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2013年8月

2013年8月31日 (土)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 9月版

あっという間に9月ですよ。

*7日(土)フルート・デュオの世界(バレトルド・クイケン&前田りり子)
*22日(日)ザ・ロイヤル・コンソート
こちらはヴィーラント・クイケンが参加。
*27日(金)レ・パラダン
       テレマン トリオソナタ集(木の器)
テレマンはトーマス・「涙のオーボエ」・メラナー特出。どちらも行きたーい だが片方しか行けん……。なんでよりによって同じ日にやるのよ(T^T)
*29日(日)バロックファゴット・リサイタル(福井美穂)

他にはこんなのも
*3日(火)ポッペアの戴冠(アントネッロ)
報告&感想お待ちしてま~す(^^)/
*7日(土)&8日(日)オルフェオ(静岡芸術劇場)
日帰りで行こうかどうしようかと迷っているうちに公演日が目前に(!o!) 優柔不断である(+o+)トホホ 行った方は是非、詳細なご報告お願いします。
*12日(木)バロック音楽の楽しみ(花岡和生ほか)
*13日(金)ジョルディ・サヴァール
チケットを取りそこなったのは痛恨の極み王子ホールの前にダフ屋が出ていたら絶対買っちゃうよ。
*19日(木)松田美緒 地中海の歌
*21日(土)リコーダートリオの芸術(ヴァルター・ファン・ハウヴェほか)
これもぜひ行きたいが、3連チャンになってしまうので自粛。
*23日(月)日本ヴィオラ・ダ・ガンバ協会記念フェス
もろにBCJ定期とかぶってます。
*29日(日)ラ・フォンテヴェルデ

今月は福岡古楽音楽祭、新潟古楽フェスティバルもあります。

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2013年8月30日 (金)

「第七の封印」:クマが踊れば死神も踊る

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監督:イングマール・ベルイマン
出演:マックス・フォン・シドー
スウェーデン1956年

ベルイマンというと子どもの頃テレビで放映された作品(何を見たのかは覚えていない)を見て、「長くて退屈」と認識したまま今に至っていた。
しかし、この夏はゼロ戦とか巨大ロボとか怪獣とか列車アクションとかに興味がない者にとっては、どうも食指が動く映画が少ないのであるっ
というわけで、渋谷でベルイマン祭りをやっているということで、俄かに改めて見てみようと思ったのであった。

この作品のタイトルは黙示録から取っている。十字軍の騎士が従者(道化のようにも見える)を連れ自分の館へと戻る途中に、死神に捕まりそうになる。しかし、チェスの試合を挑んで何とか取りあえずは回避。家路を急ぐ。
その道中に様々な人々と出会う。旅芸人の一座、火あぶりの魔女、浮気妻と寝取られ亭主、堕落した神学生、世界の終末を叫ぶ宗教団(「怒りの日」を歌いながら自らを鞭打つ)、そしてペストの影……。

聖俗、卑貴、悲喜こもごも入り乱れ、取り留めもなく続く。その前で死神と騎士は狂言回しの役目を果たしていると言ってもよい。まるで「中世伝説集」をそのまま映像化したみたいなゴッタ煮だ。加えて、現実と幻想の境がはっきりとせず曖昧模糊と描かれている。全ては騎士の幻想であってもおかしくはない。
そして、ラストはあっけらかんと終了する。
結局のところ、騎士は死神との勝負を引き延ばして救うべき人間の命を救ったというべきだろうか。
その他、様々な場面を思い浮かべる度に幾らでも色々と考えてしまいそうだ。

「死の舞踏」の件りは肝心な場面にもかかわらず、遠景としてしか映さない。かろうじて人数が分かるぐらいで、細かい描写は全て芸人の男のセリフとして語らせただけなのには意表を突かれた。テキストと映像の関係として、例えば最近見た『華麗なるギャツビー』とは正反対である。
最も重要な場面を映像でなく台詞で語らせるとは……。

若い頃のマックス・フォン・シドーを見たのは初めてのような気がする。女優さんはみな美人です 終盤の死神を迎える場面は恐怖と歓喜がないまぜになった表情を浮かべるのは見事である。。

作中には縦笛(リコーダー?)やリュートが登場してた。もっとも、リュートはドラゴンか何かをかたどっていて、実際には弾けそうにはない形だ。
そこでふと思いついたのだが、これこそ中世音楽を専門とするジョングルール・ボン・ミュジシャンに新しい音楽劇としてやって欲しいもんである。「カルミナ・ブラーナ」そのまんまみたいなエピソードもあるし。
最後はもちろん演奏者も客も一緒に死神とダンスして終了だ~ヾ(^^#)ゝヾ(^^#)ゝ


予告で、なんだか『愛、アムール』の影響をモロに受けたような日本映画を目撃した 妻が死んで息子とうまく行かず自宅の一室にこもってしまう老人が登場する。
ただ、パリのしゃれたアパルトマンでなくて日本家屋なので、なんだかM・ハネケというより和製ホラーに見えてしまうのは仕方ない。静止したカメラには混乱した老人でなく、貞子が出てきそうだったよ


中世度:9点
クマ踊り:7点


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2013年8月29日 (木)

「イタリア愛の物語」:ああ、苦しみは甘き思い出に落ちていく

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演奏:鈴木美登里ほか
会場:近江楽堂
2013年8月22日

