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2014年5月

2014年5月31日 (土)

「それでも夜は明ける」:夜明け前が一番暗く、夜が明けてもまだ暗い

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監督:スティーヴ・マックィーン
出演:キウェテル・イジョフォー
米国2013年

今年のオスカー争奪戦では『大統領の執事の涙』から「黒人枠」をドタン場奪取し、直前の下馬評は高くて見事作品賞ほかをゲット。しかし、日本で公開されると意外にも賛否両論だった。

私も見てみて役者の演技や演出に目を奪われるところが多々あったが、一方で今、米国で暮らすブラザー&シスターたちは、見たらあまりいい気分はしないだろうなとも思った。
何せ、北部で「名誉白人」として不足なく暮らす主人公(付き合いがあるのは白人ばかりのようだ)が、誘拐されて奴隷商人の手で南部に売られ、結局白人の手によって(抱きついて)救い出されるというのである。いくら実話とはいえ、現在の黒人の立場からすると情けない話である。
その描写には納得する部分と、そうでない部分の両方が存在した。

奴隷不足のためわざわざ北部まで来て自由な黒人を誘拐するというのは初めて知って驚いた。奴隷制とは「経済」の話でもあり、需要に供給が追い付かなければどこからか補充するしかない。
農園主の前で人間性も失い、ただ黙々と働く奴隷たちの姿は白人の横暴さを訴えると同時に、あまりに彼らの無力さを強調しているようでもある(例えば強制収容所のユダヤ人のように)。
見てて一番イタい場面は、B・カンバーバッチ扮する「良心的な」農場主が奴隷たちを集めて聖書を読み聞かせする件りであった。不正の一端を担いながら正義を説く……あイタタタタ(> <) 聖書の語句が全てをあからさまにする。
しかし、このようなことは現在もあることだ。自分も気をつけなくてはsweat01

首をつられた主人公を長回しで延々と撮る場面(しかもその向こうを他の奴隷たちが何事もないように通っていく)や、終盤の主人公の顏の表情だけを写して焦燥と苦悩を表わす場面など、圧倒的なものを感じさせる。
しかし、一方で原題に「12年間」というわりには彼の外見がほとんど変化しないという「手抜き」(?)はどうよとか、プロデューサーでもあるブラピの役柄が良すぎるのはなんだかなあとか、他の仲間を置き去りにして自分だけ逃げだしたような「後ろめたさ」を強調するのはあんまりじゃないの、などと色々疑問に思ってしまった。

ハンス・ジマー担当の音楽はノイズっぽい重低音がドヨ~ンと効いていて、陰鬱な話をますます重たくしてくれた。
また、主人公がヴァイオリン(というかフィドル?)奏者とあって、音楽が演奏される場面も色々と面白い。

最初に、主人公が誘拐前に演奏するのは若い男女が踊るホール。踊る人々も彼も楽しそうである。
次に登場するのは、M・ファスベンダーの横暴な農場主が深夜に奴隷たちを無理やりたたき起こして踊らせる。一同、亡霊のようで悲惨の一言だ。
そして、他の農場に「貸出」されて演奏するのは、仮面をつけた怪しげな仮面舞踏会だ。退廃的な腐臭を感じさせる。

彼が葬式で黒人霊歌を歌う場面も評判になったが、それよりも最も衝撃的だったのは先住民と出会うところだ。
森で作業して帰途についていると、先住民の集団と遭遇する。そこでひと時、一緒に歌ったり踊ったりするが、そこで先住民が弾いているのが小さい丸太の枝に糸を張って、手製の小さな弓で弾く弦楽器(?_?)なのである。なんだかチリチリとか細い音がしていた。
こんなものが存在したのか(!o!)と私の目は驚愕でテン(・o・)になりながらも凝視eyeしたが、一瞬で消えてしまったのでよく見られなかった。残念であ~る。

M・ファスベンダーと主役のキウェテル・イジョフォーはアカデミー賞の下馬評に上がっていたが、獲得はできなかった。男優部門に限っては、風は『ダラス・バイヤーズクラブ』に向いていたようだ。


ところでラストの字幕で、実際の主人公当人はその後南部の奴隷を北部へ逃す「地下鉄道」の活動に関わってたとあった。子どもの頃に新日本出版社sign01の児童文学シリーズで『自由への地下鉄道』という物語を何度も繰り返し読んだ。この人も加わっていたのか。
私は小学校の図書館で読んだのだが、今のご時勢だったら「他人の所有物を勝手に逃す話なんてとんでもない」などとやり玉に挙げられて、撤去を求められるかな(^◇^)


奴隷度:9点
十二年間度:3点


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2014年5月25日 (日)

藝大プロジェクト2014「シェイクスピア~人とその時代」第1回:柳の唄に涙

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シェイクスピアとエリザベス朝の時代
企画:東京藝術大学演奏藝術センター
会場: 〃 奏楽堂
2014年5月18日

藝大の各学部・学科が提携して行う藝大プロジェクト、毎年これまでは時代別にやってきたが、これからは「人」をテーマにするということである。
で、今年は生誕450年にあたるシェイクスピアが取り上げられたのであった。

