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2014年3月

2014年3月30日 (日)

「スノーピアサー」:人生はグリーン車に乗って

140330
監督:ポン・ジュノ
出演:クリス・エヴァンス
韓国・米国・フランス2013年

えっ、あのポン・ジュノがハリウッド製巨大娯楽作品に 似合わねえ~(>_<)
そして、私の脳内には自国にいた時は小品ながら優れた映画を作っていたのに、ハリウッドでエンタメ作品を任されてからはパッとしない、あの監督やらこの監督やらの名前が浮かぶのであった……。

だが、実際見てみたらこりゃハリウッド活劇なんかじゃなかった。やっぱり「変」な映画であった。さすがポン・ジュノであ~る
そもそも制作費は韓国側の資本が大半で、そういう点からもハリウッド製ではないのだった。

地球温暖化を抑えるために大気中に冷却剤を撒いたはいいが、まき過ぎて失敗。逆に寒冷化が起こって人類滅亡。唯一の例外は、ちょうどその時走っていた永久機関による夢の超特急(←死語か)で、多数の人を乗せて地球一周をしていた。
物語の冒頭はその17年後で、後ろの車両に行くほど乗客が貧乏で環境は劣悪という階層社会になっている。

原作はフランス産のコミックスということで、かなり奇抜な設定で寓話的だ。SF風ではあるけど、科学的な合理性・整合性は皆無であるので、そういう部分に突っ込んでも無意味だろう。

後半では列車の前の方の様子が判明するが、どうしてこんな状況を維持できるのかはやはり謎である--というか、ありえない(!o!) 突然うまそうな握り寿司(しかも握っているのは黒人の職人である)が出てくるのにもビックリ。

そもそもは寒冷化が起こった直後に一番安い切符の乗客の荷物を取り上げ、窓もない車両に押し込めたということらしいが、その割には肉体労働させるわけでもなく、カイコ棚のような薄汚れた寝台が並んでいる様子は収容所を想起させる。
武装した警備兵がいて、子どもやヴァイオリンを弾ける者、などと選別して連れて行ってはその後の消息は不明、というところも何やらそれっぽい。

殺戮場面やら残酷場面多数あり、全くもってご家族向け健全娯楽作品ではない。
また主人公は終始ヒーローらしくなく、とある人物を見捨てていく展開には驚いた。それに重要かと思われた人物たちがどんどん消えてしまうのも、定型パターンを外している。終盤の主人公の独白がやや冗長かと思えたが、かといってそれを映像で見せる訳にもいかず……{{(>_<)}}

ジョン・ハートやらエド・ハリス、テイルダ・スウィントン(「超」がつく怪演)といったベテラン名優や、オクタヴィア・スペンサー、ジェイミー・ベルなど注目俳優を助演に使っているが、それも微妙に「外して」いる。
ソン・ガンホ(絶対に英語を喋らないのに笑った)はセキュリティシステムを設計した人物ということになっているが、どう見ても「プロのコソ泥」にしか思えないのは私だけだろうか。

宣伝チラシには「いまだかつてない近未来SFエンターテインメント」とあるが、これは正しくは「近未来SFエンターテインメントではない」のだった。では何かというと、やはり「変」としか言いようがない。

さて、寓話としての「列車」は一体何なのだろうか。解釈は見た観客の数だけあるだろう。神と人間の関係か、それとも文字通り現代の格差社会の象徴か。仮想現実を引き合いに出す人もいる。

ここでは仮に「原子力エネルギー」の寓意としてみよう。というのも、車窓外の風景として横倒しになった巨大な船が見えたのだ。寒冷化で船が陸地で横倒しになるとは思えず、3.11の災害の映像を想起したからである。
例え外界が自然災害で破滅してもとどまることなく運転し続け、劣悪な環境に封じ込めた人々と軽薄な消費行動にふける人々を内包する状況は、まさに原発のあり方と重なる。しかも、その内実は部品がなく、トラブル続きでメンテナンスが大変--となったら、そのまんまではないですか(!o!)

