« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »

2015年5月

2015年5月31日 (日)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 6月版

いよいよ古楽には向かないジメジメした時期が接近中soon

*4日(木)大塚直哉チェンバロリサイタル
*10日(水)コレッリとリュリへのオマージュ(天野寿彦ほか)
*25日(木)調布音楽祭開始

他にはこんなのも。
*5日(金)リコーダー、バロック・ギター、ヴィオラ・ダ・ガンバによるフランス・バロック音楽の楽しみ(花岡和生ほか)
  〃   洋館で味わうオリジナル・フルートの魅力(有田正広+吉崎恭佳)
*7日(日)バロック時代の香しき響き(菅きよみほか)
*12日(金)アルミード、悲劇の恋(根本卓也ほか)
こりゃ面白そう。しかし平日に青山まで行くのはキビシイ(~o~)
*13日(土)パーセル4 その音楽と生涯(日本ルネサンス音楽普及協会)
今谷先生がナビゲーターとして登場。
*14日(日)テレマンその幽玄なる音世界(国枝俊太郎+石川和彦)
*18日(木)シェイクスピアの歌(冨山みずえ+つのだたかし)
*19日(金)川口成彦ソロ・リサイタル
3種類の鍵盤を弾くそうな。鍵盤ファンは必聴か。
*20日(土)東京芸大チェンバーオーケストラ定期
大塚直哉がチェンバロと指揮で曲目はバロック系なんだけど、この団体はモダン楽器なのか?
*21日(日)リコーダー・オーケストラ デル・ソーレ東京(向江昭雅ほか)
  〃    テレマン:12の無伴奏ファンタジア(木村睦幸)
*22日(月)コントラポント定期 聖母マリアの夕べの祈り
*25日(木)洋館で味わうオリジナル・チェンバロの魅力(有田千代子)

書ききれないほどにコンサートが目白押し\(◎o◎)/! 特にリコーダー公演が多いのはなぜだsign02

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月24日 (日)

ラモー「優雅なインドの国々」:欧州連合の理想を求めて

150524
上演:ジョイ・バレエストゥーディオ
芸術監督・演出・振付:錦織佳子
指揮:野澤知子
会場:練馬文化センター大ホール
2015年5月16日

毎年、ラモーのバロックオペラを上演しているジョイ・バレエストゥーディオ。昨年の『プラテ』の再演はパスしてしまったが、今回は『優雅なインドの国々』という滅多にない演目を上演した。全5幕の内、プロローグと第3・4アントレを上演である。
過去にバロックダンスで見た(聞いた)ことがあるが、舞台装置を使って本格的なのは初めてだ。

ストーリーはあって無きがごとし--レビュー風で、当時は音楽だけでなく踊りと共に異国風の衣装やら装置やらを見て楽しんだのであろう、と思われるものだ。
プロローグで、美の女神の下でヨーロッパの若者たち平和に暮らしていたが、そこに戦いの女神が来てアジると、みんな戦争に行ってしまう。
そこで、キューピッド達はヨーロッパ以外の国へ愛heart01の宣伝活動に向かうのであった。で、その国がペルシャと北アメリカの「未開の地」である。(トルコとインカは省略)

毎回、こちらのバロックオペラ上演は本格的で、舞台も衣装も豪華である。今回の特徴はこれまで踊りはクラシックバレエだけだったのを、バロックダンスも部分的に導入していることだ。

音楽面では、前回の『プラテ』から野澤知子が指揮している。チェンバロ担当は別に奏者がいて、ほとんど立って指揮していた。(たまに弾いていたけど)
楽器の担当はチェロ懸田貴嗣、トラヴェルソ菅きよみ、オーボエ森綾香など手堅くまとめていた。トランペットは穴あき式を使用していたようだが、途中ですっこ抜けたのは残念だった。

歌手陣では、プロローグで戦いの女神を歌ったバリトン高田智士が勢いがある歌唱で、さらにダンサー二人従えてカッコ良かった。
ペルシャ編は女奴隷役の菅原章代、未開人編では長の娘役高橋美千子(お名前を間違って最初アップしてしまいました。すみません)が目立っていた。フランス人将校の田中健晴はコミカルな演技で笑いを取った。
一方で、ちょっとこれは本調子じゃないんじゃないの--なんて思っちゃた人も。

他にも隅をつつけばいろいろあるだろうが、ダンサー、合唱も多数参加で、このマイナーな演目をこれだけ豪華にやってくれたのはやはり見られた(聞けた)だけでもありがたい気分である。

