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2015年3月

2015年3月31日 (火)

J.S.バッハ「音楽の捧げもの」:多面体バッハ

150331
演奏:鈴木雅明ほか
会場:所沢市民文化センターミューズ キューブホール
2015年3月21日

BCJ主要メンバー5名による、言わずと知れたバッハの名曲の演奏会である。前日にオペラシティでも同じ公演があったが、土曜日の方へ行った。

タイトルの「捧げもの」(所沢版の公演名だけなぜか「捧げ物」になっている)は休憩後の後半でまとめて演奏された。
前半では、オブリガードチェンバロとヴァイオリン(若松夏美)のソナタに始まり、同じくフルート(菅きよみ)のソナタ--と続いた。前者は力強く鮮やかな演奏で、後者は春っぽく明るい印象だった。
前半最後は、全員参加によるオルガン曲「われ天の高き所より来りぬ」をアンサンブル用に編曲したものだった。「全員」というのは、それまで譜めくりをしていて若い女性まで参加。彼女がいきなりオルガンの前に座って弾きだしたので驚いた。

事前に雅明氏が登場してマイクを握って「捧げもの」の解説をした。それによると、フリードリヒ大王の宮廷訪問の後に献呈したこの作品は、大王へのバッハの宗教的(あと音楽的にも)イヤミを含んでいたというのである。
こりゃしばらく前に聞いた有田正広の説とは全く違うではないですかっ(!o!)

バッハの思惑が果たしてどうだったのかは今では不明だが、演奏は雅明氏のチェンバロソロの時はややゆっくりめ、それ以外のアンサンブルの時はやや早めのテンポで、サクサクと進み、正統的かつ端正な「贈りもの」を提示したのであった。

それにしても、一か月強の期間にバッハの晩年の器楽曲の公演を3回聞いたわけだが、寺神戸亮の「フーガの技法」では曲の背景よりも、とことんカノンに構造にこだわった内容だった。
また有田正広の時は、息子を愛するバッハ先生が新しい時代へと向かい合ったという背景からアプローチしたものであった。
今回のマサアキ版では、カノンなどの曲の構造にあくまでも宗教者として筋を通した頑固一徹なバッハ像を透かし見て、粛々と演奏を進めていた。

いずれも三種三様で、一つの観点には納まりきらぬバッハ先生の多様性を示されたような気がした。
この日の会場はパフォーマンスを見るには面白い構造だけど、古楽系の演奏会にはあまり向いてなくて音が拡散してしまうというのが、唯一無念なところだ。

プログラムにはこの日のために「小川」英晴という詩人に依頼して作ってもらった詩が載っていて、それが横書きで全体的に「B」の形になっていて、最初から読んでも後ろから読んでも同じで、しかも行の最初の文字をタテ読みすると「おんがくのささげもの」になるという驚異的作品である。
カノンもこういうお遊び精神が含まれていたってことですかね!(^^)!


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2015年3月29日 (日)

「聖週間のア・カペラ合唱音楽」:教会の中の時間と外の時間

150329
演奏:花井哲郎&コントラポント
会場:日本聖公会神田キリスト教会
2015年3月22日

ビクトリアというとタリス・スコラーズのような海外の有名グループが来日した時にやってくれる時ぐらいしか、なかなかまとめて聞く機会は少ない。
花井哲郎の解説によると、ルネサンス最後期の作曲家である彼の作品は、言葉の表現こだわって作曲され、バロック的な劇的な表現が潜んでいるとのことだ。
この日は、復活祭の前日までの一週間に演奏される宗教曲のプログラムだった。すべてアカペラ曲である。

「枝の主日」(日曜日)、「聖木曜日の讃歌」と小曲の後にドーンと来たのが三部に別れた「聖金曜日の朝課」であった。
当時の典礼の形をなるべく再現するということで、単旋律のグレゴリオ聖歌や朗読を合間に挟んで演奏された。
通常の演奏会と違って、グレゴリオ聖歌のモノクロの世界の後に、ビクトリアのポリフォニー曲が現れると、目が覚めるような色彩が感じられる。
それは美しい教会のステンドグラスのように光り輝き、眼前(耳前?)に立ち現われてくるのであった。

