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2015年12月

2015年12月31日 (木)

2015年を振り返ってみましたよ

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★古楽コンサート部門
「夏の夜のダルカディア」(アンサンブル・リクレアツィオン・ダルカディア)
誰もよく知らない作曲家シリーズをこれからもお願いしたい。

J.S.バッハ「フーガの技法」(ザ・ロイヤルコンソート)

「コレッリ!!」(寺神戸亮&チョー・ソンヨン)
以前にも聞いたことはあったが、小さな会場で間近に見ると「フォリア」を弾く寺神戸亮の背後からはメ~ラメラとコレッリ魂が燃え上がっていた。涙目になってしまった。
当然のことではあるが、音楽のもたらす感動というのは会場の規模とか客の数とか、そういうもんには何にも関係ないなあと、ヒシと感じた。

「室内楽の夕べ フランスとドイツの作品を集めて」
「室内楽の夕べ ダブルリード楽器の饗宴」
この二つとも木の器主催。前者は3人の全く対等にして多彩なアンサンブルに感動。後者については、やはりオーボエ二本によるゼレンカのソナタ。もう二度とナマで聴く機会はあるまいよ。
ただ、残念なのは客が少ないこと。来年はもっと増えて欲しいなあ(*^_^*)

「オルフェ 18世紀ベルサイユ宮殿にて王に捧げられた音楽」(高橋美千子)
2016年は美千子萌え~になりそう。

ヘンデル オペラ「フラーヴィオ」(日本ヘンデル協会)
ヘンリー・パーセル「妖精の女王」(北とぴあ国際音楽祭)
やはりオペラは歌手が生きてナンボと感じた。とはいえ、バロックオペラを5本も見られて(聞けて)幸運な年でしたよ

*コンサートに関する事件としては、「親密な語らい」(前田りり子&佐野健二)中の地震だろう。
揺れには負けぬが、緊急防災放送には負けた_| ̄|○


★録音部門
古楽系
*「ドレスデン宮廷の室内楽作品集」(ヨハネス・プラムゾーラー&アンサンブル・ディドロ)
新進気鋭のヴァイオリニストによるヘンデル、ファッシュ、フックスなど。一人だけ突出したりせずにアンサンブルの調和のツボを押さえているのも好感。

*「パッヘルベルとバッハ」(ザ・バッハ・プレイヤーズ)
先輩パッヘルベルと後輩バッハの美しい(?)絆を抽出する好企画盤。特にBWV4が素晴らしい。来日してくれんかなー。

*「名器「グライフ」によるバッハとヴァイスの音楽」(佐藤豊彦)
もはや枯淡の域である。

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ロック・ポップス系
*「Tint」(大貫妙子&小松亮太)
歌唱・演奏はもちろん、選曲、曲順、アレンジ、録音、さらにパッケージ・デザインまで完璧に統一された美意識に貫かれている。一曲ごとの配信が普通という時代に、このベテランの意地みたいのには感嘆する。

*「カヴァード」(ロバート・グラスパー)
今の音楽状況のキーマンの一人。ジャズは守備範囲外だが、完成度高く聞かせるものがある。

*「オーケストリオン」(パット・メセニー)
録音自体は数年前に出ていてこんなものかと思ってたが、今年になって演奏の映像が出て認識を改めた。様々なアコースティック楽器に自分一人が弾いたフレーズをループさせ、どんどん変化させていく。古びた教会で、触りもしない楽器が演奏している様は懐かしい幽霊たちと共演しているようでなぜか郷愁を感じさせる。

*「アイ・ワズント・ボーン・トゥ・ルーズ・ユー」(スワーヴドライヴァー) ←忘れてて後から追加
昔よく聞いたバンドが、なんと17年ぶりに復活だい 元祖シューゲイザーということらしいが、マイブラの新盤がどうも今イチだった人間には、このパワーアップは嬉しい。


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「アメリカン・ドリーマー 理想の代償」:夢はあっても、金がなくちゃね

監督:J・C・チャンダー
出演:オスカー・アイザック
米国2014年

『マージン・コール』『オール・イズ・ロスト』で注目の監督の新作である。
なかなか公開が決まらなかったので、もうダメか(>_<)と思っていたら公開されたメデタイ\(^o^)/
--と言いたいところだが、原題『モスト・ヴァイオレント・イヤー』がなぜこの邦題になる(?_?) しかも、前宣伝ほとんどなくて公開直前の新聞の広告見て初めて気づいた次第だ。

