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2013年7月

2013年7月28日 (日)

テレマン「ハンブルグ四重奏曲集 全曲演奏会」:超売れっ子テレマンを聴く

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フルートの肖像シリーズ 8
演奏:前田りり子ほか
会場:近江楽堂
2013年7月20日

前田りり子が主催する演奏会シリーズ。この日はヴァイオリン寺神戸亮、ガンバ上村かおり、チェンバロ上尾直毅という顔ぶれでテレマンをやった。
ちょうど一年前にパリ四重奏曲をやったとのことだが、私は行ってなかった。なので、個人的には寺神戸&上村ペアの共演は初体験である(のはず)。
「ハンブルグ」は「パリ」以前の曲集で、これで人気が出たテレマンはパリに呼ばれたのだそうだ。

戦争の被害も少なかった自由な商業都市であるハンブルクの隆盛や、バッハとテレマンの長所・短所それぞれの比較など、曲の合間のりり子女史による解説はユーモアたっぷりで、会場を笑わせていた。
テレマンはバッハよりもさらに多くの仕事を引き受けていた(担当する教会が5つも!)し、さらにコレギウム・ムジクムの演奏会は週2度もやってたし、カンタータは三一年巻分も作った--などなど。

四人とも実力充分な手練ればかりなので完成度高い演奏で終始楽しませてもらった。キャッチーだけど時折ちょっと物足りなく感じることもあるテレマン作品も、ここでは全く文句な~し
特に寺神戸氏のヴァイオリンは、こういう小さな会場で間近に耳にすると、その音の中には生き生きとしたエネルギーの流れのようなものが存在していた。それが聞く者の精神をまた賦活させるのであった。

ラストは四人がそれぞれに個人技を発揮するコンチェルト第2番で、客席はひたすら感心+感動でした!(^^)!
アンコールは「パリ」から一曲。

次の九回目はバルトルド・クイケンとのデュオということで、楽しみよ


会場に入ると、前方中央の椅子の上に小さな紙が置いてある。字が小さいのでよく読めなくて、てっきり関係者席か何かと思ったら、なんと冷房の風が直撃するという注意書きだと後になって判明した。なんなんだよ……(・へ・)


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2013年7月21日 (日)

小江戸コンセール 第2回演奏会「フランス人」:サロン的気分の楽しみ

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会場:近江楽堂
2013年7月12日

小江戸コンセールはトラヴェルソ新井道代、ヴァイオリン天野寿彦、ガンバ田中孝子、チェンバロ佐藤麻衣子によるグループ。実は行くまですっかり忘れていたのだが、この中の3人の演奏会に過去に行った事があるのを思い出したのだった。

「フランス人」というのはもちろんクープランの「諸国の人々」から取っていて、他にマレ、オトテール、デュフリ、ルクレールとフランスもの定番作曲家の作品が聞けた。
この日の近江楽堂は、椅子がゆったりと並べられサロン風状態で環境的にもピッタリ。例の如く冷房は効き過ぎだったが、仕方ない。

中ではトラヴェルソ+チェンバロのオトテールが感情が豊かで凝縮され、聞きごたえあり。笛の音を心ゆくまで堪能できました。
鍵盤ソロのデュフリ「三美神」は音が小さな粒になってキラキラ光っているよう。
4人のアンサンブルとなると「堅実」の一言。ただ堅実が過ぎて、時折それが裏目に出てしまう部分があったのは残念であった。

また次のコンサートを期待しておりまーす(@^^)/~~~


ところでお隣のオペラシティ・アートギャラリーでは翌日から始まる「アートがあれば2」の内覧会をやっているようだった。内覧会ってこんなに人が来るのかというほど、人がいっぱいいた。写メ撮っておけばよかったな。


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2013年7月20日 (土)

「ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮」:愛がなくても啓蒙できます

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監督:ニコライ・アーセル
出演:マッツ・ミケルセン
デンマーク2012年

マッツ・ミケルセン祭り第2弾となった本作、18世紀啓蒙時代を舞台にした正統派宮廷コスチューム・プレイである。
英国王の妹がデンマーク王へお嫁入り。がしかし「私は王妃になるのだわン」と胸をドキドキさせていた若い娘の幻想は一日にして打ち砕かれるのであった(;_;)/~~~

若い王の行動は奇矯だし、義母(前国王の後妻)は姑=鬼一万匹のコワさである。そんな立場に不満はくすぶり、国王の侍医と不倫し、子どもまでできちゃうのであった。
よく、不倫が出てくるドラマを見てると「こんな男となんで危険を冒してまで……」とか思っちゃうことは度々あれど、今回のお相手は天下のマツミケである。「不倫相手としては文句なしですよ、奥さ~ん(>O<)」なのである