合唱隊は若手ばかりの12名で、中にはまだ修行中みたいな人も若干名いたようだが、思わず聞き入る精妙なコーラスであった。
会場もこじんまりした教会で、前方上部とサイドの窓にステンドガラスがはまっていて、何やら神聖な気分を一層にかもし出していた。

ただ、教会の外は秋葉原に隣接した地区とあって、何やらヲタクっぽい人たちが多数ウロウロと歩き食いしたり座り込んだり、さらに目と鼻の先にはメイド喫茶があって女の子が客引きをしているのであった
演奏中も俗世の騒音が容赦なく聞こえてきてましたな(^O^)

で、終演して外に出てから気づいたのだが、どうもかなり昔にやはり演奏会でこの教会に来たことがあるようなのだ。当時は周囲に自作PC向けの基盤なんかを売っている店が数軒見かけたぐらいだったが、変われば変わるもんである。


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2015年3月28日 (土)

「ジャッジ 裁かれる判事」:父よあなたは弱かった(泣)

150327
監督:デヴィッド・ドブキン
出演:ロバート・ダウニー・Jr、ロバート・デュヴァル
米国2014年

ロバート・デュヴァルの父が判事、ロバート・ダウニー・Jrの息子が弁護士、でもって父親に殺人の嫌疑が(!o!)--ってことで、ガチな法廷ドラマを期待して見に行ってまいりました。
その長さ142分 手に汗握る法廷場面の連続 あっと驚くどんでん返し多数……のはずだったんだけどねえ(;一_一)

若くして家を飛び出して後に売れっ子弁護士となった息子に対し、父親は田舎町で数十年間判事を続ける頑固者。しかし、母親の葬式に出るために久しぶりに帰郷したはいいが、なんと父が殺人容疑をかけられる羽目に。
成り行きで父の弁護をすることになるが、長年の確執は収まらないのであった。

まあ、結局二人は似た者同士で、息子は父に認めてもらいたかっただけなのよ--と結論を言ったら身もふたもない。なんでこんなに長尺になってしまったのかと言うと、父親だけでなく兄や弟とも色々あって、家族の隠された過去がズルズルと明るみに……という次第である。
法廷ものというよりは家族ドラマなのであった。それも長過ぎて焦点がボケてしまい、もう何があっても驚かない境地に達してしまうのだ。
これだったら、TVドラマのミニシリーズでやってくれた方が良かったんじゃないかと思うほどだ。
見ごたえはあったけど、ラストのボートの場面は蛇足としか思えなかった。

ロバート・ダウニー・Jrは製作者としても名を連ねていて、彼はR・デュヴァルと親子を演じたのかったかなー、なんて思ってしまった。
そして、その甲斐はあった デュヴァルは見事オスカーの助演男優賞にノミネートされたのである。もっとも大本命のJ・K・シモンズが強すぎて、受賞までには至らなかった。残念であ~る(ーー;)

他の助演陣も兄役ヴィンセント・ドノフリオ、検事役ビリー・ボブ・ソーントン、元カノ役ヴェラ・ファーミガなど、みな達者な演技で支えていた。


法廷場面:3割
家族の確執:6割
その他:1割

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2015年3月22日 (日)

「ビッグ・アイズ」:目は外界への窓

1503022
監督:ティム・バートン
出演:エイミー・アダムス、クリストフ・ヴァルツ
米国2014年

大きな目が印象的な子どもを描いて大人気となった男性画家。実は本当に描いていたのは彼の妻だった! こりゃ大変だ~--という実話で、妻の立場からその顛末をたどる映画である。

前提として、1960年代は米国でもまだ女性の地位が確立されてなく、女性アーティストは少なかったということがある。同じく売れない画家同士だった夫が、絵を勝手に自作として売ってしまったのを非難しても、いざ表舞台に出るとなると勇気がなくて立ちすくんでしまう。
以後は二人三脚というよりは、夫がタコ部屋で妻に絵を描かせているという風情。一つ屋根の下にいた娘も知らなかったというのも驚きだ。

