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2015年9月

2015年9月30日 (水)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 10月版

季節は完全に秋 早いものです(~_~;)

*3日(日)F・クープランでめぐる「諸国の人々」(寺神戸亮ほか)
*9日(金)ひと時の音楽~ソプラノとリュートの調べ(鈴木美登里&今村泰典)
*18日(日)オルガンの歴史、時代・楽器・作品(松井直美ほか)
*20日(火)イタリア歌曲集~優しい森よ(波多野睦美)
*22日(木)マラン・マレ ヴィオル曲集3(福沢宏)

他にはこんなのも。
*15日(木)ヴァルター・ファンハウヴェと巡るリコーダー音楽
*  〃   ナイトタイム・パイプオルガンコンサート(小林英之)
*20日(火)パリ 古の響き(依田幸司ほか)
*  〃   17世紀チェンバロの小さな楽しみ(福間彩)
*23日(金)Anonymous was a woman? 12,13世紀の女の歌(小坂理恵)
*28日(水)パルティータ、そしてソナタ(廣海史帆&横山博)
*29日(木)英国音楽の回想録(レ・タンブル&ハルモニア・レニス)

サイドバーの「古楽系コンサート情報」(随時更新)もご覧ください(^^)
10月は新・福岡古楽音楽祭開催です。
NHK-BSの「クラシック倶楽部」でマメリ&ラ・ヴェネクシアーナ、S・クイケン、BCJの再放送あり。

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2015年9月28日 (月)

モンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」:安定の美

指揮:有村祐輔
会場:石橋メモリアルホール
2015年9月23日

モンテヴェルディの有名な宗教曲を、合唱セシリア・コンソート、器楽アンサンブル・パルナス(コンミスは川原千真)、独唱者を国内外から招いての演奏だった。

コーラス隊はかなりの大人数である。これまでこの曲を聞いた中では一番多かった。オーケストラは管楽器隊は濱田芳通や宮下宣子、古橋潤一など実力派ぞろい。通底はというとテオルボがつのだたかし、チェロ田崎瑞博がデンと真ん中前方に陣取っていた。

独唱者ガイジン組はなんとロベルタ・マメリ(!o!) この度のソロ公演は古楽限定のプログラムではないので、この客演は嬉しいところである。それとテノールのルーファス・ミュラー。名前はドイツ系だが英国人だそうだ。かなり声量のある朗々とした歌い方の人で、彼と国内組の櫻田亮と共にステージの両側から歌うと、音響がいいこの会場の壁を振るわせるようにガンガンと響いた。
他には波多野睦美、小笠原美敬など。

聞きどころはやはりマメリ&波多野の「汝は美し」と、テノール3人「二人の熾天使が」だった。後者の曲に限らず、3人のソリストが歌う場面では三角形型に配置するのが興味深かった。

声楽にしろ器楽にしろしっかりとした奏者による演奏で、一貫して落ち着いて聞くことができた。大規模なコーラスも派手というより安定さを感じさせた。
ずっと弾きっぱなしの通底、特につのだたかしとオルガンの能登伊津子はごくろーさんでした。
過去の公演に比べると演奏が早く終わった気がした。よくよく思い返すとグレゴリオ聖歌の部分が省略されてたような。

さて、このセシリア・プロジェクトでは第1回は「メサイア」をやって、今回が2回目だそうである。となると、次回は……バッハ先生でしょうかな(^^?)

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2015年9月27日 (日)

「インサイド・ヘッド」:ヨロコビもカナシミも幾歳月

150927
監督:ピート・ドクター
声の出演:エイミー・ポーラー
米国2015年

よくもまあ、こんな変な話を映像化できたもんよなあ。さすがピクサーというべきか。
人間の脳内の5つの感情がキャラクターになってあれやこれやで右往左往。さらには思い出の倉庫や抽象化工場とか、幻想ランド、そして深層意識まで。まるで脳内はテーマパークのようではないか。(実際に某ネズミランドに出来るのかしらん)

少女の脳内リーダーはヨロコビだが、父親はイカリだし(といっても年中怒っているわけではない)母親はカナシミなんだよねえ。学校の先生はムカムカ(?_?)