なお、来年は『プラテ』の再々演とのこと。本当にこだわってますなー。

あまり言いたくはないのだが、ここでも「関係者の子ども」事案が発生(!o!)
男の子が3人ぐらい連れられてきて、元々興味がないもんだからゴソゴソ喋ったりバタバタ身体を動かしていたが、そのうち「あー、詰まんね」などと言いだす始末。
休憩挟んだ後は眠ってる時が多くて静かなのはよかったけど、終演後も眠りこけてて揺すっても起きないのであった。スタッフらしき人がやって来て言ったのは「ごめんねー」だと……謝るぐらいなら聞かせない方がいいと思いまーすannoy
もちろん、会場にはバレエやってるらしき小さな子たちがいっぱい来ていて、そういう子はもちろん静かに聞いて見ていたんだけどね。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月23日 (土)

「パレードへようこそ」:同じ闘うなら連帯せにゃソンソン

150523
監督:マシュー・ウォーチャス
出演:ビル・ナイ
英国2014年

この映画、『ブラス!』や『フル・モンティ』『リトル・ダンサー』を引き合いにして紹介されていたが、見るとなるほどという感じであった。

サッチャー政権下の英国、虐げられている同士、炭坑夫の長期ストライキを支援しよう\(^o^)/と思い立ったのは、ゲイの若者の団体。寄付金を集めるも、送ろうとすると偏見からどこの炭坑組合からも拒否されてしまう。
唯一うっかりと承諾してしまった組合の町と思いがけず交流が始まるという次第。

互いに「ゲイって初めて見た」「炭坑夫って初めて見た」というぐらいで、マッチョな気質の町民と若者たちの間には良いことも悪いことも色々と起こるのであった。
さらに、エイズの影もちらほら……。

それに加えて、自分がゲイであることを自覚し始めながらも家族には隠している青年の成長譚がそれに絡む。
一方で、炭坑町の女性たちもパワーを得る。
時代は違えど『ジミー、野を駆ける伝説』を連想した。構造がよく似ている。

反抗精神とユーモアを忘れず、異なるコミュニティに属する人々が和解していく経緯は感動的であるし、1980年代の英国にはそんなこともあったんだーと初めて知った(ちなみに実話を元にしている)。
さらにビル・ナイやイメルダ・スタウントンなどベテラン役者陣の演技も味わい深いものがある。

ただ、こういう話は脚本の丁寧さが重要かと思うんだけど、今一つ乱雑なところがあって辻褄が合わず、納得いかない部分があった。青年の姉が前触れなしに突然登場してくる場面もおかしい。2時間の長さだけど、本当はカットされている場面があってもっと長いのか。そこに不満を感じた。

実際には、炭坑ストライキと政府との対立は苛烈なもので、警官隊との激突で死傷者なども出たらしい。そういう背景があってこその話のようだ。
ゲイのパレードに「余計な政治的メッセージは出すな」という注文が主催者から来る件りは、日本の原発デモの時も似たような議論があったなあと思い出した。いずこも同じ問題なのか。
80年代の音楽(あと、ファッションも)は個人的に非常に懐かしかったshine


連帯度:7点
反発度:6点


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月19日 (火)

「他人の墓の中に立ち」

150519
著者:イアン・ランキン
早川書房2015年(ポケットミステリ)

ジョン・リーバス警部シリーズ、よもやの復活!
えっ(!o!)リーバスって定年退職したんじゃないのsign02

スコットランドの「国民的警察小説」(←この形容は本当か?)の主人公は前作でめでたく定年退職したはずだった。しかし、往生際悪く「重大犯罪事件再調査班」という部署に所属--といっても正式な捜査員ではなく嘱託みたいなものか。

となると、思い浮かべるのはM・コナリーの「ハリー・ボッシュ」シリーズである。こちらでは、一旦警察を退職して私立探偵になった主人公が再び復職し、迷宮入りになった事件(いわゆる「コールドケース」)を扱う担当になるのであった。
これによく似ているではないか。

イアン・ランキンは別の警察シリーズを書き始めたが、うまく行かないので再びリーバスを引っ張り出したんじゃないの……なんて疑念も浮かんでしまう。
その証拠に、そちらのシリーズの主人公がリーバスの敵役となって彼をチクチクといびるのであった。

事件は少女の失踪事件再調査から、とある幹線道路沿いに起こった連続殺人の疑いへと発展する。その道路を行ったり来たりする描写がかなり長い。(酒の蒸留所を通るたびに一礼するのは何故?)
元の部下のシボーンも登場して、再びリーバスに引っ張り回される。

彼は歳を取るとともにますますイヤなオヤヂimpactになってきているようだ。気にくわない上司のホッチキスを隠すって、こりゃ小学生か?
捜査も強引である。昔はこれほどじゃなかったような? 結局のところ、よくよく考えると確たる証拠なしに力技で事件を解決してしまったとしか思えない。

