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2014年8月

2014年8月31日 (日)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 9月版

夏が過ぎればまたもドトーのコンサート・ラッシュであります(・・;)

*7日(日)フラヴィオ・フェリ・ベネデッティ&アンサンブル・イル・プロフォンド
「日本・スイス友好通商条約150周年記念」の一環として行われるもの。各地で公演あり。
*12日(金)コンチェルト・デッレ・ダーメ
日本古楽界最強(?)の女子トリオ。前回、二人になってしまったんで復活戦でありますな。
*27日(土)フランスバロックの黄金時代
*28日(日)チェロ音楽の元祖 イタリアン!(鈴木秀美&上尾直毅)

他にはこんなのも
*6日(土)飯田病院ロビーコンサート(品川聖)
*7日(日)バロックアンサンブル ザルツブルク・ミュンヘン
トラヴェルソ2本入った4人組とのこと。聞いてみたいが、はしごするのはキビシイなあ。
*12日(金)18世紀鍵盤楽器聴き比べレクチャーコンサート
       ご令嬢たちのハープのお稽古(西山まりえ)
       ヒリヤード・アンサンブル ←完売
*15日(月)ヴォーカル・アンサンブル アラミレ
*18日(木)17世紀イタリアのカッチョイイ音楽
*19日(金)18世紀イタリアのアモーレ 交歓する歌
*20日(土)リコーダー・カルテットの色彩
*26日(金)ラ・フォンテヴェルデ定期
       2人のフィリップ(ムジカ・レセルヴァータ)
*28日(日)イタリア・バロック~愛のアリアとデュエット

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2014年8月30日 (土)

「たよりない現実、この世界の在りか」:謎めいた客

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会場:資生堂ギャラリー
2014年7月18日~8月22日

こちらのブログの記事を見て、モーレツに行きたくなってしまった。で、行ってみたのである。これは「現代芸術活動チーム 目【め】」の個展だという。

資生堂パーラーの売場を横目に、通用口のような扉を開く。するとそこには工事現場の階段が下へと続くのであった。華やかなパーラーとの落差が大きい。合板で仮設された階段をギシギシ言わせながら下りていく。
途中にヘルメットやら資材置場みたいな小部屋があったりする。そこを通り抜けるとホテルのエレベーターホールが突然出現する。そのエレベーター自体は、ギャラリーのエレベーターでもある。

脇に置いてあるホテルのリーフレットには「館内案内図」と共に「ホテルTG」の支配人の挨拶も載っている。

続く薄暗い廊下の両脇には客室のドアがある。ドアを押しても開かない。しかし、廊下の先には……。

真っ暗い空間に巨大な何かがある。ぼんやりと暗い光を放っていて、どうもそれは土星のようだ。これは秘密の宿泊客なのだろうか。それとも、リーフレットに土星マークがあるのを見ると、もしかしてオーナーなのか。
なんだか、星が出歩いたりするたむらしげるの絵本を思い出した。

かと思えば、消火栓の向こうに屋根裏のような薄暗い小部屋が隠れている。粗末な寝床やトイレの便器もあるということは、もしかして格安部屋? それともホテルの怪人か何者かが潜んでいるのか。

そして最後の部屋にはさらに驚かされる。一見、完全に準備された客室のように見える。壁には一枚の大きな鏡がある。
ぼーっと見ているうちに頭が混乱 私と鏡の間に若い女の子が立っていたのだが、鏡に映っている女の子は全く別人ではないか~~っ(!o!)
なんと鏡と思っていた部分は素通しで、その向こうはまさしく鏡の中の正反対の部屋が再現されており、向こう側の鏡の中に入れるのだった。
入ると、全ての家具が全く同じまま配置が左右対称になっている。様々なボトルのラベルや机の上のティーバッグの包装も鏡文字。ベッドの上の担当者の挨拶状の文字も逆さだ。机の下に転がっているペットボトルや床を這うドライヤーのコード(?)も同様。
その徹底ぶりはただただ驚嘆である。

ギャラリーの元の姿を知っている人は、空間をここまで変容させたことに驚くらしい。私は残念ながら初めて行ったのでそういう点での意外性はなかったが、何やら怪しげで不思議に満ちた異空間の「ホテル」であったことは間違いない。

とても面白かったけど、こういう「体験型」はどうも見て回るのに必死になってしまい、「鑑賞」の方がお留守になってしまうのが難である。
それから階段のビューポイントは4つあると教えてもらったんだけど、よく分かりませんでした(> <)


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2014年8月27日 (水)

「イーダ」:堕ちて還りし物語

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監督:パヴェウ・パヴリコフスキ
出演:アガタ・クレシャ、アガタ・チュシェブホフスカ
ポーランド2013年

1960年代初頭のポーランドを舞台に、一人の少女の魂の彷徨を描く--と簡潔にまとめようと思えばまとめられるのだが、その背後にヨーロッパ近現代史の重みがズッシリと覆いかぶさっており、果たしてよそ者に理解できるのかどうか不安になるような作品である。

