歴史の教科書の文字が、今初めて生身の人間として立ち現われたような印象である。

今年のアカデミー賞作品賞で、ホワイトハウスから生中継でオバマ大統領夫人がプレゼンターとなったのは『ゼロ・ダーク・サーティ』が受賞すると当て込んだ国威発揚のためだ、という説があった。しかし、『リンカーン』を見た後はこちらの受賞を想定していたのではないかと思った。
冒頭、黒人の兵士たちが大統領に「いつか我々でも将校になれる日が来るか」と話しかける場面があるが、その問いかけが行き着く先は「いつか黒人の大統領が……」であり、まさにそれは今や実現しているのである(ー_ー)!!
もっとも、残念なことに作品賞は『アルゴ』に行ってしまったが、これもアメリカ万歳な作品なので結果オーライというところだろう。

長さ150分の大作であり、その重厚さと格調高さに私は往年のハリウッド史劇を思い出した。
その題材はかつては旧約・新約聖書だったが、多民族多文化が入り乱れる現代において「自由・人権・解放」が現代の新たなる神話となったようだ。
リンカーンが合衆国憲法をかざせばどす黒い差別の海が真っ二つに割れて道を示す。その時、実際の彼は奴隷制度維持派だったとか、南北戦争の原因は経済問題だ、なんてことはどうでもいいことなのだ。
もっとも「神」と同様に「自由」が嫌いな人間も存在するけどな
映画ヲタク少年であったスピルバーグは、今や史劇を作ったハリウッドの巨匠たちの後継ポストを目指しているのだろうか。

ただ、戦争終了後もダラダラと話が続くのはちょっと興ざめ。暗殺を描きたいとしても、も少しなんとかしてほしかった。

J・スベイダーが飲んだくれのオヤジになり切っていて、見ていて全く気付かなかった。あのスペイダー君がねえ……と感慨深いのよ(遠いまなざし)。
他の助演陣の演技も見事なもんだったが、照明の巧みさにも感心した。真っ黒な影となった大統領と光に照らされた妻との対比、閣僚の前で演説するうちに激高してきた表情をとらえる場面など、実に鮮やかである。


左右対立度:8点
家庭対立度:8点

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2013年6月 7日 (金)

「ジョングルール・ボン・ミュジシャン 都電荒川線ライブ」:古楽史上&人生初!揺れるコンサート

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会場:都電荒川線車内
2013年5月26日 
出発駅・時間:第1回目 都電荒川線「大塚駅前」12:47発(下車駅「三ノ輪橋」13:26)
第2回目 都電荒川線「三ノ輪橋」13:33発(下車駅「大塚駅前」14:13)

以前、「名橋たちの音を聴く」という船上コンサートに行ったが、今度はなんと都電(!o!)である。
もっとも、都電は元々イベント用に貸切をしていてロックなんかでは以前からやってるようだ。だが、日本古楽史上では初めてではないかっ

都電といやあ、子どもの頃には近所を通ってたんで結構乗りました。その後、廃線になっちゃったんで縁がなくなったけど……。
というわけで、本当に都電は久し振りである。多分年齢から端数を切り落としたぐらいのウン十年ぶりだろう。

私は「大塚駅前」発→「三ノ輪橋」着の回にしたが、そういや大塚駅も久し振りすぎ。多分、今は亡き大塚名画座に行った以来じゃないかな。

駅に並んで待っていると結構頻繁に発車している。これらの定時の発着の合間を縫って走行するのであった。忙しい。
30人が定員だったが、列の後ろだったので乗ってみると座席は埋まっていて、立ち見となってしまった。メンバーは既に後部に控えていて発車と共に演奏開始である。ただ、メンバーは3人しかいない。5人いるはずじゃなかったっけ
電車の走行音と空調の音はかなりうるさかった。バグパイプ(近藤治夫)はさすがに音のデカさで負けてなかったが……。揺れも大きいので立ったままで演奏するのは大変だ~。吊革つかまれないし(^_^;

隣の駅に着くとなんとホームから歌手の名倉亜矢子が乗り込んできて歌い始めた さらにその次の駅では辻康介が乗り込んできた。粋というより笑える演出だった。でも、中世の放浪楽師風のヨレヨレした衣装で、ホームに立ってるのは恥ずかしくなかったんざんしょか(^^?)

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曲目はこれまでジョングルール・ボン・ミュジシャンの公演で聞いてきたお馴染みの中世&ルネサンスの曲ばかり。
電車は下町の住宅の間や低層ビル街や商店街の間を走り抜けていく。そして、その電車の中を彼らは行ったり来たりして演奏するのだった。あまりに間近すぎてフィドル(上田美佐子)の弓が顔にグサグサ刺さりそうになったり、バクパイプの後方の長い筒が脳天を直撃しそうになったりして、客はその度にササッと身をかわすのであった。(←やや大げさに書いておりますが、全て事実であります)
立っているせいもあって踊りたくなる気分だったが、あまりに狭すぎて客の方も身動きできない状態だ。

あっという間の30分強だった。天気も良くて、定番のバッカスの歌を聴くと一同ビールなどグイッとやりたい気分になったけど、車内って酒類持ち込み禁止なのかな?
次の三ノ輪橋発の回が始まるギリギリに到着(都電もバスみたいに渋滞するらしい)。一旦降りてまた次の回に乗る人もいたようだ。私は地下鉄日比谷線に乗って帰った。