ニューヨークはジュリアーノが市長になって改善されたそうだが、それまではかなり治安が悪かった。これはそんな1981年のニューヨークが舞台となっている。、
主人公はオイル販売の小規模業者だが、事業拡大のために全財産を賭けて土地を買い取ろうとしている。しかも新築の家を建てたりもして意欲満々である。
妻はマフィアの娘だが、彼は常にクリーンなビジネスを心掛けている。従業員への心配りも抜かりない。土地の買い取りは銀行の融資を受けてやるつもりで契約をする。ダーティ・マネーなぞには手を出さないのだ。

ところが、輸送中のタンクローリーを強奪される事件が続発。このままでは土地代金を払えない事態に……
おまけに営業マンが襲撃されたり自宅に不審者が出没したりと、何かと不穏である。同業者の妨害か? さらに検事からは脱税で告訴すると宣告されてしまう。弱り目に祟り目だ。

都市部ゆえかオイル販売も中小企業が狭い地域で縄張り争いが苛烈である。その様子はマフィアの派閥争いにも似ている。そのせいか『ゴッドファーザー』のようなマフィア映画を連想させるところがある。主人公が業者たちをレストランに集める場面などは、彼はアル・パチーノそっくりに見えるのだ。

また暴力場面は登場するが、なぜかバイオレンス映画的ではない。かと思えば『フレンチ・コネクション』ばりのカー・アクションが登場する。私など暗いトンネルに入った場面で、恐ろしくてウワ~~っ(>O<)と叫びたくなってしまった。
しかしなぜかアクション映画のような躍動感はないのである。

主人公が守ろうとする善やモラルは周囲からボロボロと剥がれ落ちていく。妻、弁護士、組合長、同業者……徐々に正体が露わになってくる。
彼が借金を申し込むと、同業者がこれで弱みを握れるぜ(*^^)vと嬉しさのあまりテニスの素振りを始めるのには笑ってしまった。(『マージン・コール』でS・ベーカーがトイレで歯を磨いている場面を思い出す(^O^;)

そんな中でも彼一人はモラルを守ろうとする。
マフィアものなら悪を犯しても「絆」は強まるが、ここではそんなことはない。最後に至って、唯一公正にして高潔を絵に描いたようなD・オイェロウォ扮する検事もその正体を見せる。しかし、主人公はただ「正しい道を通ることが肝心」と持論を繰り返すだけである。
本当に彼は正しい道を通っているのか?
その答えは、終盤トラック運転手が倒れた時に最初に何をしたかを見れば明らかだろう。彼の理想は実際には崩れかかっているのだが、彼自身だけが気付いていないようだ。

映像の間合い、照明の使い方(自然光?)、荒涼たる都市の光景--いずれも独特のものがある。
オスカー・アイザックを始め役者陣は演劇風……というのもまた違う、うかつに内面を垣間見えさせない、得体の知れないものを潜めた演技になっている。
新人営業マン役の人はどこかで見たなあ(?_?)と思ったが、後でドラマ『ボードウォーク・エンパイア』で主人公の甥だと思い出した。

ただ、残念なのは前半の展開にもう少しキレがあればよかったのに--。嵐の前の静けさが静か過ぎという印象である。

オイル事業所の従業員更衣室が、更衣ロッカーと同じスペースに便器がむき出しで並んでいて、汚くて妙にリアルっぽい。以前見ていたTVドラマ『NYPDブルー』でも警察署の更衣室が全く同じだった。米国ではあれが標準仕様なのか(@_@;)


善悪度:8点
金策度:9点

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2015年12月29日 (火)

「バッハのモテット」:燃えるバッハ

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クリスマスコンサート2015
演奏:ラ・フォンテヴェルデ
会場:ハクジュホール
2015年12月18日

最近はモンテヴェルディの全曲演奏公演を続けているラ・フォンテヴェルデ。イタリアのマドリガーレが専門ではあるが、今回はクリスマスコンサートということで、取り上げたのはバッハのモテットだった。