思春期入りかけの少女の成長と脳内キャラの冒険をうまく重ね合わせた作品と言えるだろう。ちょっと泣ける場面もあり。
ただ、人間が知らない(自覚しない)キャラが陰でゴソゴソしているというのは、なんだか『トイ・ストーリー』と重なるような気がする。
そう思うと、さすがに『トイ~』には負けるかなあ、などと思ってしまうのだった。

日本語吹き替えでは「ブロッコリー」が「ピーマン」になってるんだって 芸が細かい……というより、そこまでやるか(!o!)
ちなみにオリジナルでは両親役で、カイル・マクラクランとダイアン・レインが特出だ。

同時上映の、火山の燃えるような恋の短編アニメは今イチ……今サンぐらい。火山男がまるでスター・ウォーズのジャバ・ザ・ハットみたいなんだも~ん(ーー;)

それから見る前から悪評がバシバシ流れて来ていた「応援ビデオクリップ」。なんでこんなもんをくっ付けたのか不明である。実は私は件のバンドをこれで初めてまともに聞いたのであった
で、聞いて驚いたことには、その曲がまるっきりかつての80年代サウンドなのだ。特にリズム・セクションはそのまんま過去から持ってきたのかというぐらい。
今さらなんなんだ、これは(+o+)--と思ったら、なんと最近は80年代サウンドが復活して、人気なのだそうだ。えーっ、知らなかった。こりゃ驚いた(@_@;) 当時を知らない人には新鮮なのかねえ。

観客は若い女の子が多数。しかし、私の近くに座ってた娘さんはパンプスを脱いで見ていた。オヤヂか……


頭の中:7点
頭の外:6点


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2015年9月22日 (火)

「映画 ひつじのショーン バック・トゥ・ザ・ホーム」:羊も積もれば人間となる?!

150922
監督:マーク・バートン、リチャード・スターザック
イギリス・フランス2015年

教育TVで放送されている「ひつじのショーン」の映画版が堂々登場である。
理屈抜きに楽しく面白い。(セリフも全くないし
しかも、アクションは「マッド・マックス」もかくやというぐらいに次から次へと手に汗握る。加えて涙あり、笑いあり。
音楽の使い方もいかにも英国風にシャレこいておる(^^♪

ショーンのうっかりミスで大都会で記憶喪失になり行方をくらました牧場主を探す。悪役は害獣捕獲人(!o!) 収容所(刑務所?)の中のギャグは笑える。
牧場主も若い頃は若かったんですね~……って当たり前じゃ

残念だったのは映画館で、複数の母親が連れて来てた小学生のガキんちょ数人が館内を走り回ってうるさかったこと。他にも小学生がいたけど、みんな大人しく見てたのにねー。
見たくないんだったら連れてくるなって話ですよ(-"-)


ひつじ:8点
観客:4点


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2015年9月21日 (月)

「ターナー、光に愛を求めて」:愛がなくても描いていけます

150921
監督:マイク・リー
出演:ティモシー・スポール
イギリス2014年

言わずと知れた画家ターナーの半生を描いた伝記映画である。ただ、監督がマイク・リーだけあって、偉大な芸術家というイメージはない。
「美男美女の登場しない映画」と評した人がいたが、まさしくその通り。ターナーを始めいかにも英国風偏屈顔であふれている。