前半は新訳を出している河合祥一郎のレクチャーと演奏、後半はコンサートと盛りだくさんである。

レクチャーはなんと1時間半もやった(!o!)
シェイクスピアの時代は庶民の娯楽は少なく、芝居は台本・演技・衣装とともに音楽があり人気があったのだという。また、韻とリズムあるセリフ自体が音楽的であった。
ということで、作中の台詞原文を朗読し、それと共に芝居の中に使われたり、あるいは言及されている歌もまた紹介した。
例えば『十二夜』の中にはロバート・ジョーンズの歌曲の替え歌が登場するが、元歌は出て来ないので、当時流行り歌として観客は知っていたのだろうとのことだ。

その度に古楽科を中心としたメンバーが登場しては実際に歌や演奏を披露。鍵盤大塚直哉、リュート佐藤亜紀子、歌手は野々下由香里、櫻田亮など。

歌唱はレクチャーの趣旨に沿ったもので、例えば『十二夜』で道化が歌う「俺が小さな餓鬼のころ」は、バスの小笠原美敬が愛嬌とお笑い要素たっぷりに歌ってみせた。

また、『オセロー』では妻のデズデモーナは幼いために真実や自分の思いをうまく伝えられない。そして、殺される直前に自らの死を予兆して歌うのが作者不詳の「柳の唄」で、これは失恋して死んでしまう娘の歌なのだという。
この解説の後に実際に野々下由香里が「柳の唄」を歌った。まさしくflairはかなげで弱々しくさえ思える純粋さと、濁りなど一切ない透徹した哀しみが広いホールを満たして、思わず涙目になるほどだった。
もう、あたし実際の『オセロー』の芝居でこんな歌聞かせられたら号泣しちゃうわよっimpact野々下さ~ん!--というぐらい(ToT)
『ハムレット』で狂乱のオフィーリアが歌うダウランドの「ウォルシンガム」も同様に泣けましたわsweat02

第二部はシェイクスピア作品からは離れてエリザベス朝の音楽を演奏。
ダウランド、モーリー、ホルボーンなど。6人の声楽アンサンブルがあれば、山岡重治のリコーダーや佐藤亜紀子のリュートの独奏もあり。しかしダウランドのリュート曲って簡素なようで難しいんだなと、改めて感じましたです(^^ゞ

大塚直哉はヴァージナルでバードを。また、山岡氏が弟子と共に5人でリコーダー合奏で再登場し、職人技に拍手喝采を受けたりもした。

ただ、奏楽堂は収容人数1200人という立派過ぎる大ホール。音響がいいとはいえ、リュートやヴァージナルのソロにはあまりに広すぎであった。この規模の古楽だと、同じ上野ならやはり石橋メモリアルホールあたりが最適だろう。藝大じゃなくて他の学校のホールだけどなdash

とはいえ、正味2時間半の盛り沢山な内容でチケット代2000円、セット券ならなんと1500円というコストパフォーマンス良すぎの企画であった。さすが天下の藝大よとヨイショ\(^o^)/しておこう。


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2014年5月20日 (火)

「トークバック 沈黙を破る女たち」:沈黙は美徳とは限らず

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監督:坂上香
日本2013年

米国で女性のHIV感染者と元受刑者が、自らの人生を芝居として描くプロジェクトのドキュメンタリーである。

指導者の女性は元々は女性刑務所でパフォーマンスのセッションを行なっていた人物。男性のHIV専門医がこのプロジェクトを思い立ち彼女のところへ話を持って行ったのが始まりらしい。初年度、最初は70人の応募があったが、半年後に残ったのはたった一人であるという……sweat01
よほど厳しいんでしょうな。

そのたった一人残った黒人女性を始め、様々な人々が参加している。貧困のため売春をして感染した者、留学先でレイプされ感染した学生、付き合っていた男性からという者も。人種、国籍、階層--一つにはくくれないのである。
中に一人インド系かしらんと思って見ていた女性が--『ER』のニーラに似ていたからだが--そうしたら日系だったのが意外であった。

参加者のインタビューと共に、自分を語る詩を書いたものの演技については全くの素人で、それが周囲の助言や練習で立派なパフォーマンスになって自信をつけていく過程や、舌に障害があり(精神的なもの?)で来た当時はほとんど喋れなかったのが舞台で堂々と台詞を語る様子などが描かれる。

ミーティングの中で一人が子どもの頃に身近な人間から性暴力を受けたという話をしたら、次から次へと「私も」と他のメンバーから(指導者側のスタッフも含めて)出てきたのには驚いた。この問題の根深さを感じさせる。

タイトルのトークバックとは「言い返す」という意味らしいが、ここでは「声を上げる」という意味で使われている。声を上げることが自らを取り戻すことなのだ。
日本では、何も言わず耐えることが美徳であるような風潮だが、こちらは全くの逆である。

監督はやはり米国の刑務所の社会復帰活動を描いたドキュメンタリーを作っている人で、私は『ライファーズ 罪に向き合う』という書籍化したものを読んだことがある。
終演後のアフタートーク(というより「トークバック」)にはゲストの信田さよ子と共に登場した。ちなみに観客のほとんどは女性だった。

