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2014年11月

2014年11月30日 (日)

「判決破棄」上・下

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著者:マイクル・コナリー
講談社文庫2014年

リンカーンを事務所代わりにロスの街を走り回る「リンカーン弁護士」シリーズ第3作目。映画化もされてメデタイこっちゃと読み始めたが、同じ作者の別シリーズの主人公である刑事ハリー・ボッシュ(異母兄弟)が登場--するのは、以前にもあったので珍しくもない。しかし、なんと弁護士ハラーが従来通り一人称で語る章とボッシュが中心で三人称で進行する章が、交互に登場しては時系列に沿って描かれるのだった。

「リンカーン弁護士」シリーズと言っても、こりゃ半分はボッシュ・シリーズじゃないですかっ(^^?) 一冊で二度おいしい……おっと、上下巻だから二冊で二度おいしいとはこのことだい いや、それとも作者の商売上手というべきか。

さて、今回の事件は二十数年前に少女誘拐殺人事件で有罪判決を受け、服役していた男について、DNAの再鑑定により別の容疑者が浮かび上がる。判決は破棄され囚人は保釈されて、差し戻し裁判となる。その元「犯人」をハラーが弁護する--のではなくて、様々な思惑と成り行きでなんと検察側を代行するのだった。
日本だとこんなことがあるのか(!o!)と思うが、過去の小説ではS・マルティニの『重要証人』でやはり主人公の弁護士が検事をやる羽目になってた。

ハラーの側では裁判の準備、ボッシュ側では元犯人や過去の証人の調査をすることになる。古い事件なのでかつての目撃者を捜すのも簡単ではない。

裁判の行く末は極めて皮肉なものである。もちろん、法廷場面だけでなく派手な展開も終盤にあるのだが、結末の収束については地味すぎると不満に思う向きもいるかも知れない。

それにしても、ハラーの目から描写されるボッシュは付き合いにくく、無愛想で頑固者に見える。こんな奴だったのか(!o!)--いやそれとも、彼も歳くったせいなのか? こんなんで、思春期に突入する娘と付き合っていけるのかしらんとオバサンは心配よ。

そして、最後に彼は語らざる石の如く捜査の中に埋没していく。過去の歳月に消えた被害者のために、地道な作業を続ける。その姿はもはやヒーローというには程遠いものである。だから、エンタテインメントとしての派手な結末など望むべくもない。
読者は、もうヒーローなどいないことを思い知るだろう。
とすれば、やはりこれはボッシュではなく、リンカーン弁護士ハラーの物語なのである。

【関連リンク】
「リンカーン弁護士」
「真鍮の評決」
映画版「リンカーン弁護士」

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2014年11月24日 (月)

ラモー 歌劇「プラテ」:カエル女王はカエル男の夢を見ない?

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北とぴあ国際音楽祭2014
指揮・演出:寺神戸亮
演奏:レ・ボレアード
会場:北とぴあ さくらホール
2014年11月7・9日

会場に到着すると、入口は薄暗くて人影がほとんどない。ギャー(~◇~;)開演時間、間違えたかっ--と思ったが、腕時計を改めて見て仰天した。2時開演なのに、まだ今は1時前だったのだ……。
要するに、現在の時間を勘違いしていたのだった。なんてこったい(+o+)

まあ、そのおかげで無料のロビーコンサートを聞けましたけどね(途中からだけど)。
上野学園大の古楽科の教員と学生4人によるアンサンブルで、プログラムは「17世紀の音楽による『アポロンとダフネの物語」』というのだった。ヘンデルのカンタータ『アポロンとダフネ』のアリアがなかなかに心惹きつけるものだった。ヘンデル先生、キャッチーな曲を書かせたら並ぶ者なしですな。
ただ、ざわざわしたロビーではガンバの独奏は、音量的にいささかキビシイものがあった。

さて、『プラテ』の方については「セミ・ステージ形式」というのでやや不安があった。というのも、二年前にジョイ・バレエステューディオというバレエの団体がやった公演を見ていたからである。(今年もラモーのメモリアル・イヤーということで再演したらしいが未見。見とけばよかったと後悔よ)
身の程知らずにもエエ男を追いかけるカエルの女王を巻き込んで、神々がドタバタ騒ぎを演じるというストーリーで、音楽もそれに合わせてコミカルである。
全体の構成として踊りを入れる場面が多い。セミ・ステージというならダンスは入らないだろうから、その場面はどうするのか? オーケストラの演奏だけで勝負するのか?

