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2014年2月

2014年2月25日 (火)

「皇帝と公爵」:華麗なる略奪暴行殺戮

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監督:バレリア・サルミエント
出演:ヌヌ・ロペス
フランス・ポルトガル2012年

チラシや予告を見た時はこう思った。
ポルトガルを舞台にジョン・マルコヴィッチ扮する公爵とマチュー・アマルリックのナポレオンが戦場で対峙し、手に汗握る戦略上の駆け引きを行う華麗なる歴史絵巻ものである。カトリーヌ・ドヌーヴほか豪華助演陣多数

だが見始めて数分経つとそれは全くの間違いであることが分かる。冒頭、山の斜面で銃撃された兵士たち(フランス軍らしい)がバタバタと倒れると、どこからかワラワラと湧いてきた住民たちが死体から金品や靴を奪い取るのであった……。

とまあ、こんな調子である。M・アマルリックはナポレオンではなく、フランス軍の将校の役でそれほど出番があるわけではない。一方、ポルトガルと連合を結ぶ英国軍の将軍たるウェリントンは何をしているかというと、望遠鏡でたまに戦場を眺めるか、さもなくば画家(ヴァンサン・ペレーズ)に自画像を描かせてはねちねちとイチャモンを付けているぐらいなのである。
さらに豪華助演陣のドヌーヴ、イザベル・ユペール、ミシェル・ピッコリに至っては、出番はほんの一瞬--つまり予告に登場していた時間とほとんど変わらず、あれが全てだったのだあ~\(◎o◎)/!

これが詐欺的行為と言わずしてなんであろうか。一体こんなことを平然と行なっていいものか 私は全映画ファンに激しく問いたい(*`ε´*)ノ☆
……と言いたいところではあるが、ではこの映画が益体もないつまらぬものかというとそういうわけではない。

基本的に群像劇である。それもやたらに人数が多い。あまりに多いので見ているうちに忘れちゃって「この人誰?」状態になるほどだ。いや、どう思い返してみてもいつ出て来たか分からない人物もいる。
さらに、編集がぶっ切れているような部分もあって、「これってもしかして大河ドラマの総集編(^^?)」と疑いたくなるのであった。

一応、中心として描かれているのはポルトガル軍の軍曹と、怪我をして病院に置き去りにされた若い中尉だろうか。
ストーリーの多くは兵士と女たち(娼婦を含む)がイチャイチャしている場面か、暴行略奪殺戮の場面にさかれている。

だが、見ていてもっとも気が滅入ってくるのは難民と化した市民たちの姿である。
フランス軍が侵攻してくるという都市から、避難勧告が出されて住民は一斉に英国軍が築かせた要塞(というか万里の長城みたいなもん)へと移動を始める。
ある者は馬車、またある者は手押し車、さらには自身で背負って家財道具一切合財を、貧しい者も富める者も子供から老人まで道で列をなして運んでいく。中には書斎の本棚丸ごと運んでいる者も(どうやって家から出したんだ?)。
また、周囲の説得も拒否しあえて一人屋敷に残る老婦人もいる。

これまで歴史劇で戦争ものは幾つか見たが、このように非戦闘員が、住む土地を追われ避難民と化した様相を描いたのは初めて見た気がする。その姿に思わず知らず「難民映画」という言葉が浮かぶ。本来ならば現代の紛争地域から欧米に逃れてくる難民を描いた映画を指すものだろうが、これもまた確かに「難民」の映画に違いない。。

そういう作品にふさわしく大勢の人物が行きかい、なにやらグズグズと終結していくのであった。

さて、この映画の感想で二、三見かけたのが「女はたくましい」というものである。なるほど、娼婦がうまいこと兵士をまるめこんで立派な正妻に成り上がったり、避難の旅程で出会う将校たちに次々と色目を使うイギリス人の令嬢など、戦争をものともせず--というか利用してちゃっかり生き抜く女たちが登場する。しかし、それは半数だけである。残りの半分は違う。