対談では、カウンセラーの力が及ばない領域だ、HIVの陰に性暴力がある、スポットライトを浴びることで被害者は救われる--というような話が出た。
監督の話では、冒頭にちょこっとしか出て来ない男性医師が、米国人に珍しい控えめな人物だが、実は多額の助成金をもぎ取ってくるスゴ腕だとか、作中には出て来ないがカウンセラーも含めて様々なプロが関わっているとのこと。

その後の質疑応答では、とある女性の、これからは「DVの元被害者だけどそれが何か(`´)」と言ってやるという発言に拍手が起こった。
と思えば、児童虐待の被害者とおぼしき方から深刻な質問が出たりもしたのだった。

私は、映画の中にメンバーとして登場していた足の悪い初老の白人女性が気になっていたが、結局最後まで彼女については取り上げられなかったので、どんな人なのか質問したかったのた。しかし、とてもそんな雰囲気ではなく時間もなかった。残念なり(-_-;)


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2014年5月18日 (日)

「オール・イズ・ロスト~最後の手紙~」:アカデミー四文字言葉賞確実の叫びを聞け

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監督:J・C・チャンダー
出演:ロバート・レッドフォード
米国2013年

広告で見かけた時、大海を一人で漂流っていうのはなんだか『ライフ・オブ・パイ』みたいだなーと思った。あちらは若い新人の役者だが、こちらはいくらかつての二枚目とはいえ、今はじーさんと呼ばれるのがふさわしい年齢のロバート・レッドフォードである。シワだらけの顔をずっと見ているのはキビシイという予感downであった。

しかしながら、監督の名を見ればなんとあの『マージン・コール』の人ではにゃあですかshine
この監督さんの作品ならばなんとしても見ねばなるまい、と固く決意して行ったのである。

見るまでは、いくら一人漂流と言っても回想場面とか出てくるのだろうと思っていたが、実際には全く、何一つ出て来なかった(!o!) それどころか、主人公の名前すら明らかにならない。個人的な背景は一切描かれないのだ。

彼はヨットでインド洋を単独航行中、漂流するコンテナと衝突。浸水の危機に見舞われる。やっと穴をふさいだと思ったら、今度は嵐が接近するのだった……。

ほとんど台詞らしいものはなく、ただ男が孤独に淡々と(ある時は必死に)次々と襲い来る事態に対処する過程を描いていくだけだ。余計な回想も感情描写も一切なし。
では退屈かというと、そんなことはない。いつしか、見ているうちに自分も漂流している気分になってくるのだった。

そして、大掛かりなアクションシーンやド派手な展開があるわけではないが、そういう種類の映画よりももっと映画館で見るべき作品ではないかと思えた。
というのも、全編に渡り全身海にどっぷりつかっているように続く切迫感は、やはり大きなスクリーンで見た方がより迫ってくるだろう。それに波の音、ヨットがきしむ音などが全編満ちているのは、TVのモニターでは再現するのは難しい。(アカデミー賞の音響編集賞にノミネート)

ただ一人で孤独のうちに漂流するというのは、『ゼロ・グラビティ』と同じような状況である。海と宇宙の違いはあるが……。どちらも生還の可能性はゼロに近い。次々とトラブルが起こるのもだ。
それを主人公の過去と境遇に重きを置いて感動的に描く『ゼロ~』に対し、こちらの素っ気なさ、何もなさ、ただ漂流一本勝負な描写は大胆すぎるほどである。

一体、人間を描くとはどういうことか。深~く考えてしまうのであった。
ということで、明らかに主人公のことを歌っているとおぼしき、ラストクレジットで流れる歌notesの歌詞はぜひ訳してほしかったんだけどねえ……(ーー゛)
とりあえず、チャンダー監督には注目。次の作品も必ず見に行くぞ。

それにしても、あの「F●●K」はレッドフォード役者人生渾身の四文字言葉でしたなあfuji


レッドフォード度:9点
難破度:10点


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2014年5月17日 (土)

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2014 リチェルカール・コンソート

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会場:よみうりホール、東京国際フォーラム・ホールD7
2014年5月3~5日

今年のLFJは10回記念ということで、10人の作曲家とその「お友達」一人ずつという特集だった。バロック系はヴィヴァルディ(&バッハ)で、しかも純正古楽団体はリチェルカール・コンソートのみ。まあ、毎年古楽はこんなもんだろう。でも、ラッスス&パレストリーナぐらいあってもいいと思うが(一体誰が聞くんだ)。
彼らは3日間とも昼間に、異なったプログラムをやったので、結局毎日出動する羽目になった。

毎年来日の度に編成が違う彼ら、今回はP・ピエルロ(ガンバ)、フランソワ・ゲリエ(チェンバロ)、マルク・アンタイ(トラヴェルソ)、ルイス=オタビオ・サントス(ヴァイオリン)というアンサンブル体制であった。サントスという人は最近の彼らの録音ではヴァイオリンのトップを担当しているもよう。外見はジョージ・クルーニーを細面にしたような印象だ(特に眉のあたりが似ている)。