とすれば、あのラストの意味は……(>y<;) これまたいくらでも解釈できそうである。

やっぱりポン・ジュノ変なヤツ~ッというのを結論としておきたい。


健全度:2点
鉄男度:6点


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2014年3月29日 (土)

村岡花子訳の「赤毛のアン」の秘密

しばらく前に本屋に行ったら、村岡花子に関する本が平積みになっていた。「はて、なんで今頃村岡花子なのよ(^^?)」と思ったら、4月からのNHKの朝ドラが村岡花子を主人公にしているのだという。

それで思い出したのが、『赤毛のアン』シリーズを冷酷に解剖した小倉千加子の『「赤毛のアン」の秘密』(2004年刊)である。
その最後の章に、訳者として『アン』を紹介した村岡花子について言及がある。私はこれで初めて彼女がどういう人物なのか知った。

小倉千加子は「モンゴメリとアンと村岡花子には、共通点がある」としている。

三人とも、子どものときから空想好きで、お話が好きな少女であった。つまりは、「孤独な」少女だったのである。そして三人とも、成績は抜群で、「親」には孝行で、「国家」にも忠実であった。(中略)きちんと結婚し、母となり、妻としての務めを完璧に果たし続けた。

さらに村岡花子については、

生家では封建的な家制度の影響を受け、尋常小学校では天皇を神とする教育を受け、東洋英和女学校では欧米の良妻賢母教育を受けた。「儒・神・仏」の混交した前近代の日本人の意識の上に、絶対者として天皇とキリストを置いたが、その間に彼女はなんらの矛盾も感じなかった。

ついでにこんな指摘もある。

『赤毛のアン』のテーマは結婚であると先に指摘したが、近代結婚とは、少女に「自立」をそそのかしながら、勤勉に努力した少女が「自立」したゆえに必ず陥る疎外感と孤独感を、「ロマンチック」な恋愛を媒介にして、女性が本来ある「身分」に戻す制度である。あるいは、「結婚」は女性という集団(下位身分)アイデンティティを獲得させ、社会全体の制度秩序を温存させる制度であるといってもいい。


いやー、この頃の小倉千加子はキビシイですなあ。厳しさ全開です(^^;)
もっとも、現在の彼女が丸く(?)なり過ぎたのか。

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2014年3月23日 (日)

「さよなら、アドルフ」:明け方のミルクはなに色?

140323
監督:ケイト・ショートランド
出演:ザスキア・ローゼンダール
オーストラリア・ドイツ・イギリス2012年

これもまた予告と、実際に見た印象が甚だしく違っている映画である。まあ、暗い内容だったり娯楽の要素が少ないものは、そのまま宣伝したら客が来ないかも、ってのはあるだろうけどねえ(ーー;)

予告や広告だと、ドイツが戦争に負けてナチスの幹部だった両親が逮捕。残された子供たちが遠方の親戚の家を目指して歩き続けるうちに、途中でユダヤ人の若者に助けられ自らの偏見を正していく愛と感動のロードムーヴィー、という印象だったのであるが……。

そんな生易しいものではなかったのだよ(>O<)ギャ~ッ

ヒロインは14歳、小さい赤ん坊を含めて他にきょうだい4人がいる。子どもたちだけになって、隠れ潜んでいた田舎家を金の切れ目が縁の切れ目と追い出され、徒歩で遠方の祖母の家を目指す。それまで両親のもとで不自由なく暮らしていた子どもたちにとって過酷な旅である。

その過程で彼女は様々なものを目撃する。
道端に貼り出された新聞でユダヤ人収容所の実態を初めて知って衝撃を受け、さらに自分の父親が直接かかわっているのではないかと恐れる。
一方で、出会う大人たちは旧体制を未だ指示しているようだ。町の人々からは「ヒトラーが生きていたらこんなことにはならなかったのに」という会話が漏れる。
一見親切な老婦人は、現実を受け入れられず(受け入れたら自殺するしかない)狂気に至り、配給を受けるのに有利だから赤ん坊をよこせと迫る。

彼女たちを助けたユダヤ人の青年についても、なぜそうするのかその行動は謎である。信じられるのかどうか(?_?;
米軍の兵士たちは単に旅を邪魔する者でしかない。

その道行きは死と腐敗、恐怖と不信に満ちている。それは外界の光景ではあるが、同時に彼女の内面でもある。それまで信じていたものが崩壊したのだ。

終盤で平安を得た時、数歳年下の妹は全ては過ぎ去ったかのように振る舞う。しかし、ヒロインは妹のように以前には戻れない。崩壊したはずの価値観を変わらずに支持する人々がいることに耐えられない。このままでは生き難い世界である。

