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2015年11月

2015年11月30日 (月)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 12月版

またも一年が去りゆくのであった(T_T)/~~~

*6日(日)舞曲は踊る 2 没後300年ルイ14世へのオマージュ(浜中康子ほか)*11日(金)・13日(日)パーセル 妖精の女王(北とぴあ国際音楽祭)
いよいよ来ました(*^o^*)楽しみ~♪
*18日(金)クリスマスコンサート バッハのモテット(ラ・フォンテヴェルデ)
*25日(金)木の器クリスマスコンサート(鈴木美紀子ほか)

他にはこんなのも。
*5日(土)ケルティック・クリスマス(アルタンほか)
行こうか迷ってるうちにこんな目前に……。
*6日(日)ザ・ブリューゲルバンド ヒカリエ楽団
なんと、ヒカリエ店内を練り歩きとな! もちろん無料です。
*13日(日)テレマン ファンタジーの世界(前田りり子)
*15日(火)バッハ ヴィオラ・ダ・ガンバソナタ全曲(櫻井茂+曽根麻矢子)
*16日(水)エマ・カークビーのクリスマス
今回はパスするので、行った方はぜひご感想を!
*  〃   聖夜に響くノエルの歌声(村松稔之)
*21日(月)夜のヴェネツィア…(アンサンブル・リクレアツィオン・ダルカディア)
ガルッピはちょっと私には新し過ぎ(^^;)なんでパスします。
*22日(火)・23日(水)初期シェーカー聖歌(ウースター・グループ)
ウースター・グループは米国の前衛劇団。それが聖歌のレコードをまるごと「上演」するというのは(?_?) 興味がわくが残念ながら2日間とも行けませぬ。
*27日(日)アンサンブル・ムジカ・パレッテ
まだ、チケット買ってない

サイドバーの「古楽系コンサート情報」もご覧ください。随時更新で、今のところ来年の1月まで見られます。

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2015年11月29日 (日)

「地上に広がる大空 ウェンディ・シンドローム」:ワニ、ワルツ、ワイセツ……

151129
フェスティバル/トーキョー15
作・演出・美術・衣装:アンジェリカ・リデル
会場:東京芸術劇場 プレイハウス
2015年11月21日~23日

『真夏の夜の夢』のアフタートークで、司会役のディレクターが「素晴らしいんだけど、チケットが売れてない」とボヤいていた「スペインのダンサー」というのが、このアンジェリカ・リデルらしい(多分)。
確かに上演予定時間2時間40分(休憩なし)となれば躊躇する人がいても仕方ない。とはいえ、私が行った日は2・3階は人がいなかったが、1階はほぼ埋まっていたようだ。

開場前にプレトークがあったのを、私は開始に間に合わなくて途中から聞いた。戯曲の訳者が喋ってて、かなり「過激」である、というのをしきりに強調していた。いわゆる四文字系の言葉もたくさんあって、どの程度まで訳していいのか悩んだと言っていた。
しかも、アドリブの部分もあって、リデルの興が乗ると時間が伸びるのだという。ちなみに前日は10分長くなったそうな(2時間50分か)。
また、パリで連続テロが起こった時はちょうど当地で新作上演中で、それが中止になってしまい、ショックを受けたらしいという話もあった。

一体、訳者が言ってた「過激」とはどんなことなのか(?_?)--開演するとすぐにそれは明らかになった。
少女のようなヒラヒラの白いドレスを着たリデルが一人で現れ、鼻歌を歌ったかと思うと「ウェンディ(「ピーター・パン」の)はどこ?」と何回も叫び、子どもみたいにスキップする、というのを繰り返す。と、そのうちになんと尻を丸出しにして延々とマ○スターベーションを始めたのだった(!o!)
私は後ろの方だったのでよく分からなかったが、前方の座席では彼女が姿勢を変える度にあらゆるもの全てが丸見えになったに違いない。
加えて耳を圧するような重低音のノイズの嵐が流れ、私は両耳をふさいで見てました、はい。

