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2014年9月

2014年9月28日 (日)

「マハーバーラタ ナラ王の冒険」:ドロナワ鑑賞とはこのことだいっ

140928
演出:宮城聡
会場:KAAT神奈川芸術劇場ホール
2014年9月12・13日

宮城聡が芸術監督をしているSPAC-静岡県舞台芸術センターの『マハーバーラタ』が、フランスはアヴィニョン演劇祭へ呼ばれた--というのはニュースが流れていたが、その凱旋公演を横浜でやるというのは全く知らなかった(ーー;)
知ったのはなんと5日前ぐらいである。

即座にネットでチケットが残っている日時を見てゲット(といっても、金曜の夜は行けないから13日の土曜日しかないが)したのであった。
なんたるドロナワ状態 古楽や映画の情報は毎週欠かさずチェックしているが、それ以外のジャンルとなると手が回らないので、こんなことになってしまう。

さて、この演目はク・ナウカ時代に見たはずなのだがほとんど覚えていない(*_*; 脳の老化かしらん。
今回は演劇祭の会場である石切り場と同じようなステージの設定となっている。
開演前に見回すと客席をぐるりと取り囲むような円形舞台が作られている。ただ、座席は傾斜があるので前の方は見上げるような形になるので大変だ。

音楽の奏者は前方のやや低まった壇上で観客に背を向けて演奏を始める。最初は電波音みたいなゆっくりとしたパーカッションで始まった音楽がやがて高まる。そしてステージにも照明が付いた時、あっと驚いた。私は初めてこのホールに来たので気付かなかったのだが、なんとステージ越しに本来の座席が見えるではないか。実はステージがある場所に客席が作られていて、石切り場の岩壁の代わりに無人の座席へ役者の影がワヤンのように投影されたのだった。

インド神話による物語は、神々に祝福されて美しい妻を得たナラ王が、妬んだ悪魔の呪いによって王国を失い、妻と離ればなれになり、長らく流浪してまた巡り合うというものである。
その間に神々やら僧侶やらヘビやら象やら虎やら様々なものが円形舞台の上を現われては消える。紙のような質感の衣装(本物の紙?)も面白い。

ラストは祝祭的で登場人物(人でないヤツも)が全て現われて踊り、紙吹雪が飛んで盛り上がり、観客も思わずウヒャー(@∀@)となった。
また、音楽がすごいパワーを持ち雄弁なのにも感心する。
奏者は10人ぐらいいるのだが途中で出たり入ったりしてて、楽器の交換でもしてるのかしらんと思ったら、なんと上の舞台に訳者として登場していたとのことだった。

クライマックスでの、妻役の美加理にも驚かされた。なにせ、嬉しさのあまり肉片咥えて脇の機材の上によじのぼり、さらに円型ステージを恐ろしい勢いで一周して走っちゃうのだ。さすがというか、すごいモン見せてもらいました(^人^)と拝みたくなったぐらい。
それと、ほとんど語りっぱなしの阿部一徳氏もご苦労さんである。

横浜まではるばる来た甲斐はあった。久々に満足であ~る

今ちょうど横浜トリエンナーレをやっているので、折角近くまで行くならついでに何か見ようかと思ったが、見るとなれば2時間は余計にかかるだろうから、くたびれて倒れたりするとマズイので自重。でも、アートだけを目的に横浜まで行くのもなかなか気力がわかないのであったよ。

【関連リンク】
フランス上演時『マハーバーラタ』の一部映像。音楽が脳にきますっ
http://t.co/PePXqlPqEa


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2014年9月23日 (火)

「状況証拠」上・下

140923
著者:スティーヴ・マルティニ
日経文芸文庫2014年

☆「重要証人」上・下
集英社文庫1994年

海外ミステリの出版が日本で盛んだった時期に、ジョン・グリシャムの法廷ものなどベストセラーになっていたが、全く読まなかった。映画の裁判ミステリは好きで結構見ていたのだけど。思い返すと多分、文章で読むと理屈っぽいという印象があったのだろう。