しかし夫の方は商才抜かりなく、作品をポスターやカードにして売るという、ウォーホルよりも早く大量複製時代の先駆けをしたのだった。
だったら、妻のパートナーとしてマネジメントやプロデュースに専念すれば自分の才能を発揮できるだろうに--と思うが、彼自身は絵の才能について大きなコンプレックスを抱えていてどうしても画家として注目されたいようなのだ。しかも実際に一作でも絵を描いたことがあるのかどうかさえ怪しくなってくる。
彼が、作品をけなした頑固な評論家に「絵が描けないヤツは言葉を使うしかない」というような意味のことを言って反撃するが、それはそのまま自分にはね返ってくるのだった。イタタタ(>y<;)

最後にはヒロインと夫は共依存とも言えそうな関係になる。「大きな目」でない自分の絵を制作するが、モディリアニの模倣みたいで正直あまり面白くない。あの目こそが彼女そのものであり、外界とつなぐ窓だったのだろう。
ようやく依存関係から逃れたのは新興宗教のおかげというのも皮肉だ。宗教が彼女の新たな窓だったのか。

クリストフ・ヴァルツが舌先三寸のどうしようもない男を演じて笑わせてくれる。小さい頃の娘役の子が、ちょっとブキミな感じで面白かった。エイミー・アダムスは余裕の演技ですかね。出番は少ないがテレンス・スタンプの批評家はカッコ良かった。フォーク攻撃にも慌てず--批評家の鑑ですねえ(^O^)

ただ、この映画を見た多くの人が思うだろう疑問……それは「どうして、ティム・バートンがこの題材を(?o?)」だろう。あまりバートンらしくないこの一作、長い間パートナーだったヘレナ・ボナム・カーターと別れたばかりというのが、夫婦の描き方に出ていると言えばそんな気もする。(そういや、ヘレナもエイミー・アダムスも目がデカい)
まあ、単にあの絵のファンというだけかもしれないが。


夫婦の絆度:6点
アートの沙汰も金次第度:7点


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2015年3月18日 (水)

ヴィヴァルディ「メッセニアの神託」:女の園を乱す者

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音楽監督・指揮:ファビオ・ビオンディ
演奏:エウローパ・ガランテ
演出:弥勒忠史
会場:神奈川県立音楽堂
2015年2月28日・3月1日

同じ会場で企画されたバロック・オペラのシリーズは、やはりヴィヴァルディの『バヤゼット』が最初だった。演奏も同じくビオンディ&エウローパ・ガランテである。あれから9年も経ったとは信じられず。そういや、ビオンディの髪も白っぽくなってましたなあ。

今回のオペラもやはりパスティッチョというヤツで、他の作曲家の作品を元にヴィヴァルディ自身の曲も挿入しているらしい。歳取ってさすがに人気が下り坂の彼は、これで再起を図るべくウィーンで上演しようとするが果たせず客死してしまった、という因縁つきの作品だ。

物語の舞台は古代ギリシャの国。10年前に先王を殺した反逆者が現在も支配中。王子は他国へ逃走、結婚迫られた妃は宙ぶらりん状態。そこへ王子が密かに帰国し、人質やら大臣やらが絡んでくるという、この時代の歌劇にはよくありそうなる設定である。
プレトークでのビオンディの話によると当時は5時間ぐらいかけて上演し、聴衆は現在のように集中して耳を傾けたりはしなかったそうな。

基本的には歌手はアリアを一曲披露しては引っ込むという形式で、個々の歌手の技能を楽しむのが中心。その点では、さすがに歌手の皆さんはもちろん一部の隙もなく役割をこなしていた。
特に、初日終了後に大評判となってネットが沸騰していたユリア・レージネヴァは、なるほど超絶技巧とはこの事かい(!o!)ってなぐらい。歌い終わると拍手喝采ブラボーの嵐となるのであった。
反逆者役のマグヌス・スタンブランは嬉々として悪役を演じているようだった。

プロダクションとしては何回もこなしているということで、エウローパ・ガランテの面々も、安定感充分の演奏だった。ビオンディは弾き振りで指揮していたが、ノってくるとヴァイオリンの弓を振り回していたのには笑ってしまった。

ステージは能の舞台を意識した構造になっていて、衣装や小道具もすべて和風である。
日本刀や扇を使い、歌舞伎風の所作も出てくる。これまで演奏会形式でしかやったことがなく、しかも準備日数が2日しかなかったというのが信じられないほどにキマっていた。