モンテヴェルディを中心にメールラ、ディンディアなどの歌曲と器楽曲の初期イタリアバロックのコンサート。
ソプラノ鈴木美登里の他には太田光子のリコーダー、E・ジラールのガンバ、平井み帆のチェンバロと文句なしのメンツである。

最初に平井み帆が、バロック期になって何が変わったかというと言葉が重視されるようになった(器楽でも同様)という説明があった。
それに沿ったように、鈴木美登里の歌はもちろん太田光子の笛も雄弁に語る演奏に徹していた。それを支える通底の二人も息がピッタリである。

こうして小さな会場で間近に独唱で聞くと、あらためて鈴木女史の歌手としてのパワーを感じ取れる。円型のドームをビンビンと揺るがすようでさえあった。
イタリア歌曲の世界を十分に堪能できた夜だった。前半と後半それぞれ40分ぐらいだったが、濃密度高し。凝縮されておりましたよ。

それにしても、モンテヴェルディの(失)恋の歌って饒舌な恨み節である。ほかの作者によるものに比べても饒舌すぎだなあと思う。当時は(今も?)そこがウケたんだろうか。

この会場はこれまでエアコンが効き過ぎて問題ありだったが、今回は適温だったもよう。工事があるという話だったから、その効果かしらん?


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2013年8月24日 (土)

最近見た美術展より

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★フランシス・ベーコン展(国立近代美術館)

変な絵がいっぱい見られるぞーっヽ(^o^)丿と意気込んで行ったら、展覧会のコンセプトが「異端に見えるベーコン作品は実は正統なんである」というものだったんで、当てが外れた。
宗教画に肖像画、身体の動きとポーズ、なるほど正統に流れをくんでいるに違いない。その正しさの前に画家がホモセクシュアルであることなど何の意味があろうか。私はガッカリして帰った。
ガラスに鑑賞者の顏が作品と重なって映るのも余計なお世話。金払って自分の顏なんか見たくないやい(*`ε´*)ノ☆


★東京オリンピック1964デザインプロジェクト(国立近代美術館)

ベーコン展と同時に収蔵品コーナーの一画でやっていた。こりゃ面白い。
東京オリンピックに関するありとあらゆるモノ(硬貨とか入場券なんてのも)のデザインが、企画から完成まで過程が分かるように展示されている。デザイン界でも、東京オリンピックをもって戦争からの完全復興を果たしたってことか。
スポーツの記録はいずれ破られる運命であるが、デザインの記録は不滅です

閉館時間間際だったんでゆっくり見られなくて残念。もっとスペースを取って展示されたのを見たかったなー。


★貴婦人と一角獣展(国立新美術館)

1500年ごろフランスで製作の巨大なタピスリー6枚来日 同時期の宝飾品や他のタピスリーも展示だ。
背景の草花や動物、人物のファッションなど写真や映像によって拡大し、くわしく解説してある。ウサギや子一角獣がワカユイ。

ご本尊のタピスリーは巨大で、保護のために照明を暗くしてあるので、私のように目の悪い人間には上部の細かいところはよく見えない。NHK提供(?)の「高細密デジタルシアター」で見た方が、実物よりよく分かるというのは皮肉である。

このタピスリーに囲まれてオケゲムあたりのコンサートを聞けたら極楽のような気がした。


★夏目漱石の美術世界展(東京藝術大学大学美術館)

終期間際に行ったので大変な混雑であった。おまけに家を出るのが遅れたので(またもや)アセアセしながら見る羽目になった。
漱石の作中に登場する絵画や、親交のある画家の作品、展覧会(日展?)の批評と実際の作品を並べて展示してあったり、と見ごたえがあり過ぎ。時間が完全に足りなかった。
また、絵画をしげしげ眺めてたらそれがカラーコピーを掲示してあるだけとようやく気付いたという、おマヌケなこともあった。

漱石自身の手になる作品については、書とブックデザインはともかく、絵の方は……(以下略)。
グッズ売り場はラッシュ時の山手線並みの混雑だったが、頑張ってしおりとハンコとクリアファイル(もちろん「猫」の)をゲットしたぞ(=^・^=)

夏目漱石については、最近『先生と僕』全4巻(香日ゆら)を読んだ。漱石とその友人・弟子たちを描いた4コママンガで面白い。この人も、天才だけど家族とか周囲の人間は大変だったろうなあ--というタイプですな。


★アンドレアス・グルスキー展(国立新美術館)

写真をそのまま絵画するのとは逆に、写真を絵画的に構築するという手法をとっている。特に近年の作品はデジタル化して巨大なものとなり、反復的、構成主義的な手法が際立つ。それはむしろ絵画を思わせるものだ。
当然その視線は選択的なものとなって余計な夾雑物を切り捨てていく方向になっているのだろう。画面上はゴチャゴチャしてはいても、だ。
だったら、写真である必要はないのではないかなあ……などと思ってしまった。
小汚い海面だけを写したシリーズの、なんとも言えない質感には感心したが。

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★アメリカン・ポップ・アート展(国立新美術館)

グルスキーのついでに見とくか(*^^)vという適当な気分で入ったが、意外にも見ごたえありだった。
さすが歴史と伝統ある(?)ポップ・アート、ただ者ではないのだ。おみそれいたししましたm(__)m