戦死した夫にあくまで操を立てる兵士の妻もいるし、また中盤に登場する仏国兵を殺しまくる女の境遇は悲惨の一言だ。
彼女はフランス軍を避けて赤ん坊と共に納屋に隠れていたが発見されてしまい、胸に抱いていた赤ん坊を壁に叩きつけられて殺され、数人の兵士にレイプされる。その始終を幼い娘が物陰から見ている。絶望した女は死のうと思って海辺へ行くがそこでも英国兵に遭遇してまたもレイプされてしまう……。
かくして彼女は復讐に燃え殺戮を行うようになったのである。まあ、これも「たまくしい」と言おうと思えば言えるかも知れないがね(-"-)

それよりも、辺鄙な道で強盗に襲われた避難民の一家の死体が転がっているのを発見。中に若い女もいるのを見て欲情し、往来のド真ん中で死体とイタそうとズボンを脱ぎ始める男の方がよっぽど「たくましい」と思うのだが、いかがであろうか?(注-皮肉である、念為)

なお、この作品はポルトガルの名監督ラウル・ルイスの原案で、彼が亡くなったので奥さんが完成させたとのことだ。上に述べた通り、総集編ぽいのと暗い内容なので見ていて楽しいとは言えない。
それにしても、こんな内容でよくフランス側が製作に参加して役者も出演したものである。日本だったら考えられないことだ。


戦乱破壊度:8点
予告詐欺度:9点

【追記】
途中、フランスとイギリス、敵味方逆に書いちまいました(~ ~ゞ 反省。
本文で役者について書き忘れたが、若い中尉役のカルロト・コッタはスッキリさわやか優男系、軍曹のヌヌ・ロペスは無骨で頼りがいあり、ご婦人方に推奨である。
男性向けにも、娼婦役のエロっぽいマリサ・パレデスもいれば、貞淑な人妻ジェマイマ・ウェストと、多方面に対応しております

【さらに追記】
英国軍の一介の伍長が自分の妻をポルトガルの戦場に連れてきていたのに驚いた。わざわざ海を越えてである。これってホントなのかい(?_?)と思ったが、こちらの記事をたまたま見つけた。
「19世紀以前の近現代の戦争では、軍人の飲食や炊事、洗濯などの身の回りの世話をおこなうためのキャンプ・フォロワー――現在で言う後方支援・兵站がセットになって、軍と一緒に行動していました」
「ときには家族がキャンプ・フォロワー役をつとめ、軍の移動の際には兵士が家族連れで移動することもあったのです」
な、なるほど……納得である。

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2014年2月22日 (土)

フライブルク・バロック・オーケストラ:乾燥のち大雪いつも熱狂

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会場:東京オペラシティ コンサートホール
2014年2月12日

前回の「管弦楽組曲」がとても素晴らしかったFBO、やはりバッハの「ブランデンブルク協奏曲」という超定番を引っ提げての再来日である。しかも今回も一週間で各地を5か所回るというハードスケジュールだ。

順番は1番→6→2→休憩→3→5→4で、曲によって人数・編成がかなり変化するのをササッと入れ替えしていた。

1番は管楽器と弦のかけ合い、2番は三種類の管同士のバランス良いアンサンブルが特徴的。特に前者は華やかで明るかった。オーボエが地味目なオバサンたちだったが、その巧みさは3人の魔女とでも言いたくなる域に達していた。

3番・6番は怒涛のような早さで通り過ぎた。一番地味な曲だと思っていた6番がこんなに表情豊かな曲だったとは知らず、聞いてて驚く。チェロのおにーさん(グイド・ラリッシュという人ですね(^^;)はこれでもかという調子でパッセージを弾きまくって会場を感嘆させていた。

3番と共にもう一人のチェンバロ奏者が弾いた5番は、チェンバロ(楽器は近江楽堂に据え置きのヤツですよね)だけでなくフルートも実にアグレッシブ。最後の4番はヴァイオリンのゴットフリート・フォン・デア・ゴルツの見せ場(聴かせ場)盛りだくさんだった。

