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2015年2月18日 (水)

「ジミー、野を駆ける伝説」:野に棹差せば叩かれる

150219
監督:ケン・ローチ
出演:バリー・ウォード
イギリス2014年

時は1930年代、アイルランドに実在したという無名の市民活動家を描く。
一端は米国に逃走したが、十年後にほとぼりが冷めて母親の元に戻ってくる。今後は大人しく暮らそうと考えていたが、若者やかつての仲間からかつて開いていた「ホール」を再開を要望されるのであった。
ホールとは今の日本だと自主的な社会教育センターか。あと公民館も当てはまる? やっている内容は詩の勉強会とか、郷土料理講座、伝統音楽のコンサートなどである。

しかし、当時大きな力を持っていた教会からは不信心者扱い。さらに地主や行政、IRAからも睨まれる。一方、「こちら」側も組合やら穏健派や急進派がいて、まとまっているわけではない。主人公は板挟み状態だ。
彼自身は急進派ではないのだが、そのリーダー的資質から要注意人物になってしまうのであった。

監督がケン・ローチであるからして、彼の名から予想される作風から大きく外れることはない。
しかし、かの地のトラッド・ミュージックの演奏やダンス・シーンは圧巻typhoon 圧巻の迫力と熱気である。なぜ、異国の民謡にこのように惹かれてしまうのであろうか(^^♪ってなもん。さらに、米国産ジャズと違和感なくつながってしまうのも面白い。

たまたま読んだ岩波書店のPR誌「図書」に「〈涙の橋〉を渡ったひとびと」というエッセイがあって、こんな文章が出てきた。

「〈オート麦の畑(ゴータホーク)〉村の教区ホールでは毎週木曜の晩に伝統音楽の会が催されている。子どもから年寄りまで、周辺に暮らす腕自慢の名人から初心者までが一堂に会して、知っている曲をお互いに披露し、交換し、聞き覚える場になっている。」

まさに映画の場面が髣髴と湧き上がってくるようだ。ちなみに州名になっている「ドニゴール」って「異人たちの砦」という意味だというのをこれ読んで知りました(^^ゞ
それにしても一部の宗教はなぜ音楽を忌避するのだろうか。人々を熱狂させるからか? 謎である。

主人公の、今は人妻となってしまった元恋人への想いはやるせない(T^T)クーッ(思わず涙)
そして、淡々と彼は窮地に追い込まれる。唯一、若い世代への希望が明るく残るのであった。この淡々さが良くも悪くもケン・ローチっぽいと言える。私はなんだか物足りないような気がした。(だが、後で別の映画を見てその評価は逆転した)
それから、敵方の頑固者の神父が最後に主人公を誉めるのも、なんだかシェイクスピアの芝居のラストみたいで個人的にイヤン(ーー;)と感じた。

主役のバリー・ウォードは渋くてエエ男shineである。ヘッヘッヘッ(^Q^)私から下卑た笑いがつい漏れてしまうのを誰か止めてくれいfoot

家に帰ってアイリス・ケネディの「ワン・スウィート・キッス」を引っ張り出して「シューリ・ルウ」を聞いてしまった。映画の中で歌われていたのとは英語詞の部分が違うヴァージョンだが。


社会教育度:7点
音楽熱狂度:9点


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