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2014年1月 3日 (金)

「ハンナ・アーレント」:小人悪意を持って善を成す

140103
監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ
出演:バルバラ・スコヴァ
ドイツ2012年

同じ監督&主演女優による『ローザ・ルクセンブルグ』にて事前学習した後、今度は1960年代のユダヤ人哲学者に起こった「騒動」を扱った本作を鑑賞である。
とはいえ多くの観客同様、私も哲学には縁なき衆生ゆえ「ん?ハンナ・アーレント(?_?)名前は聞いたことあるけど……」状態なのであった

自らもドイツ出身で強制収容所を逃れ米国に亡命したアーレントは、逮捕された戦犯アイヒマンの裁判を傍聴し雑誌記事にするため、イスラエルへ赴く。
しかしそこで目撃したのは悪の怪物ではなく、平凡そうな小役人であった。そこから「悪の凡庸さ」を見出し、さらに当時のユダヤ人コミュニティの指導者たちを批判したことによって激しい攻撃を受けるのであった。

物語性はなく劇的な部分はほとんどない映画である。終わり方も唐突だ。
主人公は裁判を傍聴する以外はひたすら考えて原稿書くぐらいだし、「自由恋愛」状態のダンナとはうまく行ってるし、批判の手紙は多く来るといっても石を投げられるわけではない。現在だったら、ネットで炎上状態になったり、TVでコメンテーターがしたり顔で何か述べるだろうが--。もっとも、友人知人の多くが離れていったのは厳しいことである。
唯一「劇的」なのは、終盤の8分間にわたる講演だろうか。

この映画に対する反応として
「本当のハンナ・アーレントはこんな人物じゃない」
「そもそも〈悪の凡庸さ〉論自体がくだらん」
というのが見受けられるが、リアルタイムでは知らない哲学に縁なき衆生としてはどちらも確認しようがない。

恐らく裁判の場面だけ当時の記録映像を使用しているのは、実際にアーレントが正しいかどうか観客に判断をゆだねるためだろう。(とはいえ、作品の文脈の中で使用されている以上、それに従ってしまう)
だが〈悪の凡庸さ〉が多くの人を引き付けるのは、アイヒマンがそれに該当するかどうかよりも人間の日常周辺に存在するからではないか。
そして、高度な官僚主義が発達している国で、独裁者でもプラスされればなおさらである。「上司の命令を聞くのは当然」などという人物が選挙に当選すれば、たとえ「○○○人を貨車に詰め込んで送れ」という文書が回って来れば何のためらいもなくハンコを押すだろう。その行先が火葬場だろうが収容所だろうが知ったこっちゃない。
劇的なる悪を必要とするのは、娯楽映画と一部の扇動家であろう。彼女の言葉はそれを可視化する働きがあったのかもしれない。

監督は『ローザ・ルクセンブルグ』同様、またも思索する女の姿を描いた。それが実際のアーレントに似ているかどうかということは、スピルバーグの『リンカーン』と同じくどうでもいいことなのである。
なお、主人公とかつて愛人関係にあったハイデガーについては「あんなしょぼくれたオヤヂじゃないやい」という意見があったことも付け加えておこう。
友人の女性作家役のJ・マクティアが好演であった。


劇的度:5点
思索度:8点


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