歌唱など技術面については、私はトーシロなので述べるのは控えて、演出面のことを書いておきたい。
歌手で男性なのは反逆者ポリフォンテだけで、他は皆女性(メゾ)ソプラノが演じている。女性6人のうち女役は2人であとは男役だ。
だが、ポリフォンテのM・スタンブランは上背があるだけでなく衣装もやたらと大きく広がって面積を広く占有しているので、彼以外は「女子ども」にしか見えない。レージネヴァ演じる大臣は忍者みたいな衣装に日本刀を差していたので、ネットで「ちびっこ忍者」と呼ばれていたほどだ。

さらにポリフォンテは男役女役関わらず他の人物に対し、顔をすり寄せたり頭をなでたり自分と対等な他者にはやらないような行為をするので余計にその印象が強まる。
特に手下として使ったアナッサンドロに対してはまるで恋人のように抱きしめたりするのだ。この関係は……あ、穴ッサンドロ?(@_@;)
元々はこの役は男声カウンターテナーが演じるはずだったのが、逃走降板したのだった。チラシの写真を見ると男っぽい容貌で、この二人が絡んだら、なんというか……「●ぶ」の世界ではないか

ラストはポリフォンテは処刑、アナッサンドロが追放されるが、これはまるで「女の園」から男が全員放逐されたかのようである。2人とも男性が演じていたらもっとその感が強まっただろう。
「男」が一人もいなくなってメデタシメデタシという話なのか。
演奏、歌唱、舞台装置などどれも文句ないものだったが、ただ演出の意図だけがもやもやと宙を漂っているようだった。


会場は数年ぶりに行ったが、女子トイレがウナギの寝床のように奥まで広くなっていたのはヨカッタ\(^o^)/ それでも長い行列ができてたけど。
ただ、いかんともし難いのが座席の恐るべき小ささ チビの私でさえ一杯なのだから、大柄な人には窮屈過ぎだろう。私の隣の人は足が入りきらず斜めに座っていた。
この日は雨で、楽器の調律は大変だったろう。以前もここでバロック・オペラを聞いた時にも雨だったような……。時期的なもんですかね。


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2015年3月 8日 (日)

バッハ・コレギウム・ジャパン第111回定期演奏会:冥途のオミヤゲにはぜひこの一曲

150308
世俗カンタータ・シリーズ5
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2015年2月22日

追悼の曲も「世俗」に入るんだと驚いた今回のBCJ定期。まあ確かに教会の礼拝のためのものじゃないからなあと考え直した今日この頃である。

この日は名曲BWV106番と198番、さらにうっかりミスでバッハ先生作と思われていた53番のアルト・アリアに、クーナウ(?)作を編曲したらしきモテットが間に挟まって演奏された。
折しも20年前の1月に起こった阪神・淡路大震災と3.11の大震災に挟まれた2月、ということで犠牲者の追悼の意味も含めているとのことだ。

106番は親戚の伯父さんの葬儀のためというのが定説だったらしいが、もっと高い身分の人物のために作られたらしいとプログラムの解説にあった。いずれにしても、バッハが22、3歳の時の曲ということで、えっ(!o!)そんな若い時に作ったのと若くして才能を発揮しているのに改めて驚いちゃうのであった。
編成がリコーダー、ガンバそれぞれ2本と通奏低音のみという簡素なもので、実際にステージ上で見るとますますその少なさがヒシと感じられる。
リコーダー2本の朴訥とした響きが何やら人生のはかなさを表わしているよう(T_T)

その約20年後の作品198番はザクセン選帝侯妃の追悼曲だ。間に弔辞が入るという2部構成になっている。こちらはカンタータの定番編成に、リュート(野入志津子&佐藤亜紀子という組み合わせは初めて見た)、ガンバがやはり2本ずつ投入されている。
この2つの楽器と通底だけを背景にアルトが歌うアリアは、何か独特の質感を持っていた。波のように繰り返すガンバのフレーズ……。

どちらの曲もこれまで聞いた録音はどれも一声部一人のものだったので、計16人の合唱部分になるとかなりの迫力で驚いた。

クーナウ作(多分)のモテットではそのコーラス隊がさらに本領発揮。いかにも葬送にふさわしい厳粛な合唱を聞かせてくれたのだった。
53番はアルト独唱アリアだが、2台のベルが入っていてそれらが打ち鳴らされると、思わずお迎えが来た~という気分になる。冥途の土産に持っていきたい曲ですな。

