J.S.バッハ「音楽の捧げもの」:多面体バッハ
演奏:鈴木雅明ほか
会場:所沢市民文化センターミューズ キューブホール
2015年3月21日
BCJ主要メンバー5名による、言わずと知れたバッハの名曲の演奏会である。前日にオペラシティでも同じ公演があったが、土曜日の方へ行った。
タイトルの「捧げもの」(所沢版の公演名だけなぜか「捧げ物」になっている)は休憩後の後半でまとめて演奏された。
前半では、オブリガードチェンバロとヴァイオリン(若松夏美)のソナタに始まり、同じくフルート(菅きよみ)のソナタ--と続いた。前者は力強く鮮やかな演奏で、後者は春っぽく明るい印象だった。
前半最後は、全員参加によるオルガン曲「われ天の高き所より来りぬ」をアンサンブル用に編曲したものだった。「全員」というのは、それまで譜めくりをしていて若い女性まで参加。彼女がいきなりオルガンの前に座って弾きだしたので驚いた。
事前に雅明氏が登場してマイクを握って「捧げもの」の解説をした。それによると、フリードリヒ大王の宮廷訪問の後に献呈したこの作品は、大王へのバッハの宗教的(あと音楽的にも)イヤミを含んでいたというのである。
こりゃしばらく前に聞いた有田正広の説とは全く違うではないですかっ(!o!)
バッハの思惑が果たしてどうだったのかは今では不明だが、演奏は雅明氏のチェンバロソロの時はややゆっくりめ、それ以外のアンサンブルの時はやや早めのテンポで、サクサクと進み、正統的かつ端正な「贈りもの」を提示したのであった。
それにしても、一か月強の期間にバッハの晩年の器楽曲の公演を3回聞いたわけだが、寺神戸亮の「フーガの技法」では曲の背景よりも、とことんカノンに構造にこだわった内容だった。
また有田正広の時は、息子を愛するバッハ先生が新しい時代へと向かい合ったという背景からアプローチしたものであった。
今回のマサアキ版では、カノンなどの曲の構造にあくまでも宗教者として筋を通した頑固一徹なバッハ像を透かし見て、粛々と演奏を進めていた。
いずれも三種三様で、一つの観点には納まりきらぬバッハ先生の多様性を示されたような気がした。
この日の会場はパフォーマンスを見るには面白い構造だけど、古楽系の演奏会にはあまり向いてなくて音が拡散してしまうというのが、唯一無念なところだ。
プログラムにはこの日のために「小川」英晴という詩人に依頼して作ってもらった詩が載っていて、それが横書きで全体的に「B」の形になっていて、最初から読んでも後ろから読んでも同じで、しかも行の最初の文字をタテ読みすると「おんがくのささげもの」になるという驚異的作品である。
カノンもこういうお遊び精神が含まれていたってことですかね!(^^)!
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