「処女の泉」:笑う神あれば黙る神あり
ベルイマン祭り第二弾はこれまた名作として名高い『処女の泉』である。
クレジットに13世紀の写本がどうのこうのという記載(英語じゃないんで推測)が出て来て、当時の伝承を元にしている物語らしい。
豊かな農家の夫婦は敬虔なキリスト教信者であり、一人娘を蝶よ花よと溺愛している。一方、下働きの若い女は自らの境遇と比べて娘を妬み、神オーディンに彼女の不幸を願う。純粋無垢で屈託のない娘は女から見ればまさにムカつく(-"-)存在である。
二人が教会へ奉納に行く途中で出会う、カラスを連れた隻眼の小汚い老人は(トレードマークの髭はないが)オーディンその人に間違いないだろう。
そして女の願いはかなった! 娘は襲われ惨たらしく殺されたのだ。
後半は父親が、犯人の男たちに復讐する経緯が中心となる。
娘が暴行される場面は妙に生々しくてドキドキしたが(公開当時はカットされたとか)、父親の怒りの描写もまた容赦のない激しさである。近代的理性の及ぶはずもないその激しい情動こそが、まさにファンタジーの本質であると私には思えた。
ラストの「奇跡」は信仰にこだわり続けたという監督らしい結末であるが、この伝説のそもそもの成立はキリスト教伝播以前ではないだろうか? とすれば、神の許しの件りは後から付け加えられたものになる。
そんな妄想に陥るほどにこの物語には土着性が感じられるのだ。
かつて『エルフギフト』(スーザン・プライス著)というファンタジーを読んだことがあったのを思い出した。あの小説がこの映画の影響を受けて書かれたのだと今回見て初めて分かった。
そこでは北欧神話の神オーディンは至る所に出没しては人間の願いをかなえるが、その後で哄笑しつつもっと大きな代償を奪い取るのである。一方、キリスト教の神は一貫して沈黙し続け、信徒たちがいかに祈ろうとも何もかなえることはない(ように見える)のだった。
この物語では、終盤に登場人物の一人が報復の殺戮をやめる。かわりに、神の許しも奇跡も起こらない。
「見える神」の希求から「見えない神」の受容へと、この変化こそが近代への道程なのだろうか?
……などとまた色々考えてしまったのであったよ。
中世度:9点
近代度:3点
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コメント
おお~懐かしい。30年以上前に見たのに、様々なシーン、今でも鮮明に覚えています。美しいスエーデンの自然の中の無垢な少女と、暴行・怒りの爆発・暴力との対比がインパクト強くて。苦悩するマックス・フォン・シドウにもうっとり。
これを見た場所が畳敷きの名画座だったことも、映画のシチュエーションとの対比が鮮烈で記憶に残ってる理由。いったいどこだったのか名画座の名前が思い出せなくて、ノスタルジックな思いにかられ、ウェブ検索した結果、多分、ACTミニ・シアターだったと判明。いや~、本当に懐かしい。。。
投稿: レイネ | 2013年9月 8日 (日) 19時48分
|畳敷きの名画座
|ACTミニ・シアター
ありましたね~、そういえば(^_^;)
私も一度だけ行った記憶が(何を見たかは忘れた)。
ビデオが登場して割を食ったのは一番に名画座で、どんどん潰れてしまいましたな。でも、宣伝のチラシによると今回の上映作品は「DVDでも入手困難」だそうです。
投稿: さわやか革命 | 2013年9月 9日 (月) 11時28分