この曲だとやはり多人数の合唱がまず最初に頭に浮かぶが、彼らは当然ながら一人一声部での演奏である。
歌手は合計8人で、鍵盤・上尾直毅、チェロ・鈴木秀美が参加。

4曲のモテットは通常の大編成のものとは全く異なる表情を見せていたのは言うまでもない。これが同じ曲か(!o!)ってなぐらいに、表情に陰影あり、何やら情念が色濃く迫ってくる。謹厳実直な宗教曲、というイメージからかけ離れた別の一面を見せて(聞かせて)くれたのだった。
しかし一方で、各声部の横のバランスが崩れてバラバラに暴走しそうな危うさも感じたのも事実である。難曲だというし、実力派の彼らでもそうなってしまうのか……などと思った。

合間にナオキ氏のトッカータと、ヒデミ氏の無伴奏チェロが入った。
ナオキ氏はトッカータでもモテットでも、オルガンの上にチェンバロ載せて双方を同じ曲中で併用。それも頻繁に交代で--こういうのって珍しいような。
オルガンは以前のコンサートでも使っていたふいご式のものだった。もちろんふいご係のオヂサンも同じ人だ。

以前にこのグループが同じ会場でやった時はほぼ満員状態が続いていたと思うんだけど……空席が結構あった。バッハ先生じゃ地味でダメなのかしらん(^_^メ)


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2015年12月28日 (月)

ヘンリー・パーセル「妖精の女王」:古楽の女王は留袖で三々九度

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北とぴあ国際音楽祭
原作:ウィリアム・シェイクスピア
演出:宮城聡
指揮:寺神戸亮
出演:レ・ボレアード&SPAC
2015年12月11&13日

今年度、最大の期待はこの公演であ~る。事前にSPAC単独の『真夏の夜の夢』まで見に行っちゃったりして(*^^)v ただし、こちらは野田秀樹が潤色したヴァージョンだったけど。

今回はさすがに原作に沿って演じるんだろうなあと思ってたが、新聞紙を使った舞台装置や衣装はそのままだった。ただし、森は照明でモノクロではなく色彩豊かな表情を見せている。
「セミ・ステージ形式」ということで、ステージの上にオーケストラが乗り、さらにその上に高いもう一つのステージを組んでそちらが「森」となっている。

パンフの解説を読んで「『妖精の女王』の決定版というのは存在しない」というのを初めて知った。上演する度に書き換えたり追加削除したり、組み合わせたりするものなのだという。
従って、かつてBS放送でやったグラインドボーン音楽祭ヴァージョンは、シェイクスピアの戯曲を若干省略していたが、ほぼもれなく芝居部分が入っていて(従って上演時間は非常に長い)そんなものかと思って見てた。しかし、そういう演出をしていたわけだ。

北とぴあヴァージョンは芝居の部分は簡略化され、さらにドタバタ度が上がっているようだった。登場人物の鬱屈度が大きい野田版を見ていてた目には、演じている役者は同じでももうおマヌケ度アップ 特に男性陣はおバカとしか言いようがない言動だ。
なにせ、冒頭から寺神戸亮がいよいよ開始と指揮棒をサッと振り上げた瞬間に、四人の若い恋人たちがオーケストラの前へドドーッとなだれ込んでくるのである。後は推して知るべし(^O^;)

その後、芝居の相談をする職人たちも同じく「下」に登場。「上」の森では妖精たちが楽しく遊んでいる。合間には詩人が登場する短いコントのような寸劇が挟まれる。人間たちが森へ上がって行って、騒動が起こるという次第だ。
オベロンが大木に化していたり、恋人たちが棒(樹)をよじのぼるのはSPAC版と同じである。

ここで妖精役の歌手たちもセリフを喋るのを聞いて、当然のことだけど同じ声を出すと言っても歌手と役者じゃ全然違うというのを改めて実感した。歌手は歌えばホール全体に届くような声を出せるだろうがセリフでは難しい。ソプラノの広瀬奈緒はセリフが多くてご苦労さんでしたm(__)m
一方、昨今の芝居は大劇場ではマイクを使うのが普通となっている。音楽にも演劇にも向いていない北とぴあのようなホールで、あれだけ生声を届かせられるSPAC陣はやはり役者やのうと感じたのであった。