辺鄙な修道院の尼僧見習いの少女が、正式に修道女になる前に叔母に会いに行くように言われる。叔母は検事という要職についていながら極めて退廃的な生活を送っている。
彼女は少女が自分と同様、実はユダヤ人であることを告げるのだった。タイトルの「イーダ」とは少女のユダヤ人としての名である。
叔母は戦争時にはレジスタンスで活躍したらしいのだが、今では何か鬱屈したものにとらわれているようだ。その理由は最初は分からない。
この対照的な二人が、少女の両親が亡くなった地へと向かうのだ。

見終わって思い浮かべたのは、アーミッシュの儀式である。うろ覚えだが、なんでも若者は十代のうちに一度、都会へ出て好きなことをしまくって暮らし、その後にまた信仰に戻るかどうか決めるとのことだ。確かTVドラマシリーズの「コールドケース」でも題材にされていた。

閉ざされた、しかし静かで純粋無垢な修道院を出て、自分の出自から始まる悲惨で恐ろしい事実を知る。そして、良いことや悪いことや楽しいことや苦しいことや全てを味わった少女は、最後にまた自らの進む道を決断するのだ。

旅の途中で出会ったジャズ・ミュージシャンが演奏するコルトレーンの曲が、美しく甘~い 教会の中では絶対に耳にできないような俗世の甘い響きである。
また、ラストの歩く少女の背後にバッハのコラール前奏曲は、ピアノ演奏で一種の軽やかささえもって流れる。
そういう音楽の使い方がとてもうまい。

監督はポーランド出身の若手で、初めて故国に戻って作った作品とのこと。過去のポーランド映画を想起させる場面が多いらしいが、私はほとんど知らないのでそこら辺は詳しくは分からなかった。

モノクロ、スタンタード・サイズで、構図的にも極めて印象的な画面作りがなされている。しかし、上映館のイメージ・フォーラムではスタンダードのほぼ正方形に近い画面の上の辺が、ほとんど天井近くまで届くように引き延ばされて上映された(ように見えた)。
ところが、やや前よりの列に座ってしまった私には、画面全体(特に上方)が視界に入り切らず、折角の構図も台無しであった。ムムム(ーー;)

ヒロインの少女は役者としては素人で、ウェイトレスをやってる所をスカウトされたとか。その素朴な面が役柄とマッチしているようである。

80分と、昨今の映画にしては短めだが、十分に見ごたえあった。ただ冒頭に書いたように、ポーランドの歴史を理解していないと大切な部分を見逃しているような気分になったのは事実である。


堕落度:8点
信仰度:9点

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2014年8月24日 (日)

「ブルージャスミン」:色女、金と男運は無かりけり

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監督:ウディ・アレン
出演:ケイト・ブランシェット
米国2013年

およそ××年前を最後にウディ・アレン監督作品は見ていない。何を見たか忘れたがどうも好きになれなかったのだ。

この『ブルージャスミン』も見てなかった。しかしオスカー獲得したケイト・ブランシェットの演技があまりに評判が高かったので、ロードショー落ち(?)になってご近所の映画館でやってたのを、職場の同僚を誘って見に行った。

まあ、なんというか、ケイト・ブランシェットの一人芸を味わう映画だった。達者な豪華助演陣は彼女の芸を支え、奉仕しているかのようである。

出自を隠しながらセレブを演じるヒロインは細い綱の上で綱渡りをしているよう。そんな神経質な苦しさがシニカルな視点を通して伝わってくる。

不思議なことに、周囲の女たちはなぜか彼女に優しい。義妹なんかひどい目にあわされたのに同居させてやるし、パソコン教室で知り合った女はパーティを紹介してくれるし、ニューヨーク時代の友人は「黙ってたんだけどね」と言いつつも旦那の浮気をご注進してくれた。(もっとも、浮気相手は別だ)

一方、害をなすのは男ばかりである。亭主はもちろんだが、しつこく言い寄る歯医者、口の悪い義妹の恋人、肝心なところでチクった義妹の元亭主、そして外交官……。
彼らがいなかったら、ヒロインは心静かに暮らせたのではないかな。まあ何も起こらない人生かも知れないが。なぜ、男たちはみんな彼女を邪魔するのだろう。困ったもんである。
これが男運が悪いということなのか。監督はそこまでは教えてくれないようだ。

100分程度の上映時間なのにやたらと長く感じた。一緒に見た同僚は「詰まらないから長く感じたのよ<(`^´)>」と断言した。
やはり、再びアレン作品を見ることはないようだ。

ところで、P・サースガード扮する外交官は何故再婚を焦っていたのだろうか。恐らくは政治家に転身する予定なので、体裁として「妻」は必要だから--と推測はできる。
でも、それだったらあんな出会いパーティで探すかなあという疑問は残る。それに、婚約前に当然相手の身上調査ぐらいするはずだ。
まあ、そういうことをあまり突っ込むべきではない映画ってことか。


男運:0点
金運:1点

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2014年8月23日 (土)