パワーズ夫妻(奥さんは日系)のコレクション展なのだが、質・量ともに圧倒的である。
中でも、ジャスパー・ジョーンズいいですねえ、ホントに好きだーっと叫びたい。アルファベットも旗も標的も数字も全て脳ミソに来る。その他、リキテンスタイン、ウォーホル、ラウシェンバーグなどあり。

ただ、若いバカップルが多数いてもうチケット売り場からマイッタ(@_@;) それと私より20センチも背の高い若いオネーチャンが、ハイヒール履いて作品の前に立ちはだかられたら、何にも見えんのよ……。


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2013年8月22日 (木)

「スティーブ・ジョブズ」第1巻

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著者:ヤマザキマリ
講談社2013年

W・アイザックソン原作のジョブズの伝記をヤマザキマリがマンガ化--と聴いた時は耳を疑った。全く両者に関連があるとは思えなかったからである。
もっとも、私はジョブズについては「アップル創ったえらい人」ぐらいの知識しかないのだが……(^^;ゞ

第1巻は子ども時代からS・ウォズニアックとの出会い、大学をドロップアウトしてアタリ社に入り、インド放浪までが描かれる。その合間に、アイザックソンとジョブズの回想と対話が挿入される。
つくづく、こんな人間が傍にいなくてヨカッタ\(^o^)/と思った。まあ、それが天才たる所以ではあろうが、歩く迷惑みたいな人である。
それにLSD、スピリチュアリズム、ドロップアウト、東洋主義--という、ある意味、当時の定型を通ってきた人なのね。

まあ、そういう人物を距離を置いて冷静に描いているマンガである。
絵のタッチについてはこれまでとは少し違う。「ヤマザキマリがここまでマンガがうまいとは思わなかった。すみません。」と漫棚通信さんがツイッターでつぶやいていたが、全くその通りである。
なお、米国では伝記映画も公開。さらに話題を呼ぶに違いない。

ただ、「ジャコモ・フォスカリ」の方はどうなるのだろうか。こちらも続きを読みたいのよん

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各章の終わりに、ヤマザキマリ個人の感想のようなひとコマ、ふたコマのマンガが付いていてこれが面白い。


←この子ども時代のジョブズがまるで「オーメン」のダミアンみたいな目つきなのが笑える。


【追記】漫棚通信さんの感想出ました。

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2013年8月19日 (月)

「モンスターズ・ユニバーシティ」(2D吹替版):可愛いモンスターとコワい人間、どっちがいい?

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監督:ダン・スカンロン
出演:モンスターの皆さん
米国2013年

『モンスターズ・インク』は公開時一度見たきりだった。当時、個人的にあまり気に入らなかったという記憶がある。しかし、今回続編……というか前日譚を見るにあたって、ほとんど覚えてないというのはマズイということでDVDで見直してから行ったのだった。
本当は字幕版を見たかったのだが、館数が少なくて遠出しなければいけないのが面倒くさいため、ご近所のシネコンでサービスデイに吹替版、という選択をしたのである。

サリー&マイクのコンビがまだできる前の話、二人はモンスター大学のピカピカの新入生となって「怖がらせ学部」に入学する。もちろんモンスター界のエリートを目指すのだ。
この二人ともう一人の人物(怪物?)が前作とは全く正反対の性格で登場するのには驚く。あのエエ加減でノー天気なマイクが真面目な努力家だって(@∀@)
しかしエリートへの道は容易ではない。少しでも油断すれば落ちこぼれの道へと転落するのだ。特に外見はどうしたってコワくなくてかあいいマイクにはイバラの道であった--。

グループ対抗の競技会は、なんかどこかで見たような気がする……と思ったら、『ハリー・ポッター』の魔法学校同士で対抗戦やるエピソードに似ている。英米の学校ではよくやるんだろか?
落ちこぼれ者たちが協力して逆転して--というのはよくありそうな話だが、さらにその先があって話をひねってある。マイクが池の前で嘆く場面ではちょっと涙目(T_T)になってしまった。いくら努力して努力を積み重ねても、ダメなものはダメなんだと言い切ってしまうのは、ある意味すごい。
しかし『モンスターズ・インク』のラストを知っている者は、また別の感慨が浮かんでくることだろう。

かように感動的な本作ではありますが、正直『モンスターズ・インク』と比べるとちょっとね……と思わざるを得ない。再見した前作はやっぱり傑作であった\(^o^)/ (今さら言うか?)
だが、今回はあのたたみかけるようなリズムのギャグがないのは痛い。それに加えてシンミリした感動が絶妙の割合でブレンドされている面白さもないのだ。
やはり、さすがのピクサーも衰えたのか?なんて思って、ちと悲しくなってしまった。

見終わった後で、オリジナルではコワい学長(>y<;)の声をヘレン・ミレンがやってるのを知った。だったら、絶対に字幕版を見に行ったのに~。くやしいっ DVD出るまで待つしかないか。
音楽は前作同様、ランディ・ニューマンである。でも吹替版のせいか、あれっ挿入歌ってあったっけ(^^?)なレベル印象だった。こちらの点についてもDVD待ちだ。
なお、長~いエンドクレジットの後にお楽しみあり、なのでご注意。

恒例のオマケ短編は「ブルー・アンブレラ」(^J^) 実写と合成という手法の作品だが、あらゆるモノに生命を見るというピクサーの思想にはある意味忠実かも。
天井の節目や模様に顔を見つけていた子ども時代を思い出した。