指揮者はいなくて、全体の流れは音楽監督という肩書のフォン・デア・ゴルツが指示を出していたようだったが、各楽器についてはそのパートのリーダーが仕切っていたようだ。もう一人の音楽監督のペトラ・ミューレヤンスはヴァイオリンのトップとしての位置づけだろうか。
それでも、曲によってはかなりの人数だから、指揮者無しで何の問題なく演奏しているには感心した。

最後はほぼ満員の会場は大喝采となった。アンコールはほぼ全員(多分、トランペットと二人目のチェンバロ以外)が出てテレマンの協奏曲から演奏。バッハとは全く違った曲調でこれまた楽しかった\(^o^)/
前回に続いて大満足のコンサートだった。マイクが立っていたので、後日FMで放送されるかも。

ただ、大所帯の楽団わざわざ海を越えてやって来たのに、トランペットとかホルンなど一曲しか出番がないのはもったいない気もする。バッハ先生はこの曲集を同時にイッキ演奏するのを想定して作ったわけではあるまい。
全曲演奏にこだわらず、似たような編成でできる同時代の作曲家たちの作品集--みたいなプログラムでもいいと思うのは私だけかね(^_^;)


さて、FBOはこの後一日置いて金曜に京都で、そしてまた土曜の午後の公演に東京へ戻ってくるというスケジュールだった。それが、ご存じの通り大雪になってしまった。よく東京に戻ってこれたなと驚くばかりである(空の便をやめて新幹線にした?)。
一方、楽器の調整を担当していたU岡氏は大変な移動だったもよう。いやはやご苦労様ですm(__)m


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2014年2月16日 (日)

「フランス音楽の彩を楽しむ 5」:心地良き万華鏡ワールド

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演奏:宇治川朝政+ジョシュ・チータム+福間彩
会場:近江楽堂
2014年2月7日

木の器主催の演奏会、前回は他の公演とバッティングしてしまい行けなかったが、今回は無事に行けた(連チャンとなってしまったが)。
その前は同じほぼメンバーによる英国ものでしたな。

この日は再びフランス・バロックである。以前やった時はマレが中心で、今回はクープランが主力のプログラムだ。
前半は福間&宇治川の腕の聞かせどころを披露という感じで、チェンバロによるクープランの独奏で開始した。幻想的な万華鏡のような響きがホールに共鳴する。また、オトテールやフィリドールでは宇治川氏のリコーダーの技が冴えていた
モレル(この作曲家は初耳)作の「トリオのためのシャコンヌ」という曲は、リコーダーとガンバの二重奏風になった部分がひときわ鮮やかだった。

後半はクープラン尽くし。リコーダー抜きの「組曲」と3人での「王宮のコンセール」である。
前者は静謐なプレリュードから始まり、チータム氏のガンバ技を堪能した。ここでも、近江楽堂の音響がちょうどぴったりとはまっていて、ウットリと聞き入ってしまったですよ(^-^)
「王宮~」となると一転、3人の闊達なアンサンブルが楽しめた。

この日のチケット代は前売り3500円ナリ これまたコスト・パフォーマンスがよい公演だった。

でも、最前列に座っている客が盛り上がってきたいいところでチラシを落とすのだけはやめてほしいぞっと
チータム氏はいつもどこかで見たような印象だなと感じる。若い頃のスティングとユアン・マクレガーを足して2で割ったような外見なのでそう思うのかも。
それで、てっきり英国人かと思いこんでいたが、配布のリーフレットの経歴にはないが、チラシの方を見ると「アメリカ・シアトル出身」と書いてあったのに気付いて驚いた。やはり米国、古楽面でもあなどれませぬ。

次回公演はこの3人に三宮・オーボエ・正満が加わってテレマン系だそうである。これまた楽しみよ(o~-')b 絶対行きます。


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2014年2月15日 (土)

ブクステフーデ「わたしたちのイエスの四肢」:コンサートの価値を何で計ろうか

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演奏:ラ・フォンテヴェルデ、ザ・ロイヤル・コンソート
会場:ルーテル市ヶ谷ホール
2014年2月6日