結果は--残念ながら間が持たない場面が多かった(特に後半)。本来踊りの部分を歌手たちだけで埋めるのは非常に困難なことであったと思う。歌はプロだろうけど(若干怪しげな人も……)、身体パフォーマンスに関してはムムム(ーー;)な印象だった。
「予算が少ない中をよくやってる」とか「こんな安いチケット代で」というような意見もあるだろうけど、身内がいるわけでもなし、トーシロの一聴衆として正直な感想を書くしかない。

外人部隊3人(マティアス・ヴィダル、ベツァベ・アース、フルヴィオ・ベッティーニ)はさすがに歌はもちろん演技も達者なものだった。その統制する身体スペースが広いと言ったらいいだろうか。日本人の歌手では、コミカルなキャラクターであるモミュスを演じた小笠原美敬が笑わせてくれた。以前のモンテヴェルディの『ポッペア』ではセネカをやってたのだから、硬軟両方イケる男である。

この4人に加え、寺神戸氏は指揮しながらカエルの被り物をして、ステージ上を走り回ったりしたのだが、いかんせん埋めきれないところは埋めきれなかったとしか言えない。
オーケストラはステージの奥半分に配置されていたが、そこの部分はかなり暗く照明が落とされていた。折角だから奏者にもスポットライト当てたりすればいいと思ったのだけど、そういうのはダメなんですかね。
後半で、奏者たちも様々なカエルグッズを身に付けたりしてたようなのだが、暗いためにわたしの席(1階の真ん中よりやや後ろ)からはよく分からなかった。オペラグラスでも使ったらよく見えたかもしれない。チェロの懸田氏のカエル帽子はさすがに分かったけど(もしかして息子さんから借用してきた?)。

ストーリーは以前見た時と同様、醜いカエルの女王を嘲笑してオシマイという調子で、やはりあまり笑うに笑えなかった。
オーケストラの演奏は手堅い--のだったが、内容からしてもう少しはっちゃけた方がよかったかも。


さて、来年はパーセルの『妖精の女王』で、しかも演出にシャルパンティエ公演以来の宮城聡復活じゃなあですか(!o!) もちろんSPACの役者の面々も登場らしい。ヤッタネ\(^o^)/
加えて、エマ・カークビーまで登場と予告されている(大物過ぎて大丈夫か?)。
この作品についてはグラインドボーン音楽祭での公演をTV放映したのを見たが、シェイクスピアの『夏の夜の夢』がほとんど丸ごと使われ、そこに音楽や踊りが入ったりする。歌手と役者は完全に分かれている。
それを宮城聡がどう料理するのか期待である。またそもそもSPACの演じる『夏の夜の夢』がどういうもんかということ自体にも興味大。こりゃ、なんとしても見に行かねばですよ。(思わずコーフン


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2014年11月23日 (日)

フェスティバル/トーキョー14「驚愕の谷」「羅生門|藪の中」

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昨年までのディレクターが降板して、色々と取沙汰されていたF/T。確かに発表されたプログラムを見ると、かなり色合いが異なるようだ。(本数も少ない?)
とはいえ、2本見てみることにした。しかしねえ、先行とはいえチケット発売の時点で、チラシもできてないというのは……何とかしてくだせえ(ーー;)

★「驚愕の谷」
作・演出:ピーター・ブルック、マリー=エレーヌ・エティエンヌ
会場:東京芸術劇場
2014年11月3日~6日

演劇界の生ける伝説(?)P・ブルックといやあ、過去にオペラ『魔笛』しか見たことないので、ここは一つ是非ナマで見ようと思い、内容もろくろく知らずにチケットを買った。新作だそうである。

役者は三人、簡素な舞台でそのうちの二人は上着を取り替えたり脱いだりして様々な役を演じる。
もう一人はサミーという女性で、並外れた記憶力を持つ共感覚者(であることを自覚したばかりの)という設定だ。
そこから「脳の迷宮」へ向かう--というのだが、見ててどうもこのテーマにさっぱり興味が持てなかったのである。ネットで「生ぬるい」という感想を見たが、まさにそういう印象だった。なんだか、先日の『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』みたいなワークショップを観客にやって見せてるようだ(実際、客を二人ステージにあげた)。
芝居というよりコントをやってるという感じだ。

で、結局最後まで何の感慨も抱けぬまま終了したのであった。役者三人の演技は達者なもんであったが……。もっとも理解できなかったのは私だけではないようで、周囲では眠気虫に襲撃されて沈没している人が少なからずいた。