学生生活度:7点
モンスター度:6点

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2013年8月18日 (日)

「上野千鶴子〈おんな〉の思想」

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私たちは、あなたを忘れない
著者:上野千鶴子
集英社インターナショナル2013年

20世紀のフェミニズム思想を象徴するような著作と著者を紹介するというもの。第一部では日本編で5人、第二部は海外篇で6人を取り上げている。

日本編では森崎和江、田中美津などを、単なる紹介というより上野千鶴子自身の個人的な体験や回想と共に語っていて、やや感傷的とも感じられる部分もある。サブタイトルの「私たちは、あなたを忘れない」はこちらの方のふさわしいものだろう。

その中で興味深かったのは石牟礼道子の章だ。私もまた『苦界浄土』を聞き書きのノンフィクションだとてっきり思い込んでいたのだが、それは違った(!o!) 「聞き書き」と思われる部分は、水俣病患者に憑依した「口寄せのいたこ」のようになって、どこにもない言葉を語っていたというのである。正直ヤラレタ~である。
そして石牟礼の高群逸枝への傾倒から、両者に共通する資質を浮かび上がらせるのであった。
そういうことであったのかと、目からウロコがポトリと落ちた印象である。

第二部はフーコー、セジウィック、バトラーなど。こちらは「解題編」とでもいうべきものか。ジェンダー、オリエンタリズム、ホモソーシャル……転回点となる概念と著作を紹介する。
あとがきに「本書を読んだだけで、原書を読んだつもりにならないでほしい」とあるが、かつてセジウィックの『男同士の絆』の邦訳が出た時に、平積みになっていたこの本を手に取って開き、30秒後に「こりゃ、ダメだ(@_@;)」と逃走した私には、到底無理のようである。
しかし、フェミニズムの思想とはなんなのよな初心者にもオススメできるのではないかと思った。

最近の上野千鶴子はツイッターで何か一言つぶやけば、非難轟々というのを繰り返しているようだ(もっとも、ご本人はその非難を全く見てないとか)。だが、その非難をした人々の他の意見を見ると結局彼女と同じような発言をしている。一体なんなのだ(?_?)

この本の中にも「フェミニズム業界」なんて言葉が無造作に書かれているではないか。これが古式ゆかしい紙メディアでよかったネ(^_^)b ツイッターの発言だったら「いつからフェミニズムは業界になったのだ。フェミニズム業界なんてことを口走る人間は他に何をしてようと絶対信じない!」などと言われたに違いないだろう。

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2013年8月17日 (土)

「ベルリンファイル」:ベルリンを歩けばスパイとテロリストに当たる

監督:リュ・スンワン
出演:ハ・ジョンウ
韓国2013年

ベルリンを舞台に韓国と北朝鮮のスパイが入り乱れて暗躍する活劇である。
冒頭はロシアの密売人とアラブの過激派組織から、北側の諜報員が武器取引しようとする場面。そこを韓国側が盗聴盗撮しているという場面から始まる。
大変緊張感あってテンポよくアクション場面へとなだれ込む。テンポ良すぎて付いて行けない部分もあるが、あまりキニシナイよ

主人公は北側では英雄扱いの功績ある人物なのだが、何か陰謀にはめられているようだ。それを追跡する南側の諜報員(お久しぶりな感じのハン・ソッキュ)は組織の中でもはみ出し者という設定。ただはみ出し過ぎていて、どういう立場なのか今一つピンと来ないのが難ではある。

狭いアパートでの銃撃戦、地下鉄での追跡劇、終盤の爆発、草原の闘いなどなどこれでもかのテンコ盛りである。感心したっ(!o!)
ただ、ラストは判然としなかった。主人公は結局、好意を無にしたということかね。それとも続編への布石か

それにしても、国内でこんなに他国に暴れられ放題とはドイツの諜報部門と警察はおマヌケ過ぎ……。ドイツでは公開できません。


アクション度:8点
ベルリン度:7点

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2013年8月13日 (火)

「欲望のバージニア」:密造酒三兄弟

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監督:ジョン・ヒルコート
出演:シャイア・ラブーフ
米国2012年

完全スルーしていた作品。だからチラシも貰ってなかった。それが俄然見る気になったのは「ミュージック・マガジン」誌に紹介記事が乗っていたからだ。なぜにMM誌が取り上げたかというと、ミュージシャンのニック・ケイヴが音楽だけでなく脚本も担当しているのである。
監督は『ザ・ロード』と同じ人でオーストラリア出身。同郷のニック・ケイヴとはこれまで幾つかの作品で組んでいるらしい。

舞台は1930年、禁酒法の時代である。題名からするとバージニア州を股にかけた犯罪ものという感じだが、そんな大きな話ではない。ほとんど、とある郡限定で展開している。
ド田舎なんで自家製の酒はほとんど農産物扱い。ご近所のおばちゃんに売ったり、保安官でさえ金を払って買っていく。ノンビリしたもんで禁酒法があるといっても気にしないのだ。
しかし、連邦の取締官がギャングに射殺され、その後任で来た男が強硬路線を取って地元の密造酒製造者たちに賄賂を請求し圧力をかける。次々と屈服するなか、ボンデュラント三兄弟だけは抵抗するのだった……。