前回の共演ではダウランドを演奏した二つのグループが、今度はブクステフーデのあの名曲に挑戦である。
さらにゲストとして寺神戸亮、戸田薫、今井奈緒子も参加でオールスターキャストという感じだった。

今井女史は短い独奏曲に続きなんと会場のパイプオルガン(バルコニーではなくステージの端に設置してある)で通奏低音を担当した。なんでも、当時はポジティブ・オルガンというのはほとんど存在せず、パイプオルガンを使用するのが一般的だったのとことだ。知らなかった(!o!)
しかし、今の時代では珍しい。生のコンサートでパイプオルガンが通底を担当するのを聞いたのは多分初めてだと思う。

公演のタイトル曲は後半イッキに全曲演奏。前半の方はオルガンソロに続いて短めの声楽曲を3曲という構成である。
カウンターテナー上杉清仁とガンバが華やかに掛け合いをする「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ」はどこかで聞いたことあるなーと思ってたら、平尾雅子のアルバム「ダニューブ河のこだま」でやはり上杉氏が歌っていたのだった。

そして、前半最後の「平安と喜びに満ち逝かん」「嘆きの歌」はこれまた名曲である。この2曲はセットで一曲扱いになっていて、後者はブクステフーデの父親の葬儀に際し作られたというのは知っていたが、前者もまた知人の追悼曲とのことだった。
この「平安~」は歌詞がリーフレットに載っているのに、なぜかヴァイオリンとガンバの器楽のみの演奏だった、なぜ(?_?) 折角だから歌付きで聞きたかったのう。
「嘆きの歌」(悲歌)はまさに美しくエモーショナル、聞く者に悲しみが怒涛のように押し寄せてくる歌曲である。それを鈴木美登里は余分なものは何もなくストレートに歌いきったのだった。

「イエスの四肢」は録音は結構出てるが(私も3枚持っている)、実演ではなかなか聞く機会がない作品である。編成上の問題だろうか?
生演奏はLFJの折のラ・ヴェネクシアーナに続き二回目だ(BCJは記憶にないので聞きそこなったらしい)。
解説に「劇的な表現や官能的な旋律線がマドリガーレと通じるところがある」とあり、楽章ごとに十字架のイエスの身体をたどっていくその眼差しは、ドイツ産カンタータとは思えぬような濃い情念に満ちている。

ここに至ってラ・フォンテヴェルデの5人が全員登場。弦楽陣は前半から引き続き寺神戸+戸田のヴァイオリン、上村かおりのガンバが中心である。「心」の楽章だけヴァイオリンが引っ込んでガンバが総動員となる。ザ・ロイヤル・コンソートの中にはこの曲しか出番がない人もいて--ご苦労様です

声楽陣は、この曲の特徴であるイタリア・マドリガーレ風の情念あふるるテイストと厳格な宗教曲の双方の要素をうまく両立させていた。寺神戸氏については、いま日本でこの曲をこれだけ的確に表現できる人が他にいるか、と思えるほど。前回のコンサートで「物足りん(+_+)」みたいなことを書いてしまったが、正直すまんかった許してm(__)m

「イエスの四肢」だけでもCD一枚分の長さなのに、前半も合わせて量的にも充実。中身の方もブクステフーデ先生が聞いても満足するだろうレベルだった。加えてパイプオルガンの通底も聞けたし、これでチケット代4千円は安過ぎ おつりが倍返しをはるかに超えて戻ってきます(@∀@)
コンサートの価値が、チケットの値段にも会場の広さにも全く比例しないということがよ~く身にしみて分かったのであった。


ただ一つだけ文句言いたいのは、会場の空調である。開場した時は頭がボーッとするほど暖房が利いていて、そのうち涼しくなってきたと思ったら斜め上から冷風が……(>_<) なんで一番寒い時期に冷風浴びなきゃならんのよ。まるで以前の近江楽堂のようである。
分厚いダウンのジャケットでは演奏中にゴソゴソと羽織るわけにもいかず、しまいには肩や片手の関節が痛くなってしまった。
今度からこの会場に行くときはマフラーかスカーフを持っていくことにしよう。