★5月3日(土)よみうりホール

この日は全ヴィヴァルディ・プログラム。冒頭のトリオ・ソナタRV67は一瞬、クープランとか思っちゃったぐらいにフランス味が濃い味付けとなっていた。チェロでなくてガンバだし、トラヴェルソが入っているせいか。
後の曲も典雅な成分が多い演奏で、近年のイタリア過激派を愛好している人には物足りなく聞こえたかもしれない。

アンタイは「忠実な羊飼い」で妙技を聞かせたが、これって偽作ということに確定したんじゃなかったっけ? プログラムの紙にはヴィヴァルディ作として載っていた。

会場は千人強収容の多目的ホールで残響が少なく、あまり音楽、特に古楽には向いていない。そのせいかピエルロがガンバで弾いたチェロ・ソナタは全く冴えない音だし、そもそもよく聞こえなかった。
ラストの「ラ・フォリア」もパンチが欠けた演奏となった。別会場と比べると、どうやら低音がほとんど聞こえてなかったようだ(少なくとも私の席では)。
チケット完売のはずだったが、2階席では空席emptyが結構あった。何者かが買い占めてたのか?

カーテンコールでゲリエが花束を貰っておしまいとなった。


★5月4日(日)ホールD7

会場は221席という小ぶりで、ちゃんと傾斜が付いている。とはいっても、音楽向きではないのは同じで、ほとんど残響がなく、どうも壁が雑音を吸収する仕組みなんでは?と思えるほどだった。そう感じたのも、開演直前の客席が、完全にシンと静まっていたから。普段のコンサートだとそんなことは滅多にない。
昨日はさすがに子ども連れが何組かいたが、この日は大人ばかりだった。

今度はオール・バッハ--というか「音楽の捧げもの」全曲演奏だ。
テンポはクイケン・アンサンブルとアンサンブル・アウローラ(非常に速い!)の録音の中間ぐらいか。
ゲリエが最初の「3声のリチェルカーレ」を弾き始めた途端、昨日はチェンバロの低音が全く聞こえてなかったのに気付いた。トホホである。さすがに小さい会場なので、ガンバもよく聞こえた。

全体的には、派手でも地味でもなく退屈でもない、一種奥ゆかしさと粋が感じられる演奏だった。
興味深かったのは、確かゲリエが「6声のリチェルカーレ」を弾き終わった後、チェンバロの弦の鳴りが完全に止まるまで、他の3人がじっと待っていたことである。止まってから、おもむろに楽譜をめくって楽器を構えたのだった。残響の終わるまでが曲であると考えているようだ。
もっとも、私は後ろの方の列だったのでその残響音はほとんど聞こえなかったのだが。

トリオ・ソナタでのアンタイのコロコロ転がる笛の音に、つくづく「ああ、もし近江楽堂で彼の演奏を聞けるなら一万円払ってもいいmoneybag」などと思ってしまうのであった。


★5月5日(月)ホールD7

U岡氏のブログには「時間に大らかな性格は相変わらずで(笑)」とあったが、確かに5分遅れで始まった。LFJでは5分でも大変だ~。

この日はヴィヴァルディとバッハの曲を交互に組んだ内容だった。
ヴィヴァルディのトリオ・ソナタと「忠実な羊飼い」は一日目と同じ。バッハ作品については、プログラムには「トリオ・ソナタBWV1029」となっていたが、ガンバ・ソナタに変更された。
昨日がチェンバロのゲリエを引き立てるようになっていたので、今日はピエルロとアンタイの職人芸的演奏を味わう構成のようだった。

ラストは昨日と同じ「音楽の捧げもの」からのトリオ・ソナタだったが、4人の演奏は全くの完璧なアンサンブルを成し、誰かが突出したり引き下がっていたりせず、対等で瑕疵もなく余計なものが何一つない完全な音宇宙を作り上げていた。私は恍惚として聞き入った。こんな奇跡のような時間は滅多にあるものではない。

会場は昨日同じで列も同じ後方だったが、左右に動いただけでだいぶ音の聞こえ方が違ってしまった。やはり音楽専門ホールだとどこの席でも同じように聞こえるようになっているのだと感じた。

さらに近くにいた若い女性がなんと曲間とはいえ演奏中にカシャカシャと写真を撮ったのには驚いた(!o!) 明らかにゲリエを狙っていたようだ。(もちろん撮影は禁止になっている)
彼女は途中で何度もバックを落とし、厚底サンダルを座席の仕切り板にガタガタぶち当てては雑音を発したのだった。周囲が静かだから余計に響くんである。
もっとも、音が響くのは東京国際フォーラムが「安普請」のせいもある。普通のホールだったら、バッグ落としただけでうるさくはならないだろう。


グッズ売り場や屋台周辺をぶらついてみたが、なんだか以前より人が少ないような気がした。もっとも、公式発表では去年よりも多いということだから、丸の内や大手町に分散したのだろうか?
来年のLFJについては結局発表なし。上記リンクのU岡氏のブログに「来年のこの音楽祭、噂では我々を喜ばせてくれる特集との事で大いに期待出来ますのでお楽しみに」とある。ということは楽器別特集かな(?_?)
まあ、古楽系のプログラムがあれば文句はありませんよ、ハイ。


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2014年5月10日 (土)