な、なるほど「過激」というのはこういうことか……(@_@;)と合点がいったのであったよ。

その後はあまり明確なストーリーというものはなく、彼女の随想といってもよいような幾つかのパートが連なる。
ピーター・パンへの批判パフォーマンス、ノルウェーのウトヤ島銃乱射事件への言及、背後にワーズワースの詩の授業をしている音声が何度も流れたり、京劇の女優が出てきたかと思うと、上海に行って癒された時の思い出として中国人のおじさんおばさんカップル(七十歳代とは思えぬほど若い!)が、ワルツを踊る。この時は、バックに楽団が登場して本格的。だけど何曲もやって長いのよ……。
ここのあたりで既に何人もの客が途中退場していった。(後半はもっと増えた)

その後に上演時間の約半分を占めるリデルがマイクを握っての独演会が続く。
母親を始めありとあらゆるものを罵倒。合間合間にアニマルズの『朝日のあたる家』が流れ、最後には飛び跳ねて絶叫調で歌うのであった。
母親批判の言説は数あれど、この人のほど過激で辛辣なのは他に知らない。ただ、聖母信仰の強いカトリック圏のスペインやフランスではさぞ衝撃を与えるだろうが、妊婦や子連れ母への暴力が話題になっている現在の日本ではちょっといただけない気分だ。
とはいえ、毒母に悩む人がこれを聞いたらさぞスッキリするだろう。

毒舌の対象は、善人やボランティア、身体障害者、さらにはパーティーの詰まらなさまで。しかも、それは最後には自分へとその毒矢が回ってくるという次第だ。
攻撃的なスピーチは、米国のスタンダップ・コミックのようでもある。

この毒舌パフォーマンスを見ていて思い浮かべたのは、エルフリーデ・イェリネクの『ウルリーケ メアリー スチュアート』である。こちらでは、エリザベス女王が舞台の上に一人立ち、メアリー・スチュアート(=ウルリーケ・マインホフ)のふがいなさを延々と罵倒しなじるのである。
その場面によく似ていた。ぜひともリデルにはこの芝居のエリザベス女王を演じてもらいたい。きっと華麗なる罵倒を聞かせてくれるだろう。日本の若い女優さんがやると、どうしても金切り声で叫んじゃうのでね。

さて、ラストにはまたウトヤ島の事件のエピソードが登場する。自転車に乗った若者がヒロインと会話し、やがてヨロヨロと倒れこむとその背中に血痕が付いているのだ。
これを見て、目が点(・o・)になった気分だった。な、なんだかあまりにも直裁かつ単純過ぎやしませんか? これが「虐殺」を表わしてるのか
その後はまた全員が登場してフィナーレとなった。

様々な素材が投げ散らかされたこれは、まるで「歌謡ショー」みたいだなと思った。かつて人気があったベテラン歌手たちがまとまってツァーして回るというやつである。恐らく、それぞれの歌手が持ち歌を歌うコーナーがあって、トリの歌手の持ち時間は他より長くて、最後は全員で合唱という形式だろう。

パフォーマンス系だからステージ全体が見渡せるようにと、後ろの方の座席を取ったのが凶と出たかもしれない。舞台上が暗くてさらに私はド近眼なので、大男が頭にかぶっていたのが何だったのか、結局最後まで分からなかったほどだ。(オオカミだった?)
で、遠く離れて見るとなんだか舞台空間の構成がすごい適当な印象に見えた。常に楽器が背後に見えているのもなんだかなーだし、全員登場した場面でそれぞれ動作をしているのはバラバラに見える。吊り下げられたワニも……うむむむ(=_=)

近くで見れば破壊的でも、遠くから見るとだらしないだけに思える。迫力はあるが、能がない。過激なようだが、計算されている。計算されていも、やっぱり散漫だ。
もっと小さな劇場の方が向いている作品ではないかとも思ったが、例えばスズナリみたいな所では楽団が入るまい(役者と合わせると結構大所帯)。大きめのライヴハウスならちょうどいいかも知れない。
そしたら、冒頭のオ○ニー場面は客から「いいぞ、もっとやれ」と歓声が飛び、毒舌大会ではブーイングやら賛同の野次が飛び交って面白いかも。