しかし、今は事情が違ってきた。米国の犯罪捜査&法廷ドラマ『ロー&オーダー』を毎週のように見ているからだ。検事と弁護士の弁論合戦やら、「えー、こんなのありか」みたいな法解釈とか色々あって面白い。

それで、先日再刊されたS・マルティニの法廷ものを読んでみた。作者は元弁護士、主人公は元検事の弁護士というシリーズである。
『状況証拠』はもともとは1994年に角川文庫から出た。それがなぜか日経文芸文庫という新しい文庫にそのまま入ったのである。

主人公が元所属していた弁護士事務所の上司が突然自殺する。しかしそれが他殺ではないかという疑いが生じ、妻が疑われる。主人公が弁護を引き受けるが、実は彼女と主人公は過去に……という展開だ。
陪審員選びから始まって事細かく裁判の様子が描かれるが退屈しない。さらに意外な展開が
という感じでミステリとしても謎が面白く上下巻あっという間に読んだ。『ロー&オーダー』本家の場面がモロに思い浮かぶような所もあり。

シリーズの続きを読みたい!(^^)!と思ったが、なんと2011年に扶桑社の文庫で出た(このシリーズも出版社を転々としてますな)8作目以外は全て品切れで入手不可なのであった。
だが、こういう時は図書館が頼み 地元の市立図書館を調べたらほとんど揃っていた。ヤッタネ(*^^)v

2作目の『重要証人』は、病気の友人の頼まれてなんと検事をやることに。で、陰惨な連続殺人犯の公判を担当することになるのだが……。
連続殺人の場合、全犯行をまとめて起訴するかどうかで、下手すると有罪が引っくり返ってしまうようなことがあるらしい。
ただ、こういうような展開は米国の裁判ならではだろう。日本ではこんな劇的なのはありえないと思われる。

また第3作も図書館で借りて読むことにしよう。


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2014年9月22日 (月)

「NO(ノー)」:投票は燃えているか

140922
監督:パブロ・ラライン
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル
チリ・米国2012年

先日スコットランド独立問題で国民投票が行われたが、こちらも実際に1988年にチリであった国民投票を背景にしている。
世に悪名高き独裁者ピノチェト政権下、あまりに悪名高いんで国外からの圧力をかわすため政権を支持するか否かの国民投票を行ったらしい。
かつて彼がクーデターを起こした時虐殺をやりまくった。その有名な一人は歌手のヴィクトル・ハラだろう。そのような過去の遺恨と現在の弾圧がドロドロとうずまいていたのであった。

G・G・ベルナル扮する若い広告マンが「支持しない」派のキャンペーンを依頼される。許可されている唯一のTV15分枠だ。
彼は民衆を引き付けるため、商品CMのようにポップで明るいものにしようとするが、野党の党首たちの中には受け入れがたいとする者もいる。とはいえ、投票自体は「出来レース」として人々の関心が高くないのも事実。

今の日本でも似たような問題は存在する。デモや抗議のやり方について「古くさいサヨクの手法は十年一日で、見放されている」「なーにがオシャレなデモだ。勝手にこいてろ」のような対立である。

17もある野党の意見をどうやってまとめたのかまでは描かれていない。(決裂したままか?妥協したのか?) とにかく新しいCMキャンペーンに突入である。

予告や宣伝ではあたかも、そのCMによって「NO」の側が勝利したかのようだったが、実際見てみるとそうだと断言されているわけでもない。「広告業界の人間も国を変えようと裏方として頑張ったよ」ぐらいか。
そもそも広告でそんなに簡単に人の意見が変わるようだったら危なくってしょうがない。もっとも今の日本は……どうかね(@_@;)

映像にがやたら荒いし、画面のサイズが小さい(エンドクレジットの時は横長だが)。これは雰囲気を出すために当時のTVカメラをそのまま使ったそうである。確かにカメラワークもTVドキュメンタリー風だ。
ただ、中心人物があまりにも二枚目然としたベルナル君なんで、ドキュメンタリーというよりは「再現映像」のように見えてしまった。


YES度:5点
NO度:7点


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2014年9月20日 (土)

