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2014年5月25日 (日)

藝大プロジェクト2014「シェイクスピア~人とその時代」第1回:柳の唄に涙

140525
シェイクスピアとエリザベス朝の時代
企画:東京藝術大学演奏藝術センター
会場: 〃 奏楽堂
2014年5月18日

藝大の各学部・学科が提携して行う藝大プロジェクト、毎年これまでは時代別にやってきたが、これからは「人」をテーマにするということである。
で、今年は生誕450年にあたるシェイクスピアが取り上げられたのであった。

前半は新訳を出している河合祥一郎のレクチャーと演奏、後半はコンサートと盛りだくさんである。

レクチャーはなんと1時間半もやった(!o!)
シェイクスピアの時代は庶民の娯楽は少なく、芝居は台本・演技・衣装とともに音楽があり人気があったのだという。また、韻とリズムあるセリフ自体が音楽的であった。
ということで、作中の台詞原文を朗読し、それと共に芝居の中に使われたり、あるいは言及されている歌もまた紹介した。
例えば『十二夜』の中にはロバート・ジョーンズの歌曲の替え歌が登場するが、元歌は出て来ないので、当時流行り歌として観客は知っていたのだろうとのことだ。

その度に古楽科を中心としたメンバーが登場しては実際に歌や演奏を披露。鍵盤大塚直哉、リュート佐藤亜紀子、歌手は野々下由香里、櫻田亮など。

歌唱はレクチャーの趣旨に沿ったもので、例えば『十二夜』で道化が歌う「俺が小さな餓鬼のころ」は、バスの小笠原美敬が愛嬌とお笑い要素たっぷりに歌ってみせた。

また、『オセロー』では妻のデズデモーナは幼いために真実や自分の思いをうまく伝えられない。そして、殺される直前に自らの死を予兆して歌うのが作者不詳の「柳の唄」で、これは失恋して死んでしまう娘の歌なのだという。
この解説の後に実際に野々下由香里が「柳の唄」を歌った。まさしくはかなげで弱々しくさえ思える純粋さと、濁りなど一切ない透徹した哀しみが広いホールを満たして、思わず涙目になるほどだった。
もう、あたし実際の『オセロー』の芝居でこんな歌聞かせられたら号泣しちゃうわよっ野々下さ~ん!--というぐらい(ToT)
『ハムレット』で狂乱のオフィーリアが歌うダウランドの「ウォルシンガム」も同様に泣けましたわ

第二部はシェイクスピア作品からは離れてエリザベス朝の音楽を演奏。
ダウランド、モーリー、ホルボーンなど。6人の声楽アンサンブルがあれば、山岡重治のリコーダーや佐藤亜紀子のリュートの独奏もあり。しかしダウランドのリュート曲って簡素なようで難しいんだなと、改めて感じましたです(^^ゞ

大塚直哉はヴァージナルでバードを。また、山岡氏が弟子と共に5人でリコーダー合奏で再登場し、職人技に拍手喝采を受けたりもした。

ただ、奏楽堂は収容人数1200人という立派過ぎる大ホール。音響がいいとはいえ、リュートやヴァージナルのソロにはあまりに広すぎであった。この規模の古楽だと、同じ上野ならやはり石橋メモリアルホールあたりが最適だろう。藝大じゃなくて他の学校のホールだけどな

とはいえ、正味2時間半の盛り沢山な内容でチケット代2000円、セット券ならなんと1500円というコストパフォーマンス良すぎの企画であった。さすが天下の藝大よとヨイショ\(^o^)/しておこう。


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