結論としては、なんかスゴイもんを見せてもらった気分だけど、次にA・リデルが来日しても行くことはないだろう。
それから、途中退出してしまった人がこの作品を批判しているのをネットで見たが、やはりケナすにしろ褒めるにしろ最後まで見なくちゃ何も言えないだろうと思う。
なお、アドリブは結構あった。字幕がそこだけ急に出なくなって、スペイン語が分かるごく一部の客だけ笑っていた。この日も興が乗ったらしく、予定より15分長かった。

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2015年11月24日 (火)

「ナイトクローラー」:仁義なき撮影

151124
監督:ダン・ギルロイ
出演:ジェイク・ギレンホール
米国2014年

映画館に行ったら満員で、しかも周囲を見渡すと若いカップルが多い。えっ、これってデートムービーなのかい違うだろう?
と思って見たんだけどね……(;一_一)

職なし、カネなしでコソ泥で稼いでいる若者、彼の頭の中は中二病っぽい自己啓発本の受け売りでいっぱいだ。要するに「イタい」男なのだ。
しかし、偶然に事件や事故現場を専門に動画を撮影して売るフリーカメラマンを目撃してから、それを見よう見まねして同じく撮影取材を始める。
彼が撮った素材を買うのは、落ち目の女性TVプロデューサーである。彼の取材は段々とエスカレートする。物足りなくなって、そのうち現場を「演出」までするようになり、態度も段々とデカくなってくる。
被害者の家へも文字通り平然と「土足」で踏み込む

エスカレートして--この先どうなんのっ(>O<)とドキドキハラハラしてしまう。
と、それまでシリアスなタッチだったのが、突然ブラックかつシニカルな笑いへと転化して終了する。こいつは意外だった
で、周囲の客の反応をうかがうにどうもスクリーン上の「イタい人々」を見に来ているようなのだ。な、なるほど(・・;)『セッション』も、こういう文脈で人気があったのかねえ。

J・ギレンホールは痩せこけてギョロ目の顔を見せるだけで圧倒する怪演。レネ・ルッソも、なにげに盛りを過ぎたプロデューサーの落ちぶれ感がよく伝わってくる。お懐かしやビル・プルマンはライバルのカメラマンだよね? 気付かなかったです(~_~;)
ノイズっぽいギターサウンドが、美しいLAの映像に合っていた。
監督さんは脚本家出身でこれが第1作なのね。次作に注目

ところで、1940年代に活躍したウィージーというカメラマンをモデルにした『パブリック・アイ』という映画があった。その中で、主人公はゴシップ新聞に「(写真に写っている)死体一体につき3ドル」でギャングの抗争現場の写真を売って稼いでいた。この手の報道合戦は、近年になって過激になったというわけではないのだ。
こうしてみると、メディアの変化はあれど大衆の求めるものは根本的に変わらないようである。


グロさ:7点
イタさ:8点


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2015年11月23日 (月)

「ふたつの名前を持つ少年」:名は民族を表わす?

151123
監督:ペペ・ダンカート
出演:アンジェイ・トカチ、カミル・トカチ
ドイツ・フランス2013年

第二次大戦中、ポーランドのゲットーに住む少年が、ドイツ軍のポーランド占領に伴うユダヤ人狩りから逃走。家族とはぐれて必死のサバイバルをくぐり抜けるという実話を元にした映画である。
原作は児童書ノンフィクションとして岩波書店から出ている。

森には同様の境遇の子どもたちが潜んでいて農作物をかっぱらっては生き延びている。しかしそんな生活も長く続かず、カトリックのふりをしてポーランド名を名乗って方々の農場を放浪していくのだった。
その間に親切な人々と、ユダヤ人を忌み嫌う人々に出会う。家族同様の扱いをされたこともあれば、ドイツ軍に売り渡す者もいる。まさに波乱万丈の少年時代としか言いようがない。