ハリー・ボッシュの方は定年延長でまだ現役の刑事として働いているようなので、同様にリーバスもまだまだ活躍するらしい。

これを読み終わったと思ったら、もう一つのシリーズ「警部補マルコム・フォックス」の2作目『偽りの果実』(こちらの方が原作の刊行は早い)も書店に並んでいた。
なんてこったい\(◎o◎)/! ファンには暮と正月がいっぺんに来たようなもんだ。早川さん、新潮さん、これからもよろしくお願いしま~す(^人^)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月17日 (日)

イタリア映画祭2015

150517
会場:有楽町朝日ホール
2015年4月29日~5月5日

毎年、連休に開催されるイタリア映画祭。今回はすぐ近くでやってるLFJの合間に行くような感じだった。

★「レオパルディ」
監督:マリオ・マルトーネ
出演:エリオ・ジェルマーノ
イタリア2014年

レオパルディってどういう人物だ?--と思ったのは映画が始まってからだった(!o!)
私が見た回はアフタートークがあって出演していた女優さん(妹役?)によると、イタリアでは必ず教科書に載っているような国民的詩人で、業績の範囲も広くてレオナルド・ダ・ヴィンチに匹敵するような人物らしい。日本だと夏目漱石と森鴎外と島崎藤村を合わせたような感じか。

18世紀末に伯爵家の長男として生まれたジャコモ・レオパルディは弟や妹と共に、厳しい父と恐い母の下、田舎町でひたすら学問の毎日を送る。詩作が評判になり都市に出ようとするが、病弱のためもあって両親や親戚から阻止される。
しかし、やがて出奔。仕送りも断たれて窮乏生活の中でも、文壇では名を上げる。しかし脊椎が曲がる病状は進行し歩くのもままならない中、生活のため各地を転々とする。性格も偏屈さが増していく。
さらに作品は「古くさい」「暗い」などという批判も受けるようになる。

かような半生がジックリと綴られる。ジックリし過ぎてダラダラ続くような印象だ。さらに加えて、心象風景と共に彼の詩が朗読されるというシーンが何回かある。こうなると、長過ぎとしかいいようがない。開会式とアフタートークを入れると3時間半近くで長かった……。かなり疲れてしまった。
主役のエリオ・ジェルマーノを始め、役者は熱演なんだけど。
加えて音楽の付け方も変。クラシックな曲が使われたかと思えば、現代のポップスが流れる。

それと、彼は時代的に文学だけでなく政治思想の面でもかなり活動していたようで、そこら辺は当時のイタリア史を知らないと理解が難しい。

主人公の評論がつまらないと批判された時に、知人が「彼は身体の調子も悪いし--」のような意味の弁護をすると「個人的な事情など関係ない!」と彼は怒り出すのだが、その割にはこの映画は病気による困苦がかなり強調されて描かれているのはどうなのかと思った。
颯爽と文壇に登場した時期だってあったはずだと思うのだが、その時代のことはすっ飛ばされているのである。
とはいえ、「初体験」のために売春窟へ向かう件りは泣けました(T_T)ウウウ

レオパルディのことは調べようにもネットにもほとんど出ていないと聞いた。しかしsign01書籍の人名辞典を調べるとかなりのスペースで載っているではないか。さすが、紙メディアまだまだ捨てたものではない。
それによると、彼を支えた若い友人は編集者とのこと。映画だとジゴロが商売かと思っちゃった(^^ゞ

まあ、全然知らなかった他国の偉人のことであるが、映画のおかげでまた一つ知識が増えましたflair


私が見た回はちょうど開会式が上映前にあった。ゲストの監督や役者が14~5人壇上に登場して、一人ずつマイクを回して挨拶したが、結構長く喋る人がいたので30分強かかってしまった。(通訳あるので倍の時間かかるclock
ほとんどは「日本に来られてうれしいです」みたいな挨拶だったが、中で一人F・オズペテク監督が、以前日本公開された自作の邦題が『あしたのパスタはアルデンテ』で、今回の作品は『カプチーノはお熱いうちに』になってしまったので、さらに次は「ティラミス」になるかも、とジョークを言って笑わせた。
といっても、日本人の反応は冷汗と共にトホホホ(^_^;)笑いだったのは言うまでもない。