物語が進行するにつれて段々と芝居から音楽の比重が増えてくる。
オベロンとタイテーニアの和解の後、森と人間の世界が逆転して、「上」が人間界となって婚礼の儀が行われる。
お祝いに来た女神のジュノー(波多野睦美)が、妖精パックの押す台車(荷物運びによく使われるヤツ)に乗って現れたのには笑ってしまった。しかも、帰りは自分で押して戻るとゆう……(^o^;)

ここで劇場のスタッフと何やら話していたオベロンが指揮の寺神戸亮に近寄り、「折角のエマ・カークビーさんがいらしてんだからここで一曲歌ってもらいましょうよ。お客さんも期待してますよ、ね、ね」などと声をかけると、エマが登場して「嘆きの歌」を歌うのであったよ(!o!)
彼女は中盤から妖精の合唱に加わったり、ソロを歌ったりしていたが、正直なところ歳のせいか声に勢いがあまりなかった。しかし、銀色のほつれ髪に黒いショールを羽織ってヨロヨロと現われた彼女は、婚礼には全くふさわしくない暗い内容の歌を熱唱した。でもって、寺神戸氏の独奏する泣かせのヴァイオリンがこれまた嘆き節を盛り上げる。
なんでこんな暗い歌を……と思うが、嬉し楽しの婚礼と対比させるように元々ここで挿入される曲なのだという。
あれ、そうだったのか すっかり忘れてました(~_~;) ともあれ、歳は取ってもやっぱりエマ・カークビー、彼女の威光が劇場をヒタヒタと満たしたのであった。

妖精だった歌手たちは一転、婚礼の招待客に。ガイジン勢は紋付き袴、日本人歌手はよくあるフォーマルドレスで登場。テノールのケヴィン・スケルトンはその格好でそこここの棒をよじ登りながら「中国人の男の歌」を歌っちゃって大したもんである。(彼はダンスも得意技とのこと)
そして、留袖姿のエマと波多野睦美が二組のカップルの盃に三々九度のお神酒を注ぐという驚きのパフォーマンスまで こりもうゃ二度と見られません(キッパリ)

かくして人間と妖精、現実とファンタジーの境が融解し、何の苦しみも悩みも屈託もない幸福な世界が出現する。数百年も前に異国で人々が楽しんだと同様に、この時も劇場の客はそのマジックを楽しんだに違いない。

寺神戸亮は途中演奏しながら、クマのお面付けたり色々と指揮の合間に芝居絡んでましたな。器楽は管楽器が迫力あった。チェンバロは上尾直毅で、今回もギター抱えて二刀流だった。
テオルボの高本一郎の椅子の横にマイクがある写真をアップしてた人がいた。録音用?それともやっぱりPAシステム使ってたのか(?_?)
NHKで収録放送してくれないかしらん。過去の北とぴあ音楽祭で色々と素晴らしいステージがあったけど、一度もそういうことはなかった。音楽祭の方針なのか

歌手陣では波多野睦美が時折エマに寄り添うようにしながらもさすがの貫禄を見せていた。大山大輔というバスが、「詩人」や「結婚の神」なども演じてやたらと達者だなあと感心していたら、オペラとかミュージカルもやっている人なのね。納得です。
ダンスも見せたK・スケルトンに比べて、もう一人のガイジン組CTヒュンター・ファンデヴェンの方は冴えず。そういや出ていたなあぐらいの印象しか残らなかった。
CTと言えば、中島俊晴が大柄なオネエキャラで寸劇にも登場してキョーレツだった。

演出については、芝居部分が出しゃばらず歌手たちを引き立てるようになっていたのがよかった。演出があまりに突出してしまうと、そちらに気を取られて何を見に(聞きに)きたのか分からなくなってしまうのでね。

来年はロベルタ・マメリ参加でモーツァルトですか……。私は守備範囲外なので、1回休み
また宮城聡と組んで何かやって欲しいです。
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←照明のマジックがなくなれば、意外に素っ気ない装置だった。

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2015年12月20日 (日)

バレエのドキュメンタリー二題:バレエ愛がなくてすみません

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★「バレエボーイズ」
監督:ケネス・エルヴェバック
ノルウェー2014年