「グランド・ブダペスト・ホテル」:ホテルが我が故郷

140823
監督:ウェス・アンダーソン
出演:レイフ・ファインズ
イギリス・ドイツ2013年

監督のウェス・アンダーソンは私の守備範囲からは思いっきり外れていて、今まで作品を見たことはない。しかし、予告が面白かったのと豪華出演陣に惹かれて見に行った。

冒頭はこの話が入れ子状態になっていることを示す。若い娘が読んでいる本→その中で年老いた作家が語る→作家が若い頃に出会ったホテルのオーナーから昔話を聞く……で、ようやくオーナーが若い頃にホテルのベルボーイとして働いていた頃の本筋に入る。

舞台はオーストリアあたり?で時代は第一次大戦前か?
最盛期のピンク色のホテルの建物は可愛らしい(モデルの建築物があるとか)。で、伊達男のコンシェルジュと主人公の少年が、遺産相続トラブルに巻き込まれてあっちへウロウロこっちへ爆走という、古風な冒険もの状態となる。

登場するもの全て粋で可愛らしいし、ストーリーはハチャメチャで皮肉、大いに笑える。とはいえ、笑いにまぶしてはいるが結構描いてることはシビアであったりする。
豪華出演陣の演技は楽しい。特にティルダ・スウィントンとウィレム・デフォーは怪演だ。レア・セドゥなんか「えっ(*o*;あれしか出て来ないの」状態である。
エンドクレジットの音楽も最後の方まで聞いていると大爆笑だ。

終わりの字幕に出てくるが、この映画はそもそも作家ツヴァイクに関わりあるらしい。ツヴァイクというと、マリー・アントワネットの伝記書いた人ということぐらいしか知らなかったが、ユダヤ人で色々と困難に満ちた人生を送ったらしい。ツヴァイクに当たる登場人物は誰なのか? それともそんな単純な話ではないのか。
また、過去の名作映画の引用も多いとか。
ただ、それらを理解するには私の素養も修行も足りないのであった。

見ている間は楽しめたが、やはり我が守備範囲からかけ離れているので、この監督の次作を見る可能性は低いだろう。


ところで、前の座席に背が高くてしかも髪の毛が立っている(-_-;)ヤツが座っていてマイッタ。こちらはチビだから字幕が見えないんだよ。しかもずっと同じ姿勢でいるならまだしも5秒おきぐらいに左右に身体を激しく傾ける。おかげでこちらもその度に字幕が見えるように身体をずらさなければならない。
今度から子供用の座席底上げ板(←名称不明)を借りようかしらん(^◇^)ワハハ


可愛らしさ:8点
皮肉さ:8点


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2014年8月21日 (木)

「パークランド ケネディ暗殺、真実の4日間」:分岐点の人々

監督:ピーター・ランデズマン
出演:ジェームズ・バッジ・デール
米国2013年

ケネディ暗殺ネタの映画となると、陰謀論とか真犯人は他にいるなどとその真相を探るというような内容を思い浮かべるが、これは完全に別の視点から捉えたものだ。
暗殺後の4日間、その死の影響を期せずしてこうむった平凡な人々を群像劇として描いている。

大統領の姿を8ミリで撮っておこう(^・^)ワクワクのはずが一転「決定的瞬間」を撮影してしまった服飾業者、ケネディが運び込まれた病院のスタッフ、犯人のオズワルドに接触していながら看過してしまったFBI支局員、さらにオズワルドの家族……。

これらがドキュメンタリー・タッチで淡々と続く。
知らなかったエピソードも多数。ジャクリーン夫人は吹き飛んだ夫の「頭蓋骨」(とセリフにあるが、実際は脳ミソの一部であろう)を大切に手に持って、病院の手術室まで運んできたとか。大統領専用機が狭くて中に棺を入れられず、仕切りの壁をブチ壊したとか。地元のダラス警察とシークレット・サービスの縄張り争い勃発。もはや大統領夫人でないジャッキーをSSが警護するべきかどうか当惑。お宝8ミリ映像を求めてメディアが撮影者に殺到……。

しかし、最も重心を置いて描かれているのは、オズワルドの兄である。平凡な勤め人だったのが事件後は状況一変、警官からは名前を変えて他所の土地へ移るように勧められる。それからまた、母親がキョーレツな猛母というか毒母なのだ。思わず逃げ出したくなるくらい。

オズワルドが移送時に撃たれて担ぎ込まれたのは大統領と同じ病院(「パークランド」とは病院の名前)だった!というのが驚き、というか皮肉というか。彼は同じ手術室に運び込まれ、手当てを受け、そして死ぬ--。
その後、大統領と犯人の葬儀が同じ日に行われるのを、交互に描いていく。これまた偶然に、オズワルドにも幼い二人の娘がいるのだった。
荘厳で全国が見守る大統領の葬儀に対し、オズワルドの方は聖職者も来ず、粗末な棺を運ぶ者さえもいない。兄が、取材に墓地まで来ている記者たちに頼み込む始末である。荒涼とした墓地で、スコップで土をかける彼の孤独な姿は印象的である。