★「人間の値打ち」
監督:パオロ・ヴィルズィ
出演:ファブリッツィオ・ベンティヴォリオ
イタリア・フランス2013年

投資銀行で巨額の財産を得ている富裕な一家と、自動車事故をめぐるトラブルを描く。
一家の若い息子にガールフレンドがいて、彼女の父親はツテでなんとか無理な投資を頼もうと画策している。
息子の母親は夫にも息子にも軽く扱われていて、常に鬱屈を抱えている金持ち夫人状態である。
ガールフレンドの女の子は、実際は息子とは別れているのだが、相手は未練たらたらで何かとちょっかいを出してくる。

この三者ははた目から見れば何のトラブルもなく満ち足りているようなのだが、それぞれにしてみれば危うい状況を綱渡りしているのだ。
冒頭の自動車事故の顛末が三人の視点から描き出され、その真相が明らかになっていくという趣向である。同じ場面でも視点が違うと、全く異なる意味だったことが分かる。

しかし、それはすなわち観客にしてみれば、三回同じ場面を繰り返して見ることを意味していて、よほど編集をうまくやらないと飽きてしまう。その点ではちょっと冗長に思えた。

一家に財産を失う危機が訪れるが、その金額に比べれば人間の生命の価値など取るに足らないもの……という皮肉な結末を迎えて終わる。拝金主義もここに極まれりという様相が容赦なく描かれている。いずこの国も同じような状況なのかね(;一_一)

ただ私は本筋に関係なく、常に独りでは生きられない男たちの尻ぬぐいばかりさせられている少女のことが気になった。本人はそれが「愛」だと信じて疑わないだろうが、私はひたすら暗澹たる気分になってしまったのである。

残り時間10分強でLFJのコンサートが始まってしまうので、エンドクレジットが始まった途端に会場を飛び出した。すいませーんm(__)m

以上の2本以外に『いつだってやめられる』と『黒い魂』というのを見たかったんだけど、時間がうまく合わなくて見られなかった。
やはりLFJとイタリア映画祭両方制覇は無理ですな。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月10日 (日)

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2015

150510
今年も来ましたよ、LFJ。今年は5月2日~4日、テーマは「PASSIONパシオン」とかで、意味はよく分からんが、古楽公演もあるので東京国際フォーラムに3日連続で通った。

★141「ヴィヴァルディの美の極み」
演奏:カルロス・メナ、リチェルカール・コンソート
会場:ホールC

第一日目に朝イチ公演である(正確には、9時半から始まる公演があったから朝ニ)。頑張って早起きして行ったぞー。東京ではカルロス・メナ(カウンターテナー)の独唱はこれしか聞けないのだ。そのせいか、朝早くても一階はほぼ満席のようだった。ファンのオネーサマ、オバサマ方多数のもよう。

ホールは1500名収容と大きいので、あらかじめ座席選択でかなり前の方をゲットしておいた。これは吉と出た。声はダイレクトに聞けたし、歌うお姿もバッチリ見られた。
ヴィヴァルディの作品は3曲とも宗教曲であるが、宗教曲とは名ばかり(^O^)ソロ歌手の見せ場聞かせ場の続出な華やかなものだった。

1曲目は客もメナもまだ本調子でないような雰囲気だったが、その後の「スターバト・マーテル」からはノリが良くなっていった。
ただ、本来ならブラボー飛び交ってもいいようなないようだったと思うんだけど、今一つ客席が静かだったのが残念。まだ半分寝てたかしらん。

リチェルカール・コンソートの方は弦と通奏低音の編成で、フィリップ・ピエルロは指揮に徹している--はずが、真ん中にガンバが置いてある。どこかで弾くのかと思っていたら、「ニシ・ドミヌス」でメナとの美しい二重唱奏を聞かせてくれた。ウットリheart01
通奏低音が休みでヴァイオリンとヴィオラが弾いているという楽章が2回出てきた。ヴィヴァルディはこの形式が好みなのだろうか。

3歳から入場可能なコンサートだったので、小さな男の子がいたのだが、2曲目の途中あたりから我慢が出来ずゴソゴソしだした。恐らくメナを聞きたかったのであろうおかーさんは無念(>_<) あえなく子どもを抱えて途中退場したのだった。


★143「バッハによる哀悼のカンタータ」
 345「バッハによる喜びのマニフィカト」
演奏:リチェルカール・コンソート
会場:ホールC

今年のリチェルカール・コンソートは弦・管・打とバッハ演奏としてはフル編成で来日した。(トランペットは穴あきを使用)
もっとも歌手の方は基本一声部一人なので1日目は4人、3日目は5人だった。しかも、舞台の前方ではなくて楽器の後方で歌うので、1500人の会場ではかなり厳しかったのではないだろうか。私はやはり前方の席だったので、後ろでどの程度聞こえたか不明である。

