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2013年7月15日 (月)

「醤油と薔薇の日々」

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著者:小倉千加子
いそっぷ社2013年

小倉千加子は時折、話題の書(『セックス神話解体神話』とか『松田聖子論』とか『結婚の条件』)を出してはその間、「あの人今どうなってるの?」的に消息をくらますというパターンを繰り返しているように思える。良い意味でも悪い意味でも常に話題を提供する上野千鶴子とは大違いである。

やはりここしばらく音沙汰がなかったのだけど、エッセイ集が本屋に並んでいた。
冒頭は安田成美の醤油のCMの話題から始まる。「はて、そんなCMあったかいな?」と疑問に感じて後ろの初出を見ると1993年に書かれたものだった。

収録されているのは1993年から94年に「ちくま」誌に、2005年から08年に東京新聞に連載した短いエッセイである。過激な内容はほとんどない。
むしろ著者が年取って来たせいか、しみじみというか人生指南というか晦渋というかそんな印象の文章が多い。(『結婚の才能』もそんな感じだった)

「高年期の課題」という老人問題についての文章に至っては、私の頭の老化現象のせいか何度読んでも何が言いたいのかハッキリとは分からない。ムムム(-_-;)

とはいえ
「感情の百面相を持つ妻は夫の生命の源泉となる。経済と感情の見事な社会交換が、そこにはある」
「フェルメールの作品の中でとりわけ「牛乳を注ぐ女」が好まれるのは、自分の「身分」を受け入れ、「黙々と家事をする女性」が渇仰される気分が存在するからである」
「入学式や卒業式といった「学校の儀式」は親にとって必要なのである。運動会や音楽会は「学校の祭り」である。(中略)学校が持つ強い磁場作用は、まるで既成の宗教が衰退していくのを補完するかのような勢いで、強い磁場を提供している」
--などと鋭い指摘もある。

で、今小倉千加子は何をやっているのだろう? 「執筆・講演活動」ってあるけど、ご隠居生活なのかしらん


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