フェスティバル/トーキョー13
作・演出:ラビア・ムルエ、リサ・ネーナー
会場:東京芸術劇場シアターイースト
2013年11月14・15日
今年も「フェスティバル/トーキョー」が開始。連続上演されるラビア・ムルエはレバノンのアーティストである。全く知らない人だったが、作品の中に面白そうなのがあったので行ってみた。
しかし、それは予想よりも遥かに異質なものだった。
果たしてこれが演劇と言えるのかどうか? 何せ生身の人間は全く登場しないのだ。
舞台の上は誰かの居室のようにしつらえられている。机の上にTVモニター、パソコン、ファックスなど。レコード(ヴィニール盤)のシャンソンがかかっている。
立ち上げられたノートパソコンにはフェイスブックの画面。観客はその画面が拡大されたスクリーンを眺めることになる。
ときおり、スマホの着信音が鳴って空港からレバノンへのフライトに向かう女のメッセージが現れる。と、思えば留守電には別の女からの「会いたい」というメッセージが頻繁に入る。
フェイスブックの画面はアーティストであるその部屋の持ち主のもののようで、最初のんびりとした投稿がたまに入るだけだったが、突如緊張が走る。当人が自殺したという情報が流れたのだ。
しかもその際自分の痕跡を示すようなものはすべて破棄していったという。フェイスブックの肖像写真も消えている。
時間が経過するにつれ、アーティストの擁護派と批判派が激しくやり合い、炎上状態となる。さらには自殺でなくて謀殺説を唱える者も出現。映像や画像が貼り付けられる。
その間も電話の留守録やスマホにメッセージが入り、ファックスからは紙が流れ出る。TVモニターでは間歇的にどこかの街の騒乱が報道され、遂には当人の死亡のニュースが登場する。
主人公たるアーティストは終始不在かつ不明のままである。アイコンは消され、ユーチューブに残された彼のパフォーマンス映像が貼り付けられるが、その中に実際に彼が映っているのかも分からない。
しかし、様々なメッセージのやり取りの間からその強烈な意志の人物像の輪郭がくっきりと浮かび上がってくる。そしてレバノンの社会状況の内情と不安定さも同様に、である。
誰もいない空間に立ちのぼる、かつてここに存在した身体、そして騒乱の気配。確かにそれを感じ取れたのだった。
とすればやはりこれは演劇なのだろうか。
当然のことながら、字幕はそのテキストを全部訳し切れてなく、タイミングも若干合ってなかったのが残念。え?英語を読めって 読めなくてすいませーんm(__)m
この上演が約1時間。短いなと思ってたら、実は「ピクセル化された革命」という20分の映像をネット予約しておけばそのまま同じ会場で見られたらしい。
そういうことはっきりとチラシやサイトに書いといてくれたらよかったのに~。よく分からなくて見逃してしまった(ToT)