1日目はカンタータ103番と追悼歌「候妃よ、いま一条の光を」である。ここでアクシデント発生impact 配布された歌詞になんと後者の曲の後半が脱落していたのだ!ちょうど、第1部と第2部の切れ目だったので、終わったと勘違いして拍手が起こってしまった。私なぞ、録音で散々聞いた曲なのにボーッとして一緒に拍手したりして……(@_@;)
終演後、「歌詞の訂正」を配っていたが、これってBCJの公演時のパンフをそのまま借りてないか?(文字の組み方が全く同じ)

それはともかく、テノールのマンメルが驚くべき不調だった。高音部に行くと全く歌になってないような乱調ぶりである。なんでこんななの(?_?) このすぐ後のBCJのコンサートでは「マタイ」の福音史家をやったというのだから恐るべし。ネットで、医者の処方薬で音感が半音狂うものがあるというのを知ったが、もしかしてその類を飲んだとかだろうかtyphoon
ソプラノは白髪がめっきり増えた常連マリア・ケオハネ。声が良く響いて大きなホールでは強いタイプであるな。

103番のアルトのアリアではM・アンタイのフルートが素晴らしかった。もっと近くで聴きたーいear しかし午前中の同じメナが歌ったヴィヴァルディと比べると、バッハの歌曲は歌手が見せ場を作るような面には欠けてるなと思った。
「候妃~」ではオーボエが艶のある音でこれまた聞き入ってしまった。こちらでは、ガンバは日本代表(?)武澤秀平が特別出演した。もう一人の女性もBCJの公演の時に一緒に弾いてた人かな。

疑問に感じたのは、テオルボの人がかき鳴らす弾き方をしていたこと。世俗曲ならやるかも知れないけど、追悼曲(分類では宗教曲じゃないが)でもそれをやるのか? 詳しい人にぜひ聞いてみたいもんである。

公演345では、マンメルの声が復調していてホッdashとした。(それでも、少々怪しいところが……)
107番のカンタータには彼が歌ったアリアがあったが、ライナー・ツィパーリングのチェロがガシガシと強靭で素晴らしかった。いつか、彼と鈴木ヒデミ氏との東西頑固チェロ対決共演を聞きたいもんである。
後半の大曲「マニフィカト」は三重唱や合唱も美しく、トランペットやティンパニも登場して華やかに盛り上がった。

関係ないけど、この公演も有名な某「おじさん」が来ていた。しかし座席は最前列ではなかった。最前列でないのは初めて見た!(ような気がする)

リチェルカール・コンソートは金沢の方のLFJと一日おきに行ったり来たりしてたようで、ご苦労さんである。金沢ではメナのソロが2回もあり、さらにアンタイの単独公演もあってうらやましい。うらやまし過ぎるぞ、金沢\(◎o◎)/!
ところが、古楽系の客の入りが悪かったということで問題になったらしい。確かに実際に行った人のブログに、メナのコンサートがガラガラだった(「こんなに空いていたのは初めて」というぐらい)と書いてあった。しかし、彼らの知名度では仕方あるまい。地方で1500名規模の会場を古楽系で埋めるのは無理である。--というか、そもそもそんなデカい所でやらんでくれ。


★233「ルネサンスの恋の歌」
 226「ルネサンスの愛の二重唱」
演奏:ラ・ヴェネクシアーナ
ホールB5、ホールB7

ラ・ヴェネ(ク)シアーナは3回公演があったが、そのうち一つは抽選に外れてしまった。
しかし、ここでもアクシデント発生danger バスの歌手(「ポッペア」でセネカやってた人ですね)が来日した途端に声が不調となり、急きょプログラムを入れ替えたのである。一日目の夜にやるはずだったマドリガーレを二日目に回し、二日目のモンテヴェルディ特集を最初にやった、ということらしい。

かくして、私は小さなB5ホールでマドリガーレを堪能……のはずだったのが、なんと遅刻して端っこの席になってしまった。自分が悪いから仕方ないけどさ。結果、メンバーの横というか背中を眺める羽目になってしまった。トホホ(T_T)である。
声は壁に反響してくるのを聞くみたいな感じだった。

歌いながら指揮しているカヴィーナを含めて歌手は6人。さらにテオルボとハープがいた。ただし、歌曲はほとんどアカペラで、間に器楽曲が入るという形である。
作曲家はモンテヴェルディ、ジェズアルドのマドリガーレを交互に。ルネサンス末期からバロック初期をつなぐような内容だ。
曲間に拍手はなく、息するのもはばかられる濃厚な雰囲気が会場内に立ちこめる。硬質な声の世界に封じ込められたようだった。
ここにもあの「おじさん」が来ていた。どうやっていい席を確保できるのか。何かツテがあるとしか思えない。