別にバレエ・ファンでもなく全く無知なのに、なぜかドキュメンタリー映画見に行ってきました(^^)b

まず「バレエボーイズ」。ノルウェーのバレエ学校に通う3人の少年の数年間を追ったものだ。最初は中学1年ぐらい? どんどん成長していって、最後には進路を決める年齢になる。

志を同じくする仲良し3人組だったのが、一人が挫折して辞めてしまったり(しばらくしてまた戻ってくる)、一人だけ優秀でオーディションに受かったり、と段々と食い違いが出てくる。

バレエの場面は思ったほどはない。3人揃って踊る場面はたいてい加工・編集されて別の音楽がつけられたりしている。むしろ、このドキュメンタリーの主眼は若者がいかに未来を選択していくか、その心の揺れと迷いを描くことだろう。

ロンドンへの留学を選んだ少年はそれまで優しい両親のもとでぬくぬくと過ごしてきたように見えるのに、いざという時は一人でロンドンに向かうことを毅然と決断する。親御さんは良いお子さんに育てましたね(涙をぬぐう)と、親目線で感動してしまうのであったよ。

国外留学するにしてもノルウェーで続けるにしても、安易な道ではないけど彼らが「バレエを選択することは生きる道を広げることである」という自覚を持っているのが感心する。

もっとも、このドキュメンタリーはバレエじゃなくて例えばスポーツ競技とか、スケボーとか、演劇とかバンド活動とか、他のものでも成り立ってしまうようにも思えた。
従って、バレエファンよりは若者の生き方、というようなことに興味がある人に向いているような映画である。


華麗なるバレエ度:5点
前途ある若者度:7点


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★「ボリショイ・バビロン 華麗なるバレエの舞台裏」
監督:ニック・リード
イギリス2015年

ボリショイ・バレエ団のことなど全く知らないのに、単にスキャンダラスな事件について知りたくて見に行ってしまった私をどうかお許しくだせえ(^人^)

でも導入部で、ロシアの老舗バレエ団は国宝と同じ、などと初心者でもわかるような説明があったのは助かった
ダンサー250人、スタッフ3000人(!o!)、年に400回以上の公演、そしてクレムリンから本拠地の劇場までわずか500メートルの位置にあり、外交でも重要な位置を占めてきたという。

スキャンダルとなったのは2年前、団の芸術監督(元・人気ダンサー)が往来で顔に硫酸をかけられて失明しそうになったという事件である。しかも、犯人はベテラン・ダンサーにして労働組合(バレエ団にも労組が!)の分会長。団内は芸術監督の方針を巡って真っ二つに分裂していたのだった。

そこで、この状況を改革するために新たに劇場総裁が任命され、収拾を図る。しかし、そこへ監督が復帰。二人には色々と因縁浅からぬ過去があった。
……と、山岸凉子がバレエマンガのネタにしてもおかしくないような話である。

複雑な経緯をナレーションを全く付けずに関係者の話で繋いでいく手腕はお見事。監督、総裁の双方に密着し、さらに何人ものダンサーたちに取材。しかも、内輪の団員会議や理事会にまでカメラが入っている。どうやったんだ?

華やかなバレエ団の陰で、ダンサーたちは役が貰えない、怪我の後で復帰できるか、などと様々な悩みを抱く実情も描く。もちろん、練習やステージで踊っているシーンもある。
その虚実、明暗をうまく引き出しているドキュメンタリーと言えるだろう。

この時映画館で、以前の職場の同僚にバッタリ出会って驚いた。9年ぶりぐらいか 元々熱心なバレエファンで、どんな内容なのかよく知らずに見に来たのだという……私と全く逆ですな(^^ゞ
でも、ご贔屓のダンサーがインタビューに出てたんで、不満ではなかったようだ。


舞台上度:7点
舞台裏度:9点


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2015年12月12日 (土)

「舞曲は踊る 2」:踊る国王に聴く臣民

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没後300年ルイ14世へのオマージュ
製作・監修:浜中康子
会場:紀尾井ホール
2015年12月6日

バロックダンスを中心とし、朝岡聡が語りを務める公演。「2」とあるからには、「1」もあったはずだが、その時は他の公演と3連チャンになってしまうので行かなかったのであった。
似たような趣向、出演者のコンサートは過去に「バロック音楽とダンスで楽しむクリスマス」なんてのがありましたな。