ただし、当時の最新鋭政治思想である啓蒙主義が絡んで来るのが、単なる不倫ものとは違う。侍医と王妃はともに信奉者であり、同志として国王を動かして(悪く言えば、操って)旧弊な体制を変えようとするのであった。一方で反対勢力も動き出す。

顧みれば、精神不安定な王の遊び相手としてブロマンスを楽しんでいた侍医が、最初は知性無き女として無視していた王妃が実はそうではないことを知って、「男同士の絆」から飛び出していく。そんな要素が背景に秘められているのであった。

とはいえ、下働きの黒人の男の子がてっきり不倫発覚のきっかけになるのかと思って、ドキドキしていたら全く別の形で出てきたのははしごを外された気分。なんだよ。
それに137分というのはあまりに長過ぎ。ダラダラと展開もなく、途中で「さっさと話を進めてくれ~」と思う場面が続く。見ていて緊張感が失せてしまった。

終盤は悲惨な展開となり、またも「私のマツミケをいぢめないでー(TOT)」と思わず叫ぶファン多数であろう でも、ラストはちょっと救いがあってヨカッタ。

見終わって一番哀れなのは国王だと思えた。今だったら発達障害とされるだろうか? 彼は父と母が欲しかっただけなのに結局裏切られたんだよねえ。
とはいえ、自国の王室の「恥」な歴史を堂々と明らかにする姿勢にはビックリ。日本でもぜひ大正天皇あたりを……無理ですね(@_@;)

ヒロイン役のアリシア・ヴィキャンデルは若くて健康そう。新人だそうで今後の活躍に期待である。彼女がフォルテピアノを弾く場面や、バロック劇場も登場する。他にも舞踏会の場面にヘンデルやヴィヴァルディが流れたりして音楽的にも文句なしであった。衣装や背景も美しくて絵画のようであるよ。


不倫度:8点
啓蒙度:5点


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2013年7月15日 (月)

「醤油と薔薇の日々」

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著者:小倉千加子
いそっぷ社2013年

小倉千加子は時折、話題の書(『セックス神話解体神話』とか『松田聖子論』とか『結婚の条件』)を出してはその間、「あの人今どうなってるの?」的に消息をくらますというパターンを繰り返しているように思える。良い意味でも悪い意味でも常に話題を提供する上野千鶴子とは大違いである。

やはりここしばらく音沙汰がなかったのだけど、エッセイ集が本屋に並んでいた。
冒頭は安田成美の醤油のCMの話題から始まる。「はて、そんなCMあったかいな?」と疑問に感じて後ろの初出を見ると1993年に書かれたものだった。

収録されているのは1993年から94年に「ちくま」誌に、2005年から08年に東京新聞に連載した短いエッセイである。過激な内容はほとんどない。
むしろ著者が年取って来たせいか、しみじみというか人生指南というか晦渋というかそんな印象の文章が多い。(『結婚の才能』もそんな感じだった)

「高年期の課題」という老人問題についての文章に至っては、私の頭の老化現象のせいか何度読んでも何が言いたいのかハッキリとは分からない。ムムム(-_-;)

とはいえ
「感情の百面相を持つ妻は夫の生命の源泉となる。経済と感情の見事な社会交換が、そこにはある」
「フェルメールの作品の中でとりわけ「牛乳を注ぐ女」が好まれるのは、自分の「身分」を受け入れ、「黙々と家事をする女性」が渇仰される気分が存在するからである」
「入学式や卒業式といった「学校の儀式」は親にとって必要なのである。運動会や音楽会は「学校の祭り」である。(中略)学校が持つ強い磁場作用は、まるで既成の宗教が衰退していくのを補完するかのような勢いで、強い磁場を提供している」
--などと鋭い指摘もある。

で、今小倉千加子は何をやっているのだろう? 「執筆・講演活動」ってあるけど、ご隠居生活なのかしらん


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2013年7月14日 (日)

「華麗なるギャツビー」:お隣りが華麗過ぎるのですがどう対処したらいいでしょうか

監督:バズ・ラーマン
出演:レオナルド・ディカプリオ
米国2012年

「ギャツビー」は過去何回か映画化されているらしいが、見るのはこれが初めてである。1974年版は若い頃のロバート・レッドフォードがどうも苦手なんで、パスしていた。今回もディカプリオがやはり苦手なんでやめておこうと思ったが、予告を見て面白いかなと思って行ったのであった。
ついでに、バズ・ラーマン監督の作品も見るのは初めてだ。

結論から言ってしまうと、期待は裏切られた。原作もこんな話で、米文学を代表する小説なのかい?……と戸惑いモードになってしまったのである。

ヒロインのデイジーは「悪女」ということらしいが、キャリー・マリガンはとてもそんなようには見えない。清楚なお嬢様というイメージで、自分の母親、そして自らが属する階級の価値観に忠実であるだけに思える。それだけにラストの手のひら返しがあまりに唐突過ぎるような(?_?)

