モンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」:名演を阻むは--トイレ、マイク、ストレッチ
一橋の生んだ世界的演奏家シリーズ2
指揮&チェンバロ:渡邊順生
演奏:モンテヴェルディ・アンサンブル、ザ・バロックバンド
会場:一橋大学兼松講堂
2014年10月26日
渡邊順生って、一橋大の社会学部出身だったんですかい 知らなかった。
ということで一橋大学である。そも国立駅自体に初めて来た。美しい並木道と歩道--いやあ、我がご近所の●●駅とか××駅とは雲泥の差である。もっとも、大学周辺は放置自転車が多数だけど……気にしない!(^^)!
この日、またもモンテヴェルディである。渡邊氏の出身校の立派な講堂で、大曲「聖母マリアの~」をやるというのである。出演者の面子もよいので、足を運んでみることにした。
国立というと遠そうに思えたが、なんと駅自体には初台に行くより若干早く着いてしまった。なんてこったい 今度から中央線沿線も射程に入れることにするか。
着席して周囲を見回すと、心なしか普段行くコンサートより客層が上品そうに思えた。さすが、文教都市。それとも気のせいかね(^^?)
開演前のアナウンスがやたらに細かくて長~いので、いささかあきれた。今どき、こんなに長いのはないだろうというぐらいである。
ステージはあまり広くはないので、ソリストを含め歌手と器楽陣、それぞれ18人ずつ並ぶとキツキツであった。
独唱者の中心は英国出身ベテランのテノールのジョン・エルウィス。渡邊氏とずっと共演しているらしい。声は張りがあったが、さすがにやや年齢を感じさせるものだった。もう一人のテノールは櫻田亮は本場イタリア仕込みで、老若対照的ながらもいい共演であった。
最初、耳にした印象は「あれ(?_?)こんなに”変”で地味な曲だったっけ」というものだった。なぜかモンテヴェルディの晩課というと華やかなイメージがあったのだ。(過去2回ぐらい生で聞いているはずだが、漠然とした記憶しかない)
長短あれど全13曲、典礼としての形式、作曲の様式、編成--それぞれが曲、楽章ごとに変化する。それももっと後の時代の宗教曲のような滑らかな展開ではなく、ゴツゴツした粗削りな感触がある。渡邊氏の解釈なのだろう。
とはいえ、歌唱や演奏も水準高く満足できた。
開演時には講堂の窓から午後の日差しが差し込み、曲が進むにつれて徐々に夕暮れ、そして夜となっていった。まさに「夕べの祈り」っぽくって感激です
ナビゲーター&字幕担当の磯山雅は冒頭と休憩後の2回登場して解説した。
そういや、歌手の顔ぶれも彼が企画の「モンテヴェルディ―愛の二態」と重なっているようだ。
2回目の解説では、渡邊氏登場や楽器の紹介もあった。コルネットのトップは濱田芳通だったが、濱田氏のお父さんがやはりこの曲を指揮した当時は、楽器としてのコルネットがひどくて、音が出ただけで喜んでいた--なんて裏話も聞けましたですよ(^v^)
会場の講堂はなんでも昭和初期に建てられた有形文化財らしい。横書きの「禁煙」の文字が右から書かれているのもナットクである。外見だけでなく内部もいかにも「昔の講堂」風で、始まる前は音がどうなのだろうかと心配だった。しかし、ステージ奥の壁は真新しい音響材のようなものが張られていて、申し分なかった。
問題は運営の方で、開演前のアナウンスだけでなく、休憩時のトイレの案内もひどいものだった。女子トイレが少ないので、大学の庭にある外のトイレも使ってくれというのだ(ご丁寧に地図がプログラムに挟み込んである)。
そこへ行ってみると、長ーい行列ができている。なんでも、4つしか個室がないらしい。係員が、さらにその先の校舎内のトイレにまで案内している。私は庭のトイレに並んでいたが、10分経過してもまだ先に行列が続いているのであきらめて講堂に戻った。
すると、なんと(!o!)会場のトイレの行列は解消していて、完全に空いていたのであった。なんなんだよ……
それから二回目の解説の時、渡邊氏が持っていたマイクが間歇的に聞こえなくなるというアクシデントがあった。持ち方が悪いのか、マイク自体のトラブルなのかは不明で、こんな感じである。
「ジョン・エルウィスは……ごにょごにょごにょごにょごにょ……聖歌隊の出身で……ごにょごにょごにょごにょ……なので、この曲を歌うにふさわしい歌手なのです」
肝心のところが聞こえねえ~~っ(☆o◎;)
場内にスタッフがいたにも関わらず何の対応もせず、ガマンしきれなくなった聴衆(のオバサン)から「聞こえませーん」と声が上がって、I教授がマイクの持ち方を直してやったのであった。
しかし、その後も会場側の対応はなかった。まあ、学内組織のボランティアの運営だというから、仕方ないかも知れないが、あんまりであったよ。
でも客の方は客の方で、曲の途中で首のストレッチやり始めるヤツなんてのもいましたがな。(後半にはいなくなってた) やれやれである。
さて、どうしてモンテヴェルディの「晩課」が華やかだと思っていたのかは、過去に行った「東京の夏音楽祭」でのルネ・ヤーコプス指揮の公演のイメージが残っていたらしい。
TV放映のビデオテープが残っていたのを発掘して再見したのだが(やはりノイズがひどい)、合唱の人数が倍ぐらいいるし、グレゴリオ聖歌(なぜか専門の指揮者が別にいる)を合間に挟むという構成にしていて、さらに多彩さを醸し出している。
もっとも、コルネットやトロンボーンはこちらの方が一人ずつ人数が少ないのであった。(--と思ったら、後半は3人いた) そして、そのコルネットの片方に若き日の濱田氏が参加していた\(◎o◎)/! 日本で晩課やる時は欠かせない存在なのか。
もうすっかり忘れていたのだが、テノール独唱者の一人はゲルト・テュルクだった。彼も若くて皮膚がツルピカしている。声も若い。アンドレアス・ショルに至っては、背はデカイけどまだ青二才風。ガクラン着せたら高校生で通りそうだ。
あの夜は暑くて、サントリーホールの中も冷房が効かないのかなんだか暑苦しかった。外に出た方が涼しいのではと思って、休憩時間に出てみたらやっぱり外も暑いので(当然だが)参った記憶がある。
もう昔の話なのよなあ。
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