「コンチェルト・デッレ・ダーメ」:女三人寄ったら

140920
3つの声が織りなすプリズム
演奏:鈴木美登里、野々下由香里、波多野睦美
会場:ハクジュホール
2014年9月12日

ルネサンス期のフェラーラの宮廷では3人の女性歌手たちが活躍していたという。そんなトリオの名にちなんでの演奏会。前回は昨年11月にやったのだが、なんと波多野睦美が急病で欠場 今回はその雪辱戦となった。
共演はやはり前回と同じく鈴木秀美&上尾直毅である。

ソロ、二重唱、トリオ--と色々な組み合わせでモンテヴェルディ、ロッシ、ルッツァスキなどを演奏。
タイトル通り3人で歌うロッシ「私たち純情可憐な三人娘」は、たわいない娘たちのお喋り風の内容からなぜか終盤はシリアスな愛の話へ。かと思えば、同じく「わが思いは戦を仕掛け」は軽妙に、ルッツァスキの「ああ、こよなくにがい愛の喜びよ」はしっとりと、様々な表情を聞かせてくれたのだった。

独唱では波多野睦美のモンテヴェルディ「アリアンナの嘆き」が圧巻。自分を捨てた男への恨みつらみ、未練、憎悪、嘆願などなどクルクルと変化する女心を見事に表現した。やはり彼女はこういう曲は強い(!o!) 元のオペラは散逸してしまったそうで、残念であるよ。

鈴木美登里のソロではロッシ「嫉妬」を怒涛のように歌うのを、鈴木秀美のチェロがさらに表現力豊かに押し上げる。こういうのを「婦唱夫弾」というんですかね。
残る野々下由香里はカリッシミの「いや、だめだ、わが心よ」を。押しと引きが交錯する曲だった。

やはり日本古楽界のベテラン女性歌手として最強レベルが揃っているのを、ヒシと見せつけ(聞かせつけ)たコンサートであった。

器楽曲タイムでヒデミ氏が弾いたのはヤッキーニという作曲家のソナタ。全く知らない人だった。ナオキ氏独奏のフレスコバルディは、歌曲が感情表現豊かなものばかりだったのとは対照的に、端正なきらめきが感じられてなんだかホッとする一曲だった。

これからもまた引き続き三人での公演を続けて欲しいと思いまーす(^^)/ で、「古楽界のかしまし娘」と呼んでエエですか


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2014年9月15日 (月)

「フラヴィオ・フェリ・ベネデッティとアンサンブル・イル・プロフォンド」:スイス記念にイタバロとはこれいかに

140915
日本・スイス国交樹立150周年記念コンサート
会場:浜離宮朝日ホール
2014年9月7日

国交樹立記念関連の催しとして、スイスのバーゼル・スコラ・カントルム出身者によるバロックのグループがコンサート・ツァーを行なった。それも6か所だ。この日の東京公演が最終日だった。

私はなぜか会場を別の場所と勘違いしてて、電車に乗ってる途中で気付いた。乗り換える前だからよかったけど、浜離宮ホールって行くのに時間がかかるのだ。どうやっても間に合わないのよ~(>O<)

しかし、神は私を見捨てなかった 演奏が始まる前に元・スイス大使など三人ほどの挨拶をやってたのだ。充分間に合った。ヤッタネ(*^^)v

器楽アンサンブルの方のメンバーは6人。スイス出身は半数で、それ以外はイタリア、フランス、日本と国際色あり。カウンターテナー歌手のベネデッティはイタリア人。で、プログラム内容もなぜかイタリア・バロックなのであった。

声楽曲はカルダーラ、ヴィヴァルディ、A・スカルラッティのカンタータ。若手の豆タンク系(?)CTのベネデッティ氏は、最初からトップギアで飛ばす飛ばす 大きな身振り手振りをつけて、ロン毛をポニーにした外見も相まって、ミサ曲ロ短調の「神の子羊」を直立不動で歌ったりは絶対しないタイプのようだ。
技巧については私はよく分からないが、声量もあり。ただケレン味が強すぎて好悪分かれるだろう。最初のカルダーラが泣きのチェロも入って一番の出来だったかな。