全体を通じて光っていたのはやはりCTのロビン・ブレイズだろう。特に聞きごたえのある曲が多かったし、またそれを曇りなき名唱で聞かせてくれたように思う。
テノールはG・テュルクだったけど……あれ、引退したんじゃなかったんですかい(?_?;


過去に聞いた録音では、106番はリフキン指揮のバッハ・アンサンブル、198番はA・パロット指揮タヴァナー・コンソートの演奏が耳に染み付いてしまっている。
以前にも書いたと思うが、特にリフキンの方は美しくもなく均整にも欠けたゴツゴツした変な音なのだ。にも関わらず(いや、だからこそ?)聞く者の心に強く働き掛けるものがある。特にリフキン本人が弾いているとおぼしきオルガンの低音はドスが効いていて迫力がある。60年代末期のブルースロック・バンドにそのまま加入OKみたいな音だ。

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2015年3月 2日 (月)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 3月版

LFJ発売に、チケット確保に忙しい人もおるだろうなあ。春本番を控えて、公演数は少なめな様子。

*21日(土)バッハ 音楽の捧げもの(BCJ)
こちらは所沢公演。オペラシティもあり。
*22日(日)コントラポント定期
*29日(日)大英博物館展プレ・コンサート1(佐藤亜紀子ほか)
これは東京・春・音楽祭の一つだが、遅れて発売されたのでなかなか気付かなかったあぶねえあぶねえ(~_~;)
プレ・コンサート2は4月11日でオルガンとバリトン。

他にこんなのも。
*3日(火)ファビオ・ビオンディ&エウローパ・ガランテ&ヴィヴィカ・ジュノー
「メッセニア」の興奮冷めやらぬ人が駆けつけるかも。
*11日(水)ケネス・ワイス チャンバロ・リサイタル
*14日(土)山岡重治&太田光子 新譜発売記念ミニ・ライブ
渋谷タワーで無料。
*29日(日)鈴木秀美 無伴奏チェロ

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2015年3月 1日 (日)

「テレマンとバッハ父子」:父さんバッハ奮闘す

150301
演奏:有田正広&千代子、吉崎恭佳
会場:松明堂音楽ホール
2015年2月21日

恒例、春先にこじんまりした松明堂ホールで行われる有田正広のコンサートである。
今年は、「テレマンとバッハ父子」というから、さぞテレマンについて得意の笛トークが聞ける--かと思ったら、作品演奏は一曲だけ。後は彼が名付け親となったカール・フィリップ・エマヌエル・バッハとさらに父バッハと兄のヴィルヘルム・フリーデマンが中心なのだった。

この3人について、有田氏の笛トークが炸裂 知識と仮説を取り混ぜて、1947年の父バッハのフリードリヒ大王の宮廷訪問は、才能に恵まれながら不遇だったW・フリーデマンの就職活動のためではないかとの推論を披露したのである。(その旅にはフリーデマンも同行していたそうな)
その証拠に大王取り巻きの音楽家たち(クヴァンツなど)に自作曲を贈っているとのこと。

そして、ホ長調の曲は優雅でフワフワした感じだがフルートで吹くには非常に難しい、などと言いながら、その父バッハがゴマすりのためにプレゼントしたホ長調のフルート・ソナタや、或いはカール・フィリップのトリオ・ソナタを吹いたのであった。
それにしても、涙ぐましいバッハとーさんの努力ではないか。それを知ると余計に曲のありがたさが身にしみるようであったよ(*^。^*)

兄バッハの曲も二曲。片方は千代子夫人によるチェンバロ独奏曲だった。

二本のフルートが登場する曲があるということで、この日はお弟子さん(?)の吉崎恭佳という若い女性奏者が登場。若さに似合わぬ沈着堅実な演奏で、有田氏と畳み掛けるような掛け合いを披露してくれた。
特に兄バッハの二重奏曲では日本の笛の音が付かず離れず競うように繰り広げられたのだった。聞いていて思わずため息が出た。
アンコールはテレマンと、弟バッハの1770年の曲集より。

古典派寄りのプログラムだったので個人的には守備範囲外の所が多かったけど、充実したコンサートでした。また来年もよろしく(^^)/~~~


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