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さて、サミー役のキャサリン・ハンターは極めて小柄な中年女性。野田秀樹の芝居に出たりしてたそうだ。初めて見てビックリしたのは手足が非常に長いこと(!o!) まるで蜘蛛みたい。チビで胴長の私にはうらやましい限り。足の長さ少し分けて欲しい。
同時に彼女は今話題の人でもある。なんと、つい先日発表されたB・カンバーバッチの婚約者(演出家だっけ?)の母親だというのだ。要するにシュウトメってわけですな。
とりあえず、メデタイこって(●^o^●)


★アルカサバ・シアター「羅生門|藪の中」

演出:坂田ゆかり
会場:あうるすぽっと
2014年11月5~7日

パレスチナの劇団が日本のスタッフと組んで、「羅生門」をやるというプログラム。しかし、これを見てみようと思った一番の要因は舞台美術を「目」が担当するということだった。彼らは夏に「たよりない現実、この世界の在りか」をやったのが非常に面白かったからだ。

劇団の方は過去二回F/Tで公演しているが、両方ともパレスチナをテーマにした芝居だったので、今回は日本の話をやりたかったとのこと。パレスチナの劇団となると政治的なものを期待されてしまうのは不満があるそうだ。

もっとも、彼らが当初やりたいと言っていたのは、黒澤明の映画ではなく、原作の芥川の小説でもなく、なんと50年代の米国で映画に触発されて書かれた脚本のことを指していたのだという。映画も原作も知らなかったそうだ。

「目」がステージ上に作った羅生門は、驚いたことに色が様々なビーズ(というか小さな玉)をたくさん糸でつないで、吊り下げたものである。スモークや照明によって「門」にも見えるし、「藪」にも見える。そして門に捨てられる死体(或いは土のう?)は黒い球体であった。

この禍々しさを秘めつつも洗練された透明感ある「門」は、濃くてエネルギッシュな劇団の面々と、ドロドロした物語と、ミスマッチに見えるがうまく溶け合っているようでもある。
しかし、最後に客電や照明を明るくして役者が観客に直接語りかけた理由は?……私にはよく理解できなかった。
それと、時折挟まれるダンスシーンは……(^^?)苦手です。

ただ、生者と死者、真実と嘘が境もなく立ち現われるこの物語、果たして政治的でないということがあるだろうか。「政治的ではない」というのもまた政治的な言説であるし、また日本側が自ら日本は何者にも占領されてなくて平和である、というような意味のことを言っちゃっていいのかね

アフタートークでは演出者やディレクターと役者たちが登場。通訳を入れて色々と話が聞けた。
「目」には今後も舞台美術をやって欲しいと思った。

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2014年11月16日 (日)

「誰よりも狙われた男」:これぞ違いなく「衝撃のラスト」

監督:アントン・コービン
出演:フィリップ・シーモア・ホフマン
米国・イギリス・ドイツ2013年

どうもスパイものというのはあまり好きではないのだが、フィリップ・シーモア・ホフマンの最後の主演作で、監督はフォトグラファーとしても有名なアントン・コービンだというのであれば、行ってみねばなるまいよ。

舞台はドイツ・ハンブルク。密入国したチェチェン人の若者に目を付けたのが、ホフマン扮するバッハマンが率いるテロ対策のチーム。若者を操り、さらに大物を釣り上げようとはかるのであった。
だが、そうなると他の部署が黙っちゃいねえ~ CIAも出現してさらに横槍が何本も。事件は現場でなくて別の場所で進行するのだ。

もっとも、主人公の立場がドイツの諜報組織の中でどこらへんに属しているのかよく分からない。独立して活動しているのか? でもあの人数ではそんなに動けないよねえ。
なるべく穏健に事を荒立てず全てを秘密裏に事を運ぶ主人公の方針は他の部署と衝突する。とはいえ、計画は何とかうまく進んだ……はずだった。
が、ラスト5分で驚天動地の展開。こ、こりゃビックリだ~(☆o◎;)

主人公の努力はすべて裏目に出た。
やはりスパイものの常。見た後は暗~い気分になるのであったよ。

原作はジョン・ル・カレ。ホフマンは、多少身体がブヨブヨしているが、尾羽打ち枯らした中年スパイを悲哀をこめて演じております。そして最後に絶叫する4文字言葉、まさに『オール・イズ・ロスト』のレッドフォードと並ぶと言ってよいだろう。