器楽陣は歯切れよい演奏を着実に聞かせてくれた。このホールが後ろの方の席でもダイレクトに聞こえてくるので驚いた。(これまでは真ん中あたりの席に座ることが多かったので)
ヴィヴァルディの「マンドリンのための協奏曲」は珍しい。ナマで聞いたのは初めてだ。テオルボの人が持ち替えて弾いていた。
ロカテッリのソナタが、弦の勢いが感じられる演奏で最もよかった。一方、ヴィヴァルディの「ムガール大帝」はチェンバロが活躍していたけど、今イチな印象だった。

アンコールはフォリアと「ふるさと」。ベネデッティ氏がウケていた。

なぜか古楽関係にはあまり公演の情報が流れてなくて、私が知ったのは「アントレ」誌の裏表紙の広告でだった。すぐにぴあでチケット購入したが、後ろの方に数席しかなかった。ぴあの人は「この座席しか最初から割り当てがないんです」と言っていた。
コンサートの趣旨からして、関係者だけでチケットをさばいたのだろうか。道理で「ヴィヴァルディって聞いたの初めてだ」なんて言ってる客がいたわけである。

ホールの周囲がものものしい警備で最初、何事かと思った。捏造記事騒ぎで隣接する朝日新聞に何事かあったのかと思ったら、そうではなくてコンサート後半に美智子妃が来場したのだった。もっとも、私の座席は後方で2階席の真下だったので何も見えなかったのだが。


1階の小ホールでは、エコ系新興宗教みたいな自己啓発セミナーをやっていた。こちらは中高年がほとんどの上階とは違って、のんびりした雰囲気で若い人ばかりだった。対照的過ぎて頭がクラクラした(@_@;)


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2014年9月14日 (日)

「大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院」:そして、大いなる眠りへ

140914
監督:フィリップ・グレーニング
フランス・スイス・ドイツ2005年

今季最大の期待外れ作品と言っていいだろう。
予告は面白そうで、長~い上映時間も乗り越えて見に行きたくなったのだが……。岩波ホールの上映期間に、もういい加減すいているだろうと思って行ったら、満員御礼でヤラレタ~ッ(><)状態であった。で、他の映画館で一時間前にチケット入手して行ったですよ。

フランス・カトリック修道院のドキュメンタリーとなれば、当然その中でどんなことをしているのか? そして、戒律が非常に厳しい(日常は会話も許されない)というなら、どうしてわざわざそこに行くことを望んだのか--ということが分かるだろうと期待しちゃうじゃないの。
だが(!o!)ここにはほとんどそういう類のことは出て来ないのだ。なんてこったい

大部分は修道士たちが祈ってる場面と食事している場面で占められている。それと、イメージフィルムみたいに周囲の自然や院内を漠然と撮った映像だ。正直言って、かなり違和感を感じた。これでは長編になってしまうのも当然だ。しかも、特別な照明などは使えないので恐ろしく荒い映像も頻出する。
これでは睡魔にとらわれても仕方ない。

食事の場面は食ってるところを背後から接写するのみ。私なんか「そのスープの中に何が入っているのか知りたいっ(゜o゜)」と思うのだが、そういう部分については監督は興味ないようだ。
パンやチーズもあって、自給自足しているはずだろうけど、それを作っている光景は一切ない。
こちらの、よく言えば知識欲、ぶっちゃけ言えば好奇心を満たしてくれるような内容は何もないのであった。例外は盲目の老修道士のインタビューだけだ。

想像するに、監督は修道院の気分を観客に味わってもらおうとしたのだろうか。そういう癒し映像を求めている人には向いているかもしれない。
しかし、私は食事を各部屋に配る場面でなぜか学校や刑務所を連想してしまった。この三つの施設は共に規律を重視する場である。共通するものがあるのだろうか。

修道院についてだったら、青池保子の『修道士ファルコ』の方がよほど面白い。この映画の中で若い志願者が二人入ってくるが、『ファルコ』の中の同じような場面で老尼僧たちが「新鮮な精気をチューチュー吸って、若返るのじゃ~」と喜んでいるのを思い出して笑いそうになってしまった。