この兄弟はご当地では有名な実在の伝説的人物だそうな。三人を演じているのがジェイソン・クラーク、トム・ハーディ、シャイア・ラブーフで、末っ子の定番としてラブーフ扮する末弟はやや情けないヤツ 彼の成長物語も兼ねている。ハーディは兄よりはるかに貫禄があるが次男という設定らしい。何やら眼に狂気が張り付いている長男役のJ・クラークは最近どこかで見たと思ったら、『華麗なるギャツビー』の寝取られ亭主だったのね。

その三人を遥か超えて怪演の極みを見せ付けるのは、取締官役のガイ・ピアースである。役柄の設定はモロ変態で、髪型はさらに変態的である\(◎o◎)/! ギャー、なんとかしてくれいと叫びたくなるレベル。
そういや『ボードウォーク・エンパイア』の密造酒取締官も変態的であったな。当時地方に回される取締官てみんなそんな感じだったのか(^^?)なんて思っちゃう。

こうなると当然、次に期待されるのはキレイなネーチャンであるがそちらも抜かりはない 過去にワケありで都会から流れてきた女、ジェシカ・チャステインがエエ味出してます。ファム・ファタールというより、グッドバッドガールっぽい。もう一人、牧師の娘がミア・ワシコウスカ。白磁のすんなりした花瓶みたいに清楚であるよ。

ラストは怒涛の銃撃戦へとなだれ込む。ただしかなり野卑な撃ち合いで、犯罪ものというより西部劇のようだ。とはいえ、主人公たちの撃たれ具合は香港ノワール並みで、いくらなんでもこれじゃ死人が出るだろうというほどだ。

と、ここまで書いてくると『L.A. ギャング ストーリー』とかなり似ているのに気付く。女性陣は対照的な二人だし、悪役のキレ具合、さらに名優の特出(こちらでは、ゲイリー・オールドマン)があるけど活躍度低い。そして、ラストは日常へと回帰する点である。

だが、人物の描写や久々に興奮させてもらった野卑な銃撃戦により、こちらの方を大プッシュしたい。ただ、邦題はね……他に付けようがなかったんですか(!o!)

原題のLAWLESSを訳せば「無法」だが、禁酒法があってこその混乱と騒動、そして廃止されてからの平穏さを見ると、その意味は逆転するのかもしれない。
それと、連邦のやり口には屈しねえ(ーー゛)おれたちゃ自由を守るぜ--というようなアメリカ流自治精神も感じた。
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ニック・ケイヴのサントラはブルーグラスやフォークのベテラン歌手に、もっと後の時代のブルースやパンク/ニューウェーブ系の曲を完全カントリーブルースにアレンジして歌わせている。教会のアカペラの合唱(あれがシェイプノートというのか?)がすごい迫力で驚いたけど、サントラ盤には入ってなくて残念よ。

ところで丸の内東映てウン年ぶりぐらいに行ったのだが、予告がご家族向けシネコンと全く違うのが感動的(?)であった。


無法度:9点
銃撃戦:8点


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2013年8月12日 (月)

「選挙2」:子どもにツケを回さない!!

130812
監督:想田和弘
出演:山内和彦と一家
日本2013年

前作の『選挙』は短縮版の方をテレビ放映で見た。
その時は自民党公認候補として市議選に立候補して当選した山内氏が、今度は無所属でしかもほとんど選挙運動せずに再び出馬したのであった。
折しも、2011年4月、大震災直後である--というか、震災の政情を見て怒り(?)に駆られたらしい。

とはいえ、活動といったらポスター貼りとハガキを出すぐらい。ほとんどなし。従って監督のカメラは他の候補に向けられていくのであった。
カメラに向かって選挙の不合理を訴える候補者いれば、撮影拒否する者もいる。その際に「個人情報だから」と抗議してきたのには驚いた。だったら、所属政党も政策も顔や名前も隠して立候補すればいいのにさ。(ここは笑うところなのか?)

というわけで、これまでの作品の例になく監督本人の顏(直接映るわけではないが)や行動が表面に出て来ている。加えて、先日の総選挙の前になんとか公開しようと決めたというし。ネットの感想で指摘してた人がいたが、確かにこれまではフレデリック・ワイズマン(ナレーションや音楽を加えない)を目指していたのが、いきなり対極のマイケル・ムーアに行っちゃったみたいでもある。
もっとも、山内家の小さい息子を延々撮ってる(両親がハガキを書いてる脇でむずかるトコとか)は従来の想田テイストであるな。

選挙だけでなく、その背景である震災直後の東京近辺のドヨーンとした雰囲気もよくとらえられている(見ていて当時の気分を思い出した)。
それだけにラストの防護服を着た山内氏のただ一回の演説は、聞いている人がほとんどいないけど極めて印象的だろう。投げやりな熱気とでもいおうか。


ワイズマン度:7点
ムーア度:7点


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2013年8月11日 (日)

「優しい森よ」:明朗と憂鬱の狭間

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響き合う声が織りなすダウランドのタペストリー
ジョン・ダウランド生誕450年記念シリーズ第3回
演奏:つのだたかしほか
会場:ハクジュホール
2013年8月3日

ダウランド記念企画3回目である。2回目はパスしたけど、1回目の公演は行った。

この日は歌曲集第1巻を中心に初期作品を。ただ、典型的合唱スタイルではなく、中央に座ったつのだたかしを半円形に取り囲むようにして歌ったり、あるいは逆に公演のタイトル曲では4人の歌手ステージ上でバラバラに立ってみたりと、歌と親密さを実感できるような形で見せてくれた。