他は、CIAにロビン・ペン(こういうのはハマリ役)、銀行家のウィレム・デフォー(マトモな役を久しぶりに見た)、若手弁護士にレイチェル・マクアダムスなど。
ドイツ勢俳優からはニーナ・ホスとダニエル・ブリュールが出ている。しっかり者の部下役のニーナ・ホスはいいとしても、D・ブリュールの扱いは(?_?) ほとんど台詞なくて盗聴してるだけって、こりゃあんまりだいっ 出番削られたのか。
一方、演出は手堅く、サスペンスもたっぷりであった。

街並みの色彩のトーンが美しい。それと変わった建物がたまに登場するのも面白かった(銀行家の家とか)。
ただ、どうもシックリしないのは主人公たちがドイツ人の設定なのに英語喋っていることだ。時代設定が現代で国際情勢を扱い、様々な国の人間が登場するのにである。字幕は「ミヒャエル」ってドイツ語読みなのに役者はは「マイケル」って言ってるし。
別に時代ものとか、家族劇だったらあんまり気にならないと思うのだが。

ところで、敵方で目を付けた奴を取り込み、懐柔したり脅したりすかしたりして内部情報を得るというのは、日本の公安がよくやる手段と同じでしょうかな(^^?)


ホフマン度:10点
驚愕のラスト度:9点

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2014年11月15日 (土)

「名橋たちの音を聴く・神田川 船上の音遊び」:変転激しき秋葉原の下、川は流れる

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演奏:近藤治夫、辻康介、立岩潤三
ガイド:船越けいこ、鷲野宏
2014年11月1日

天気予報では連休のうち1日は晴れで、2・3日が雨になるということだった。ところが直前になって1日だけ雨天になるという予報に激変。
で、当日朝はしっかりと結構な雨が降っていたのだった。

船で川を移動して、周囲の音を聴きつつ中世やルネサンスの歌を聞くという企画、以前日本橋篇には行ったことがあるので、今回は神田川篇に申し込んだのである。学生の頃は、このあたりの地上をウロウロしてたのだが、さて水上ではどうなのかな。

事前準備は入念に行なった。雨ガッパを持参し(船の上では傘禁止)、防水靴をはき、手荷物を預けるために空いてそうな駅のコインロッカーの場所をチェック。

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発着所は秋葉原の駅近くで、到着した頃には雨が止んでいたのであ~る\(^o^)/ 天は我に味方したですよと思ったが、待ってる間にまた降り出してしまった。
しかし、秋葉原の駅前の路地一本入った所にこんな防災用船着き場があるなんて想像もしなかった。かつては、交通の中心であった川が現在は陰の存在に追いやられてしまったのを端的に示してますなあ( -o-) sigh...

乗船するとますます雨がひどくなってくる。とりあえず、すぐ脇の和泉橋の下に入って辻氏自作自演の「集まったのは橋の下」から開始である。
辻氏は歌うだけだし、パーカッションの立岩氏は濡れてもOKな打楽器(スチールドラム?)なのでいいが、一番大変なのはバグパイプの近藤氏。橋の下に入る度に着てる雨ガッパを脱ぎ、楽器にかぶせているビニール袋を取り、おもむろに演奏してから急いで雨ガッパを着てまたビニールをかぶせるという繰り返しであった。
ご苦労さんですm(__)m

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御茶ノ水の聖橋まで、どの橋も大正から昭和初期に作られたもの。修復されたりしていずれも特徴がある。もちろん、その下で響く音もである。
電車の橋梁がやたら多く通っているのは、かつてこの川がいかに交通の要衝であったかを示している……などという解説を雨の中で聞いたのであったよ。聖橋の下からは総武線が停車しているのも見えましたなあ。
昌平橋はスキマがあってそこから雨水が落ちてくる、なんてこともあった。

演奏は器楽曲や即興曲、そして聖歌や世俗曲を交互にやった。神が近藤氏を憐れんだのか後半になると雨が止んだのであった\(^o^)/ヤッタネ これで橋の間でも演奏できて、両岸に反響する音も聞けた。
そして辻氏の十八番「きれいなねえちゃんよ」で終了したのだった。

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雨にたたられたが楽しかったです。昔は万世橋駅なんてのがあったというのも知らなくてビックリ。(まだその名残が残っている) 変化激しい表の通りよりも川にはまだ歴史が残っているのをヒシと感じた。