この究極の対比に、見る者は何かを感じずにはいられないだろう。同じ歴史の分岐点に立ちながら、その流れは名もなき人々を飲み込んでいく。

正直、見るまではそれほど期待していなかった作品だが、正反対の方向に期待を裏切ってくれてヨカッタ

地味な作品の割には何人も名優が出演しているのも特徴だ。
ジャッキーから脳ミソを渡されても動じずに対処したベテラン看護婦長役のマーシャ・ゲイ・ハーデン、8ミリのせいで渦中の人になってしまい動転する服飾業者はポール・ジアマッティ、いずれも実力を感じさせる演技である。
毒母のジャッキー・ウィーバーはキョーレツの一言だが、寡黙な兄役のジェームズ・バッジ・デールも好演だろう。
他にビリー・ボブ・ソーントン、ジャッキー・アール・ヘイリー、ザック・エフロンなど。


大統領度:5点
庶民度:9点

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2014年8月17日 (日)

シマン・ウィピエ第1回公演「フォルクレ」:尊大で悪魔のようなあいつ

140817
会場:近江楽堂
2014年8月9日

シスマン・ウィピエとはフランスで主に活動している曾田賢寿、郡司和也、野澤知子のチェンバリスト3人組のグループである。名前の意味は6つの手と8つの足(フィート)とのこと。

あの近江楽堂に3台もチェンバロ入れて弾くのかしらん? そしたらかなりうるさく響きすぎなんじゃないか(^^?)なんて思いつつ行ってみたのであった。
そうしたら、一台はとても小さい「オクタヴィーノ」というやつで、1オクターヴ高い音が出るそうな。
しかも、そのチッコイのを使用したのは最後の曲とアンコールだけで、他は2台をとっかえひっかえ交代で弾いてたのだった。

その2台の片方は1733年のモデルに基づくとのことで、素晴らしい装飾の絵が描かれていて、見るだけでも素晴らしいものだった。(もう一台は会場備え付けのヤツ?)

冒頭はライバルであったマレのオペラの序曲などをチェンバロ用に編曲したもの。その後はフォルクレのヴィオール曲のやはり編曲版で、それにさらにヴィオール版の通奏低音パートを付けて二人で演奏したりした。こちらは低めの教会の鐘のようなかなり重々しい音になった。

他にはクープラン、デュフリ、ラモーなどの曲で、フォルクレがタイトルになっている曲を弾いた。特にクープランの曲のタイトルは「尊大、またはフォルクレ」--って、これは喧嘩売ってるんだろうか まあ、なんか近寄りがたい人物だったんでしょうな。
他にはバリエールという初めて聞く作曲家の作品もあった。

ラストはこの日が世界初演の、三人のための書下ろしの曲を演奏。ユーモラスな曲調の作品だった。フランス人の作者も会場に来ていた。

三人の衣装は並ぶとトリコロール・カラーになるように配色。とことんフランスにこだわったコンサートで、聴く方も耳の奥までフランス趣味で染まったのでありましたよ。
来年の第2回はバッハとのこと。これまた楽しみですう(^^)/


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2014年8月16日 (土)

「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」:歌・猫・女・歌・猫……

140815
監督:ジョエル&イーサン・コーエン
出演:オスカー・アイザック
米国2013年

1961年ニューヨーク、売れないミュージシャンのとある一週間を描く。彼はクラブで歌い、友人の女に手を出し、宿無しでウロウロし、他のミュージシャンにイチャモンをつけ、オーディションを受けるが、結局最初から最後まで一文無しのフォーク・シンガーのままで終始する。
何一つ変わることはない。それは物語の円環構造で端的に示されるのだった。

で、この主人公があまり好感の持てる人物じゃないのだ。他人の音楽を片端からケチをつけるのは強烈な自負心からだろうけど、傍から見れば負け犬の遠吠えだ。
彼のモデルとなっているのはデイヴ・ヴァン・ロンクだそうだが、事実とははかなり異なっているらしい。(下記の関連リンクを参照のこと)
主人公の歌はトラディショナルっぽいフォークだが、エンド・クレジットでかかるヴァン・ロンクご本人の歌声は黒人系というかソウルっぽいというかかなり印象が違う。
また当時の音楽に詳しい人なら登場するミュージシャンやプロデューサーのモデルが誰か分かるらしい。私は完全に知らない時代なので不明であった(PPMぐらいならさすがに知ってるが)。

ほとんどストーリーらしいストーリーもなく、ダメダメな主人公の周囲に変わった人物が出没しては消える--というだけなら、100分強の上映時間持たないだろう。しかし、それを埋めるのは音楽とネコである。この二つの力によって見せているといっても過言ではない。
特にネコはアカデミー動物演技賞確実というほどだ。カンヌには犬に与える演技賞はあるそうだけど、どうして猫にはないのさっ。不公平である
車の中で主人公とネコが同じ方向を見ているのはどうやったの? 魚でも吊るしてあったのか(でも、それだったら見てないで飛びついちゃうわな)