4人はいずれも巧者で、その中でやはり波多野睦美はソロで歌った時は、ひいき目でなく別格の趣きあり。声の会場占有率というような数値が高いのであった。
ソプラノの広瀬奈緒は4人で歌ってる時は気づかなかったのだけど、独唱曲ではちょっと調子が悪いように感じた。本来は得意技のジャンルのはずなんで残念であ~る。
男声陣はテノールが辻裕久、これまではヘンデル作品で朗々たる歌唱を何回か聞いてきた。バリトンは春日保人、こちらもダウランドを歌うのは初めて聞いたような。

4人の縦横自在のコンビネーションが楽しめたコンサートだった。
それなのに、これまで比較的組しやすしと思っていた作曲家だったのを、今回は逆に「一筋縄ではいかないダウランド」というのを感じた。私は自分では歌ったり演奏する人間ではないので、うまく説明できない。でも、ただ「明朗快軽」に歌えばいいというものではないし、メランコリーは悲しい嘆きというだけではない。
特に--これは別の機会にも感じたのだが--英語との密接な関係はかなり大きいと思えた。
ダウランド、やれば難しい子(!o!)

まあ、これはあくまでトーシロの感想である。実際にダウランドを歌ったことのある人がどう感じたのか、聞いてみたい。

会場は冷房きき過ぎだった(最近はどこのホールもみんなそうだが)。終わった後、客のオバサンたちが「寒かったわね~(>_<)」と口々に言ってたですよ。


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2013年8月10日 (土)

「ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの」:愛=アートな人々

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監督:佐々木芽生
出演:ハーバート&ドロシー・ボーゲル
米国2012年

『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』の続編である。監督がクラウドファンディングで製作資金を集めたというのも評判になった。

夫婦二人で集めたアート作品が部屋から溢れそうになり国立美術館に寄贈。しかしそれでも間に合わず、遂には全米50州の美術館に50作品ずつ寄贈するという計画が始まる。

一方で旦那のハーブは歳とって来たせいかあまり喋らなくなり、移動に車椅子を使うようになる。まだらボケ(?_?)というわけでもないようだけど……。
とにかくその寄贈した先の美術館を見て回る様子が、この続編の中心である。初めての現代アートのコレクションに興奮する美術館あれば、早くも潰れそうになっちゃって貰った作品どうしよう、というところもある。

鑑賞した客の反応で、小学生が意見活発でワアワア言ってるのに対し、高校生はシ~ンと何も出て来ない、という対照的な場面あり。でも客はやっぱり高齢者が多かったな。
黙っていたハーブが突然、展示方法を指図し始めるという件りあれば、ドロシーがネットで寄贈先をいちいちチェックする様はまるで我が子を心配する親のようだなあと思えたり。

そういうエピソードをたどりながら、見る者はアートの根源に知らず知らず迫っていくのであった。
そして、ラストはハーブあってこその夫婦コレクター人生だったのだなと思えたのである。
前作同様、押しつけがましい所がなく、ドキュメンタリーとしても好感である。

マーク・コスタビが登場してて懐かしかった(^J^)


夫婦の絆度:9点
美術の絆度:8点


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2013年8月 9日 (金)

「モンテヴェルディ--愛の二態 聖母(マリア)と愛神(アモーレ)」:聖と俗はコインの裏表

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演奏:渡邊順生ほか
会場:サントリーホール・ブルーローズ
2013年7月30日

I教授こと磯山雅が企画・監修したモンテヴェルディの「小編成のアンサンブルによる宗教声楽曲と世俗マドリガーレ」公演。ちょうど一年前に「聖母マリアの夕べの祈り」をやった流れで企画されたらしい。

前半の宗教曲は5曲、後半の世俗曲は同時代の作曲家の器楽曲を交えながら、8曲だった。歌手は6人で、器楽4人という少人数体制だった。渡邊順生は前半オルガン、後半はチェンバロを演奏。他はヴァイオリン2、ガンバ1という編成である。
それから、磯山教授は何度もステージに上がって解説をした。字幕も担当したのと事だったが、スクリーンが舞台の片方だけで、しかも高さが足りなかったので人の頭でほとんど見えなかった。真ん中の上方に出さないと無理っぽい。

「聖母マリアの~」には「マニフィカト」が二ヴァージョンあって、この日はあまり演奏されないという6声の方をやった。6人が入れ代わり立ち代わりのして歌い、濃厚な響きに乗って情動が直線的に伝わってくる。大変、聴きごたえがあって感動したっ!(^^)!
その前にテノール二人(櫻田亮&谷口洋介)が歌った「サルヴェ・レジーナ」も聞きほれました。

世俗曲の方も途中ブラボー飛ぶのが納得の演奏だった。
それにしても同じバロックとはいえ、後期バロックの華麗なる歌唱とは全く異なる世界である。

歌手の男声陣はほとんどがラ・フォンテヴェルデと重なっているが、女声二人が違うとかなり印象が違って聞こえる。二人とも清澄なソプラノで、特に阿部雅子という人は博士論文を「ポッペア」に関して書いたという専門家である。しかし、個人的な好みで言えばもっと官能性が欲しかったかなあと思えた。