さて、帰りに秋葉原の街を数年ぶりに歩いた。某電気店に用があったのだが、潰れていて無駄足だった。
通りは以前よりもさらにヲタク系男子が増えていて、以前は家族連れなんかも見かけたと思うのだが皆無で、それ以外には外人観光客がチラホラ歩いているくらいである。渋谷とか原宿とは全く違った単色の「若者の街」なのだった。
「女子高生の裏社会」(仁藤夢乃)という本で紹介されていたとおぼしき通りを眺めてみたら、道幅すべてヲタ系男子で埋まっていた。こんなに濃ゆい光景を見たのは、昔のSF大会でト学会の総会に出た時以来である。


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2014年11月11日 (火)

「悪童日記」:狂気を乗り越えるには狂気をもってせよ

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監督:ヤーノシュ・サース
出演:アンドラーシュ&ラースロー・ジェーマント
ドイツ・ハンガリー2013年

邪悪にして不吉。
第二次大戦下のハンガリーのお話です。戦況悪化で主人公の双子の少年の父は出征し、母は田舎町にある自分の実家へ子どもたちを疎開させます。ただし、そこにいるのは「魔女」と呼ばれる恐ろしい祖母だったのです(>y<;)ギャー

寝台さえない暗く小汚い家で、バーチャンは双子をこき使って働かせ、母親が送ってくる物資は全て横取り、愛情こもった手紙も見せやしません。
なんて可哀そうな少年たち でも、子どもはすぐ環境に適応できるもの。しぶとく生きるすべを身に付けます。そして、二度と傷つくことないように互いに鍛えあうのでした。健気ですねえ。

双子の前に様々な人物が現れては消えていきます。隣家の少女、ドイツ軍の将校、ユダヤ人の靴屋、司祭、教会で働くきれいなおねーちゃん、脱走兵……。
その度に彼らはもはや傷ついたりせず、いつしか、邪悪と思えたバーチャンとも共同体のようになっていきます。
正邪、善悪が引っくり返り、もはや元に戻ることはないのでした。

そして、どうして双子は最後にああいう決断をしたのか?……そこら辺は描かれてないので全くわかりません。この先二人がどうなるのか知りたいものです。

見終わって思い出したのは『さよなら、アドルフ』でした。こちらはドイツ人の子どもの物語で立場が逆とはいえ、親と別れて様々な人と出会い、様々なものを目撃します。
もう二度と戻ることのない彼らの変貌にこそ、ヨーロッパの近現代史の暗~い部分が淀んでいるようです。やっぱりコワい話ですねえ。

双子が毎日綴るノートは、まるで現代アートのコラージュ作品のよう。しかも偏執的かつ呪術的です。映像も美しい。白い林の場面など印象的です。音楽がこれまた不穏でゾクゾクいたします。
最初に不吉などと書きましたが、実はテンポ良くて面白く、アッサリしています。そう、一種の爽快感とでもいいましょうか。まあ、良い子には薦めませんけどね

「双子」を演じる双子は、監督が国中の学校に手紙を送って、子どもの中から探し出したそうですが、とてもシロートとは思えません。もっと名演なのはバーチャン役のピロシュカ・モルナー。こちらも映画出たのは初めてだそうで、驚きでありますよ。


映画を見た後に、原作を読んだ。なるほど、こちらの方は確かに「悪童」である。
国も時代も明確に書かれていなくて、余計にマジック・リアリズム度が高くなっている。
「悪童」よりも「日記」に重きを置いた映像化は吉と出たようだ。
ところで、映画と逆に原作のバーチャンは小柄で痩せこけている。それで、私は自分の祖母を思い浮かべた(性格も似ている)。東西場所を選ばず、こういうばーさんはどこにでもいるものなのだろうか(>y<;)


ふたりはいつも度:9点
いじわるばあさん度:9点


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2014年11月 8日 (土)

モンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」:名演を阻むは--トイレ、マイク、ストレッチ

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一橋の生んだ世界的演奏家シリーズ2
指揮&チェンバロ:渡邊順生
演奏:モンテヴェルディ・アンサンブル、ザ・バロックバンド
会場:一橋大学兼松講堂
2014年10月26日

渡邊順生って、一橋大の社会学部出身だったんですかい 知らなかった。
ということで一橋大学である。そも国立駅自体に初めて来た。美しい並木道と歩道--いやあ、我がご近所の●●駅とか××駅とは雲泥の差である。もっとも、大学周辺は放置自転車が多数だけど……気にしない!(^^)!