「アナと雪の女王」(2D字幕版):箪笥の奥から雪山へ、そして

Photo
監督:クリス・バック、ジェニファー・リー
声の出演:クリステン・ベル
米国2013年

このアニメを見ようと思い立ったのは、最近ピクサーのアニメが今イチの出来になってきたのに対し、本家ディズニー作品の方が評価が高くなってきたからである。「今までのディズニー・アニメとは違う」とか。もっとも、私はこれまでほとんど本家作品をまともに見てないので、過去のものとは比べようがないのだが。

見たのは日本で公開されてすぐで(その感想を今頃書いているのもナンだが(^^ゞ)米国では『トイ・ストーリー3』を抜くヒットなどと伝わってきてた時期である。
それが日本でも大ヒットとなってしまった。スゴイねflair 銀座の山野楽器の前でビデオ流せば人だかりができるほどだ。

見ている間は楽しめた(^^♪ 真実の愛はどれだ?あれかっsign01と思わせといて、外すところはワザあり一本。視覚的な見どころは透明な氷の描写だろうか。雪だるまキャラは楽しく好感が持て、お子様にも人気だろう。
評価としてはそれ以上でもそれ以下でもない。

姉のエルサは典型的賢くよい子良い娘で親の命じた通りにじっと自己を抑制して生きてきた。しかし、妹のアナがいきなり婚約したんで、ブチ切れて家出し、もはや規範など従わず大人しい娘から「大人の女」風に豹変する。ここで、豹変したんなら変装でもして町へ出て遊びまくればいいのに、雪山にこもってしまうのであった。

ネットの感想などを見ると、エルサとアナの姉妹愛が実は同性愛を表わしているのは自明のことなんだという。
となると、魔力はレズビアンであることの暗喩で、姉が妹の婚約にショックを受けたのは嫉妬であり、山に一人で行くのはクローゼットに隠れるということになるのだろうか。いや、「正体」はバレてしまっているのだから、世間の目を避けるということか。城の入り口を守るモンスターは「イドの怪物」だろう。
先日、書店でデカい看板が飾ってあるのを見かけたが、そこでは背中合わせに姉妹二人は腕をからめ合わせて立っている。確かに彼女たちの画像イメージからはエロチックkissmarkなものがにじみ出しているようだった。兄と弟コンビだったら、こんな描き方はしないだろう。

そうすると、結末の意味がよく分からない。みんなありのままの自分を隠さず、仲良く暮らすということなのか。……まあ、それはそれで平和なエンディングではある。

「『アナと雪の女王』にかかったジェンダー観の砂糖衣」(《Ohnoblog 2》より)を読んで、このアニメを見てなんとなく釈然とないものを感じた理由が分かった。

「すんごい才能もってるのに、あなたこんなもんで満足できるの?」という疑問と、「どんな才能も世間に受け入れられねば宝の持ち腐れか‥‥」という納得が交錯した。

雪山の城に悪役が侵入してきた時、正直言って「こんなヤローは氷でぶっ刺してやれい」と思った。それなのにエルサは「キャッsweat01」とか言ってやられっぱなしなんである。到底、納得できん。女らしいと言っちゃ女らしいんだけどさ。
それとも、私がアクション映画の見すぎなんだろうか。まあ、ぶっ刺して殺したらディズニー・アニメじゃないわな。でも、せめて氷漬けぐらいにはしてほしかったな(氷漬けでも死ぬけど\(◎o◎)/)。

というわけで、やっぱり私には本家作品は向いてないということを納得したのであった。

それから、どうも最近のミュージカルは私はダメだということも分かった。
たまに日本のアニメTVシリーズを見ると、オープニング曲がどれもよく出来ているのに感心する。前向きで明るくハイな曲調で感動的、歌詞も作品の内容に合わせていている。実にキャッチーでさすがプロの仕事だと思う……のだが、じゃあだからといって自分が聞いて感動しているかというと、そんなことはない。「感動的である」という認識をしているだけだ。

それと同様に「アナ雪」のどの曲も「感動的だな」とか「人物の心情をよく表わしている」とは感じても、「好きだ~heart01家へ帰ったら何度でも聞こうnotes」とはならないのだった。これは『レ・ミゼラブル』でも同様だったんで、どうも最近のミュージカルは自分に向いてないと思った次第である。


オマケ短編は「ミッキーのミニー救出大作戦」。これは視覚的にすごい(!o!) 3Dで見たらさぞ面白かっただろう。
大昔のモノクロ画面のミッキー登場。声はディズニーご本人の声を合成したとのこと。それが映画館のスクリーンを破って、一同が飛び出してくる。総天然色(&3D)とモノクロ界をクルクルと入れ替わる。まさにアニメーションの純粋な面白さだろう。

ただねえ……このネズミ小僧、私は子どもの頃、好きでなくてTVでもあまり見てなかったんだが、今でもやっぱり好きではないと再確認したのであった。


姉妹愛度:9点
女王度:5点


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2014年5月 7日 (水)

最近見た映画の中から~文句のつけようがない3本

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どうも映画の感想を書くのが遅れて何本も溜まってしまったので、まとめて書いてしまいたい。もっとも、美術展や本の感想だと書かずに終わってしまうのがほとんどである。