それと、当時のニューヨークの、フォークだけでなく様々な音楽シーンが魅力的に描かれているのもよかった。驚いたのはやっかいになっている大学教授の家で、古楽バンドをやっているという男が登場すること。「ムジカ・アンティカ」というグループ名でチェンバロと「チェレスタ」(?字幕を必死で見たが、そう書いてあったと思う)担当しているというのだ。これには驚いた 1961年にもう、そんな活動があったのか。

音楽、またはネコが好きな人と、それから友人の恋人役キャリー・マリガンのファンには大いにオススメしたい。ただ、それ以外の部分は……どうかね(ーー;)

あと気になったのは、主人公がネコを置いてきぼりにした場面。都会だったらいくらでもエサがあっただろうに、あんな所じゃなんにもないじゃないの。許せんなー。
断固抗議したい(*`ε´*)ノ☆


音楽度:9点
ネコ度:9点


【関連リンク】
《荒野に向かって、吼えない…》
デイヴ・ヴァン・ロンクの回想録との比較が紹介されている。
サイモン&ガーファンクルのエピソードには笑ってしまった。彼らも苦労したんですな。

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2014年8月14日 (木)

「建物と日本人 移ろいゆく物語」

140814
著者:共同通信社取材班
東京書籍2012年

2010年末から1年かけて、共同通信から配信された連続シリーズの記事を一冊の本にまとめたものである。50か所の「建物」とそこに関わる人物を紹介する。
建物といっても、厳密な意味の建築ではなく「場」と言った方がいいかも知れない。さらには日本国内だけでなく海外も登場する。

例えば、ニューヨークの911事件の跡地「グラウンド・ゼロ」とそこでガイドをする日本人遺族。ブラジルにある神社(なんとなく教会っぽい)と鳥居。
札幌のオートバイサーカス小屋なんてのもある。大間原発予定地の喉に突き刺さる小骨のような「あさこはうす」、80年も前に建てられたエコ住宅の「聴竹居」--。
かと思えば、東京スカイツリーや札幌の時計台なんて有名どころもあり。後者は戦前放置されていた時期があり、近所の時計店主がボランティアで修理・維持したという。(今も人力で管理)

それぞれ写真が掲載されているが、鳥取の三仏寺投入堂はすごい(~o~;) 絶壁にお堂が立っている。どうやって建てたのか 10~11世紀ごろ建立で残っているというのはオドロキだが、そのいわれは全く不明とのこと。

他に、面白かったのはタンザニアの島ザンジバルにかつてあったという「ジャパニーズ・バー」。日本から見れば地の果てだが、1921年には当地に12人の日本人が住んでいたという。そこに出入りしていた一人の女性は日本から東南アジアへ出て、さらに流れて来たらしい。バーの建物はまだ残り、近所の住人は彼女を記憶している。スワヒリ語を上手に話したが、ネコに話しかける時は日本語だったという。
まさに土地は人の記憶の堆積であると感じる。

また、89歳で作家としてデビューしたと話題になった久木綾子という作家は、山口の五重塔に魅せられて東京から通い、パソコンを習い80歳代半ばでそれを題材に小説を書き始めた。この話には別の意味で感慨を抱いた。
彼女は若い頃から小説を書きたかったが夫が嫌がったのであきらめたというのである。
それを読んで、作家同士で結婚するのに断筆するのを条件にされた某女性作家や、有名作家だった夫が亡くなってから、小説を発表して名をあげた某々女性作家、さらに独自の作風で評判だった幻想SF作家はやはり夫に反対されて筆を一時期断っていた……なんて話を次々と思い出した。
ちなみに、彼女がその五重塔に行ったのは夫が亡くなってからだそうな。

いずれにしろ、この本がしみじみとした味わいの好著であるのは間違いない。

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2014年8月13日 (水)

「モンテヴェルディ―愛の二態」:再現リポート・老作曲家の心境にいかなる変化が起こったのか?!

140812
『ウリッセの帰還』『ポッペアの戴冠』より
企画・構成:磯山雅
会場:サントリーホール・ブルーローズ
2014年8月1日

I教授企画のモンテヴェルディのコンサート、ちょうど一年前に続き、今回はオペラ篇である。「ウリッセ」と「ポッペア」を一度に両方やってしまうというお得企画である。
チラシなどには「演奏会形式」となっていたが、当日のI教授の話によると練習しているうちに物足りなくなってきて、演技や動作をつけてやろうということになったらしい。ただ、楽器の奏者は舞台に乗ったままなので、セミステージ方式ってやつになるのだろうか。

その奏者は計5人、チラシに載ってなかった西山まりえがハープとオルガンで参加、大活躍していた。4人はステージの奥に横に並んで座っていたが、指揮する渡邊順生だけステージ中央の前面に直接チェンバロ本体を置いて、ご本人は客席と同じフロアに椅子を置いて弾いていた。さすがに、こんなのを見たのは初めてだ~\(◎o◎)/!
前回見えにくかった字幕は改善されて、見やすくなっていた。

二作は愛の描き方については対照的。「ウリッセ」は長い歳月にも耐えた夫婦愛を謳ったのに対し、長命だった作者最晩年に作られた「ポッペア」は正反対である。教授が語るには、この作品がなかったらモンテヴェルディの評価はかなり異なったものになるだろうとのことだ。