今回は没後300年を記念してルイ14世尽くしだった。
作曲家はリュリ、クープラン、カンプラ、ルベルなど。ほとんどは当時の舞踏譜による振付である。

一番の見どころは、10代の国王が踊った「夜のバレエ」だろう。台本やカラーのコスチューム図が残されているが、音楽については第1ヴァイオリンのパート譜のみ。舞踏譜に至ってはこの時代にはまだ存在してないということだそうだ。
で、上尾直毅がアンサンブル用に曲をアレンジし、浜中康子ほか3人でダンスを復元したという。

しかし、当時12時間にわたって行われたイベントだというのはすごい。その中から国王が踊った4曲とリュリも踊った1曲が披露された。豪華な衣装も目を奪った。「情熱」というのは真っ赤な衣装で、派手の極み(!o!) ラストはもちろん、国王による金色に輝く「アポロン」である。
リュリの作曲による文字通り9人で踊った「9人のダンサーのバレエ」も迫力だった。

その他、イタリアの喜劇コメディア・デラルテを模したコミカルなものもあれば、スペイン調にカスタネットを鳴らしつつ踊る「フォリア」(曲はリュリとマレのもの)もあった。

面白かったのは、新実徳英という作曲家に委嘱したオリジナル曲で、踊りの方はクラシックバレエや社交ダンス、モダンダンスも含めて入り乱れる。バロックダンスがこんなに現代曲にピッタリ合うとはビックリした(この時はモダン楽器による演奏)

アンサンブルを支えるは上尾氏(ミュゼット、バロックギターも披露)の他、若松夏美、高田あずみ、平尾雅子、三宮正満などお馴染みの面々。フルートの前田りり子はクープランの「恋のうぐいす」を披露した。以前、近江楽堂で聞いた時とちょっと趣が違って聞こえたのは、会場のせいかしらん。

クリスマスらしい華やかな企画だった。私も国王の臣民の一人になった気分(*^_^*)
3時間近くかかったのは、曲数が多いからもあるだろうが、朝岡氏の語りが結構長かったような気がする。

紀尾井ホールは古楽系のコンサートがめっきり少なくなったせいで、1年に一度行くか行かないかになってしまった。座席が後ろ過ぎてちょっと失敗だった。
向かいにあるホテルニューオータニのクリスマスツリーの電飾がとてもキレイだったです(^^)


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2015年12月 6日 (日)

「あの日のように抱きしめて」:自分の顏、他人の愛

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監督:クリスティアン・ペッツォルト
出演:ニーナ・ホス、ロナルト・ツェアフェルト
ドイツ2014年

『東ベルリンから来た女』と同じ監督、同じ女優男優による新作。今回は敗戦直後のベルリンが舞台である。

顔を負傷するも強制収容所を生き延びたユダヤ人女性歌手が、顔を整形してベルリンに戻り生き別れた夫(非ユダヤ)を探し回る。
キャバレーで働く夫を発見するが、向こうは彼女だと気付かない。

それどころか妻に似ている別人の女だと思い込んでいて、妻の身代わりになって遺産をだまし取ろうと提案する。ヒロインの一族は資産家だったがみな殺されて、彼女はその財産を相続したのだ。
ひたすら夫の傍にいたい彼女は、他人のふりしてその申し出を受け入れるのであった(健気!)。

予告だとなんだか犯罪の絡んだサスペンスもののようだったのだが、実際見てみると大戦を背景にした運命の変転と、その皮肉な決着を描くのが中心だった。
向こうが気付かないうちはこちらを見て欲しい。しかし、向こうが気付いた時にはもう見て欲しくなくなっている。
その皮肉を彩るは、名曲「夜も昼も」や「スピーク・ロウ」。後者はクルト・ワイルの曲だそうな。全く知らなかった(^^ゞ

「夫だけが妻だと気付かないのはおかしい」という意見が結構あったが、確かにそれは言える。
彼は妻を見捨てたという罪悪感を戦争中からずっと感じていて、その裏返しで死んだと思い込んだという説を取りたい。
そう考えると、妻が夫を必至に追い求めるのは失われた戦前の平穏な生活(の象徴)を取り戻したいからだろうか。
さらに謎なのは、ヒロインの友人である。彼女はずっとヒロインをイスラエルに行こうと誘っていたのだが……その心境は作中では明確に語られない。