厳しい自然の美しい映像と、子役の演技が見ものだろう。東欧の深い森は人間を拒絶するようである。
子役は時折印象が異なって見えて、成長期だから撮影時のタイムラグのせいかしらんと思っていたが、なんと双子の少年を起用していたらしい(!o!) 「二人一役」とはこのことだ。

最後に少年はカトリックの家族と生きるかユダヤ人の孤児として生きるか選択を迫られる。だが、その決断に至るまでに民族的(あるいは宗教的)アイデンティティについてほとんど語られておらず、見ていてモヤモヤしてしまった。これは欧米人なら自明のこととして理解できるのだろうか(?_?)
記憶の回復と共に決断が下されるということは、逆に言えば現実に適応するために自らの記憶を改変したのだろうか。むむむ(=_=;

少年の決断は『イーダ』とは対照的である。まあ『イーダ』はフィクションだけど……この差は何かということを考えてしまうのであったよ。
ラストには現在の実物ご当人も登場。まあ、幸せなら結果オーライってことで。

音楽が大仰でちょっと残念だった。


放浪度:8点
定着度:5点

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2015年11月22日 (日)

「室内楽の夕べ ダブルリード楽器の饗宴」:縦笛神降臨

151122
主催:木の器
会場:近江楽堂
2015年11月17日

今宵は縦笛祭りかっ(☆o◎;)と思わず言いたくなる編成のコンサートだ。
オーボエ×2本の他に、リコーダー、ファゴット、チェンバロという布陣である。こりゃ珍しい。

オーボエ担当はお馴染み三宮正満とトーマス・メラナー。そう、あの「涙のオーボエ」事件のメラナー氏である フライブルク・バロック・オーケストラの一員としても来日してましたな。

そしてもう一つのダブルリードであるファゴット奏者は鈴木禎という人。経歴のところに「『伊藤家の食卓』に空缶楽器奏者として出演」とある。空缶楽器……て何(?_?)
リコーダーと鍵盤は定例メンバーの宇治川朝政&福間彩だ。

この編成の曲というのはほとんどないので、他の楽器のための曲を編曲したということだった。
まずは小手先調べというわけではないだろうけど、宇治川氏もオーボエを吹いて、リュリの短い器楽曲から開始。
ボワモルティエの協奏曲、ルイエのリコーダーソナタと続く。後者は宇治川+福田ペア二人だけのソナタ。わざとさわやかな曲を選んだということだった。その理由は、次の曲が濃いせいだからである。

その濃くて熱い曲とはゼレンカのソナタだった。声楽曲の方で有名なゼレンカだが、当時彼がいた宮廷には優れたオーボエ奏者が二人いて、彼らのために書いた曲なのだという。(三宮氏談)
リコーダーが抜けて4人での演奏で、なるほど神技オーボエが炸裂という曲だった。オーボエ二本なので神技も二乗である。4つの楽章とも速いさらに長い 
三宮が突撃すればメラナーも負けじと肉迫という感じ。さらに二本に挟まれたファゴットも黙っちゃいねえ~<`ヘ´>とばかりに吹きまくりだ。す、すごい。
ゼレンカのソナタ自体、生で聞けることは滅多にない--というか、録音さえも少ないのでは? 加えて、目の前でバロック・オーボエ二本炸裂というのはさらに聞ける機会はさらに少ない。もう今後、耳にすることは二度とないだろうってなぐらいだ。

怒涛のような縦笛アンサンブルが終了すると、会場からはホ~~ッとまるで自分で吹いていたかのようなため息がもれたのであった。

休憩をはさんで次はリコーダーが中心のヴィヴァルディの協奏曲。そして、オーボエ主体のヤニチュのソナタと続いた。こちらは時代的に古典派に入るような人なので、いかにも典雅かつのんびりした印象のリラックスした曲だった。