両方で堂々たる主役を張るのは櫻田亮である。日本だとどうしても宗教曲を歌ってる姿を見る機会が多いが、思わず「いよっ!色男」と声をかけたくなるような立役ぶりであったよ。
なお、出番は少ないけど小笠原美敬のセネカや時の神様も聞きごたえありだった。

相手役は加納悦子というベテランのメゾソプラノだった。「ポッペア」では皇后のオッターヴィアを担当。ポッペアの方は昨年も出演していた阿部雅子が歌った。
加納女史はバロックというより普通のオペラ系の唱法で(トーシロが聞いた印象なので確かではない)、そこがいささか不満だった。すっかり忘れてたが、検索してみると過去にBCJがメンデルスゾーン版「マタイ」をやった時に歌っていた。阿部女史は若くてピチピチしてていかにもポッペアであった。

他には幸運の神、小姓役の川辺茜というソプラノがすらりとした長身で手足も長く、チビのオバサンから見るとうらやましい(*^_^*)限り。声量も十分にあり、これからもバロック・オペラの男役で是非とも活躍していただきたいもんである

かように、抜粋版とはいえ一度で二作分たっぷり楽しめて充実していた。また来年もよろしくお願いします(^人^)

サントリーホールは1年ぶりだったんで乗換を忘れてしまい、地下鉄でウロウロしてしまった。ラッシュ時なのにさ
後でよくよく考えたら、南北線を使うんだったら溜池山王ではなくて、六本木一丁目で降りた方が近かったのである。次は忘れないようにしなくては。

ところで、コミックスが出たばかりのヤマザキマリ&とり・みきの合作マンガ『プリニウス』にも、ちょうどネロとポッペアが登場する。こちらのポッペアは、見てると「すべた」(←死語である)という印象なのであった。……というか二人はバカップルかっ


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2014年8月10日 (日)

「X-MEN:フューチャー&パスト」:過去も未来も踏み越えて

140810
監督:ブライアン・シンガー
出演:ヒュー・ジャックマン
米国2014年

世代交代したX-メン、前作はいま一つだったが、まあ惰性というか、見始めちゃったからには見るしかないよな(^・^)ってな感じで見た。

ロボットが暴れていてミュータントどころか一般人まで滅ぼしかねない2023年の未来から、危機を目前に過去に向けてウルヴァリンがタイムトリップする。
その方法が過去の自分の意識を未来の自分が乗っ取って行動するっていうのだ。ということは、どうもその時代にいた人間じゃないと遡れないのだな。
しかも、エレン・ペイジ扮するミュータント(名前は忘れた)がその間ずーっと両手で彼の頭を押さえていて、これではトイレも行けないではないか大変だーっ。

もっとも、そもそもタイムトラベル物というのは矛盾といい加減さの固まりのようなもんだから、あまり隅をつついても仕方ない。
ウルヴァリンの役目は、まず1973年時にグズクズとひきもって堕落した生活を送っているプロフェッサー(まだ髪はある)に活を入れ、やる気を起こさせることであった。

結局、これまでのシリーズで起こったあれやこれやはなかった事になって、リセットされて「振り出しに戻る」で終了。これからはジェームズ・マカヴォイとマイケル・ファスベンダーの若手二人コンビでやっていくという宣言ということになるらしい。
あくまでも美老人コンビの方をひいきしたい私にとっては残念であ~る<(`^´)>

原作を知らない人間には、新しい超能力が色々出て来て面白かった。
スタジアムの移動には驚いた(!o!)
スチュワーデスがミスティークに話しかける場面はチョコっと感動した。
1973年なんで、懐かしやロバータ・フラックの「愛は面影の中に」とジム・クローチの「タイム・イン・ア・ボトル」が流れるが、後者の場面はいささかやり過ぎの感がある。

確かに若いモン二人のファンは見て嬉しい作りになっている。特にM・ファスベンダーがヘルメットを取り返しに現われる場面なんぞは、私はファンではないにもかかわらず「カコエエヽ(^o^)丿」と思ってしまったほどだ。

もっとも、P・スチュワートがTVのインタビューで語っていたことによると、この二人とジェニファー・ローレンスが撮影現場でガラス玉をいつも撃ち合っていて(途中で出てきたプラスチック製の透明な銃のことか?)、スタジオの床がガラス玉だらけになってしまい、遂には禁止令が出されてしまったとのこと。
ち、中坊か……(~_~;)


旧プロフェッサー&マグニートー:3点
新プロフェッサー&マグニートー:7点


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2014年8月 4日 (月)