ただし、その代わりに風景は美しい。ターナーの描いた光景がそのまま再現されている。特に海上をボートで進んでいく場面は一見に値するだろう。海面の独特な質感……。

彼は生涯一度も結婚しなかったそうだ。冒頭の方で子供を連れてきて「あなたは自分の子なのに構いもしない」などと詰め寄る女性は、苗字が違うのになぜ(?_?)と思ったら、どうも未亡人と付き合って子まで成したらしい。
家政婦に対しては関係を持っても「家具」同様のひどい扱い。一方、旅籠の女主人とは相思相愛になり別宅で二重生活を送るのだった。
父親とは父子密着度が高く、やっぱり変人である。船ヲタクぶりも描かれる。

当時の画壇も変な人物でいっぱいだ。評論家のジョン・ラスキンも登場し、おかしなことを口走る
20代で早くも名声を得たターナーは、晩年には時代遅れとクサされた。だが、自分の絵を売り込むことに余念はない。

その他さまざまなエピソードが投げ出されたように順次連ねられていく。そしてゆるやかな死まで--。全くもって美しくも劇的でもない生涯なのだった。
T・スポールは「全身ターナー」となってそれを熱演している。

さて、以前「芸術新潮」誌にターナーのスケッチについての記事が載っていた。彼は旅行に出た折など裸体の女性、それも局所を強調したスケッチばかりをかなりの枚数描いていたのである。これは死後ラスキンが彼の名誉のために焼き捨てたということになっているが、実際には結構残っているらしい。
ここに登場するターナーなら全く違和感ない話だろう。


俗物度:8点
変人度:8点


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2015年9月20日 (日)

「コングレス未来学会議」:会議はラリる

150920
監督:アリ・フォルマン
出演:ロビン・ライト
イスラエル・ドイツ・ポーランド・フランス・ベルギー・ルクセンブルク2013年

『戦場でワルツを』の監督がS・レムの『泰平ヨンの未来学会議』(未読)を実写+アニメで映画化。さらに女優のロビン・ライトが本人役で主演(!o!)という訳の分からなそうな作品である。上映している映画館が限られているので、終了しないうちにと滑り込みで見に行ったのだった。

ヒロインは昔は人気があったが今は売れなくなった中年女優。私は「ロビン・ライト・ペン」の頃に彼女を認識し始めたので、『プリンセス・ブライド・ストーリー』のお姫様役というのは完全に忘れていた。ご当人がプロデューサーに名を連ねているせいか「『プリンセス~』の頃は本当に美しかった」と登場人物がやたら繰り返すのである。ただ、その後の「でも現在は……」の自虐ネタは相当なもん。さすが女優魂と褒めるべきか。

映画会社からデジタルデータ権を売り渡すオファーが来る。スクリーン上には彼女の合成キャラクターが出演して、一方本人が生身の役者として出ることは禁止になるというもの。
迷った挙句、権利を売ることを承諾する。この後のマネージャー役のハーヴェイ・カイテルがヒロインに語るスピーチが実に感動的で涙が出そうになった。
データ化した役者がこれぐらいに感動的な演技をしてくれれば文句はないが、実際どうなんざんしょ? 役者が役者たるゆえんは外見だけじゃないと思うが……。

ここまで結構な長さだが、これはまだ序盤だ。というか、あまり本筋には関係ない部分なんである。

20年後もはや初老の域になったヒロインは再契約に来るように言われるが、たどり着いたのは荒野のど真ん中のテーマパークみたいな地区だった。入口で渡された薬を飲むとあら不思議、全てがアニメ化(自分の身体も含めて)している。ドラッグをキメた時ってこんな感じでしょうか やったことないんで分かりませぬ。
アニメパートは昔の手描き風で、サイケ(←死語?)っぽいかなり個性が強い絵である。正直、苦手だ(@_@;)

パーク内の至る所で若いヒロインのキャラクターが活躍するアクション映画シリーズが映されている。そんな中で提示されたのは、新たなエンタテインメントとしてもはや映画のスクリーンは不要、薬物によって全身虚構の中に入るというシステムであった。
と、そこに反対する勢力が襲撃を開始して大混乱へ。