そして、テレマンの四重奏曲で終了。本来はフルート二本のところをオーボエに変えたとのこと。

アンコールの二曲目として、シャルパンティエのテ・デウムから短い曲をやったが、なんと宇治川氏はオーボエ→ソプラノリコーダー→ソプラニーノリコーダー(だよね?)と、3本も持ち替えて吹いたのであった。アッパレである。

ということで、神技の顕現を目撃できて超が付くぐらい満足できたのだった。しかし、他の古楽系コンサートと重なったせいか、やはり満員とはいかないのが残念であったよ。

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2015年11月20日 (金)

SPAC「真夏の夜の夢」:夏夢は、一富士、二野田、三悪魔

151120
フェスティバル/トーキョー15
作:ウィリアム・シェイクスピア
潤色:野田秀樹
演出:宮城聡
開場:にしすがも創造舎
2015年10月31日~11月3日

なかなか芝居を見る暇がないのだが、毎年できるだけ行ってみるようにしてるのが、フェスティバル/トーキョーである。適当に選んでるので、内容は当たるも八卦当たらぬも八卦という感じなのは致し方ない。

まず最初はSPACで『真夏の夜の夢』、いくらなんでもこれは外れということはあるまい。もっとも、野田秀樹が脚色したヴァージョンをやるというのはチケット買うまで知らなかった(^^ゞ

会場は初めて行ったが、元は小学校だったところのようだ。建物の前のグラウンド(?)に整理番号順に並ばされる。夜の回だったんでロクに照明がなくて足元が暗かった。

野田版では、老舗の割烹の跡取り娘の結婚相手をめぐって4人の男女が恋愛模様でグジャグジャとし、富士のすそ野の森へ行くという次第。妖精王の件りは同じだが、途中で原作にない悪魔が登場して妖精パックの邪魔をする。パックになり替わって、さらに混乱を引き起こすのだった。

この悪魔の外見が、私の目にはなんだか野田秀樹に似せているように見えたのだがどうなのだろう。実際、村人ならぬ割烹の使用人たちの素人芝居を演出するのだ……。もっとも「灰皿投げる」というのは別の某演出家っぽい。
原作は能天気なバカ騒ぎだけど、こちらはダークな混乱へと導かれていく。

随所に言葉遊びやパロディが盛り込まれていた。或いは男同士で「ひとめぼれ」しちゃったりなど、爆笑場面も。終わった後に、客席から「新感線みたいだった」と感想が聞こえてきたが、確かにその一面はある。ある意味、劇団新感線はドタバタの極北だからねえ。
従って、森はドタバタの舞台となり、神秘的な印象はほとんどなかった。まあ、これは悪魔=演出家(と、「そぼろ」=劇作家)が主人公な設定だから当然だろう。
どうせだったら新感線版のこの芝居も見てみたい。過去に『マクベス』はやったことがあった。多分、悪魔軍団と妖精軍団のチャンバラは必至だろう(^o^)

舞台装置や衣装はすべて新聞紙のデザインを使用。実物を加工して使ったのか、それとも模様だけそれっぽくしたのかは不明だ。当然、すべて白黒の世界である。チラシを見ると、過去の上演ではモノクロでなく普通にカラフルなイメージなようだ。


私が見た回の後にはアフタートークがあった。ゲストは映画監督の本広克行で、宮城聡は彼の作品に2回出演しているそうだ。
宮城聡は野田秀樹と同じ中学・高校で、演劇部の先輩として「目撃」してたとのこと。夢の遊民社の芝居はすべて見たが、同じことはできないと思ったそうな。
今回も野田作品をそのままやるのは無理なので、この『真夏~』を選んだ。なんと日生劇場で上演した純粋な商業演劇で、脚本は時事ネタ以外はそのままだが、演出は変えてあるそうだ。

モノクロの世界にしたのは、メフィスト=シェイクスピア=言葉を書く人=黒。そぼろ=野田=これから書こうとする人=灰色。恋人たち=まだ言葉を書いてない人=白。
なのだそうだ。ええっ、そういう意図だったのかい(!o!)