この日、またもモンテヴェルディである。渡邊氏の出身校の立派な講堂で、大曲「聖母マリアの~」をやるというのである。出演者の面子もよいので、足を運んでみることにした。
国立というと遠そうに思えたが、なんと駅自体には初台に行くより若干早く着いてしまった。なんてこったい 今度から中央線沿線も射程に入れることにするか。

着席して周囲を見回すと、心なしか普段行くコンサートより客層が上品そうに思えた。さすが、文教都市。それとも気のせいかね(^^?)
開演前のアナウンスがやたらに細かくて長~いので、いささかあきれた。今どき、こんなに長いのはないだろうというぐらいである。

ステージはあまり広くはないので、ソリストを含め歌手と器楽陣、それぞれ18人ずつ並ぶとキツキツであった。
独唱者の中心は英国出身ベテランのテノールのジョン・エルウィス。渡邊氏とずっと共演しているらしい。声は張りがあったが、さすがにやや年齢を感じさせるものだった。もう一人のテノールは櫻田亮は本場イタリア仕込みで、老若対照的ながらもいい共演であった。

最初、耳にした印象は「あれ(?_?)こんなに”変”で地味な曲だったっけ」というものだった。なぜかモンテヴェルディの晩課というと華やかなイメージがあったのだ。(過去2回ぐらい生で聞いているはずだが、漠然とした記憶しかない)
長短あれど全13曲、典礼としての形式、作曲の様式、編成--それぞれが曲、楽章ごとに変化する。それももっと後の時代の宗教曲のような滑らかな展開ではなく、ゴツゴツした粗削りな感触がある。渡邊氏の解釈なのだろう。

とはいえ、歌唱や演奏も水準高く満足できた。
開演時には講堂の窓から午後の日差しが差し込み、曲が進むにつれて徐々に夕暮れ、そして夜となっていった。まさに「夕べの祈り」っぽくって感激です

ナビゲーター&字幕担当の磯山雅は冒頭と休憩後の2回登場して解説した。
そういや、歌手の顔ぶれも彼が企画の「モンテヴェルディ―愛の二態」と重なっているようだ。
2回目の解説では、渡邊氏登場や楽器の紹介もあった。コルネットのトップは濱田芳通だったが、濱田氏のお父さんがやはりこの曲を指揮した当時は、楽器としてのコルネットがひどくて、音が出ただけで喜んでいた--なんて裏話も聞けましたですよ(^v^)


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会場の講堂はなんでも昭和初期に建てられた有形文化財らしい。横書きの「禁煙」の文字が右から書かれているのもナットクである。外見だけでなく内部もいかにも「昔の講堂」風で、始まる前は音がどうなのだろうかと心配だった。しかし、ステージ奥の壁は真新しい音響材のようなものが張られていて、申し分なかった。

問題は運営の方で、開演前のアナウンスだけでなく、休憩時のトイレの案内もひどいものだった。女子トイレが少ないので、大学の庭にある外のトイレも使ってくれというのだ(ご丁寧に地図がプログラムに挟み込んである)。
そこへ行ってみると、長ーい行列ができている。なんでも、4つしか個室がないらしい。係員が、さらにその先の校舎内のトイレにまで案内している。私は庭のトイレに並んでいたが、10分経過してもまだ先に行列が続いているのであきらめて講堂に戻った。
すると、なんと(!o!)会場のトイレの行列は解消していて、完全に空いていたのであった。なんなんだよ……

それから二回目の解説の時、渡邊氏が持っていたマイクが間歇的に聞こえなくなるというアクシデントがあった。持ち方が悪いのか、マイク自体のトラブルなのかは不明で、こんな感じである。
「ジョン・エルウィスは……ごにょごにょごにょごにょごにょ……聖歌隊の出身で……ごにょごにょごにょごにょ……なので、この曲を歌うにふさわしい歌手なのです」
肝心のところが聞こえねえ~~っ(☆o◎;)

場内にスタッフがいたにも関わらず何の対応もせず、ガマンしきれなくなった聴衆(のオバサン)から「聞こえませーん」と声が上がって、I教授がマイクの持ち方を直してやったのであった。
しかし、その後も会場側の対応はなかった。まあ、学内組織のボランティアの運営だというから、仕方ないかも知れないが、あんまりであったよ。

