「アナと雪の女王」(2D字幕版):箪笥の奥から雪山へ、そして
監督:クリス・バック、ジェニファー・リー
声の出演:クリステン・ベル
米国2013年
このアニメを見ようと思い立ったのは、最近ピクサーのアニメが今イチの出来になってきたのに対し、本家ディズニー作品の方が評価が高くなってきたからである。「今までのディズニー・アニメとは違う」とか。もっとも、私はこれまでほとんど本家作品をまともに見てないので、過去のものとは比べようがないのだが。
見たのは日本で公開されてすぐで(その感想を今頃書いているのもナンだが(^^ゞ)米国では『トイ・ストーリー3』を抜くヒットなどと伝わってきてた時期である。
それが日本でも大ヒットとなってしまった。スゴイね 銀座の山野楽器の前でビデオ流せば人だかりができるほどだ。
見ている間は楽しめた(^^♪ 真実の愛はどれだ?あれかっと思わせといて、外すところはワザあり一本。視覚的な見どころは透明な氷の描写だろうか。雪だるまキャラは楽しく好感が持て、お子様にも人気だろう。
評価としてはそれ以上でもそれ以下でもない。
姉のエルサは典型的賢くよい子良い娘で親の命じた通りにじっと自己を抑制して生きてきた。しかし、妹のアナがいきなり婚約したんで、ブチ切れて家出し、もはや規範など従わず大人しい娘から「大人の女」風に豹変する。ここで、豹変したんなら変装でもして町へ出て遊びまくればいいのに、雪山にこもってしまうのであった。
ネットの感想などを見ると、エルサとアナの姉妹愛が実は同性愛を表わしているのは自明のことなんだという。
となると、魔力はレズビアンであることの暗喩で、姉が妹の婚約にショックを受けたのは嫉妬であり、山に一人で行くのはクローゼットに隠れるということになるのだろうか。いや、「正体」はバレてしまっているのだから、世間の目を避けるということか。城の入り口を守るモンスターは「イドの怪物」だろう。
先日、書店でデカい看板が飾ってあるのを見かけたが、そこでは背中合わせに姉妹二人は腕をからめ合わせて立っている。確かに彼女たちの画像イメージからはエロチックなものがにじみ出しているようだった。兄と弟コンビだったら、こんな描き方はしないだろう。
そうすると、結末の意味がよく分からない。みんなありのままの自分を隠さず、仲良く暮らすということなのか。……まあ、それはそれで平和なエンディングではある。
「『アナと雪の女王』にかかったジェンダー観の砂糖衣」(《Ohnoblog 2》より)を読んで、このアニメを見てなんとなく釈然とないものを感じた理由が分かった。
「すんごい才能もってるのに、あなたこんなもんで満足できるの?」という疑問と、「どんな才能も世間に受け入れられねば宝の持ち腐れか‥‥」という納得が交錯した。
雪山の城に悪役が侵入してきた時、正直言って「こんなヤローは氷でぶっ刺してやれい」と思った。それなのにエルサは「キャッ」とか言ってやられっぱなしなんである。到底、納得できん。女らしいと言っちゃ女らしいんだけどさ。
それとも、私がアクション映画の見すぎなんだろうか。まあ、ぶっ刺して殺したらディズニー・アニメじゃないわな。でも、せめて氷漬けぐらいにはしてほしかったな(氷漬けでも死ぬけど\(◎o◎)/)。
というわけで、やっぱり私には本家作品は向いてないということを納得したのであった。
それから、どうも最近のミュージカルは私はダメだということも分かった。
たまに日本のアニメTVシリーズを見ると、オープニング曲がどれもよく出来ているのに感心する。前向きで明るくハイな曲調で感動的、歌詞も作品の内容に合わせていている。実にキャッチーでさすがプロの仕事だと思う……のだが、じゃあだからといって自分が聞いて感動しているかというと、そんなことはない。「感動的である」という認識をしているだけだ。
それと同様に「アナ雪」のどの曲も「感動的だな」とか「人物の心情をよく表わしている」とは感じても、「好きだ~家へ帰ったら何度でも聞こう」とはならないのだった。これは『レ・ミゼラブル』でも同様だったんで、どうも最近のミュージカルは自分に向いてないと思った次第である。
オマケ短編は「ミッキーのミニー救出大作戦」。これは視覚的にすごい(!o!) 3Dで見たらさぞ面白かっただろう。
大昔のモノクロ画面のミッキー登場。声はディズニーご本人の声を合成したとのこと。それが映画館のスクリーンを破って、一同が飛び出してくる。総天然色(&3D)とモノクロ界をクルクルと入れ替わる。まさにアニメーションの純粋な面白さだろう。
ただねえ……このネズミ小僧、私は子どもの頃、好きでなくてTVでもあまり見てなかったんだが、今でもやっぱり好きではないと再確認したのであった。
姉妹愛度:9点
女王度:5点
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