その後、司会役のF/Tのディレクターの人から爆弾発言が。
日本の演劇界はタレント芝居をやり過ぎた。反省している。タレントを使わないと3万人は動員できない。昔はピーター・ブルックで2万人入ったが、今は2千人である。
素晴らしいスペインのダンサーを呼んだけど、全然チケットが売れてない。
--などなど。
そしたら本広監督が、私こそタレントを使った映画ばかりで……などと、苦笑していた。

ところで「スペインのダンサー」というのは、F/Tでこの後出演予定のアンジェリカ・リデルのことなのかな? これも内容全く知らないでチケットを買ったのだ……5500円分の賭けだわなあ。
(アフタートークの内容については、記憶違いなど多々あるので完全な記録ではありません。念為


さて、この芝居に行ったのはもう一つ理由があって、12月の北とぴあ国際音楽祭にて、パーセルの『妖精の女王』を上演するが、演出と役者を担当するのが宮城聡とSPACなのだ その下見も兼ねてである。
『妖精の女王』だと芝居の部分はほぼシェイクスピアそのままで、音楽(&パフォーマンス)の部分は完全に分離しているのだが……。
野田版は使えないだろうからオリジナルでやるのか。新聞紙のヴィジュアルはそのまま使うのか。役者も音楽場面に乱入するのか--などなど超楽しみであるよ(@∀@)

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2015年11月14日 (土)

「フリーダ・カーロの遺品 石内都、織るように」:両女並び立つ、はずだったが

151114
監督:小谷忠典
日本2015年

写真家・石内都のドキュメンタリーといえば、過去に『ひろしま 石内都・遺されたものたち』を見たことがある。

彼女が被爆者の遺品を撮影するプロジェクトを追ったものだが、今回はメキシコ博物館から女性画家フリーダ・カーロの遺品の撮影を依頼される。なんでも、遺言で死後50年後に公開されるというのだが、映画の中では封印が解かれたD・リベラの邸宅から発見された遺品もあるということだった。

石内自身はカーロについて一般的な知識しか持ってなかったという。もっともメキシコでも、現地の人へのインタビューからすると画家というより「リベラの奥さん」というイメージが強いようだ。

カメラはメキシコへ向かうところから同行。しかし、意外にも全体として比重を置いて描かれていたのは、石内でもカーロでもなく、彼女が愛好したというメキシコの民族衣装や刺繍のことであった。現在、それらを作っている女性たちやその生活も紹介している。
こりゃ驚いた(!o!)

他にも、石内都の友人が自殺した知らせが来る場面とか、当地のピラミッドに上る道行とか入っていて、どうも素材をバラバラに並べたようなやや散漫な印象である。

見ていて、過去のカーロの姿をそのまま甦らせてほしい博物館のスタッフと、遺品という「物」から直接的に迫ろうとする石内側との、意図のズレがあったのではないかと見えたのだが、そこら辺の追及はなし。
また、雑誌か新聞で読んだ彼女のインタビューによると、医療用のコルセット(それにも絵が描かれている)を実際使わないものまで購入していたそうで、興味深かったのだが、そういう話も出てこなかった。

このドキュメンタリーは服飾とか民族衣装に興味がある人には向いていると思うが、それ以外の人間にはどうかね……。
石内都にもフリーダ・カーロにも迫れず、中途半端なまま終わってしまったように思えた。


石内度:5点
フリーダ・カーロ度:4点

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2015年11月 8日 (日)

祝!第26巻発売記念「クリスタル・ドラゴン」全巻イッキ読み

151108a
所沢でコンサートがあった帰り、航空公園駅の書店に寄ってみたら、あしべゆうほの『クリスタル・ドラゴン』(略称「クリドラ」)の新しい巻が平積みになっていて驚愕した。出るとは全く知らなかったからだ。別の書店を見た時はなかったのに……。さすが、やせても枯れてもH林堂である

帯には「7年ぶりの堂々復活!」と書かれている。
確か『悪魔の花嫁』(こちらの連載開始は『クリドラ』よりも早い)の続きを描くために中断していたはずだ。7年も経ってしまったのね。