★『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』
監督:アレクサンダー・ペイン
出演:ブルース・ダーン
米国2013年

オスカーはダメだったものの、カンヌではブルース・ダーンに男優賞をゲットさせた本作、もしかしてボケてない老優にボケ老人を演じさせるのが流行ってる?
でも、うるさいだけのオバチャンと見せかけて、実はいい所もある母親役のジューン・スキッブもなかなかのもんだった。
ただ役者たちの演技を差し引くと……どうなんでしょうね。ああ、この次に殴るぞと思ったらその通りになる展開とか、ボケ老人の行動ってそれほど直接に論理的ではないでしょうとか、余計なことを色々考えてしまう。
いい話だとは思うが、なんだか見てて息苦しくなってしまうのだった。

それと、モノクロだから周囲の風景が荒涼として見えるけど、カラーだったら結構のんびりしたイメージじゃないかなあなんてことも思った。

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★『ダラス・バイヤーズクラブ』
監督:ジャン=マルク・ヴァレ
出演:マシュー・マコノヒー
米国2013年

アカデミー主演男優賞の本命とされ、その通りになっただけでなく、ジャレッド・レトーの助演男優賞も獲得した(こちらも本命だったかな)。
確かに二人の演技は鬼気迫るものがある。特にM・マコノヒーは「ここまでヤセなくとも」とか思っちゃうほど。J・ガーナーの女医さんが平穏な人物なんで、二人の過激なキャラクターとうまく釣り合っていたようだ。
主人公が国の言うことなんか聞いちゃいられねえ、という地点から偏見を脱して期せずして「いいヤツ」「頼れるヤツ」になっていく過程の描写はお見事。ただ、こういう自主独立の気質こそが、国民皆保険や銃規制を反対する原動力でもあることを考えると、複雑な気分になってくる。

感動的で役者の演技も素晴らしく、一見の価値はある。が、個人的には二見する気にはなれない。

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★『あなたを抱きしめる日まで』
監督:スティーヴン・フリアーズ
出演:ジュディ・デンチ
フランス・イギリス2013年

上記の『ダラス~』同様、実話でアカデミー賞にも複数ノミネート。
未婚の母から生まれた子どもを勝手に教会が養子へ出す。50年後に母親がその行方を探そうと決意する。
多くの感想が指摘するように、シリアスな社会派ドラマというより息子探しを取材するジャーナリストとの珍道中ものという色合いが強い。二人の階層的ギャップや、米国への旅でのあれこれなど笑える場面も多数だ。
ただし終盤は驚きの展開となる。
これもいい話なんだけど……「いい話」で終わって、忘れ去ってしまいそうな予感である。

ヒロインの聖と俗をジュディ・デンチが全く相反することなく演じ、神がかり的な演技を見せた。さすがとしかいいようがない。
《私の見た映画・美術・》
この感想の末尾に、シェイクスピアの『冬物語』での彼女を見た山崎努の感想が引用されている。こんなものすごい演技を一度でいいからナマで見てみたいもんである。(英語のセリフ分からんけど^^;)


以上三作品の共通点は、映画賞に数々ノミネートされ、CGを駆使するような内容ではなく、感動的な「いい話」であり、役者の演技が素晴らしいということである。
だが……どうも、最近こういう作品が苦手というか、「好き」ではなくなっているようだ。「よくできている」とは思うんだが。
ヘンspaなヤツとか、歪typhoonなヤツがいいみたい。まあ、元々ひねくれ者だからな(+o+)

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2014年5月 5日 (月)

バッハ「マタイ受難曲」:涙目でダイブ

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演奏:鈴木雅昭&バッハ・コレギウム・ジャパン
会場:彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
2014年4月19日

恒例のBCJの受難曲、オペラシティの公演を選べばそれこそ聖金曜日になったのだが、次の日の埼玉公演にした。会場が古楽向きなのもあるがゲルト・テュルクの最後の舞台になるかもしれないからだ。(実際には翌日に名古屋公演があった)

こちらでは豪気なことに、歌詞と短いけどI教授の解説付き冊子をタダで配っていた。もっとも、いつものパンフも売っていたので買っちゃったのだが……。
パンフの方は歌詞に詳しい用語解説や図版が付いててビックリ。聞きながらこんなに読んでる余裕はとてもないなーと思ったが、演奏中にパンフやチラシを熟読している人もいるからね(^o^;)

全体的にはテュルク氏の最終ツァーにふさわしいものだった。
冒頭の合唱がゆっくりと始まりやがて徐々に熱をはらんでくるあたり、いつもながら年季を感じさせ見事である。
さらに後半60番のアリアで「どこに?」と合唱が入る部分なんか、あまりに密やかなんで、もはや囁きというかため息に近いものだった。もう変幻自在である。