でも客の方は客の方で、曲の途中で首のストレッチやり始めるヤツなんてのもいましたがな。(後半にはいなくなってた) やれやれである。


さて、どうしてモンテヴェルディの「晩課」が華やかだと思っていたのかは、過去に行った「東京の夏音楽祭」でのルネ・ヤーコプス指揮の公演のイメージが残っていたらしい。
TV放映のビデオテープが残っていたのを発掘して再見したのだが(やはりノイズがひどい)、合唱の人数が倍ぐらいいるし、グレゴリオ聖歌(なぜか専門の指揮者が別にいる)を合間に挟むという構成にしていて、さらに多彩さを醸し出している。
もっとも、コルネットやトロンボーンはこちらの方が一人ずつ人数が少ないのであった。(--と思ったら、後半は3人いた) そして、そのコルネットの片方に若き日の濱田氏が参加していた\(◎o◎)/! 日本で晩課やる時は欠かせない存在なのか。

もうすっかり忘れていたのだが、テノール独唱者の一人はゲルト・テュルクだった。彼も若くて皮膚がツルピカしている。声も若い。アンドレアス・ショルに至っては、背はデカイけどまだ青二才風。ガクラン着せたら高校生で通りそうだ。

あの夜は暑くて、サントリーホールの中も冷房が効かないのかなんだか暑苦しかった。外に出た方が涼しいのではと思って、休憩時間に出てみたらやっぱり外も暑いので(当然だが)参った記憶がある。
もう昔の話なのよなあ。


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2014年11月 3日 (月)

「ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古」:綱の上から落ちる

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監督:サイモン・ブルック
フランス・イタリア2012年

P・ブルック、89歳とな(!o!)
このドキュメンタリーの目的は彼自身が冒頭で語っている。どんな風に演出しているのかとか、来て教えてほしいとか頼まれるが、そんなことはできないので、その代わりに5日間の役者へのワークショップを記録したという。

集まったのは笈田ヨシを始め各国の俳優たち、およそ20人ほど。年齢は様々だがいずれも実績のある者ばかりのようだ。
床の上での、架空の綱渡りをやってみせる訓練に始まり、その場の反応と瞬発性を試すような数のゲーム、そして実際の芝居の一場面を演じるなど、様々な課題が続く。いわゆるメソッド演技とは全く異なるとのこと。

いい加減にこなしたりはできない。ブルックから厳しい指摘がなされる。「厳しい」と言っても口調は穏やかであり、灰皿を投げたりはしない(^_^;)
ただ、英語とフランス語が無意識にちゃんぽんに飛び出すので、両方の言語分かってないと、役者さんたちは大変だね。

合間に、箴言のような含蓄あるブルックのアドバイスや、インタヴューが挟まれる。
その言葉は含蓄あり過ぎて、映画を見ているこちらの頭を理解する前にスルスルと通り抜けてしまう。DVDで見てたら、戻して何度も確認してしまうだろう。

印象に残ったのは「俳優とは、想像力を自らの身体で表現する者」(←うろ覚え)という言葉だった。なるほど、となれば小説家は想像力を言葉を書くことで表現する者だろう。歌手、画家、マンガ家……他にも応用できそうだ。

そう考えると、この邦題はどうだろうか。自らの本質がそのアクトで露わにされかねない。恐ろしい試練である。とても「世界一受けたい」などとは思わない。いや、絶対受けたくないぞっと
まあ「世界一なんとか」というフレーズが流行ってるから、公開側は必死で付けたんでしょうか。それとも反語かな。
原題は「タイトロープ」、まさに追い詰められギリギリの所まで表現を求められる。綱渡り状態、キビシイ~ッ(>O<)

監督はブルックの息子さんなんで、ドキュメンタリーの対象として彼に迫っていくというような面はない。そういう意味でも「記録映画」であった。

ところで、ほとんど画面の隅にしか映らない役者もかなりいたが、どういう人たちなんざんしょか(^^?) 見習い修業中とか?
ドレッドヘアの黒人の若い役者は、『魔笛』の日本公演に来てた人ですな。

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綱渡りの課題、北島マヤだったらいくらでもこなせそう。
『ガラスの仮面』で、「紅天女」を決める最終の最終の究極の最終試験では、ブルックに審査員として特出してもらってぜひ「マヤ!恐ろしい子」と言って欲しいもんである。


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2014年11月 2日 (日)

「ロベルタ・マメリ&ラ・ヴェネクシアーナ~ある夜に」:モダン古楽か、バロック歌謡か

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会場:王子ホール
2014年10月16日

「ポッペーア」東京公演の翌日に行われたR・マメリのソロ・コンサート。
連チャンだったせいか、前回書いたポッペアと記憶がごっちゃになってしまった。NHK-BSの番組収録が行われていたのはこちらの方だし、あと、ジャズっぽいコントラバスが……と書いたのもこの日のこと。ボケております(*_*;
やはり、すぐ書かないともう忘れちゃってダメですなー。ツイッターで速攻で報告するだけにしようかしらん。