ところで、納屋みたいな所に生息しているネコたちは丸々と太っている。どうやら修道院の質素な食事とは別メニュー(ネズミかニャ)を取っているらしい。


清貧度:9点
内部事情度:採点不能

【追記】
旧約聖書の「列王記」からの一節が何度か引用されてて、これはよかった。恥ずかしながら、こんなのがあるんだと初めて知った。

主の前で大風が起こり 山を裂き 岩を砕いたが 
主は おられなかった

風のあと地震が起こったが 
主は おられなかった

自身の後 火が起こったが
主は おられなかった

火の後 静かなやさしい
さざめきがあった (列王記上 19・11・12)

日本の新共同訳だと若干ニュアンスが違う。なんでもフランス語訳聖書をさらに訳したものらしい。
なんだか大きな災害の後の光景が思い浮かんだ。

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2014年9月13日 (土)

「サムソンとデリラ」:若さに一票

140913
監督:ワーウィック・ソーントン
出演:ローワン・マクナマラ、マリッサ・ギブソン
オーストラリア2009年

未公開作品を紹介する「三大国際映画祭週間2014」で上映されたオーストラリア作品。2009年のカンヌで監督がカメラ・ドール(新人賞ということでいいのか)を獲得した。

先住民アボリジニの村に暮らす若い男女が主人公。荒野の中の村には停滞した空気が流れて、若者が希望を抱けるような場所はどこにもない。青年は肉親もいないようで居候をして日がなゴロゴロし、シンナーならぬガソリンを吸っている。
少女の方は年老いた祖母の世話をしながら、二人でアボリジニの民族アートを描いて売って生活している。

祖母の死を機に、二人は車をかっぱらって都市に出る。だが当然、都会にも彼らの居場所はないのだった。ホームレスとなり、後は犯罪の加害者か被害者になる道しかない。

はした金で売った祖母の絵が街のギャラリーで高額な値段で飾られている場面や、白人観光客の冷たい視線なども登場するが、全体的には社会問題追及風の描き方をしているわけではない。
村のなんだか不条理な雰囲気や、どこか寓話風な描写などを見ると、恐らく監督は痛めつけられまた回復していく少年少女の姿に神話的なものを重ねたかったのかと思う。
もっとも聖書のサムソンとデリラのエピソードに共通しているのは二人の名前と、あとは髪の毛を切るシーンが意味ありげに撮られているに過ぎない。そこら辺は意図不明。髪の毛が神話的世界の象徴なのか?

救われない話であるが、最後の最後に至ってようやく救われる。ただし「この二人本当にこれからうまくやってけるのかしらん」などとオバハン目線で心配になってしまうのであった。

監督のワーウィック・ソーントンは脚本、撮影も担当。主演の二人の、スクリーンから溢れるような若さも勘定に入れて、なるほど新人賞(これからに期待しま賞)がふさわしい印象だ。
最近では『ソウルガールズ』の撮影監督を担当してるらしい。

それにしても、村がハエだらけなのには参った。DDT(もちろん有害だが昭和30年代の日本では堂々と使用)をまきたくなってしまったよ。


村:5点
都会:4点

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2014年9月 7日 (日)

「イタリア愛の物語 2」:恨む愛あれば信じる愛あり

140907
演奏:鈴木美登里ほか
会場:近江楽堂
2014年8月29日

第1回目はちょうど一年前に開催(感想はこちら)。
第2回目はリコーダー太田光子、チェンバロ平井み帆は同じだが、チェロが懸田貴嗣に交代である。

声楽曲の間に器楽曲を挟み、前半初期バロック、後半は1700年以降ということで、イタリアバロック150年の歴史を2時間弱で俯瞰できるというお得な内容だった。

カッチーニから始まりディンディアと続き、そして来た~モンテヴェルディ「それはやはり本当なのだ」でまたも作曲者お得意の恨み節が炸裂 これはもうモンテヴェルディってよほど女にひどい目にあわされたとしか思えませんっ(・・;)
しかし、前半最後のメールラの曲は恋人を信じる女の歌で、ストレートな情感が伝わってくる。毒気が払われた思い。
その双方を鈴木女史は巧みに歌い聴衆を聞き入らせたのであった。

後半最大の聞きどころは、ポルポラの「今僕は気づいた、おお、愛の神よ」だったに違いない。懸田氏の話によると、イタリア人のカウンターテナーの友人が歌手にとって「特別な作曲家」と語ったとか。しかも、この曲はなんと本邦初演らしいというじゃあ~りませぬか(!o!)
そんな貴重な機会に恵まれたことに会場では思わず「おお」と息が漏れる。激情あふるる鈴木女史の歌と懸田氏のチェロのコンビネーションは絶好調であった。
しかし、ポルポラは人気があったのになぜ忘れ去られてしまったのであろうか? 謎であるよ(?_?)