個別では、一番印象に残ったのは49番のソプラノ・アリアだろうか。今回のソリストはハンナ・モリソン(初登場?)で、なんとオメデタだったらしい。妊婦をこんなハードスケジュールに付き合わせちゃいかんなーng とはいえ、その声は全く傷一つない白い滑らかな陶器を思わせる美しさだった。
この曲の器楽編成が通奏低音なしでトラヴェルソとオーボエ二本のみ。これって、珍しいのではないか? 同時期の他の作曲家もこんな編成でアリアを書いているのだろうか。聞こえてくるイメージも極めて「変」である。
しかし、変ではあるがやはり美しい。そして歌も楽器も休止する瞬間の静寂が長く、耳にしみ入るようだった。その時、本当に会場は奇跡的にしわぶき一つなく、静かだったのだ。(後の方ではさすがに咳払いやチラシ落としがあったが)

それから65番のバス・アリアはこれまでもそうだったが、この時あらためて「いや~、名曲ですねえnote」(水野晴郎風)と感じた。サッパリとした解放感にあふれ、晴れ渡った青空を飛んでいくような曲だ。まさに最後のシメ近くにふさわしいアリアである。
さらにP・コーイの歌はスルメの如く噛みしめると何度でもおいしい汁がしみ出してくるような、ベテランならではのしみじみとした味があった。
今までコーイ氏、何度も聞いてきたはずなのに……と思ったが、よくよく思い返してみると、彼はBCJの受難曲にはあまり出演してなかったようだ。だから余計に新鮮に感じたのかも知れない。

他には35番のアリアでテノール櫻田亮&チェロ武澤秀平コンビ、それと8番でソプラノアリアを歌った松井亜希が感動を伝えてくれた。

テュルク氏はエヴァンゲリストのパートだけでなく18・19番のあたりのレチでも表現が非常に激しく、それにつられて?かどうかは不明だが鈴木雅明の指揮まで激しかった。
だが一転して、ペテロの否認の場面は力なく弱々しい。先日の川崎ヨハネの同場面では地を這うようだったのが、ここではもはや倒れて身動きもできないようだ。それだけに続くクリント・ファン・デア・リンデのアルト・アリアが余計に盛り上がるのであった。

そして長い受難曲のラストのコラールを彼が座ったまま一緒に歌うのを見て、こちらも涙目になってしまったsweat02
ありがとう、テュルク氏、ありがとう(ToT)/~~~
カーテンコールに登場した彼は、動作や佇まいが心なしか老けたように見えた。でも、きっとこちらの気のせいだろう。

この感慨はBCJとの長年の共演の日々を思ってである。数々のカンタータでの歌声も忘れ難い。
終了後ネットに「世界最高のエヴァンゲリストが引退」とか「彼のいないBCJは今後受難曲をどうするのだろう」などという感想を見かけたが、世にゴマンとテノール歌手はいるし、優れたエヴァンゲリスト役も大勢いるだろう。それにBCJの受難曲では結構いろんな歌手がエヴァンゲリストを歌っている。彼が毎回やっていたわけではない。いささか大げさすぎである。

そんな中で唯一の汚点が、最後のフライング拍手である。マサアキ氏が腕を降ろしてないのに一人が即時にフライング、それにつられて十数人が拍手。しかし、その他の聴衆はじっとガマンの客であった。彼が腕を降ろしてからようやく万雷の拍手となった。

大体にしてですよ(-_-メ) フライング拍手するぐらいならスタンディング・オベーションせんかいpunch
いや、それどころか、指揮が終わってこちらを振り向いた途端にワッとステージ前に聴衆が押し寄せ、中には上に駆け上がってテュルク氏やマサアキ氏に抱きついた揚句、客席に向かってダイブするぐらいじゃないと引き合わん。
私もランたんハナたんheart01が再出演する時は、興奮してステージ際でハンカチを振り、そのまま失神して倒れたいと思います(^^)/

ともかく、BCJも一区切りということですかね。


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2014年5月 4日 (日)

「ホビット 竜に奪われた王国」(2D字幕版):「皮は固いが中身は汁気たっぷり」の看板に偽りあり

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監督:ピーター・ジャクソン
出演:マーティン・フリーマン
米国・ニュージーランド2013年

パート1の『ホビット 思いがけない冒険』を、こちらを見る前に見直そうと思っていたが、録画したままでその余裕もなし。復習なしでそのまま突入するしかなかったのであるよ。

一行がたどるのは大体原作通りの順路。ただし細部は変わっているし、アクション水増し度はかなりのもんだ。
人物の描き方もかなり変更あり。バルトの家族なんてのが登場する。人気テコ入れのためか、レゴラス復活(……と言っても、時代設定はこちらの方が前ですが(^^ゞ)。さらに加えて女っ気ナシを補うために女エルフ戦士も投入だっ。

彼女とレゴラスを絡ませるのかと思ったら、な、なんとドワーフのキーリと(!o!) 誰が想像しえたであろうかっ、バンimpact(机を叩く音) どおりでヤツはドワーフにしちゃあ二枚目だと思ったら、こういう展開かい!
この恋愛話がやたらと長い。しかもあんまり面白くない。エルフの牢で二人が会話してる場面なんか冗長で退屈で、ようやく間があってここで終わるのかと思ったら、また継続したんでずっこけそうになった。恋愛話見たいヤツは他の映画に行ってるよ(ーー゛)
もう少し編集で切ってくれれば、長尺も短くなると思うのだがね。