このシステムがどういう仕組みになっているのか最後まで見てもよく分からなかった。一旦、彼女は現実世界に戻ることになるのだが、そこでさらによく分からなくなる。現実では地道に労働してても、意識は優雅な暮らしをしてるのか? キリストさんとかマイケル・ジャクソンの格好しているヤツはアバターじゃなくて、その人生を体験しているの? 分からん レムの原作でもこんな調子なのかね。

最後はハッピーエンドみたいになるのだけど、息子はあのまま放っておいても幸せだったんじゃないのか。まあ、ヒロインが幸せになるのだからいいのかねえ。
結局のところ、最後までよく理解できなかった。話がどんどん展開するあまり、それを面白がる余裕がないのだ。

それにしても、この題名は苦肉の策だとは思うけど、「コングレス」って「会議」だよね……。なんとかしてくれ~~(>O<)


実写:8点
アニメ:5点


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2015年9月19日 (土)

「室内楽の夕べ フランスとドイツの作品を集めて」:雨風にも負けぬ!鉄壁アンサンブル

150919
主催:木の器
演奏:宇治川朝政+ジョシュ・チータム+福間彩
会場:近江楽堂

木の器主催のコンサート、今回はリコーダー+ガンバ+鍵盤のトリオ体制である。タイトルの通り、プログラム前半はフランス、後半ドイツという構成である。

1曲目はデュパールの組曲から。ここでは宇治川氏が長距離走でぶっちぎりで先頭を走るようなリコーダー芸で、爆走(奏)状態だった。
次は一旦彼が引っ込んで、二人でマレのヴィオール曲集から。これが良かった まるで、チェンバロの響きに乗ってガンバの音が空間に溶け込んでいき、会場の円天井を満たしていくよう。やはりこれは近江楽堂ならではのことだろうか。残響が少なかったり、広い会場だったらこんな風には聞こえないだろう。
チータム氏のガンバ演奏自体も、粘り過ぎずアッサリし過ぎず塩梅がよろしい(^^)

また3人揃ってのオトテールの組曲はリコーダーとガンバがある時は競い、またある時は一体となるが如く。そしてボワモルティエのトリオソナタは両者の活発な掛け合いという感があった。
どちらもアンサンブルの精華ともいうべきものでのめりこんで聞き入った。、三人が付かず離れず一体となって完璧な世界を作り出していた。聞けてヨカッタ(^o^)丿としみじみ感動した。

後半は、ドイツでリコーダーならやっぱりテレマンですよね--ということで、宇治川氏は水を得た魚の如くいきいきと吹きまくった。鬱屈の陰もなく明晰なテレマン、いつ聞いても気分良し。(しかし個人的にはそこが不満だったりして……)

合間には福間女史のフィッシャー独奏、そして再び二人でのバッハのガンバソナタが入った。バッハは三つの楽章がそれぞれにチェンバロとガンバの形の異なる三種の語らいのようだった。普通、ガンバが主役みたいになる曲なんだけど、この演奏では印象が違った。
アンコールはやはりテレマンで終了。

問題は近くの席の客の鼻息がうるさかったこと。あたしゃ鼻息を聞きに金払ってんじゃねえぞ~(*`ε´*)ノ☆

終演後は会場外で、宇治川氏はチータム氏と共に中高年のオバ様がたを相手にしきりに挨拶。息子みたいに思われてるんでしょうか。
そのような営業努力の割には、まだ客が足りなーい もう少し増えて欲しいと思う。
もちろん、この日は豪雨による水害のひどかった日で、来られなかった人も多かっただろう。が、そもそも用意されていた椅子が少なめだったのである。
椅子をいっぱいに並べても満員御礼になるような日が早く来ればいいなっと>^_^<

ちなみに近江楽堂で一番客が少なかったのは渡邊孝のチェンバロソロ公演だった。この時はホントに少なかった。客がチョロチョロとしか座ってなかった。

次回は11月にオーボエ中心の公演とのこと。ファゴットも入って笛祭りですね。万難を排しても行くぞ~

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2015年9月12日 (土)