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2014年2月11日 (火)

「ルートヴィヒ」:実録!草食系国王の転落人生

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監督:マリー・ノエル、ピーター・ゼアー
出演:ザビン・タンブレア
ドイツ2012年

ヴィスコンティの映画であまりにも有名な「狂王」ことバイエルン王ルートヴィヒ2世の生涯を再び映画化である。

こちらの作品では政治や国際関係の問題が大きく取り上げられている。ルートヴィヒは美や音楽を愛するがゆえに、キナくさい政治や戦争の話は嫌い、聞きたくもないのである。何せ憧れるのが太陽王ルイ14世だというんだから、生まれるのが遅すぎたとしかいいようがない。
さらに15歳の時から心酔しているワーグナーは思想的には急進派で政治犯として指名手配中--というのは初めて知りました(^^ゞ 彼を救ってやったのはいいけれど、そちらからも色々とうるさく指図されるのであった。

自分の気に入った者を取り立ててやり、反対する大臣は更迭、さらに従僕とのアヤシくも不可解な関係、ただでさえ戦争でカネがいるのに金を浪費。やがて自分の建てた城で完全に引きこもって隠遁生活のあげく、王位をクビにされてしまう。

当然ながら実際に彼が建てた城でロケもしている上に、ヴェルサイユの鏡の間も出て来て、そこでバロックダンス踊ってたりする。する。さらにビスマルクやナポレオン(3世?)も登場するとなると、なんだか歴史映画というよりは実録再現ドラマを見ているような気分になってくるのだった。建設途中の城の光景なんかもみせてくれるしね。

主人公を演ずるは新人のザビン・タンブレア君。痩せてて長身の美青年であるが、彼ではいかにメイクやCGを駆使してもブクブクとした晩年のルートヴィヒは演じられないと見たらしい。それで終盤は別の中年役者がやっている……けど差があり過ぎよ(^O^;)

というわけでヴィスコンティ作品が退屈で冗長で我慢できないという人には、実録風のこちらをオススメしたい。


耽美度:5点
醜聞度:8点


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2014年2月 9日 (日)

クラシカル・プレイヤーズ東京 演奏会:ある時はフルート、またある時は鍵盤、してその正体は?

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会場:東京芸術劇場コンサートホール
2014年2月1日

普段は古典派を中心に演奏している有田正広主催の団体のコンサートである。この日はバロックが演目なので行ってみた。ただ、バロックで東京芸術劇場は広過ぎだよなあと思ったのは確か。

私が日常聞く団体で大きな編成なのはせいぜいBCJぐらいなので、最初登場してきた時に人数が多い(!o!)などと思ってしまった。チェロ3人とかコントラバス2人とか……。
もっとも演奏者自身はほとんど古楽系でよく見かける人ばかりではある。チラシの写真を見ると普段はもっと大編成のようだ。
さらに意外だったのは有田氏がチェンバロ弾きながら指揮してたこと。ええっ有田先生鍵盤もやるんですかい

ヴィヴァルディの「調和の霊感」で始まり、テレマン、C・P・E(息子)バッハ、そして後半は親父バッハの管弦楽組曲3番という王道なプログラム。
ヴィヴァルディはコンミスの木村理恵がイタリア過激派もかくやというぐらいにバリバリ弾きまくった。テレマンの「リコーダーとファゴットの二重奏曲」には宇治川朝政と堂阪清高が独奏者として特出。弦と管楽器の対比が聞きものだった。ただこの二本の管同士の共演が協調型の音だったので、なんとなくノンビリした印象がしてしまったのは否めない。近くの観客が「穏やかな音色ですね」などと後で感想を言ってるのを聞くと、やはり共演よりは競演を望みたいのであ~る。(会場の音響のせいもあったか?)

