「光のない。(プロローグ?)」:生者は誰か
フェスティバル/トーキョー13
作:エルフリーデ・イェリネク
演出:宮沢章夫
会場:東京芸術劇場シアターウエスト
2013年11月30日~12月8日
この前に見たチェルフィッチュとは正反対の舞台だった。同じく女性だけが登場し、大震災に関連して書かれた作品ではあったけど。
イェリネクが3.11に触発されて書いたという『光のない。』シリーズはこれで3作目になるようだ。3作目に至って「プロローグ」とはこれ如何に(^^?)
何せ難解が斧とナタを背負っているような彼女の芝居である。さらにこのシリーズでは明確なストーリーもない。通常のアプローチでは到底、無理無理無理……
この芝居では5人の女優が登場し、それぞれ台詞を喋りながら家庭の日用品のようなこまごましたものを床に置いたり動かしたりしていく。ただでさえ分かりにくいのを、マイクで部分的にエコーをかけたり、他者の言葉に呼応したり、無関係に同じフレーズを繰り返したりする。
元の戯曲も文章が意味不明につながったりしているようなものらしいが、さらに宮沢章夫が書き加えたり単語をバラバラにしているとのこと。
しかし、それらは何かの意味があるように聞こえることもあるし、震災の状況を具体的に語っているようでもある。動作の方も突然、みんなでつかみ合ったり押し合ったりもする。
見ていて、それらの訳ワカラン台詞を発語し続ける女優さんたちの力量に感心した。一方、試され続けていたのは客席の方である。チェルフィッチュの時よりもさらに若い年代層で埋められていたのだが、襲い来る眠気虫にバタバタとやられ……(-_-)zzz
イェリネクの敵は体制でも秩序でもなく、眠気虫であったかてなもんである。
かくいう私も眠気虫にとっつかまれた--ところを、他の客と同様に、突然鳴り響いたパンクロックのギターの轟音でハッ(!o!)と目を覚まし、薄暗いステージ上で役者たちが髪振り乱して踊っているのを眺めたのであった。
最後に一度片づけられた日用品がまた並べ直され、加えて張られたロープに衣服が干されたのを見て、私はこれは津波の後に残された品々で、泥や汚れを落として乾かしているところだろうかと思った。ニュースで似たような場面を見たことがあったのだ。
そして、解説の冊子に書かれていたそうなのだが(私は事前に読む暇がなかった)これは能の舞台を模しているそうなのである。確かに役者たちはすり足で入退場するし、舞台の形状も似せている。
それを後から知って、初めて登場人物は一人を除いて死者(震災の)だということが分かったのだった。
もはや聞く術のない人々の言葉を聞いた。それは論理的でもなく感情的でもなくただの固まりとしてである。--そんな気分になった。
宮沢章夫の芝居はウン十年ぐらいに一度見たが、それ以後ご無沙汰していた。他の舞台もみたくなったかというと、そこはビミョ~(^^ゞである。
さて、今年度のフェスティバル/トーキョーが終了後に突然、全体を仕切っていたプログラム・ディレクターの辞任が伝えられた。急なことだったのと、発表された理由が理由にならないようなものだったため、各所に憶測が巻き起こった。
さらに彼女の擁護派と批判派が入り乱れ……都知事も辞職しちゃったし、どうなるんですかね
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