器楽曲で気に入ったのはヴェラチーニのリコーダーソナタ。太田光子の溌剌としたリコーダーが冴えていた。

また一年後に3回目をやるのかな。ぜひお願いしまーす(^O^)/
ただ、歌詞の用紙がガサガサいうのはなんとかせんと。私が思うに、わら半紙みたいなタイプの紙が一番音がしないだろう。ただ、プリンターやコピー機には使用できないのが難である。

ところで、曲の合間にメンバーが代わるがわる解説をしたのだが、懸田氏の喋りはトツトツとした感じながら、なぜかその内容はいささかナハハであった。ギャグマンガであったら「これ以上ヤツに喋らせるなーっ(>y<;)」と後ろから羽交い絞めにされそう。

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2014年9月 6日 (土)

「黄金のメロディ マッスル・ショールズ」:音楽に必要なのは金と熱意とスタジオと

監督:グレッグ・“フレディ”・キャマリア
出演:リック・ホール
米国2013年

米国はアラバマの街の名を冠した「マッスル・ショールズ・サウンド」といやあロックやソウルのジャンルでは今でも名高い。そのサウンドを創ったスタジオやミュージシャンの歴史と音楽をたどったのがこのドキュメンタリーだ。

インタビューでそのサウンドの魅力に答えるのは、答えるのはキース・リチャード、ミック・ジャガー、ボノ、スティーヴ・ウィンウッド、パーシー・スレッジなど。
そして、そのサウンドの元となったスタジオの創設者リック・ホールと、専属ミュージシャンたち。濃ゆ~い南部サウンドなのに、演奏してたのは白人が多数というのが驚きである。

1960年代初めのスタジオ創設時から、録音したあの名曲、名アーティストを紹介。「男が女を愛する時」の大ヒットを放ったP・スレッジは給仕(だっけ?)をしていたとか、強烈なオーラを放つエッタ・ジェイムズ、亭主がらみでトラブル発生のアレサ・フランクリンなどなど。

しかし一方で、スタジオとしてはヒットを出し続けなければ使われなくなってしまうのだから、常時綱渡り営業で大変ではある。

個人的にはデュアン・オールマンとレーナード・スキナードのエピソードが興味深かった。前者はスタジオの前にテント張って泊まり込みして押しかけギタリストをやってたらしい。しかし、「黒人と一緒に歩いて白い目で見られても平気だが、長髪のヒッピーだけは御免」……って、そんなに当時嫌われてたのかヒッピー(☆o◎;
後者は演奏が長くてとても3分に納まらなかったんで、録音がボツの憂き目になったとか。(しかし、当時もうジャムバンドが流行り始めてたと思うのだが?)

で、そのままラストは「スイート・ホーム・アラバマ」が流れるのだった(歌詞の中でマッスル・ショールズのミュージシャンに言及している)。トンデモ曲として最近は認知されているのみであるが、やはりエエ曲です
レーナード・スキナードの映像は懐かしかったなー。

創設者R・ホールは貧しい家に生まれ、家族を何人も事故やトラブルで失い--となかなか大変な人生だったのを淡々と語っている。その中でも音楽上の最大の困難が、手塩にかけたスタジオ・ミュージシャンたちが共同経営者と共に出て行ってしまい、別のスタジオを作ったことだ。当時は怒り狂ったとのこと。
まあ現在は和解しているようだが、金と熱意が入り乱れる業界では起こっても不思議ではない事件だろう。

そんな音楽づくりの世界の一端も見えて面白いドキュメンタリーだった。音楽好きなら見て損なしと保証したい。


熱意度:8点
金銭度:6点

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