生誕300年記念の息子バッハのオルガン協奏曲にはベルギー出身の若手奏者J・P・メルカールトという人が登場してパイプオルガンで共演した。
や、やはり古典派は守備範囲外なので苦手である(@_@;) その一方で、この曲が一番生き生きと演奏されてたなあとも思う。やはりこのグループは古典派仕様なのだろう。

後半の親父バッハはティンパニやトランペット(穴あき)も加わって、より華やかに。安定した演奏で王道プログラムを締めくくった。

この内容で4000円は安い。本チャンの演奏会に加えて、ホールのエントランスでアンサンブル公演もやっているようで(こちらは2000円)、有田氏に加え前田+菅ペアのフルートなんてのもあって面白そうだ。

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2014年2月 8日 (土)

「ハンガーゲーム」「ハンガーゲーム2」:ゲームは続くよいつまでも

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「ハンガーゲーム」
監督:ゲイリー・ロス
出演:ジェニファー・ローレンス
米国2012年

「ハンガーゲーム2」
監督:フランシス・ローレンス
出演:ジェニファー・ローレンス
米国2013年

年末に「ハンガーゲーム」の1作目をケーブルTVで見たら続きが気になって、お近くのシネコンに割引券を握りしめて行ってしまった。まさに敵の術中にはまるとはこの事であるよ(ーー;)
原作は米国で大人気のヤングアダルト小説とのことで、映画の方もニ作とも大ヒットした。しかしながら日本ではあまり客が入らず、2作目も小規模公開といったところだ。

未来では十二の地区を従える独裁国家があって、その首都は地区の生産物をひたすら収奪して消費するだけである。
この設定だけ聞くと現代の格差社会をモデルにしてるのかと思うが、むしろローマ帝国をなぞっているようだ。登場人物にもセネカ、シーザー、プルタークなどという名前が登場する。「2」の方では首都の住人の帝国風贅沢と退廃ぶりが描かれている。

毎年各地区から若い男女を一人ずつ選出して殺し合いのゲームを行わせるのが決まりだ。それを市民たちはTV中継で楽しむ。このあたりは闘技場で剣闘士たちの殺し合いをローマ市民が見物したのと同じである。

このゲームがどうも見ててよく分からない。同じ地区の二人が最後に生き残ったらどうするのか? 殺し合うのか。姉と弟で選ばれたコンビもいる。一体どうすんのよ--と思ったら、ゲームのエリア内では天変地異を自由に起こし、猛獣を登場させたりできるらしい。殺し合う前に事故で死んでしまうこともあるというわけだ。
でも、最後は一人しか残れないと分かってるのに互いに協力なんてできるのかねえ。それとも真意を隠して協力のふりをするのもゲームの内か(@_@)

しかも、実は映画内でゲームの描写に費やしている時間はそれほど長くない。米国版「バトルロワイアル」を期待して見に行くとさぞガッカリすることだろう。
最近のエンターテインメント系の脚本に多いが、設定やキャラクターの背景の描写が少なくほとんど役者のイメージにお任せ状態。さらに伏線出しといてそのまま放置なんてことも。
ではどこが興味を引いたかというと、それぞれの地域はまるで死んだように停滞した社会であり、大人は「策士」かそれ以外はみな無気力という描写である。特に母親やウディ・ハレルソン扮するトレーナーは生きる気力を失って半分死人も同然だ。
母親なんかヒロインの方が完全に「保護者」なのである。このような大人観が米国のヤングアダルト層に一般的なのだろうかと考えこんでしまった。

中心となる少年少女は若手役者を配し、大人たちは曲者系ベテラン役者をキャスティングしている。中でもジェニファー・ローレンスははまり役。もう彼女のために作られたかのように生き生きしている。この役でアカデミー賞にノミネートされることは絶対ないだろうけど、一見の価値はある。
レニー・クラヴィッツの名前があったのでどこに出ているんだろうかと思ったが、どうやらデザイナー役らしい。アルバムの写真は黒眼鏡でドレッドヘアだったりするので全く分からんのよ しかし何故にレニクラ(^^?)
競技にデザイナーやらスタイリストが重視されるというのは今風か。