で、買ってきた26巻を開いてみたのだが、話が全く分からない--というか、ほとんど何も覚えていないのであった。こりゃ、何巻か前から読み直さなくちゃダメだと思ったが、どうも数巻さかのぼったぐらいでは追いつかないような感じだ。
ええい<`ヘ´>それならいっそ最初から読み返してしまえいと思い立って、イッキ読みすることにしたのであった。

引っ張り出してきた第1巻、発行は1982年(昭和57年)だ 巻末にある同じ秋田書店のプリンセス・コミックスの広告には『アンジェリク』(木原敏江のだよね)が載ってて懐かしい。さらに『王家の紋章』がまだ9巻目までしか出ていない(!o!) なんてこったい。こりゃ大昔だ。

当時は『ロード・オブ・ザ・リング』の登場やRPGの隆盛などより遥か昔、ファンタジーなぞ一部の好事家にしか受け入れられてなかった時代である。このような正調ファンタジー(小説も含めて)を描いていたのは、他には中山星香ぐらいだろう。よくぞ連載が続いたもんである。
今考えてみると、半分歴史物の要素があったから一般の読者にも受け入れたのか、とも思う。

さて、主人公アリアンロッドの第1巻からの動きを辿ってみよう。(以下、軽いネタバレあり。地名は現代のもの)

アイルランド→ブリテン本島→(大陸への航路の途中でバイキングと)スカンジナビア→アイスランド?(竜の宝物庫へ)→フランス(巫女姫問題発現)→アルプス?(地下で「おっかさま」遭遇)→ローマ(剣闘士修行)→再びアルプス→(ドワーフ王出現して)地下

ローマの件りでは、なんと『テルマエ・ロマエ』よりはるか以前に公衆風呂を描いていたのが判明。ちゃんとヘラで垢をこそげ落としている。
このあたりまではよかったのだが、この後が時間空間が錯綜してくる。

過去の世界→世界樹(庭師出現)→水晶宮→ドワーフの国→海辺の町(行き倒れの女を救う)→常若の国→樫の巨木(小枝を得る)→再びドワーフの国→竜の夢の中

このあたりの一連のストーリーは、連続して読めばなんとか分かるけど、一巻一巻刊行されるたびに読み継いでた時には何が何だかさっぱり理解できなかった。ドワーフ王が与えた水晶の卵(状の物体)は結局何よ?
おまけに、アリアンロッドは子ども体型に戻ってしまい、やたらと高いところから落ちたり水に流されたりして、口から出る言葉は「ぎゃーっ」とか「あれっ」みたいな単語ばかりで、ロクな台詞がないのだ。

151108b

で、晴れて26巻に到達したのだが、初期の濃い絵柄から変化してかなり「薄く」なっている。話を急いで進めるためなのか省略も多いようである。
それと、レギオンが○○○○○になってしまったのにはビックリした。誰がこんな展開を予想しようか。

とはいえ、再開はメデタイ ぜひこのままラストまで到達して欲しいものだ。

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2015年11月 7日 (土)

福沢宏ヴィオラ・ダ・ガンバ リサイタル「マラン・マレ ヴィオル曲集第3巻」:リュートの行方

151107
会場:淀橋教会小原記念聖堂
2015年10月22日

同タイトルのCD発売記念コンサート。
共演はもう一人のガンバ武澤秀平、リュート野入志津子、チェンバロ山縣万里という顔ぶれだった。

過去に、この会場でアンサンブル公演を聞いた時、やはりリュートは同じく野入女史だったが音がほとんど聞こえなかったことがあった。それで今回はリュート寄りの場所に席を取ってみた。

曲集第三巻はマレ55歳の時に出されたものだという。まさに円熟期の作品。この晩の演奏もそれにふさわしいものだった。
通底担当の武澤氏との師弟共演も、当然ながら息がピッタリ。他の共演者たちも含めて一体となって渋~いマレの世界を作り上げていた。