レクチャーコンサート「楽器と巡る音楽の旅」:ドロナワの2日間

140804p
◆チェロ編
演奏:鈴木秀美、上尾直毅、平井千絵
◆ヴァイオリン編
演奏:寺神戸亮、上尾直毅、平井千絵
◆フルート編
演奏:有田正広、仲道郁代

案内役:朝岡聡
会場:東京オペラシティ リサイタルホール
2014年7月19・20日

二日連続計4回、楽器別に行われたレクチャーコンサートである。最初は土曜昼のチェロ編だけ聞くつもりで、チケットもそれしか買ってなかったのだが……。
というのも、ヴァイオリン編やフルート編については過去に、同じ寺神戸亮や有田正広による楽器の歴史をたどるような内容のコンサートを聞いたことがあったからだ。

チェロ編はD・ガブリエリに始まり、バッハ無伴奏チェロ→ヴィヴァルディのチェロ・ソナタ→ボッケリーニのソナタと続いた。そして朝岡氏が曲の合間に鈴木秀美に話を聞くという形である。
この前半だけでもヒデミ氏は「敵を増やすかもしれませんが」と言いつつ、敵を増やしそうな発言を何回かした もちろん後半もその勢いは衰えずですよ(@∀@)アヒャ

ボッケリーニについては、それまでの作曲家と違って、チェロの音域を広げ限界をひろげたとのこと。そしてチェリストたる者、とりわけチェロを旋律楽器として扱う者ならボッケリーニをやらねばならないと力強く断言したのだった。
なるほど実際に聴いてみると、確かにその前にやったヴィヴァルディのソナタなんかノンビリしてたなあと感じてしまったのは事実である。

後半はベートーヴェン、メンデルスゾーン、ヴェルクマイスターだった。最後のヴェルクマイスターはなんと日本で教鞭を取りそのまま亡くなったそうだ。ここではエンドピンを取り付けができるチェロを使用していて、ヒデミ氏はおもむろに師から譲り受けたというピンを取り出して装着して演奏したのだった。
エンドピンを付けると床へ共鳴するような感じで、また音が違うとのこと。

ロマン派は音楽が言葉を失っていく時代であり、しかしメンデルスゾーンは作曲家としては古典派に属する--などなど興味深い話も聞けた。
鍵盤もチェンバロ、フォルテピアノ、ピアノ(エラール)と時代に合わせて三種を使用だった。

ところで隣席の男のスマホが、途中で鳴ったのには参った。トーク中だったからよかったものの演奏中だったらヒンシュクである。

終了した時点で次のヴァイオリン編の開始まで時間が45分ほどしかなかった。これなら、ほとんど待つこともないのでついでにヴァイオリン編も聞いてしまおう!(^^)!と思い立ち、会場で売っていた当日券を購入。当然、座席は後ろの方だったが仕方ない。ドロナワとはこの事だいっ


プログラムを眺めているとチェロ編では演奏曲数が7曲だったのに、ヴァイオリン編はなんと11曲……2時間半ぐらいかかっちゃうんじゃないの?と思った。
で、実際にそのぐらいの時間はかかったのであった(^_^;)

16世紀末のロニョーニから約3世紀後のフランクまで、ヴァイオリン本体は2台だったが弓の方は時代ごとにとっかえひっかえ。曲だけでなく楽器の説明もチェロ編よりも詳しくやったのでさらに時間が増えたのだった。

初期は楽器を腕の付け根に当てて弾き、また弓の持ち方によっても音が違う。弓の変化は30年ごとぐらいにあり。時代が後の弓はどの部分でも均等に滑らかに音が出るようになったが、その分繊細な演奏はできない。アゴ当てはシューベルト以降に使用、金属弦は20世紀になってから……などの話があった。

私が古楽ファンのせいもあるだろうが、コレッリ→ヴェラチーニ→ルクレール→バッハと続いた部分は流れに乗った迫力があり、聞きごたえを感じた。特にコレッリの「フォリア」は怒涛のような名人芸炸裂 もう、弓の端から端まで使いまくり、ヴァイオリンを弾き倒していた。私は過去に寺神戸氏の演奏を何回か聞いたことがあるのにもかかわらず、圧倒され口アングリ状態だった。すご過ぎである\(◎o◎)/! 会場からも嘆息ともつかぬ声が漏れた。

後半はモーツァルトから開始。曲数は4曲だったが、長目のものばかりだったのでやはり時間がかかった。

休憩時間中に4公演共通のプログラムを眺めていたら、翌日のフルート編では17本の楽器が登場、と書いてあるのを見て「なぬ17本も(!o!) どうしても見てみたい聞いてみたい」と思い、矢も楯もたまらずに、またもや受付で翌日のチケットを購入する羽目に……(+o+)トホホ
何やってんだかね 当然ながら座席はかなり後ろの方で、最初から買っておけば前の方を確保できたのに。反省であ~る。


翌日の夕方、またもややって来ましたオペラシティ。前日のヴァイオリン編では空席が結構あったのに、この日はほぼ満杯。どうも、昼のピアノ編の残留者が多かったようである。(ピアノ編の仲道郁代がそのまま鍵盤を担当)

