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2014年8月16日 (土)

「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」:歌・猫・女・歌・猫……

140815
監督:ジョエル&イーサン・コーエン
出演:オスカー・アイザック
米国2013年

1961年ニューヨーク、売れないミュージシャンのとある一週間を描く。彼はクラブで歌い、友人の女に手を出し、宿無しでウロウロし、他のミュージシャンにイチャモンをつけ、オーディションを受けるが、結局最初から最後まで一文無しのフォーク・シンガーのままで終始する。
何一つ変わることはない。それは物語の円環構造で端的に示されるのだった。

で、この主人公があまり好感の持てる人物じゃないのだ。他人の音楽を片端からケチをつけるのは強烈な自負心からだろうけど、傍から見れば負け犬の遠吠えだ。
彼のモデルとなっているのはデイヴ・ヴァン・ロンクだそうだが、事実とははかなり異なっているらしい。(下記の関連リンクを参照のこと)
主人公の歌はトラディショナルっぽいフォークだが、エンド・クレジットでかかるヴァン・ロンクご本人の歌声は黒人系というかソウルっぽいというかかなり印象が違う。
また当時の音楽に詳しい人なら登場するミュージシャンやプロデューサーのモデルが誰か分かるらしい。私は完全に知らない時代なので不明であった(PPMぐらいならさすがに知ってるが)。

ほとんどストーリーらしいストーリーもなく、ダメダメな主人公の周囲に変わった人物が出没しては消える--というだけなら、100分強の上映時間持たないだろう。しかし、それを埋めるのは音楽とネコである。この二つの力によって見せているといっても過言ではない。
特にネコはアカデミー動物演技賞確実というほどだ。カンヌには犬に与える演技賞はあるそうだけど、どうして猫にはないのさっ。不公平である
車の中で主人公とネコが同じ方向を見ているのはどうやったの? 魚でも吊るしてあったのか(でも、それだったら見てないで飛びついちゃうわな)

それと、当時のニューヨークの、フォークだけでなく様々な音楽シーンが魅力的に描かれているのもよかった。驚いたのはやっかいになっている大学教授の家で、古楽バンドをやっているという男が登場すること。「ムジカ・アンティカ」というグループ名でチェンバロと「チェレスタ」(?字幕を必死で見たが、そう書いてあったと思う)担当しているというのだ。これには驚いた 1961年にもう、そんな活動があったのか。

音楽、またはネコが好きな人と、それから友人の恋人役キャリー・マリガンのファンには大いにオススメしたい。ただ、それ以外の部分は……どうかね(ーー;)

あと気になったのは、主人公がネコを置いてきぼりにした場面。都会だったらいくらでもエサがあっただろうに、あんな所じゃなんにもないじゃないの。許せんなー。
断固抗議したい(*`ε´*)ノ☆


音楽度:9点
ネコ度:9点


【関連リンク】
《荒野に向かって、吼えない…》
デイヴ・ヴァン・ロンクの回想録との比較が紹介されている。
サイモン&ガーファンクルのエピソードには笑ってしまった。彼らも苦労したんですな。

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受信: 2014年11月12日 (水) 20時27分

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