この結末に至ってこれは過去の「反省」映画ではなく、現在をも指弾した作品だと分かるのである。そこには感動もカタルシスも存在しない。
見ている間も見終わった後も重苦しく居心地悪くて、私は銀座シネスイッチの階段でパッタリと倒れ伏す思いだった。その気分を何と表現したらいいのだろう。
「晦渋」でもなし、「陰鬱」でもなし……(-"-)

そう、それはまさしくP・ツェランの詩に描かれた「明け方の黒いミルク」がふさわしいように思えた。少女の内面に起こる怒りとも苦痛とも言えない感情は、それを飲む時のものと似ているだろうかと想像するのだ。

ただ、問題なのは見ていて面白く(「楽しく」じゃないよ)ないことなんだよねえ。なんだか苦行に近い。
アップで手ブレするカメラでただでさえ疲れるし、変なアングルの映像も私にはとても「映像美」とは評価できず、長くて退屈に感じた。
ヒロイン役のザスキア・ローゼンダールにはご苦労さん賞をあげたい。
それと、青年が彼らを助けたのは理由不明なまま、ということでいいのかね?


暗黒度:9点
娯楽度:0点

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2014年3月22日 (土)

「ヨハネ受難曲」:川崎の渦にのまれる

140322
演奏:バッハ・コレギウム・ジャパン
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
2014年3月9日

マタイは定期公演でやるけど、ヨハネをこの時期にやるのは何故(^^?)と思ったら、海外ツァーでニュージーランドあたりを回っていたついでに、日本でも公演--ということだったらしい。この後、すぐにまたツァーの続きで旅立ったとか。強行軍ですなあ

ミューザ川崎は震災時の事故のために休館してたので、本当に久しぶり。駅から至近距離だし音がいいホールだからもっと足を運びたいけれど、私にとってはあまり電車の乗り継ぎがよくない所が難である。この日も京浜東北にチンタラと乗って行ったのだった。

公演の内容についてはもう今さら詳しく書くこともないだろう。冒頭の合唱からコーラス隊は素晴らしい響きを聞かせてくれた。刺すような激しさから、かそけき優しさに至るまで十二分に表現していた。
個々のソリストたちも非の打ちどころがない。以前はカウンターテナーのクリント・ファン・デア・リンデの声がどうも体質に合わないと思えたが、この日は気にならなかった。
かつて初めてG・テュルクのエヴァンゲリストを聴いた時は、ペテロの否認の件りを「なんたる甘美なる苦悩」と感じたが、この日は地を這い呻吟するがごとくで地の底へズブズブ沈んでいくようだった。
全体的にテンポが速く、場面によってはテュルク氏がかぶさるように歌いだすことが何回かあった。

器楽メンバーは海外公演仕様らしく、コンミスは高田あずみ、チェロはE・バルサ&武澤秀平と、定期公演とはやや異なっていた。
左寄りの席を取ったせいだろうが、オーボエやフルートの音がダイレクトに届いてきて驚いた。オペラシティだったらこうはいかないだろう。

次は定期公演の「マタイ」(聖金曜日!)があるが(その前の13日にミューザ川崎でもあり)、あえてその翌日のさいたま劇場の方を選んだ。テュルク氏のラスト公演になるかも知れないからである。


休日の川崎駅前は異様なほどの人ごみでごったがえし、そこから強力なエネルギーのようなものが渦巻いているようだった。こりゃ渋谷駅前や花見時の上野を超えるほどだと感じた。
改札にたどり着くだけで疲れてしまったですよ(*_*;


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2014年3月17日 (月)

「ザ・イースト」:エコと共にテロる

140317
監督:ザル・バトマングリッジ
出演:ブリット・マーリング
米国2013年

ほとんど予備知識なしで見に行った。環境テロリストのグループに潜入調査--という話は、似たようなのがTVドラマ「ロー&オーダー 性犯罪特捜班」にも出て来たんできっと実際にあった話を元にしてるんだろうな、ぐらいのもんだ。

元FBI女性捜査官が、今はセキュリティ会社の調査員となり、大企業相手に環境テロを仕掛けている集団に潜入する。
その集団は一見穏やかな、田舎で質素に暮らそう系のコミュニティ。『マーサ、あるいはマーシー・メイ』みたいにコワイことやら、メンバー同士で乱交なんてことはない。
やがてヒロインは彼らの人間関係や考え方に触れて、自らの価値観や企業のやり口に疑問を持つようになる。