「2」のラストはあっ(!o!)と驚く急展開で終わる。まさに「次回に続く」状態だ 第1作目は単独で見てもオッケーだが、「2」の方は既に「1」を見ていてさらに何があっても「3」を見に行くという覚悟がある人にしか薦められない。

この文章を書いている途中になんとフィリップ・シーモア・ホフマンが急逝してしまった。「2」のラストを見ると次にも続く重要な役割であるのにどうするんだろ。
まあ、この手の映画は続編もまとめて撮ることもあるからな……と思ってたら、なんと「第4部を撮影中だった」というニュースが流れてきた。
ええっ三部作じゃなかったんかい(>O<)

ともあれ、まだそんな年齢ではないのに優秀な役者さんを亡くしました(-人-)


トンデモ度:8点
反乱度:6点


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2014年2月 2日 (日)

「バックコーラスの歌姫たち」:主役を超える裏方もいるんだよ

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監督:モーガン・ネヴィル
米国2013年

バックコーラスというものの存在を意識したのは、確か高校生の頃に兄が買ってきたバーブラ・ストライザンドのアルバムを聞いた時である。ライヴ盤だったと記憶しているが、黒人女性コーラスとの掛け合いが非常に生き生きとして印象に残った。中でも「ストーニー・エンド」(原曲はローラ・ニーロ?)のコーラスはいまだに脳内によみがえってくる。
バーブラの歌唱はロックともR&Bとも無縁なものだが、それだけに異質なスタイル同士の掛け合いが面白かった。

さて、そんな裏方のバックコーラスを担当してきた黒人女性歌手(一部、男性も)を取り上げたのが、このドキュメンタリーである。
そもそもコーラスとソロ歌手とのコール&レスポンスは、教会の黒人霊歌が発祥だという。そして代表的なバックコーラスの歌手たちにインタヴューする。彼女たちは優秀で実力を持ち、スタジオでどんな要求にも即時に応えてきた。
懐かしい映像も数々登場する。古くはストーンズ「ギミー・シェルター」、D・ボウイ「ヤング・アメリカンズ」、近年はM・ジャクソンなど。
そして期せずしてそれらは「裏ポピュラー音楽史」にもなっているという次第だ。

「スイート・ホーム・アラバマ」のコーラスの依頼があった話も出てくる。あれは「トンデモ曲」扱いなんですな。でも、まあ内容はともかくコーラスが印象的な曲には間違いない。ライヴでは白人女性が担当してたが(^O^;

かつてはスレンダーで美人、スターと浮名を流したおねーさま方も、今はかなり貫禄がついきて時代の変遷を感じさせる。
横から彼女たちを眺めてきてインタビューに応じるのは、スプリングスティーン、スティング、S・ワンダーほか。頻繁に出て来て辛辣なことをチクチク言うのはパティ・オースティンだ。ベット・ミドラーは一度しか登場しなかったが、彼女も下積みの長かった人だからもっと話を聞きたかった。

原題の「スターダムから20フィート」はスプリングスティーンの言葉から取られている。コーラスからステージの真ん中のスター歌手までの距離は約6メートル。ある者は自分の名前でレコードを出してもらえず、ある者はアルバムを出してヒットしたもののその後鳴かず飛ばず……。
一体彼女たちに欠けていたものは何か? 環境か、押しの強さか、運か--そしてまたコーラスを歌い続ける。人生の変転などというものをしみじみ考えさせるドキュメンタリーである。

最近はコーラスを使う音楽自体減ってきて、仕事も少なくなってきたという。そういや、そうだ(゜o゜)
ティナ・ターナーのバックであるアイケッツについては作中では「動くフィギュア」などと散々な評価だったが、映像で見ると今でも実にエロカッコイイ アイク・ターナーは山師でどうしようもない暴力男だとしても、この手の審美眼は確かだったようだ。

中に登場してくる歌に字幕がちゃんと付いていたのはヨカッタ(*^^)v
今年度のアカデミー賞ドキュメンタリー長編部門に晴れてノミネート でも鉄壁作品があるから無理でしょうな……。


音楽愛度:10点
人生悲哀度:8点


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