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やはり都電は走行音が大きすぎで中世系以外の楽器では無理っぽかった。リュートとかバロックギターは絶対無理だろう。チェンバロは……車内に入らないと思う。
次は是非はとバスでお願いしまーす\(^o^)/ スカイツリーや歌舞伎座の前に止めて、そこでゾロゾロ降りて突発ライヴとか

チケット代は取ってなくて投げ銭方式だった。なんと1万5千円も出した人がいたとか。太っ腹であ~る。

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2013年6月 1日 (土)

イタリア映画祭2013「リアリティー」:神は電波に存在す

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監督:マッテオ・ガローネ
出演:アニエッロ・アレーナ
イタリア2012年

特別上映作品となったのは『ゴモラ』の監督マッテオ・ガローネの新作。これもやはりカンヌ映画祭でグランプリを獲得したとのことである。
もっとも、前作とは打って変わってコメディらしい。さらに、過去に東京国際映画祭で見た人の感想にはあまり芳しくないものもあり、あまり期待しないで見に行った。

2時間弱の上映時間--『ゴモラ』よりは短いが、実の所かなり長く感じた。前作はヤバイ生業の方々がヤバイことをする場面が度々登場するので緊張感が持続したが、こちらは変哲もない庶民の日常が舞台である。沈没しかけても仕方ない(と自己弁護よ)。

で、前評判通りコメディかというと全く違った。笑えないどころか、悲惨な話ともいえる。
イタリアに実際あるらしいリアリティー番組に、のめりこんでしまった男を描いている。この番組の出身者でスターになった男が登場するが、芸というようなものがあるわけではない。そんな芸人に主人公は憧れて予選クラスのオーディションを受ける。

やがて、のめりこみ過ぎてもはや常軌を逸するレベルになってしまう。不合格になっても信じず、TV局の人間がいつも自分をチェックしていると思い込み、「善行」をしようとする。
皮肉なことに、そこまで行くともはや「信仰」に近いものだ。「神が見ているから悪いことはできない」と「TV局が監視しているから悪いことはできない」に、どれほどの違いがあるだろうか。敬虔なカトリック信者らしい老姉妹との会話が内容が完全にずれていながら、ピッタリと合ってしまう場面がそれを端的に示している。

かように辛辣で皮肉なのだが、先に書いたようにいかんせん長い。前段の借金取立て場面なんかはもう少し省略してもいいんじゃないかと思った。
それから、他の人の感想でフェリーニに似ているというのを読んだが、確かにストーリー運びや映像のタッチにそういう所がある。
で、私はフェリーニ苦手なんだよね……

役者はシロートの人が多い? 主人公の親族もさることながら、歯が一、ニ本しかないバーサンなんかどこから連れて来たってなもん。主人公の行動よりも、周囲の地味ながら変テコな親戚や住人たちが笑える。

『ゴモラ』は日本で公開されるまで4年ぐらいかかったが、こちらはどうだろうか。いきなり、CS放送でやったりして(~o~)

ところで、上映開始前に近くの座席で指定席の間違い騒ぎがあった。間違いを指摘された者がなかなか席を移動しようとせず、グズグズしてるのも不思議だが、自分の座席に他人が間違えて座っていると何も言わずに、他の空いている席(もちろん、まだその席の主が来ていないだけだ)に座ってしまうというのも変だ。だって、後から来た人が困るだろうよ。
以前シネコンで私の指定席におじさんが座っているので、間違っていますよと言ったら、そのおじさんも自分の座席に別の人が座られてたらしい。だけど、それを言わずに空いてた私の席に座ってたらしいのだ。変であるよ(?_?)


お笑い度:6点
妄想バクハツ度:8点


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聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 6月版

5月に続き、公演ラッシュ。あちらに行けばこちらに行けずの日々であります。
でも、もう昔のように連チャンはできないのう

*2日(日)パーセル、その音楽と生涯 2
  〃   ミサ曲ロ短調(イェール大学スコラ・カントールム合唱団&ジュリアード音楽院古楽オーケストラ)
行きたいコンサートが同時に……。前者は今谷先生がナビゲーター。後者は鈴木マチャアキ氏が指揮。東北でチャリティーなども行うもよう。
*8日(土)南蛮ムジカのオルフェオ
能楽とのコラボです。期待大(*°∀°)=3
*14日(金)コレッリ・ソナタ5(ダン・ラウリン)
*16日(日)2本のリコーダーによるトリオソナタの旅(山岡重治&太田光子)
*28日(金)イギリス音楽の楽しみ
またもジョシュ・チータム氏が特出

他にはこんなのも
*1日(土)イタリア作曲家のチェロ作品(武澤秀平&村上暁美)
*5日(水)シャルパンティエ 聖母の挽歌(コントラポント)
*6日(木)宮崎賀乃子&天野寿彦
*11日(火)ジョン・ダウランド生誕450年祭り第2回
*16日(日)よこはま古楽まつり
*22日(土)調布音楽祭
*30日(日)寺神戸亮ソロ

調布音楽祭行った方の楽しいレポートお待ちしてまーす(^^)/
それから仙台で「レクチャーコンサート 通奏低音チェロは容易で役立たずつまらぬ仕事か?」という鈴木(弟)ヒデミ氏のがあるんだけど、東京ではやってくれないのか?
もしやるとしたら「通奏低音チェロをナメんぢゃねえよ、バーロー(`´メ)」というタイトルを希望。

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