「グローリー 明日への行進」:石橋を壊して渡る

150912
監督:エヴァ・デュヴァネイ
出演:デヴィッド・オイェロウォ
米国2014年

今年のアカデミー賞主要部門にノミネートされていた中で一番公開決定が遅かったのが、これだろう。公開されてヨカッタ(^○^)

米国では記念日まで作られちゃってるキング牧師。しかし、平均的日本人だと名前は知っていてもいざ詳しい業績となると、漠然としたイメージしかないのが正直なところだ。
この映画では、彼の活動の中でも大きな意味を持つ1965年の「セルマの行進」を取り上げている。(と言っても、私個人はこの映画見るまでセルマのこと知りませんでした)
その描写は常に抑制された印象だ。キング牧師、黒人の権利獲得目指してガンガン行きまーすという感じではない。

セルマの土地の住民や学生活動家たちは様々な思惑があるが、彼の方は国全体の運動からアクションや効果を考えて動かねばならない。その点ではキング牧師も色々と悩める男だったのが分かった。
悩むと言えば、当時のジョンソン大統領も色々と板挟みで大変だった(あまりよく言われることのない大統領だが……)。
そして、悪役を一手に引き受けてる感があるのはアラバマ州知事だが、彼にもそれなりの言い分があるのも描かれている。

この手の話だと、一人ぐらい「理解ある白人」が登場するのが常だが、重要な役でそういう人物は出て来ない。アカデミー賞のノミネートが作品賞と歌曲賞だけに終わったというのは、そのせいなのか(?_?)

内容はかなりキング牧師の演説再現に時間を割いている。最初意外だったけどよくよく考えてみれば、彼のスピーチ場面は、例えばミュージシャンの伝記映画だったらライヴに当たる部分だ。重視するのは当然のことだろう。
そのスピーチ、実は著作権をS・スピルバーグが持っているので、脚本では似たような言葉で微妙に書き換えた--というのを後から知って驚いた。なかなかのスゴ技だ

余談だが、日本の政治家はあまり演説力は必要とされてないような。特に今の総理を見ているとね 自分のイヤな話題になると途端に滑舌が悪くなるのはどういうことでありましょうか。閑話休題

一方、「浮気力」が非常に強かったという話はあまり直接には出て来ない。奥さんに詰問される場面はあるけれど……(ーー;) まあ、記念日が制定されるほどの人物なんだからその手のエピソードはあからさまには出せないのだろう。

「偉人」ではなくあくまでも活動家としての彼を地道に描いた映画という印象であった。
それにしても、この時点でキングは34歳という若さなのにビックリ(!o!) その前にノーベル平和賞も貰ってたんだから、どれだけ大したものかということである。ん?やっぱり偉人か
ただ、邦題は--なんですか、こりゃ? 『グローリー』ってデンゼル・ワシントンがアカデミー賞獲得した南北戦争の映画と同じじゃないの 紛らわしい。

主演のデヴィッド・オイェロウォは『大統領の執事の涙』の息子役だった人。えーっ貫禄付きすぎで驚いた。加えて、大統領役のトム・ウィルキンソン、州知事のティム・ロス、奥さん役も含めて、主要な役者がみな英国人だというのも驚きだ。米国の歴史の重要な物語なのにね。
端役が豪華(マーティン・シーンなど)と思えば、黒人俳優ではTVドラマでお馴染みの顔も幾つか見かけた。