巷ではかなりの高評価のようだが、私はあまり感心できなかった。
見ているうちに、これは期待していたような社会派サスペンスではなく、若い女性の生き方の選択を描いたものだと思った。もちろん、それ自体が悪いわけではない。同じように社会・政治問題と若い女性の生き方を関連させて描いた『サラエボ,希望の街角』という秀作もある。

特に気になったのは、人物の描写である。ほとんど背景とか性格とか描かれていない。かろうじて共同体のリーダーは自らの過去を語るが、彼が終盤に至って変貌するのに全く伏線がないので、唐突としか思えない。
エレン・ペイジ扮するメンバーは最初からヒロインに敵意を見せるが、その理由はさっぱり分からない。彼女の出自が明らかになっても、やはり分からないのは同じである。さすがにE・ペイジだからそれなりに演じてはいるものの、その存在は大昔の少女マンガに登場する、転校してきた主人公の靴に画びょうを入れてイジワルする敵役のようにしか思えないのだった。

また、主人公が務めるセキュリティ会社は何をやっているのかよく分からず、きれいでピカピカしたオフィス以外に印象に残らない。
上司は描かれるものの、主人公の過去の価値観を体現するところなんだから、もう少し詳しく描いてほしかった。

唯一のめっけものはリーダー役のアレキサンダー・スカルスガルド。最初に登場した時は髭面長髪でキリストさんみたい、金短髪スッキリに変身してからもまたカッコエエですな。
ステラン・スカルスガルドの息子だって? エンマ帳に記入しておこう( ..)φメモメモ
主演のブリット・マーリングについては残念ながら、若くて美人でお肌がキレイとは思ったものの役者としては今一つ魅力が感じられなかった。

ヒロインのパートナーの男の描き方を見ていて、もしかしてこの脚本を書いているのは女かと思ったが、やはりB・マーリンが担当していた。
優しくて思いやりがあり、彼女が悩んでいる時は余計な説教などせず黙って見守り、そっと朝食を作って出してくれる……まさしく理想のカレシではないか 男性諸氏には、これが女性の何割かの理想の男性像なのでよく研究するように。
なに、そんな都合のいい男がいるかって(^^?) 映画には実在しそうにない都合のいい女もまた溢れているから問題なーし


社会度:5点
環境度:6点

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2014年3月15日 (土)

「ギリシャ悲劇 王女メディアの物語」:歌のないオペラ

140315
演出・出演ほか:たいらじょう
演奏:セバスティアン・マルク&アンサンブル・レ・ナシオン
会場:東京文化会館小ホール
2014年2月1日

たいらじょうという人は人形を操りながら一人芝居をしているとのことである。エウリピデス原作の「メディア」というより、共演するアンサンブルに惹かれて行ってみた。
面白いのは人形や舞台装置をすべて段ボールで作っていることだ(!o!) 当日は撮影禁止だったので、梅岡氏のブログをご覧下せえ。とても段ボールとは思えず、その造形は驚異的である。
特にヒロインであるメディアはそれほど素材を使ってないのに、何やら女王然とした威厳が漂ってくる。

休憩を入れてなんと3時間 この長丁場を一人(と黒子3人)で演じるのは大変だ。
見終わった後の感想は--歌のないバロック・オペラだということである。ギリシャ古典を題材にしているし、人形たちの所作はバロック・オペラを想起させるものである。歌うはずのない人形から歌が聞こえるような気がする。

それは総勢8人のアンサンブルの功績もあるだろう。曲の構成はバロックの様々な作曲家の作品を少しずつつなぎ合わせている。冒頭と最後のテーマ曲はリコーダーの音も鮮やかなテレマンの協奏曲だし、その後シャルパンティエ、ヴィヴァルディ、ラモー、パーセル、リュリなど、なんとバッハも一曲だけ登場していた。
「ラ・フォリア」(ヴィヴァルディ版)は非常に怖かったし、メディアの心象を描くN・マテイスのアリアには泣けた(ToT)

終盤のイアソンがメディアの部屋を覗く場面は、ドアを開けたらなんと妻はモンスターになっていた(龍と合体だ)……これまた恐ろしくてビックリ。この場面ではやはりヴィヴァルディの「夜」が使用されてた。