さて、次のコンサートまで5時間も空きがあるので、渋谷まで映画を見に行った。タワーにも寄る暇があって楽勝(*^^)vであった。もっとも、この日は暑くて渋谷の道路で日向を歩いていると体力がどんどん消耗してマイッタ。

夜の7時半になって、今度はデュエットの曲ばかり集めたプログラム。こちらは800人収容という大きめで、しかも段差がない会場だ。正直、ここで少人数の古楽アンサンブルを聞くのは厳しいng まだ私は座席がサイドとはいえ前の方だからよかったものの。

歌手はソプラノ2人にテノールとバスで、カヴィーナはチェンバロと指揮に専念していた。モンテヴェルディ以外にディンディア、ストロッツィ、サンチェス、カリッシミで、全8曲。
最後にストラデッラの歌曲でソプラノとバスがデュエットするはずだったが、バスの歌手に負担が大きい曲とのことで、急きょ「ポッペア」の最後の二重唱に変更になった。別に聞いてる限りではバスの人はそんなに不調と思えなかったのだけど……。
でも、モンテヴェルディの名曲が聞けたと変更を喜んでる人が結構いたかもしれない。

同じくモンテヴェルディの「素敵な羊飼い」はバカップルがイチャイチャしているような内容で、歌手も芝居気タップリ、会場も大いに沸いた。なんか聞き覚えがあるなあと思ったら、以前ラ・フォンテヴェルデの公演でやってたのを聞いたのだ。
昼間の公演とは違って大いにリラックスした雰囲気だった。

終演してから、「45分間で2600円って高くない? 普通のコンサートと同じじゃないの。安いとか宣伝してるけど、全然安くない」と話している人がいて、確かに頷けると思った。
この日のメンバーのラ・ヴェネクシアーナなら都内の中規模ホールで6~5千円ぐらいか。会場の音質のことを考えると比べて安くはない。

さて、かつてこのグループの「花」的存在fujiだったソプラノのガッリとマメリは参加してなかった。期待してたのに、二人ともいなくてガッカリしてた人が多かったようだ。しかし、マメリはもう一枚看板張れるぐらいになってるから、「ポッペア」みたいにオペラの主役でというならともかく、地味なマドリガーレのプログラムでアンサンブルの一員として--なんてのでは来日しないでしょう。


全体を通して一番だったのは、やはりM・メナのソロ公演だった。満足であ~るfull
古楽系では他にアンサンブル・レ・ゾンブルというグループを聞いてみたかったが、会場がよみうりホールだったので断念した。(国内組は他に聞く機会はあるのでパス)
3日間、天気が良くてよかったけど、人出は最盛期に比べるとやはり少ないという印象だった。グッズ売り場に行くとよーく分かるし、バッハ特集の頃なんかそもそも当日チケットがほとんど残ってなかったのである。

あと、一つ不満なのはメンバーのリストが出ないこと。リチェルカール・コンソートは歌手の名前しか分からないし、ラ・ヴェネクシアーナに至ってはカヴィーナの名前しか出てない。「あのチェロは誰だ?」とか思っても探しようがない。
ギリギリまで判明しないというのなら、せめて事後にサイトに載せて欲しいぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月 7日 (木)

「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」:僕と彼と計算機と

150507
監督:モルテン・ティルドゥム
出演:ベネディクト・カンバーバッチ
イギリス・米国2014年

結論から言えば、ベネディクト・カンバーバッチが一人って背負って立っている映画である。決してアラン・チューリングの映画ではない。いや、両者は混ざり合って果たして一体どちらを見ているのか分からなくなるぐらいなのだ……。

チューリングったら電子計算機の初期開発者の一人--ぐらいの知識しかなかった。実際には第二次大戦時にドイツの暗号「エニグマ」解読にたずさわり、対戦を勝利に導く一方で、同性愛者として苦悩していた、などということは全く知らなかった。

彼は現在なら発達障害などと診断されていただろうか、他者とのコミュニケーションが取れず自分の研究に没頭する。チームワークなんぞ気にしないのだ。

そういう男を中心にして物語は描かれる。他の登場人物のほとんどは敵対して妨害する者、あるいは障害となる者である。唯一の例外は、キーラ・ナイトレイ扮する婚約者だが、後半スパイものめいた展開になると彼女もはじき出されてしまう。
もう一人、真の理解者がいるのだが回想の中にしか現われない。

本来ならば到底、観客が感情移入できないような人物をカンバーバッチはよく演じている。特に無表情な顔に微かに怒りが走っていく場面はお見事としかいようがない。
終盤の孤独な姿は涙を誘うであろう。
それはひっくり返せば、カンバーバッチ以外存在しないような世界となってしまうわけであり、それが唯一の不満と言えば不満である。