さて、アカデミー賞は結局、事前に確実と言われていた歌曲賞を取った。ステージに上がってきたジョン・レジェンドのスピーチは、なんとこの日の授賞式最大の爆弾発言であった。
J・レジェンドと言えば、外見的にも音楽的にも「中高年世代がムコにしたい若手ミュージシャン」で一位になりそうな堅実さとマナーの良さが特徴である。しかし、そこで語ったのは「状況はこの作品の時代よりも悪くなっている。監獄に閉じ込められている黒人の数は現在の方がはるかに多い」というようなことだった(最初見たWOWOWの字幕はもっと意味不明な訳で何を言っているかよく分からなかった)。期せずしてシンと静まった会場。だが、そこで彼のスピーチは終わったので、それ以上何事もなく拍手と共に次へ移ったのであった。
それにしても、過激な発言にビックリであったよ。


演説力:9点
浮気力:不明


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2015年9月 6日 (日)

「オルフェ 18世紀ベルサイユ宮殿にて王に捧げられた音楽」:ここはどこ?フランス?私は誰?

150905
演奏:高橋美千子ほか
会場:近江楽堂
2015年8月28日

数か月前のラモー『優雅なインドの国々』ではひと際光っていたソプラノ歌手高橋美千子が歌うコンサートがあるというので、聞きに行った。

テーマはルイ14世の宮廷で聞かれた音楽ということで、前半はクレランボーのカンタータ「オルフェ」、後半はエール・ド・クールだった。
高橋女史と共に器楽の若手四人もフランス在住ということで、「ああっ、ここは日本なの?!うそっ('';) (;'')」と、思わず周囲をキョロキョロと見回してしまうようなフランス趣味横溢する演奏である。

この時代のフランスのカンタータというと、神話に題材を取った内容を一人で歌い語る--というのを、過去二、三回聞いたことがある。この日の高橋女史の歌唱は、比べてかなりバロック・オペラ的な面が大きかったように思えた。簡単なジェスチャーを付けて身体的にも「声」にも劇的で振幅が大きい。しっかりと「一人オペラ」の様相を示していた。

それにしても、クレランボーというとオルガン曲のイメージが大きいが、こんなカンタータも作っていたのね。知らなかった。

エール・ド・クールはクープラン、ランベールは知っているが、ル・カミュ、ドゥ・バッシーイとなると名前も聞いたことなし。この4人の歌曲が歌われた。高橋女史のフランス語の響きも美しく(全く言葉は分からないけれど)、ウットリとして聞いてしまった。

曲の合間には同じくクープラン、マレ、ルクレールなどの器楽曲が挟まれる。これがまた典雅さと堅実さの同居した演奏でやはり聞き入ってしまった。
若手でこんな達者な人たちがいるのねーと感心してしまった。若い世代の優秀な奏者は留学などでみんな海外に行っちゃうから、日本では却って聞く機会は少なくなるようだ。残念である。

というわけで、全編満足できたコンサートだった。今月13日には関西公演もあるようなので、フランス・バロック愛好者は是非どうぞ(^^♪

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2015年9月 1日 (火)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 9月版

猛暑からいきなり秋へ。こう変化が激しくては身体が持ちませぬ。

*10日(木)室内楽の夕べ~フランスとドイツの作品を集めて(宇治川朝政ほか)
*23日(水)聖母マリアの夕べの祈り(有村祐輔ほか)
ロベルタ・マメリ特出!

他にはこんなのも
*5日(土)名橋たちの音を聴く・神田川(辻康介ほか)
天気がよいといいですね(^^)
*11日(金)ラ・フォンテヴェルデ定期
*12日(土)ヴィオール音楽の精華(エマニュエル・ジラールほか)
*17日(水)ドミニク・ヴィス、世界を歌う
いくらなんでも平日の夜に川崎に行くのは無理。無念であ~る(T_T)
*19日(土)ヘンデルが出会った音楽家たち(デュルファール)
*23日(水)テーブル囲んでマドリガーレ(セステッド・ヴォカーレ)
*27日(日)ロベルタ・マメリ ソング・コレクション
*29日(火)チパンゴ・コンソート
*30日(水)渡邊順生チェンバロ・リサイタル

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