各場面にピッタリの音楽を選んでいたのは監修のS・マルクと宇治川朝政・福間彩ペアだろう。
実際の演奏も大いに聞きごたえあるものだった。できれば、同じメンバーでステージに上がってコンサートやって欲しいくらい。
マルク氏はフルートやパーカッションも担当しつつ、宇治川氏と共に高技術なリコーダーを披露してくれたし、宮崎容子を始めとする弦楽陣も感情の波を的確に表現。また、チェロ懸田貴嗣ほかの通底部隊も音楽をガッシリと支えていた。

ただ、問題は一人芝居で多数の人物を演じて人形を操っているので、せわしなく大変そうで、見ている側が段々と苦しい気分になってしまうことである セリフの間違いや音楽の出のフライングなどもあった。
これは仕方ないことですかね。とはいえ、また見てみたいとも思う。

座席は真ん中あたりにしたのだが、文化会館小ホールというといつも音楽系ばかりだから気にならなかったが、段差がないのでステージ上が見にくい(+_+)
後ろの方の段差がある席を選べばよかったと後悔した。


ところで、小ホールの入り口前のスロープは全くもってバリアフリーではない。角度が急なので、年配の足の悪い女性が手すりにつかまりながら必死に上っていた。
東京を代表するようなホールなんだからなんとかしてくれい


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2014年3月 9日 (日)

「エンダーのゲーム」:エイリアンよりも怖い「あの人」登場

140308
監督:ギャヴィン・フッド
出演:エイサ・バターフィールド
米国2013年

「エンダー」のシリーズが出たのはかなり前のはず。長編版は1985年、短編版に至っては1977年である。その後、同工異曲な作品が雨後のタケノコの如く出没し、これが元祖・本家と言っても今さら感が強い。
どうして今頃映画化なのか分からんけど、王道SFというのは久し振りなので(『ゼロ・グラビティ』はSFじゃないよ)見に行ってみた。なお原作は未読であります(^^ゞ

冒頭から問題あり。異星人に攻撃されて……で、どうして「二人っ子政策」になったのかよく分からない。さらになんで主人公が三番目の子として生まれてきたのかもだ。その他色々背景があまりよく説明されてなくて不明な点が多々ある。

その後は主人公の少年が軍事シミュレーションで才能を発揮しつつ、学校や新兵訓練でイジメやらシゴキに遭いつつ出世していくのであった。殺伐としたエピソードばっかりがサクサクと進み、明るい部分など一かけらもない。まあ、戦時の耐乏生活中だから仕方ないんだわな((+_+))

新兵の訓練場面は過去も未来も全く変わっていない。実際の戦闘は無人機を母艦から操作するだけだっていうんだから、あまり体技は関係ないと思うのはグータラな私だけか。
訓練の無重力場面はきっと『ゼロ・グラビティ』を見る前だったら感心したであろうレベルである。
その戦闘・戦略は柔軟な青少年しかできないという設定。よってハリソン・フォードを始めとする軍の上層部のオヂサンオバサンが、子どもを酷使するように見えてしまうのは仕方ない。フォード爺、児童福祉法違反 でもやらねばならぬのだよ。

凶悪な異星人は虫だか爬虫類だかを取り混ぜたような恐ろしい形状だが、それよりももっと恐ろしいのはベテラン軍人に扮したベン・キングズレーである。これがホントにコワイのだ(>y<;) さすが「いかな名優でも子役と動物には勝てない」と言われるものを、『オリバー・ツイスト』では立派にその両方共を食ってしまった役者だけのことはある。今回も、子役に異星人、加えてそうそうたる面子のベテラン俳優を軒並み凌駕……いや獰猛なエイリアンのように食っている怪演なのであった。
はっきり言って、彼の横に立つH・フォードがデクの坊にしか見えませんっ(> <)

終盤のどんでん返しに加えて「パート2もあり」なエンディングであったが、果たして次はあるのだろうか?

主役のエイサ・バターフィールド君は『ヒューゴの不思議な発明』の少年だったのね。まあすっかり大きくなって(*^_^*) 声も体型もまだ少年モードなのに身長は既にフォード親爺並みなのもビックリ。これからもドラッグや悪い女にはまらずに立派に役者として大成してほしいもんである。
他に、もう子役という年齢ではないがアビゲイル・ブレスリンやヘイリー・スタインフェルドも出演。ただ、今一つパッとしない。
ベテラン勢はヴィオラ・デイヴィスもいるが、これも無駄遣いとしか思えない。これだけ豪華キャストなのに、興収でのモトは取れていないだろう。
よって、第2部の行方はエイリアンではなくカネのパワーが阻むのであったよ。