実際の暗号研究施設はもっと大規模で多数の研究員がいたらしい。それと、欧州大戦の帰趨を全て握っていたのは英国である<`ヘ´>、というのは他の国々から異議が出そうだ。
私はむしろ、これほどまでにすごい暗号システムを考えたのはどんな人物なのだろうかと、そっちの方に興味が湧いてしまった。

アカデミー賞の脚色賞を取ったG・ムーアは、授賞式でのマイノリティの若者へメッセージを送るスピーチで涙を誘い評判となった。
美術や衣装もレベル高しであったよ。

それにしても同性愛者の名誉回復は、戦争の英雄であることを引き換えにしなくてはできないことなのか? そんなことが必要でなくなる世界が早く来てほしいもんだ。

終わり近くで、K・ナイトレイが感動的なセリフを語って思わず涙がsweat02……その時、すぐそばの座席から無情にもポリ袋ガサガサ音が響くのであった。よりによって一番のクライマックスに(>O<) あんたは映画見に来たんじゃないのかannoy


暗号迷宮度:7点
人生迷宮度:9点


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月 6日 (水)

「フォックスキャッチャー」:愛撫と攻撃は紙一重

150506
監督:ベネット・ミラー
出演:スティーヴ・カレル
米国2014年

カンヌ映画祭で監督賞獲得、アカデミー賞では5部門ノミネートの、実話に基づいた作品である。ならば、見た人の感想も高評価--と思いきや、賛否両論でかなり差が激しいのであった。

主要登場人物は3人で、レスリングの選手でオリンピックに出場して優勝した兄弟と、大財閥の後継者で素人ながら自前のチームを作った男である。彼は最初に弟の方に声をかけ、やがて兄も招く。しかし、彼はマザコンでコンプレックスの塊のような人物だった。
一方、選手は1980年代半ばではまだアマ規定が厳しかったはずで、金メダルを取っても生活がカツカツ状態で、練習もままならない状態である。
もっとも兄の方は妻子を持ち、指導者としても優秀で如才ない。融通の利かない弟は引け目を感じているのだった。

金があれば栄誉も買える。なんの実績も才能もなくても、男は金を使って指導者のように振る舞う。ここら辺の描写はかなり見ててイタいdanger ただ、そのイタさが笑いではなく恐怖を見る側に引き起こすのだ。

この三人の関係が淡々と描かれる。内面に踏み込まず、完全に表面をなぞっていくようにである。彼らが互いに何を考えているかは観客側が推測するしかない。
唯一の例外は弟の回想シーンである。本当に短いショットでうっかりすると見落としてしまうが、中に男との同性愛関係を暗示する場面が挿入されていた(モデルである本人が非難したというのは多分このシーンだろう)。
そういう関係にあったのかどうかはともかく、「寵愛」が憎悪へとねじくれてもはや競技どころではなくなっていく。それは選手としては致命的である。

このような人間関係の描き方で思い出すのは、アスガー・ファルハディだ。彼の監督作品に似ている。逆に言えば、ファルハディの映画が嫌いな人はこちらも最初から見ない方が吉と出るだろう。

印象に残ったのは、兄弟だけで黙々と練習をする冒頭部分。なんだか、レスリングの攻撃とは、愛撫と区別がつかないのが象徴的である。
ラストの事件はすぐに起こったように見えるが、実際は8年後とのことである(ただ、奥さんの持ってた電話は時代的に合ってるもよう)。
結局、事件の原因は最後まではっきり分からない。ヌエ的な事件をヌエのままに描いて終了するのである。

スティーヴ・カレルはコメディ演技を封印、まったく別人のように狂気を演じて、評価を得たのも当然だろう。ただ、キューブリック作品での狂気の描写を批判した精神科医の春日武彦なら、こちらにも厳しくナタを振るうngかも知れない。
弟役のチャニング・テイタムは身体つきも身振りや話し方も完全にレスリング選手になり切っている。マーク・ラファロに至っては、とてもあの『はじまりのうた』のヘラヘラヨレヨレしたプロデューサーと同一人物とは信じられん(;一_一) 役者というのはスゴイもんだなあと改めて感心した。


健全な身体度:8点
健全な精神度:2点


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月 4日 (月)

「コレッリへのオマージュ」:誰もがコレッリを愛してる!

