「地上に広がる大空 ウェンディ・シンドローム」:ワニ、ワルツ、ワイセツ……
フェスティバル/トーキョー15
作・演出・美術・衣装:アンジェリカ・リデル
会場:東京芸術劇場 プレイハウス
2015年11月21日~23日
『真夏の夜の夢』のアフタートークで、司会役のディレクターが「素晴らしいんだけど、チケットが売れてない」とボヤいていた「スペインのダンサー」というのが、このアンジェリカ・リデルらしい(多分)。
確かに上演予定時間2時間40分(休憩なし)となれば躊躇する人がいても仕方ない。とはいえ、私が行った日は2・3階は人がいなかったが、1階はほぼ埋まっていたようだ。
開場前にプレトークがあったのを、私は開始に間に合わなくて途中から聞いた。戯曲の訳者が喋ってて、かなり「過激」である、というのをしきりに強調していた。いわゆる四文字系の言葉もたくさんあって、どの程度まで訳していいのか悩んだと言っていた。
しかも、アドリブの部分もあって、リデルの興が乗ると時間が伸びるのだという。ちなみに前日は10分長くなったそうな(2時間50分か)。
また、パリで連続テロが起こった時はちょうど当地で新作上演中で、それが中止になってしまい、ショックを受けたらしいという話もあった。
一体、訳者が言ってた「過激」とはどんなことなのか(?_?)--開演するとすぐにそれは明らかになった。
少女のようなヒラヒラの白いドレスを着たリデルが一人で現れ、鼻歌を歌ったかと思うと「ウェンディ(「ピーター・パン」の)はどこ?」と何回も叫び、子どもみたいにスキップする、というのを繰り返す。と、そのうちになんと尻を丸出しにして延々とマ○スターベーションを始めたのだった(!o!)
私は後ろの方だったのでよく分からなかったが、前方の座席では彼女が姿勢を変える度にあらゆるもの全てが丸見えになったに違いない。
加えて耳を圧するような重低音のノイズの嵐が流れ、私は両耳をふさいで見てました、はい。
な、なるほど「過激」というのはこういうことか……(@_@;)と合点がいったのであったよ。
その後はあまり明確なストーリーというものはなく、彼女の随想といってもよいような幾つかのパートが連なる。
ピーター・パンへの批判パフォーマンス、ノルウェーのウトヤ島銃乱射事件への言及、背後にワーズワースの詩の授業をしている音声が何度も流れたり、京劇の女優が出てきたかと思うと、上海に行って癒された時の思い出として中国人のおじさんおばさんカップル(七十歳代とは思えぬほど若い!)が、ワルツを踊る。この時は、バックに楽団が登場して本格的。だけど何曲もやって長いのよ……。
ここのあたりで既に何人もの客が途中退場していった。(後半はもっと増えた)
その後に上演時間の約半分を占めるリデルがマイクを握っての独演会が続く。
母親を始めありとあらゆるものを罵倒。合間合間にアニマルズの『朝日のあたる家』が流れ、最後には飛び跳ねて絶叫調で歌うのであった。
母親批判の言説は数あれど、この人のほど過激で辛辣なのは他に知らない。ただ、聖母信仰の強いカトリック圏のスペインやフランスではさぞ衝撃を与えるだろうが、妊婦や子連れ母への暴力が話題になっている現在の日本ではちょっといただけない気分だ。
とはいえ、毒母に悩む人がこれを聞いたらさぞスッキリするだろう。
毒舌の対象は、善人やボランティア、身体障害者、さらにはパーティーの詰まらなさまで。しかも、それは最後には自分へとその毒矢が回ってくるという次第だ。
攻撃的なスピーチは、米国のスタンダップ・コミックのようでもある。
この毒舌パフォーマンスを見ていて思い浮かべたのは、エルフリーデ・イェリネクの『ウルリーケ メアリー スチュアート』である。こちらでは、エリザベス女王が舞台の上に一人立ち、メアリー・スチュアート(=ウルリーケ・マインホフ)のふがいなさを延々と罵倒しなじるのである。
その場面によく似ていた。ぜひともリデルにはこの芝居のエリザベス女王を演じてもらいたい。きっと華麗なる罵倒を聞かせてくれるだろう。日本の若い女優さんがやると、どうしても金切り声で叫んじゃうのでね。
さて、ラストにはまたウトヤ島の事件のエピソードが登場する。自転車に乗った若者がヒロインと会話し、やがてヨロヨロと倒れこむとその背中に血痕が付いているのだ。
これを見て、目が点(・o・)になった気分だった。な、なんだかあまりにも直裁かつ単純過ぎやしませんか? これが「虐殺」を表わしてるのか
その後はまた全員が登場してフィナーレとなった。
様々な素材が投げ散らかされたこれは、まるで「歌謡ショー」みたいだなと思った。かつて人気があったベテラン歌手たちがまとまってツァーして回るというやつである。恐らく、それぞれの歌手が持ち歌を歌うコーナーがあって、トリの歌手の持ち時間は他より長くて、最後は全員で合唱という形式だろう。
パフォーマンス系だからステージ全体が見渡せるようにと、後ろの方の座席を取ったのが凶と出たかもしれない。舞台上が暗くてさらに私はド近眼なので、大男が頭にかぶっていたのが何だったのか、結局最後まで分からなかったほどだ。(オオカミだった?)
で、遠く離れて見るとなんだか舞台空間の構成がすごい適当な印象に見えた。常に楽器が背後に見えているのもなんだかなーだし、全員登場した場面でそれぞれ動作をしているのはバラバラに見える。吊り下げられたワニも……うむむむ(=_=)
近くで見れば破壊的でも、遠くから見るとだらしないだけに思える。迫力はあるが、能がない。過激なようだが、計算されている。計算されていも、やっぱり散漫だ。
もっと小さな劇場の方が向いている作品ではないかとも思ったが、例えばスズナリみたいな所では楽団が入るまい(役者と合わせると結構大所帯)。大きめのライヴハウスならちょうどいいかも知れない。
そしたら、冒頭のオ○ニー場面は客から「いいぞ、もっとやれ」と歓声が飛び、毒舌大会ではブーイングやら賛同の野次が飛び交って面白いかも。
結論としては、なんかスゴイもんを見せてもらった気分だけど、次にA・リデルが来日しても行くことはないだろう。
それから、途中退出してしまった人がこの作品を批判しているのをネットで見たが、やはりケナすにしろ褒めるにしろ最後まで見なくちゃ何も言えないだろうと思う。
なお、アドリブは結構あった。字幕がそこだけ急に出なくなって、スペイン語が分かるごく一部の客だけ笑っていた。この日も興が乗ったらしく、予定より15分長かった。
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