終演後は満足して帰った。満足じゃなかったのはサントリーホールの客入れ。ここに来たのはウン年ぶりというぐらいに久しぶりだったが、開場まで客を列作らせて戸外に並ばせて、空模様不穏なのに雨が降ってきたらどうすんだよ(-"-)ってなもんだった。
それも大ホールとブルーローズそれぞれ長蛇の列になってて、間違えて並んでいる人も多かった。毎回こんなことやってんのかね


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2013年8月 8日 (木)

バッハ・コレギウム・ジャパン第103回定期演奏会:キャスティングの勝利

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世俗カンタータシリーズ 3
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2013年7月26日

今回の世俗カンタータは「大学教授めでたいな\(^o^)/」特集であった。つまり知り合い、あるいは知り合いの知り合いな大学教授を祝うためにバッハ先生が作って演奏した作品である。
よって、宗教曲のようなシリアスな部分はなく、前半後半一曲ずつ気軽に聞ける内容となっております。

「響き交わす弦による 一致する不一致よ」は28歳という若さでライプツィヒ大学の教授となったコルテという人物の就任祝いのための曲とのこと。
もっとも「飲めや歌えや」みたいな調子ではなく、「名誉」やら「感謝」といったキャラクターが現われてヨイショしつつ祝辞を述べるというものだ。途中では「ブランデン」のお馴染みの旋律が出てきたりもする。

合唱に続けて登場するテノールはヴォルフラム・ラトゥケという歌手でBCJでは初登場だろう(多分最近記憶が怪しくなってきて(^^ゞよく覚えてない)。軽妙で明るい声質の人であるが、曲に合わせてるのかは不明。

冒頭だけでなく合間にもマドゥフ組のトランペットが登場してめでたさを朗々と吹いていた。

もう一曲の「鎮まりしアイオロス」は数年前の20周年公演でもやった曲だった。
こちらは曲の中でお祝いされる主賓のミュラー先生の名前が連呼されるという、メデタイ度がかなり高い。もっとも、この先生がどういう理由で祝われたのかは今もって不明である。

平尾雅子のガンバと若松夏美ヴィオラ・ダモーレが共演する西風のテノール・アリアは、やはりしみじみと嘆きを歌い上げていた。
果実と花の神は女神ではあるが、アルトなのでロビン・ブレイズ担当。もちろん強硬な風の神に対して「吹き飛ばされちゃう(><)イヤ~ン」などと媚びることなく、ごく真っ当に歌ってましたよ。

風の神を懐柔する女神パラスは前回と同じくジョアン・ランで、聴衆も懐柔されちゃうのは間違いないところだろう。
そして肝心のアイオロスはロデリック・ウィリアムズ。これがまた堂々の神様ぶりで、トランペット3本、ホルン2本、ティンパニ1台背後に従えて遜色なしの力強さだった。そのアリアの時は、なぜだか巨大な波がドドーンと押し寄せ、頭上に大漁旗が翻っているような脳内イメージが浮かんだのであったよヾ(^^)/\(^^)ヾ

ということで今回はピッタリなキャスティングの勝利によって、前回の演奏よりもさらに盛り上がったといえよう。
ただ、近い席に長くブラボーを引き延ばして何回も叫ぶ人がいて、長過ぎブラボーはフライング同様に野暮の極みと言いたくなった。


この日は出張で、しかも終わってから一度職場に戻らねばならなかったのだが、なんとか間に合った……( -o-)ホッ 後半しか聞けないかと思ったですよ


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2013年8月 7日 (水)

スティーリー・ダン初期ライヴ盤発売

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アルバム・タイトルは「Going Mobile」という。ジャケットに1974年にラジオ番組のために収録されたと書いてある。「プレッツェル・ロジック」を出した後のツァー中のものらしい。
初期中心メンバーの他に、ジェフ・バクスター、マイケル・マクドナルド、ジェフ・ポーカロなど豪華サポート陣のクレジットも入っている。
音はいいとは言えない(聞けないほどではないが)。曲によってギターの音がよく入ってなかったりする。

なぜ今頃こんな昔のライヴが出たのだろうか? しかも海賊盤というわけではないようだが、公式盤とも思えない。こんな音ではあの二人が認めないだろう。
恐らくは、この録音については契約関係で何かあって彼らに権利がないのかも知れない。
というのも、今を去ること十ウン年前(四捨五入すると二十年)に、やはり同時期のツァーのものと思われるライヴ盤を買ったことがあるのだ。
これまた海賊版にしては大規模に堂々と売られていた。アレンジも曲目もほとんど同じであり、多分今回出たヴァージョンの別の日の録音だろう。ギターの音がよく入ってないのまでそっくりだ。
ただし音はもっと悪いし、ジャケットのデザインもひどいもんである。でも、全体的なノリはこちらの方が若干いいかも知れない。

かつて「スティーリー・ダンは、最初の頃は演奏が下手なんでほとんどライヴをやらなかった」という説が流れていたが、昔出た方のライヴ盤を聞いた時それが全くの嘘であることを知った。
アルバムでは極めてクールな印象の彼らだったが、ライヴでは全く異なる。「菩薩」の狂躁的なまでのノリ、原曲よりもさらにブルース色濃厚な「プレッツェル・ロジック」の盛り上がりなど、彼らについてのイメージを完全に見直したのだった。

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従って、初期の頃のスティーリー・ダンに興味がある人は聞いてみる価値は大いにあり、だろう。ただ、その後の洗練されたサウンドが好きな人は必要なし。

←昔出た方のジャケット。

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2013年8月 4日 (日)

「L.A. ギャング ストーリー」:本の表紙で中身を判断することはできない

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監督:ルーベン・フライシャー
出演:ジョシュ・ブローリン
米国2012年

B級ノワール風の本作、結論から先に言っちゃおう。
「B級」と「粗雑」は違う!

確かに予告や広告を見れば、1930年代から40年代のLAを仕切るギャングのボスと、殺人免許証を得た(かどうかは知らない)覆面捜査官との銃弾飛び交う流血必至な闘いの予感である。

しかし、始まってみるとなんか違和感が。冒頭からしてバカバカしさが炸裂するのであった。悪の大ボスのコーエンがまるで教育映画に出てくる「悪いヤツ」の見本みたいなのである。

また、首やら手やらブッタ切られる場面が幾つも登場する割には、この手の映画に欠かせぬエロいネーチャンが出現することもなく、性的には極めて健全なのであった。
え、なに(^^?)エマ・ストーン扮するボスの愛人がそうだろうって? 彼女のどこがファム・ファタールなんですか エロくもないし、思わせぶりだが彼女の過去の事情とか少しも全く語られないし、ライアン・ゴズリングの警官を翻弄するというわけでもなし。
グロはあってもエロはなしっ 大人向け作品とは到底思えませぬっ<(`^´)>

登場人物全員、悪いヤツは悪人だし、善いヤツは善人だし、何の葛藤も存在しない。個々の人物の心理描写もなし。「教育映画」たる所以である。

銃撃戦は派手で弾丸の数は多いけど、その割にはハラハラしなくて単調だ。ムダ弾は費やすは男の恥と断言しておこう。

これだけ俳優のメンツを揃えて勿体ない。ニック・ノルティの本部長なんてただ出てくるだけだもんなあ。登場人物の差異は「若い奴」「年取った奴」「伊達男」ぐらいで、それ以外には役者の「顏」しかないのである。
ショーン・ペンの悪役ぶりは特筆すべきものではあるが、この脚本では「どーしようもなく悪い」を極端まで大袈裟に演じるしかないだろう。ご苦労さんです。
これなら描いてる時代はも少し古いが、TVシリーズの『ボードウォーク・エンパイア』(スコセッシが総指揮)の方が断然迫力がある。

表紙はノワール系犯罪アクション。しかし読んでみたら本文は道徳の教科書(ただし挿絵はグロい)であった。だましたな~っ(*`ε´*)ノ☆

ところで、実話を元にしてるそうだが警官たちは覆面もせずに顔をモロに出して暴れまくってたのか? あれじゃ正体がすぐにばれると思うんだが……(?_?)


エロ度:3点
銃撃戦:4点


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2013年8月 2日 (金)

シャルパンティエ「聖母被昇天のミサ」:ミサとお国柄

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第6回コンセール・スピリテュエル
演奏:フォンス・フローリス&コントラポント
会場:石橋メモリアルホール
2013年7月21日

フランスの宗教作品を連続演奏している、花井哲郎主催の合唱団フォンス・フローリスと古楽アンサンブルのコントラポント。今回はシャルパンティエである。前半は小作品集、そして後半はミサ曲を一曲という構成だった。

器楽勢は小野萬里をコンミスに総勢16人という布陣である。合唱は近年のバロック系団体と比較するとかなり多人数なのでとても迫力があった。以前も書いたと思うが、会場の音響もいいせいでビンビンと迫ってくる。

前半のマニフィカトやオラトリオ風の曲、器楽作品は教会の行事に使われたものとのこと。とはいえ禁欲的ではなく華やかなイメージがある。
後半のミサ曲も様々に編成を変え、途中の教会の儀式に当たるところはモテットが挿入されたり、と様々だ。
特に、そのモテット「ああ愛よ」は花井尚美、上杉清仁、春日保人による三重唱はとても宗教作品とは思えぬほどの濃厚な官能性に満ちていた。思わず聞きほれてしまいましたこれがフランス風味とでもいうもんだろうか。ミサも国によって様々である。

次回はラモーをやるとのこと(来年は没後250年だって)。これまた楽しみであるよ。

普段は時間に間に合わずにアセアセ(;^_^Aしてホールまで走ってたりするので気付かなかったが、よく見ると上野近辺の町並みも閉鎖した作業場とかガレージ下りたままの事務所みたいな所が多い。
不景気ですな……(*_*;


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2013年8月 1日 (木)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 8月版

例年この時期は古楽系コンサート少ない--と思ってたら、今年はボチボチありますね。

*3日(土)ジョン・ダウランド生誕450年記念 3 優しい森よ
*22日(木)イタリア愛の物語(鈴木美登里ほか)

他にはこんなもあり。
*3日(土)真夏の夜のバロック
*7日(木)芝崎久美子追悼コンサート
*9日(金)流麗と精緻~オブリガート付きカンタータを集めて(青木洋也ほか)
*16日(金)イタリア・バロック音楽の世界
*25日(日)バロック・アンサンブルの愉しみ

18日にはNHK-BSでクリスティ指揮のラモー「イッポリトとアリシー」やりますな。録画して保存版か。

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