「サムソンとデリラ」:若さに一票
監督:ワーウィック・ソーントン
出演:ローワン・マクナマラ、マリッサ・ギブソン
オーストラリア2009年
未公開作品を紹介する「三大国際映画祭週間2014」で上映されたオーストラリア作品。2009年のカンヌで監督がカメラ・ドール(新人賞ということでいいのか)を獲得した。
先住民アボリジニの村に暮らす若い男女が主人公。荒野の中の村には停滞した空気が流れて、若者が希望を抱けるような場所はどこにもない。青年は肉親もいないようで居候をして日がなゴロゴロし、シンナーならぬガソリンを吸っている。
少女の方は年老いた祖母の世話をしながら、二人でアボリジニの民族アートを描いて売って生活している。
祖母の死を機に、二人は車をかっぱらって都市に出る。だが当然、都会にも彼らの居場所はないのだった。ホームレスとなり、後は犯罪の加害者か被害者になる道しかない。
はした金で売った祖母の絵が街のギャラリーで高額な値段で飾られている場面や、白人観光客の冷たい視線なども登場するが、全体的には社会問題追及風の描き方をしているわけではない。
村のなんだか不条理な雰囲気や、どこか寓話風な描写などを見ると、恐らく監督は痛めつけられまた回復していく少年少女の姿に神話的なものを重ねたかったのかと思う。
もっとも聖書のサムソンとデリラのエピソードに共通しているのは二人の名前と、あとは髪の毛を切るシーンが意味ありげに撮られているに過ぎない。そこら辺は意図不明。髪の毛が神話的世界の象徴なのか?
救われない話であるが、最後の最後に至ってようやく救われる。ただし「この二人本当にこれからうまくやってけるのかしらん」などとオバハン目線で心配になってしまうのであった。
監督のワーウィック・ソーントンは脚本、撮影も担当。主演の二人の、スクリーンから溢れるような若さも勘定に入れて、なるほど新人賞(これからに期待しま賞)がふさわしい印象だ。
最近では『ソウルガールズ』の撮影監督を担当してるらしい。
それにしても、村がハエだらけなのには参った。DDT(もちろん有害だが昭和30年代の日本では堂々と使用)をまきたくなってしまったよ。
村:5点
都会:4点
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