主人公は登場する時に花火と星をバックに背負って登場するが、その時に傍観者のニックの独白(原作から引用?)をかぶせる。これは危険な手法である。映像で表現する自信がないからテキストを援用したんだろうなんて余計な憶測を呼ぶか、或いは映像とテキストの印象が相反していたらその場面は崩壊してしまう。
あの場面は無理やり演出家の意図通りに持ってこうとしてるなー(観客がどう受け取るか関係なく)、とそれをまず第一印象として思ってしまった。

ギャツビーは常に謎の人物なので、凡人である観客が理解できるのは語り手のニック以外にはいない。デイジーの夫も描かれているまんまで心理的なものについては不明。
デイジーは主人公の粗暴な部分に驚いて逃走したかのように描かれているが、亭主の方がよほどマチズモの塊のように見えるからなんだか説得力がない。
それで、唐突だけどなんとなく『タイタニック』を連想してしまった。あの映画にノレる人ならこちらにもノレるだろう。それと、俳優ディカプリオのファンかどうかで評価が違ってくるのも同様だ。

予告では素晴らしく見えたパーティ場面、これが一番の期待外れ。なんだか美しいだけで、豪華な舞台のショーとかエンタテインメント・パークの健全なパレード(ご家族で楽しめます)を見ているよう。これがバズ・ラーマンのテイストなのか。
ケン・ラッセルを引き合いに出している人がいたが、とんでもない(-_-メ) ケンちゃんだったらもっとケバケバ派手で俗悪で退廃的で、辛辣に空虚なバカ騒ぎを見せてくれるだろう。で、最後は……なぜか純愛に至るのよ(←ケンちゃんなら)。

かような理由により、全体的に幻想的でないファンタジーを見せられているという気分だった。
禁酒法時代のばか騒ぎ&悪行だったらTVドラマの『ボードウォーク・エンパイア』の方が遥かに見ごたえがあるだろう。

それから、階層の低い若者が虚業で莫大な富を獲得して身分の高い女に憧れる--というのは先日見た『コズモポリス』と全く同じパターンである(結末まで似ている)。
アメリカ近現代(男性)文学の主要テーマというのは百年近く経過しても不変ということなのだろうか。
もっとも、主人公を取り巻くのが豪華なパーティでなくてストリートの暴動だというのが大きな違いかもしれない。


純愛度:6点
退廃度:5点

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2013年7月 9日 (火)

「言霊」

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著者:山岸凉子
講談社2013年(KCデラックス)

職場の同僚にこれを貸したら、「『アラベスク』も『舞姫』もこのパターンだった!」と言って返してきた。
なるほど、才能の片鱗はあれど内向的なバレエ少女が主人公で、彼女を導くような男が登場して--というパターンは、舞台がどこであれ同じである。
この作品の主人公は東京周辺のバレエ・スクールに通う高校一年の少女である。本番時のメンタル面が弱いという設定だ。そこにドイツ留学が決まっている青年が出現する。

思い返してみると、『日出処の天子』は導いてくれる男と出会ったが、結局関係が破たんしてしまったという話ではあるな。橋本治はその人物を「従者」と定義していたが。

それにしても「乙女のロマンかと思っていたけど 本当にいたのね“白馬に乗った王子さま”」という台詞が出てくるんですけと……山岸先生、本当に王子様いるって信じていいんですかーっ(>O<)
ま、個人的には今さら王子様が現れてもな(-"-)

もう一つの中編「快談・怪談」はかなりの脱力系だった。

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2013年7月 7日 (日)

「イギリス音楽の楽しみ」:三音一体

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H・パーセルの作品を中心に
演奏:宇治川朝政、福間彩ほか
会場:日本福音ルーテル東京教会
2013年6月28日

この前の週はチョイ悪リコーダーのダン・ラウリン山岡&太田の師弟共演と、リコーダー週間だったが、さらに続いてこの日もまたリコーダーの宇治川朝政とチェンバロ福間彩を中心にしたコンサートがあった。
ゲストはソプラノの広瀬奈緒、そして再々出演のガンバのジョシュ・チータムである。