長いと言えば、レゴラスが暴れ……いや活躍するアクション・シーンも長い。樽とドワーフの上をピョンピョン跳ねる激流下りも長いが、さらにリキが入って長いのはオークの首領との一騎打ち場面。
醜悪なるオークが美しいレゴたんをああしたりこうしたり(>O<) キャ~~ッdangerやめてーng……でも、ちょっと萌えちゃうheart02
ハッ(我に返る)し、しまった(~o~;) 私としたことが、フ女子心を萌えたたせてしまうとは。おのれピージャクめ、許さぬぞannoy
とまあ、なんにしてもレゴラスはこの物語では殺戮マシーンの役割以上は与えられていないようだ。
かくなる上は、第三部ではエロさ爆発bomb半裸オーク女兵士軍団との死闘でも見せてくれい。あまりのいかがわしさに手で顔を覆って、指の隙間から覗き見するようなヤツを頼む。

しかし、問題は主人公たるビルボが未だに傍観者的立場であることだ。まったく主役としての存在感はなし。脇をウロチョロしてるだけみたい。エルロンドほどではないが影が薄いのである。
それに、トーリンはあんなにはなれ山に行くことへの固執ぶりが描かれてたのに、入口が見つからないと簡単にあきらめてしまうのはどういうこったい(?_?) ここら辺の脚本のいい加減さは何とかしてほしい。

一方で映像、衣装、美術については、どれをとっても素晴らしい。思わず見入ってしまう。視覚的にはトールキンの描いたファンタジーの世界が完璧に再現されている。
この圧倒的な映像の前には、もはや面白い面白くないなどということはどうでもいいのだ。ある種の伝統芸能みたいなもので、そんなことは超越しているのである。

というわけで、第三部も見に行くことだろう。面白くないだろうけど。
推測するに、女エルフとキーリの話が三分の一、五軍の戦いも三分の一。そしてそれ以外の全てが残り三分の一……って、全部入り切るんかいな(@_@;) その三分の一ではたしてビルボは主役らしくなるんだろうか?
あ、それからガンダルフはますます薄汚れて、灰色じゃなくて限りなく黒くなりそうでイヤンdash

なお、ピージャクの特出は冒頭の薄暗い路地でキュウリ(?)かじりながら横切る男だろう。「ロード・オブ・ザ・リング」の一作目(だよね)と同じはずである。

さて、以下は原作との絡みで書くので「原作厨ウザイ」と思う人は飛ばすがよろし。

原作を読んで一番気に入ったのはエルフの宴会場面である。ビルボとドワーフ一行が飢えと渇きに夜の森の中をフラフラしていると、エルフたちが宴会を開いているのが見える。たき火を燃やして色とりどりの灯輝き、うまそうな料理restaurantや酒wineで飲めやbottle歌えやnotesで楽しそう。思わず一行がヨロヨロと足を踏み入れるとあっという間に宴会は跡形もなく消え去るのであった。
この、闖入者に気付いたエルフたちの片づけの素早さ(の描写)に笑ってしまう。瞬間芸とはこのことである。これを三回繰り返すわけだが、ここを読んで以降、私の脳内ではすっかり「エルフ=宴会」という定式ができてしまったのだ。

従ってエルフの宴会が出て来ないこの映画には大いに不満である。DVDが出た際にはオマケ映像として、ぜひともCGや特撮の技を駆使してエルフの素晴らしい宴会を再現してもらいたいもんだ。


レゴラス対オーク:7点
ビルボ対ドラゴン:6点
タウリエル&キーリ:採点放棄

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2014年5月 3日 (土)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 5月版

またも気付いたら5月が始まっていた\(◎o◎)/! サービス残業のし過ぎでどうも脳ミソが朦朧としているようです(^^)
もうLFJ突入してますねon

*18日(日)藝大プロジェクト2014 シェイクスピア~人とその時代
今年の藝大プロジェクトが再び古楽ネタにshine
*23日(金)近江楽堂のチェンバロ(大塚直哉)
*28日(水)・29日(木)ラ・プティット・バンド
所沢などでも公演あり。こんなにやって大丈夫(?_?)

他にはこんなのも。
*9日(金)ペダル・チェンバロで聴くオルガン音楽(大塚直哉、菅哲也)
*11日(日)パリで奏でられた音楽(菊池香苗、外川陽子)
*15日(木)2本のリコーダー×音楽の会話(向江昭雅、水内謙一)
*16日(金)ルソン・ド・テネーブル全曲演奏会(宇田川貞夫ほか)
*17日(土)都電荒川線ライブ(ジョングルール・ボン・ミュジシャン)
昨年に続いてまたもgood 未体験の方はぜひオススメです。
*23日(金)ラ・フォンテヴェルデ
*28日(水)名器グライフによるバッハとヴァイスの音楽(佐藤豊彦)
ガ~ン(-_-メ)よりによってラ・プティット・バンドと重なっちゃったです。事前に知ってたら木曜日の方にしたのに。でも、LPBのチケット買ったの半年も前だからなあ。グライフの音、また聴きたいですう(/_;)
*30日(金)ヨハネッテ・ゾマー&コンチェルト・ケルン

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