ただ、席の位置にもかかわらずリュートの音は聞こえづらかった(~_~;) 会場の特性もあるのかね。今度は真ん中あたりを狙ってみるか。

ところで、開場前に整理券を配っていたのを直前になって気付いて、慌てて貰いに行ったのだけど、いざ入場の時はその番号をチェックしなかった(@_@;) なんなんだよ……

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2015年11月 3日 (火)

「ベルファスト71」:朝が来れば別人

151102
監督:ヤン・ドマンジュ
出演:ジャック・オコンネル
イギリス2014年

基本的には、戦場の中で若い兵士が無垢を失うという定番の物語である。
しかし、これがめっぽう面白い。よく出来ていると感心する。

時は1971年、北アイルランドは紛争の真っただ中だ。テロが横行し、市民同士で殺し合う。
そこに派遣された英国軍の新兵である主人公は、出動要請が来た時に単なる治安維持活動と考えていたのだが、現場に来てみれば暴動で大混乱となる。
仲間が撃たれ、部隊が撤退し、気付いてみれば自分一人が夜の騒乱の町に残されているのだった。

枠組みとしてはその一夜だけの話だ。主人公は逃げ惑うが、果たして脱出できるのか。
さらに、英国からの独立派にも穏健派や過激派など様々な立場のグループがあって入り乱れている。で、そこに英国のスパイが潜入してたりもする。
その力関係とテリトリー争いの中で主人公は翻弄される。一体、そんな中で兵士一人の生命など何の価値があろうか。

全く先が読めず、「えー、これどうなるの」とハラハラドキドキした。基調ははサスペンスだが社会派の面もあり、勝者がいない救いのない話でもある。そして、別の時代の別の国でも通用しそうだ(もちろん日本でも)。

このような体験をすれば、彼が物語の冒頭と終わりで別人のようになってしまうのも仕方ないだろう。

監督はTV畑の人で、これが初の劇映画作品らしい。次作にも期待である。
ミニマルっぽいエレキギターを中心にした音楽も良かった。


サスペンス度:9点
社会派度:8点


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2015年11月 1日 (日)

「イタリア歌曲集 優しい森よ」:なぜか回想モードに

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歌曲の変容シリーズ第10回
演奏:波多野睦美ほか
会場:王子ホール
2015年10月20日

同名のCDに基づいたコンサート。
私は門外漢なので全く知らなかったのだが、「イタリア歌曲集」というのは声楽家を目指す人にはよく知られた楽譜集らしい。17、18世紀のアリアや歌曲をピアノ伴奏で歌えるように編曲したものとか。
これはそこでお馴染みの曲をオリジナルで歌うというものである。

前半は初期バロック、後半は中・後期バロックの曲、と分けてを取り上げていた。
前半ではやはりモンテヴェルディの「アリアンナの嘆き」が力唱というべき。歌の内容もあいまって、怒涛のように激情が伝わってくる。
チェスティのオペラ『オロンテーア』からの曲もあって、何気に懐かしい。今を去ること××年前、国立音大でこのオペラを上演して、その時に波多野女史は「男装した女奴隷」の役をやってたのを見たのが初めてだったと思う。(この日取り上げた「あのひとに」という曲はその時には歌ってないが)

後半はスカルラッティ祭り--というほどではないけど、A・スカルラッティの曲が大半だった。そして、ヘンデル定番「泣かせてください」で締め。
薄青緑のドレスだったのを休憩後、真紅のドレスで登場した時は会場がざわめいたでしたよ

波多野女史は昔とかなり歌唱スタイルが違ってきたなあとしみじみ感じた。よりドラマチック度が増してきている。分岐点は、やはりR・マメリと共演した頃か。
ただ、この日はちょっと喉の調子が万全ではない(?_?)という印象も受けた。

通奏低音は西山まりえ(ハープ、チェンバロ)と黒一点の懸田貴嗣(チェロ)で、ごくろーさんでした。
ヴァイオリンの川久保洋子中心の弦楽隊も着実な演奏だった。


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