「ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古」:綱の上から落ちる
P・ブルック、89歳とな(!o!)
このドキュメンタリーの目的は彼自身が冒頭で語っている。どんな風に演出しているのかとか、来て教えてほしいとか頼まれるが、そんなことはできないので、その代わりに5日間の役者へのワークショップを記録したという。
集まったのは笈田ヨシを始め各国の俳優たち、およそ20人ほど。年齢は様々だがいずれも実績のある者ばかりのようだ。
床の上での、架空の綱渡りをやってみせる訓練に始まり、その場の反応と瞬発性を試すような数のゲーム、そして実際の芝居の一場面を演じるなど、様々な課題が続く。いわゆるメソッド演技とは全く異なるとのこと。
いい加減にこなしたりはできない。ブルックから厳しい指摘がなされる。「厳しい」と言っても口調は穏やかであり、灰皿を投げたりはしない(^_^;)
ただ、英語とフランス語が無意識にちゃんぽんに飛び出すので、両方の言語分かってないと、役者さんたちは大変だね。
合間に、箴言のような含蓄あるブルックのアドバイスや、インタヴューが挟まれる。
その言葉は含蓄あり過ぎて、映画を見ているこちらの頭を理解する前にスルスルと通り抜けてしまう。DVDで見てたら、戻して何度も確認してしまうだろう。
印象に残ったのは「俳優とは、想像力を自らの身体で表現する者」(←うろ覚え)という言葉だった。なるほど、となれば小説家は想像力を言葉を書くことで表現する者だろう。歌手、画家、マンガ家……他にも応用できそうだ。
そう考えると、この邦題はどうだろうか。自らの本質がそのアクトで露わにされかねない。恐ろしい試練である。とても「世界一受けたい」などとは思わない。いや、絶対受けたくないぞっと
まあ「世界一なんとか」というフレーズが流行ってるから、公開側は必死で付けたんでしょうか。それとも反語かな。
原題は「タイトロープ」、まさに追い詰められギリギリの所まで表現を求められる。綱渡り状態、キビシイ~ッ(>O<)
監督はブルックの息子さんなんで、ドキュメンタリーの対象として彼に迫っていくというような面はない。そういう意味でも「記録映画」であった。
ところで、ほとんど画面の隅にしか映らない役者もかなりいたが、どういう人たちなんざんしょか(^^?) 見習い修業中とか?
ドレッドヘアの黒人の若い役者は、『魔笛』の日本公演に来てた人ですな。
綱渡りの課題、北島マヤだったらいくらでもこなせそう。
『ガラスの仮面』で、「紅天女」を決める最終の最終の究極の最終試験では、ブルックに審査員として特出してもらってぜひ「マヤ!恐ろしい子」と言って欲しいもんである。
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