余談であるが、少子化が深刻な日本では戦争するなどトンデモない 大体にして兵士になる子どもがいないではないか(!o!)
ということで、私はシニア兵士の採用を提案したい。第一に人数が余っている。この映画のように無人機を操作するだけなら体力は不要だし、近頃ゲーセンを占めているのは高齢者ばかりだというではないか。
それに、定年退職したばかりのサラリマンをそのまま使えば、社畜根性が残っているので玉砕もいとわずなのであ~る(~ ^~)

それから久しぶりに行った丸ピカであったが(他に吹替版やってるトコが少ない)、なんだか映画鑑賞のマナー注意を4種類ぐらい見せられてイヤになってしまった。映画の予告だったらまだしも……
高い金、ふんだくった上にこの扱いはなんでえ(*`ε´*)ノ


エイリアン凶悪度:7点
人間凶悪度:8点


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2014年3月 8日 (土)

バッハ・コレギウム・ジャパン第106回定期演奏会:ハナたん萌えればナツミも燃える

140307

この日の朝、リチェルカール・コンソートのCDをかけてたら「ん?BCJの今日のコンサートってルター派ミサの続きだったっけ(^^?) てことは、この曲をやるかも」と遅まきながら気付いたのであった。

で、実際に同じ「ミサ曲イ長調」を前半に演奏したのであった。もっとも、リチェルカールの方は一声部一人形式だから、耳にした印象はかなり違う、特に合唱部分は。

やはりBCJの合唱はこの日も流麗で全ての面において均整のとれた美しさで聞かせてくれた。そして、本日のスポットライトはソプラノのハナ・ブラシコヴァに当たっていたといっても過言ではあるまいよ。
まあ~、あの細い身体にどれだけのパワーが潜んでいるんかいなというぐらいに、「イ長調」の第4楽章では冴えわたった歌声であった。加えて菅&前田のトラヴェルソ・ペアも手抜かりなし。

そして後半の最初には、なんとハナたんの独唱でコンティのカンタータ「わが魂はやつれ果て」をやるという大サービス(!o!)
宗教曲だけど、なんだかオペラのアリアのように熱い感情を感じさせる名曲である。かなり昔にNHK-FMで、当時の古楽祭にジョシュア・リフキンが自分のグループで演奏したのを放送したことがある。独唱者はアン・モノイオスで、さんざん録音したテープを聞き返していたのだ。
BCJの演奏はリフキンよりも落ち着いた印象で、ハナたんは清澄なアン・モノイオスに対しややドスのきいた声質で決して引けを取ることなく情熱的に歌唱だった。特に4曲目のアリアはハナたんだけでなく、ヴァイオリン独奏の若松夏美の背後から静かな情念の炎がメラメラと立ち上っているようであったよ。
よくぞこの曲を聞かせてくれてありがとう\(^o^)/と言いたくなったです

ミサ曲の「ヘ長調」ではオーボエとホルンが活躍。特にホルンは滑らかに音全体に溶け込んでいて感心した。

会場でハナたんの独唱CDが先行発売していたので買っちまいました こちらで紹介されてたアルバムですね。


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2014年3月 2日 (日)

「ヘンデルその深遠な世界」:楽譜を出せば楽譜屋が儲ける--のは許せんとヘンデル先生は言った

140302
演奏:有田正広&千代子
会場:松明堂音楽ホール
2014年2月22日

最近は極小ホールも増えてきたが、松明堂ホールはそのはしりと言っていいだろうか。木製の長いベンチが3列並んでいて、ギュウギュウに座ると100人ぐらい入るらしい。
そこで2~4月あたりに毎年やっている有田夫妻恒例のコンサートである。

今回のテーマはヘンデルだ。冒頭(と最後も)の曲は「ハレ・ソナタ」のフルートと通奏低音のソナタで開始。その後に早速、この曲はヘンデル本人の作かどうか怪しいという有田氏の話が始まった。
それからも曲毎に次々と繰り出される笛バナシ。なんでも当時は楽譜の業者が、作者に関係なく勝手に楽譜を出していた上に、それだけでなく書き換えて別の楽器用にしたりなんてこともやっていたという。
原曲がヴァイオリンなのをフルート用に移調したのは、息継ぎができないし、出ない音がある--などと言いながら、シッカリ吹いておりましたな(ただし終わった後、息が荒かった?)