150504
演奏:水内謙一ほか
会場:近江楽堂
2015年4月25日

コレッリに直接師事したり、あるいは影響を受けた作曲家を集めたプログラム。演奏するは、リコーダーが水内謙一&宇治川朝政、ガンバ田中孝子、チェンバロ村上暁美の4人である。

全く知らない作曲家の二人ペーツ、ソミスはそれぞれローマ留学して直接コレッリに教わったとか。後者はヴァイオリニストとして名をはせたそうである。(もっとも、この日演奏されたのはガンバ曲だったが)

テレマン2曲演奏。2本のリコーダーのためのソナタと、もろにコレッリの作風を模したソナタをやった。
その他はオトテール、モンテクレールで、コレッリ御大の作品は合奏協奏曲をリコーダー用に編曲したものと、トリオソナタだった。
いずれも「コレッリ愛heart04」に満ちた作品にして、演奏だった。こういう企画は非常に面白いので、今後もお願いしま~す(^人^)

チェンバロは会場備え付けのでなく、中国趣味の白い地に絵が描かれた美しいshineものだった。当時流行ったマイセンの陶器を模したのだという。
この楽器でヘンデルの鍵盤曲を演奏する時に、村上女史は楽器の中の爪は本物の鳥の羽を使用していると実物の羽まで見せながら解説してくれた。やはり本物だと音が違うそうである。写真撮っておけばよかったと後悔した。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月 2日 (土)

「名器「グライフ」によるバッハとヴァイスの音楽」:往きて還りし音楽

150502
演奏:佐藤豊彦
会場:近江楽堂
2015年4月22日

CD発売記念として行われた公演である。
リュートのグライフ様と言えば、1611年生まれというご高齢sandclock思わず「様」を付けて呼びたくなってしまう程の貫禄なのだ。
本来ならばフカフカの座布団に乗せられて、博物館のガラスケースの中に鎮座していてもおかしくはない。近年、無理がたたったのか老朽化が進み、しばらく前にメンテナンスをして少し若返って佐藤氏の元にご帰還あそばしたということである。

初めてその音色を聴いた時、それまで耳にしていたリュートの音とは全く違っていたので驚いた。なんだか乾いた「竹」っぽい、余計なものが何もない簡素な音であった。バッハやヴァイスが同時代に聞いていたリュートとはこんな音だったのか(!o!)

--ということで、CDの内容に沿ってヴァイスはシャコンヌを2曲、バッハは無伴奏チェロ1・3番を元にした組曲が演奏された。
個人的にはグライフでこの二人の作曲家を聞くのはかなり久しぶりのような気がする。

シャコンヌを始め、舞曲が幾つも登場する。しかし、当時すでに実際に踊っていたというのはメヌエットぐらいだったそうだ。つまり「舞曲」とは名ばかりだったらしい。
いにしえの舞曲を奏でるグライフ様。その音色も相まって、佐藤氏の演奏は率直で派手なところなど存在せず、もはや枯淡の域に達していたと言ってよいぐらいだった。

そんな調子なので、終盤でなんだか演奏が消え入りそうになってどうしたのかと思ったが(左腕が動かなくなったとのこと)、そんなこともさして気にならなくなってしまう程にだった。

とはいえ、さすがに途中で誰かがケータイ・スマホのバイブ音を響かせてしまったdangerのは、なんだかなあ、だった。近江楽堂でリュートの独奏だとバイブ音でも聞こえてしまうのだよ。

後日CDを聞いてみたが、やっぱり音が違うear なんというか、CDの方が普通のリュートの音に近い(^o^;) 実物はもっとペチペチした響きであるよ。それにうっかりボリューム上げると実物より音量が大きくなっちゃう。


ところで、佐藤氏をはじめ最近リュート弾きがよく使っている滑り止め布、あれが普及する前はみんな何を使っていたのだろうか。楽器にベルトを付けて固定していたのか?
昔は滑り止め布なんか存在しなかったろうしね。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 5月版

古楽ファンとしては、有楽町よりもLFJ金沢やびわ湖の方が気になる今日この頃。隣のLFJは良く見える?

*16日(土)ラモー:優雅なインドの国々(ジョイ・バレー・ストゥーディオ)
*23日(土)・24日(日)ヘンデル:ジュリオ・チェーザレ(鈴木秀美指揮)
さて、一体いかなる出来栄えになるでありましょうかheart01ドキドキ
*30日(土)親密な語らい(前田りり子、佐野健二)

他にはこんなのも。
*10日(日)イタリア・バロックの旅(山岡重治ほか)
*17日(日)ロンドンで活躍した音楽家たち(菊池かなえ、外川陽子)
*23日(土)チパンゴ・コンソート
*24日(日)奇妙なマザーグースの話2

休日のコンサートが多くなって、映画に行く暇がなくなってしまいました。ジミヘンの映画も行きそこなったしなあ……(T_T) 少し控えめにしようかしらん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »