« 「イタリア愛の物語」:ああ、苦しみは甘き思い出に落ちていく | トップページ | 聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 9月版 »

2013年8月30日 (金)

「第七の封印」:クマが踊れば死神も踊る

130830
監督:イングマール・ベルイマン
出演:マックス・フォン・シドー
スウェーデン1956年

ベルイマンというと子どもの頃テレビで放映された作品(何を見たのかは覚えていない)を見て、「長くて退屈」と認識したまま今に至っていた。
しかし、この夏はゼロ戦とか巨大ロボとか怪獣とか列車アクションとかに興味がない者にとっては、どうも食指が動く映画が少ないのであるっimpact
というわけで、渋谷でベルイマン祭りをやっているということで、俄かに改めて見てみようと思ったのであった。

この作品のタイトルは黙示録から取っている。十字軍の騎士が従者(道化のようにも見える)を連れ自分の館へと戻る途中に、死神に捕まりそうになる。しかし、チェスの試合を挑んで何とか取りあえずは回避。家路を急ぐ。
その道中に様々な人々と出会う。旅芸人の一座、火あぶりの魔女、浮気妻と寝取られ亭主、堕落した神学生、世界の終末を叫ぶ宗教団(「怒りの日」を歌いながら自らを鞭打つ)、そしてペストの影……。

聖俗、卑貴、悲喜こもごも入り乱れ、取り留めもなく続く。その前で死神と騎士は狂言回しの役目を果たしていると言ってもよい。まるで「中世伝説集」をそのまま映像化したみたいなゴッタ煮だ。加えて、現実と幻想の境がはっきりとせず曖昧模糊と描かれている。全ては騎士の幻想であってもおかしくはない。
そして、ラストはあっけらかんと終了する。
結局のところ、騎士は死神との勝負を引き延ばして救うべき人間の命を救ったというべきだろうか。
その他、様々な場面を思い浮かべる度に幾らでも色々と考えてしまいそうだ。

「死の舞踏」の件りは肝心な場面にもかかわらず、遠景としてしか映さない。かろうじて人数が分かるぐらいで、細かい描写は全て芸人の男のセリフとして語らせただけなのには意表を突かれた。テキストと映像の関係として、例えば最近見た『華麗なるギャツビー』とは正反対である。
最も重要な場面を映像でなく台詞で語らせるとは……。

若い頃のマックス・フォン・シドーを見たのは初めてのような気がする。女優さんはみな美人ですkissmark 終盤の死神を迎える場面は恐怖と歓喜がないまぜになった表情を浮かべるのは見事である。。

作中には縦笛(リコーダー?)やリュートが登場してた。もっとも、リュートはドラゴンか何かをかたどっていて、実際には弾けそうにはない形だ。
そこでふと思いついたのだが、これこそ中世音楽を専門とするジョングルール・ボン・ミュジシャンに新しい音楽劇としてやって欲しいもんである。「カルミナ・ブラーナ」そのまんまみたいなエピソードもあるし。
最後はもちろん演奏者も客も一緒に死神とダンスして終了だ~ヾ(^^#)ゝヾ(^^#)ゝ


予告で、なんだか『愛、アムール』の影響をモロに受けたような日本映画を目撃したsweat01 妻が死んで息子とうまく行かず自宅の一室にこもってしまう老人が登場する。
ただ、パリのしゃれたアパルトマンでなくて日本家屋なので、なんだかM・ハネケというより和製ホラーに見えてしまうのは仕方ない。静止したカメラには混乱した老人でなく、貞子が出てきそうだったよshadow


中世度:9点
クマ踊り:7点


|

« 「イタリア愛の物語」:ああ、苦しみは甘き思い出に落ちていく | トップページ | 聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 9月版 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/82416/58095648

この記事へのトラックバック一覧です: 「第七の封印」:クマが踊れば死神も踊る:

« 「イタリア愛の物語」:ああ、苦しみは甘き思い出に落ちていく | トップページ | 聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 9月版 »