ただ、千代子夫人によるチェンバロ独奏曲の時は、彼女の方をチラチラ見ながら話を早目に切り上げていた。もしかして「あなた、いつも話が長過ぎです」と釘を刺されていたのかも。
ご本人は「漫談みたいで……」と言ってましたが、有田先生の笛バナシはいつも楽しくって大歓迎です\(^o^)/

会場は天井が高くドームになっている近江楽堂と違って、学校の教室みたいな感じなのでチェンバロもフルートも音がダイレクトに押し寄せてきて、これはまたこれで味がある。
最初のうちは白いプラスチックのような(その正体はご禁制の象●)フルートで演奏していたのを、途中で自作の木製と交換した。
その日はまだ大雪の名残りがかなり残っていて、実は雪の日に象●笛はタブーだそうなのだ。そして、車に乗せて運んでいる途中になんと縮んできたのだという。
えーっ(!o!)象●って伸びたり縮んだりするのか、ビックリ……また一つ賢くなりました(^^ゞ

その日は計7曲を演奏後、アンコール3曲やった。アンコールの中の一つは、その日唯一のヘンデル本人がフルートのために書いた曲であった。ただし、別の曲を使い回したものだという。
やっぱり、笛話は面白い


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2014年3月 1日 (土)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 3月版

年度末はなにかとキビシイなあ……(>_<)

*1日(土)ギリシャ悲劇王女メディアの物語(たいらじょう×アンサンブル・レ・ナシオンほか)

なんとマイナー古楽系はこれだけ。後はBCJヨハネ川崎公演ですね。

他にはこんなのも。
*9日(日)コントラポント
BCJと重ならなければ絶対行ったのに~。残念よ。
*20日(木)親密な会話(新井道代ほか)
*21日(金)ウリッセの帰還(アントネッロ)
三部作、これがラストですか。
*28日(金)千成千徳&ピート・クイケン
      バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ1(大江戸バロック)
大江戸バロックは絶対行きたかったけど、ター坊のコンサートと重なっちゃったんで仕方なくパスです 「2」はチケット購入しました。
*29日(土)アンサンブルBWV2001定期
*30日(日)STABAT MATER 悲しみの聖母(鈴木美登里ほか)
下手すると年度末休日出勤になるんで、あきらめました(ToT)

NHK-FMでは28日に、先日のフライブルク・バロック・オーケストラ公演を放送するようですよ

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「ドラッグ・ウォー 毒戦」:毒をもってヤクを制す

140301
監督:ジョニー・トー
出演:スン・ホンレイ
香港・中国2012年

ジョニー・トーの新公開作。この監督作品で近年見た二作は(これこれ)やや脱力系だったので、本格的な犯罪アクションものとなると久し振りである。

初めて中国大陸で撮ったということで、中心となるのはなんと珍しや中国の公安警察だ。あちらでは麻薬犯罪は重罪。捕まると死刑確実である。
麻薬密売組織を摘発を専門にする警部に、逮捕された香港の密売人が取引を申し出る--というのが発端だが、そこに至る前振りからもうリキが入りまくっております
その後はノンストップで突っ走るのであった。

もう本当に、警官たちの私生活の描写とか一切なし! ひたすらサスペンス&アクション一直線 トー監督お得意の一同でメシ食う場面もなければ、お笑い部分もほとんどなしである。不眠不休の登場人物同様だけでなく、見ている側も息つく暇がないのだ。

観客を引っ張りまわす力量はお見事。詳しい説明はネタバレなので避けるが、コカイン吸う場面なんぞ客席全員が青ざめて「ど、どうなるんだ(@_@;)」とシーンとなったほどだ。
そしてラストは不条理なまでに激しい銃撃戦になだれ込む。

クライムアクション、ポリスアクションのファンは絶対に見て損なし(^_^)vと断言しておこう。生ぬるいハリウッド製なんか見てる場合ぢゃねーよ

主役のスン・ホンレイは、メガネかけたら小林克也にソックリなのは笑ってしまった。

さて、監督によると中国での撮影ということで当局との交渉には苦労したとのこと。なんでも「人を殺し過ぎないように」との注文を付けられて仕方なく了承したというのだが……ここで、多くの人が感じた通りに私も驚いた。
ええっ監督あれだけ殺しといてまだ殺し足りなかったんですかいΣ( ̄□ ̄ll)ガーン


緊張度:9点
紆余曲折度:9点


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