以前のドイツものフランスものに続き、今回はタイトル通り英国特集だった。

前半は英国で活躍した様々な作曲家の器楽曲を中心に、声楽も2曲入った。半分以上は初めて名前を聞くという超マイナーなラインナップである。
クロフトという人のソナタは柔和で落ち着いた曲調、これまた初めて聞くペイジブルのソナタは溌剌とし、宇治川氏を中心に三人のコンビネーションは万華鏡のように様々な響きを作り出していた。

合間にチェンバロ、ガンバのそれぞれソロもあり。特にチータム氏(いよっ待ってました)のトバイアス・ヒュームの独奏曲は短いが、聴く者を夢見心地に誘うものだった。なんつーか、E・ガッティのヴァイオリンの音が一音だけ弾いても独特で他と異なるように、彼のガンバの音もそういう所があるんじゃないかと思える。もう一音だけでも心に染み入ってくるのであったよ(゜-゜)

後半はパーセル。広瀬奈緒を中心に短縮版『妖精の女王』である。広瀬女史の話によると、構成を色々考えたそうだが、元々音楽だけだと話はあって無きが如しみたいな作品である。数十分で奏者の数は少なくても、立派に「妖精」の世界が形作られていた。
宇治川氏はその間、各種リコーダーをとっかえひっかえて演奏し、歌と同様、いやそれ以上に雄弁かつ多彩に描写していたのだった。

器楽三人だけでパーセルのトリオソナタも一曲だけやったけど、これまた三者が融合したかのような聞かせて泣かせるものだった。
「イギリス独特のはかなさと美しさ」がここに凝縮されていたと言っても過言ではない。

だが、それなのに会場の入りは今イチであった なぜだっ(`´メ)
次回はオーボエのT・メラナーが再び共演とのこと。目指せ、満員御礼である。
あ、チータム氏もまたいつかお願いします(^人^)ヨロシク

この日は晴れてたがジメジメな日だったためか、調弦が大変だったようだ。リコーダーさえも調子が悪かった?
金曜夜の新大久保は人がいっぱいで、会場までたどり着くのに時間がかかりいつもイライラする。車道を歩いている人を何人か見かけたが、私もやりたくなった。


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2013年7月 6日 (土)

「2本のリコーダーによるトリオソナタの旅」:時空を旅する楽器

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演奏:山岡重治、太田光子ほか
会場:上野学園石橋メモリアルホール
2013年6月16日

一昨日のダン・ラウリンのリコーダーに引き続き、今度はリコーダー・デュオ公演である。
山岡・太田師弟ペアに平尾雅子のガンバという夫婦共演プラスチェンバロ桒形亜樹子という4人だ。これまたCD発売記念である。

タイトルの「旅」というのは独・伊・仏の他に「歴史の旅」も含まれているようで、冒頭は初期バロック曲から始まり、その後は18世紀に活躍した作曲家の作品(ヘンデル、テレマン、サンマルティーニなど)が中心に演奏された。
それも全てソナタ形式ばかりの選曲である。山岡氏がトリオソナタへのこだわりを語る場面もあった。
リコーダーやガンバの初期から後期バロック時代への変化の解説などもあり、勉強にもなりました(^J^)

老練な山岡氏と溌剌とした太田女史、師弟といえど異なる個性の笛がうまく溶け合った二重奏を中心とした、まさに「トリオソナタの愉しみ」を満悦できた。
オトテールの曲がいかにも宮廷風で愁いを帯びた曲調が耳に快い。アンコールはルクレール。

この日はムシムシして微妙な暑さの日。例のごとく、開演ギリギリにかけこんだら中は涼しくて気持ちい~い 気持ち良すぎて沈没しかけた瞬間も……いかんいかん(>_<)


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2013年7月 4日 (木)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 7月版

相変わらずジメジメしております。古楽器には向かない日々が続くよ。

*12日(金)小江戸コンセール2 フランス人
*20日(土)テレマン ハンブルク四重奏曲集(前田りり子ほか)
*21日(日)聖母被昇天のミサ(コントラポント&フォンス・フローリス)
*30日(火)モンテヴェルディ 愛の二態

他にはこんなのも。
*5日(金)ピアノ歴史探訪2
解説、梅岡氏なんですね。
*6日(土)チパンゴ・コンソート
*7日(日)花咲くメロディー(太田光子+平井み帆)
*12日(金)リコーダー、その古の姿をたずねて(野崎剛右、国枝俊太郎)
*15日(月)ヴォーカル・アンサンブル カペラ
*18日(木)イタリアの風
*19日(金)音楽都市ロンドン(小池耕平)
*25日(木)拝啓ヴィヴァルディ先生

福岡古楽音楽祭プレイベントなんてのもあるのだな。

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