この日は満員御礼だったもよう。プログラム内容はモンテヴェルディと後輩の作曲家たちの曲だ。サンチェス、フォンティ、カヴァッリなど。
楽器の方は前夜と同じメンツで、器楽曲も数曲挟まれていたのでアンサンブルとしてじっくりとよく聞くことができた。

聞きどころはメールラの「子守唄によせた宗教的なカンツォネッタ」、モンテヴェルディ「アリアンナの嘆き」、「ニンフの嘆き」だっだろうか。

メールラの曲はマリアが幼子イエスを抱きながら歌うという内容で、彼女の十八番。ハープとテオルボだけとなった部分が何やら不思議な響きだった。この日も前日も目立たないが、ハープの女性の縁の下の力持ち度も高かったと思う。
「アリアンナ」は波多野睦美が歌ったのを聞いたのもまだ記憶に新しいが、感情の起伏を露わにした波多野ヴァージョンに比べ、滑らかな語りを主にした感触であった。
「ニンフ~」がコントラバスが爪弾きでジャズっぽかった曲ですね、はい(^^ゞ ここまで来るともうバロック歌謡という領域に入っているといえよう。

フォンティの「エリンナの涙」は、器楽が現代曲っぽい印象だった。ちょっと変わっている。(過去の公演でもこの曲やってましたな)

アンコールはパーセルとヘンデル。パーセルも、彼女が歌うとマメリ節になってしまうのであった。以前はそれほどでもなかったように思うが、今回そういう傾向が強くなっているようだった。様々な作曲家を自らの領域へと引き寄せてしまうのは、魅力であると共にどこへ行くのか(?_?)と言いたくなる気もする。
もっとも、元々そういう資質の歌手なんでしょうなあ。

ともあれ、聞けて大満足なコンサートであった。
一人やたら大声でヒステリックなまでに「ブラボー」を連発している人物がいてうるさかった。そこの部分はTV放映の時はカットしてもらいたいもんである(@∀@)

【関連リンク】
過去の彼女の公演記録
2011年
2010年
2009年

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2014年11月 1日 (土)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 11月版

芸術の秋というせいか、またもコンサート目白押し状態です。

*1日(土)神田川「名橋たちの音を聴く」
以前、日本橋の方に行ったんで、今度は秋葉原から。だが、雨!……。
*7日(金)&9日(日)ラモー:歌劇プラテ(北とぴあ国際音楽祭)
*14日(金)コンチェルトの夕べ(アンサンブル・レ・ナシオン)
*15日(土)パリの街角、恋の歌(ル・ポエム・アルモニーク)
残念ながら、王子ホール公演とはプログラム違い(T_T)
*25日(火)ヴィヴァルディ&J.S.バッハ(アマンディーヌ・ベイエ&アンサンブル・リ・インコーニティ)
*29日(土)フルートの肖像・趣味の和合(前田りりこ)

他にはこんなのも。
*アフタヌーンコンサート・劇音楽の黄金時代(水内謙一ほか)
さいたま芸術劇場にて、無料&予約不要
*6日(木)薔薇物語(花井尚美)
      チェンバロで聴くヨーロッパの古い音楽(大塚直哉)
*7日(金)ラモー:コンセールによるクラヴサン曲集(キャサリン・マッキントッシュほか
*8日(土)洋楽渡来考(皆川達夫)
*9日(日)むかしむかしのキスの歌
*13日(木)ルソン・ド・テネーブル(ル・ポエム・アルモニーク)
油断してチケットを取り損ねた公演。ああ、うらめしや~ ホールの天井に貼りついてでも見たい聞きたい。立見席出してくれないかしらん。
*14日(金)ハープとリュート弦の饗宴(西山まりえ&つのだたかし)
*16日(日)ヴェネツィア、霧の中の光(E・オノフリ&チパンゴ・コンサート)
*18日(火)パーセル:ダイドーとエネアス
*19日(水)饗宴の音楽とダンス
*22日(土)アンリ4世からルイ13世へ(アトナリテ・クール)
*24日(月)ラモー没後250年記念(渡邊順生ほか)
*26日(水)季節の劇場(ベイエ&アンサンブル・リ・インコーニティ)

これ以外にもラモー、C・P・E・バッハ関係の公演複数あるもよう。
とても全部見きれ(聞ききれ)ません(ー_ー)!!

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