昨日のヴァイオリン編ではオペラグラスを持ってきてた人がいたので、今日は真似して持参した。後ろの席なので、そうでもしないと折角のお宝フルートが見られないからだ。

まずはドビュッシーの「パンの笛、またはシランクス」で開始。その後はルネサンス期のファン・エイクから時代順で進行していった。日頃から笛話の好きな有田氏だから、さぞトークが爆発するのかと思いきや、爆発していたのは朝岡氏の解説の方だった。縦横違ってはいても、同じ笛の愛好者だからだろうか(@_@;) 昨日とノリが全然違う。

わりあい古楽系はアッサリと過ぎたが、合計13曲--にさらに加えて、ロマン派期はさわりだけ紹介という「デモンストレーション演奏」というのも5曲あったので、これ以上ないというぐらいの盛りだくさんだった。それも有田氏所蔵の笛をとっかえひっかえである。チェンバロやピアノも4種類が活躍。

古典派以降の歴史はあまり知らなかったのだが、フルートというのはチェロやヴァイオリンどころではない劇的な変化があったのだな。「ベーム・システム」導入期のゴタゴタは聞いてて興味深かった。確かにルネサンス期と現代のフルートは、外見を見てるだけだと同じ楽器とは到底思えません。
ここで敵を作りそうな問題発言が有田氏からあった。「ロマン派は19世紀後半、フルートがペラペラした音になってしまって。当時の世相を反映している」のだそうだ。

総象牙製の笛は以前、ソロコンサートで聞いたことがあったが、加えてこの日はクリスタル・ガラス製というのも登場した(もちろんオペラグラスでしっかと観察)。
という訳で、見てもよし聞いてもよしなフルート編だった。またそれを吹き分けた有田氏には思わず参りましたm(__)mと言いたくなった。


この企画はソニー・ミュージック・ファウンデーションという、普段は若い世代向けのコンサートをやっている団体が30周年記念で行なったものだそうな。
一公演3000円(4回セットだと一万円)というのは内容に比してあまりにお得値である。また、こういう企画をお願いしまーす(^^♪

ところで、一日目の19日は確か鈴木(兄)家でメデタイ結婚式があったはずなんだけど……。鈴木(弟)氏をはじめ、この日の出演者は出席する余裕はなかったのでは(?_?)
まあ、先にスケジュール組んじゃってたら仕方ないか。


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2014年8月 2日 (土)

「監視対象 警部補マルコム・フォックス」

140802
著者:イアン・ランキン
新潮文庫2014年

警部ジョン・リーバスのシリーズが終了したI・ランキン、新しいシリーズを書き始めたというのは聞いていたが、新潮文庫の新刊棚にあるのを見つけてビックリしてしまった。
早川書房は手を引いたのであろうか? ともあれ、海外ミステリ不振の今日この頃、どこの出版社だろうと出してくれればオンの字である。

こちらの主人公は同じスコットランド警察の中でも、リーバスとは違い内務監察(職業倫理班というらしい)に所属している。同じ警官の不正を暴く部署だ。
一人の刑事の調査を終了したところで、その同じ部署の同僚の刑事の案件が持ち込まれる。一方、主人公の身内に殺人事件が勃発。その担当捜査官がなんと新たに調査対象になった刑事なのであった。
……と、三つ巴状態のようになったところが序盤だ。

ただ、755ページという分厚いだけあって、なんだか物語の展開にしまりがなく、ダラダラと続くのが難だ。おまけに、カタカナの人名が次々と出没、さらに不況経済がらみなんで企業名もたくさん登場して、もう若くない人間にとって記憶力の限界をヒシと感じてしまう羽目になるのであった。

もう少し展開をメリハリつけてテンポを早くしてほしかった。別件だと思われてたこの事件、あの事件が根っこは同じだと判明していく筋立てはいいんだけど。
それと、主人公ともう一人の登場人物が親しくなるように仕組んだ--となってるが、双方とも知らなければいくら状況をお膳立てしても、二人の他人が仲良くなるかどうかは分からないんじゃないの。「顔が気に食わない」とか下らない理由でうまく行かないかもよ。

と色々ケチをつけましたが、このシリーズは第4作まで出ているとのことなので、ぜひ訳して下せえ。特に3・4作目はジョン・リーバスが復活共演らしいのでよろしくお願いしま~す(^人^)
あ、あと表紙のデザインはもう少し何とかしてほしい。

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2014年8月 1日 (金)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 8月版

8月はロックフェスが花盛りですが、古楽系はそもそも楽器が夏の暑さに向いていないという……(ーー;) 祭りもできませぬ。

1日(金)モンテヴェルディ愛の二態 オペラ篇
9日(土)フォルクレ(シスマン・ウィピエ)
29日(金)イタリア愛の物語2
31日(日)ラモー没後250年記念宗教作品全曲演奏会(フォンス・フローリス)


他にはこんなのも
17日(日)神戸愉樹美 国立音楽大学退任記念
19日(火)武久源造バッハシリーズ3
22(金)・23日(土)ハプスブルク帝国の夜明け(ソフィオ・アルモニコ)
23日(土)洋館で楽しむバロック音楽 時をかける音楽バッハ・ヘンデル・テレマン
24日(日)イタリアの風17 バロックの胎動
27日(水)夏の夜の夢(デュオマリス)

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