空襲であちこち崩れた市街が続く。友人たちと昔に撮った写真には何人かにバツ印がついていて、それで彼らがナチだったと知る。
戦争後のドイツを襲った変転の激しさを物語っている。(まあ、日本も同様だったと思うが)

唯一の難点は、離婚届の場面を早々に出してしまったことである。「決定的証拠」なんだから、もっと終盤まで取っておけばよかったのに(^^?) そうすれば夫の真意が観客にも謎だったのにねえ。

主役のニーナ・ホスはやはりうまい。自転車に乗って目的地へ行く前と行った後はまるで別人である。夫を演じたロナルト・ツェアフェルトは、善人とも悪人とも言い切れないビミョーな立場を巧みに表現していた。


サスペンス点:6点
音楽音響点:8点


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2015年12月 5日 (土)

地点×空間現代「ミステリヤ・ブッフ」:円環の狂躁

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フェスティバル/トーキョー15
作:ウラジミール・マヤコフスキー
演出:三浦基
音楽:空間現代
会場:しにすがも創造舎
2015年11月20日~28日

マヤコフスキー正直言って、名前しか聞いたことありません。それでも行ってみましたよ。

彼はロシアの革命詩人で、この芝居は革命一周年記念に祝祭劇として上演されたという。しかし十数年後、彼は粛清されたらしい(これまでは自殺とされていた)。

会場は円型で、中央に穴の開いた同じく円型の台が据えられている。客席はそれをぐるっと360度取り囲んでいる。
ただし、座席の前にドラムが設置されているブロックがある。開演するとそれぞれ三角形を成すように、別の通路にベーシストとギタリストが現れて演奏し始める。

初めは6人の男女が木製の椅子を頭に乗せて登場し、絶えず円型ステージの周囲を回ったり、昇ったりしつつ、落とさないように不安定な動作をしながら、マヤコフスキーの戯曲のセリフ(多分)を喋る。
しかし、そのセリフは妙な抑揚で引き延ばされたり区切られたりしてるので、全く別の意味にも聞こえる。何回か繰り返し聞かされてようやく意味が分かった時には、悲しいかな中高年の記憶力減退ゆえ、その前の文脈を忘れてしまい、結局何を語っていたのか分からなくなっているのだった。
さらに間歇的にバンドがガンガンガンと大きな音で奏でると、円型の台の電球がピカピカと輝き、その間セリフを中断してみな一斉に哄笑するので、ますます分からなくなる。加えて、誰かを指弾しているのか時折「ゴルァ~」という罵声も入るのだった。

何が何だか分からんですよ(^^?)
恐らく元のテキストは完全に分解されて散乱しているようなので、明確なストーリーは存在するのかどうかさえ不明。
「箱舟を作って」とか「アララト山」とか聞こえてくるので、多分ノアよろしくどこかへ行こうとしているようだとしか分からない。

そのうち、椅子を一人で幾つも担いで歩く者があれば、マイクで怒鳴るものあり。スモークが噴き出してたステージ中央の穴の上に、椅子を置いて演説ぶったり--。
やがてどこかの地へたどり着いたらしい。と、そこで天へ上っていく者あり。しかし今度は降りられなくなってしまう。

グルグル走り回る者が出現すると、遂には全員で走り回る。そのうちに客席との間にあった柵上のものが取り払われて、ステージとの境界が消失する。
6人はグルグル回りながら、観客の鼻先で激しく取っ組み合いを始めるのだった。回る狂騒状態だ。

狂騒が止んでハッと気付いた時には中央の円形台の上に、椅子と柵で完璧なオブジェが作られていたのだった。終了……(・o・)
あれだけ激しく動きながら不安定な(ように見える)形のオブジェを作ってしまうとはすごい。見ていて茫然である。
その前日に見た『地上に広がる大空』に比べたら--いや、比べようもなく洗練された空間造形だ。目が回る~(@_@;)
完全に芝居の一部と化してとして演奏していたバンドにも感心した。

何が何だか把握できないうちに終わってしまい、その後は芝居脳どころか脳ミソ全体がグジャグジャと撹拌された気分だった。
やはり難解である。家族連れで来てた小学生と、別の中年男性は最前列で眠気虫にとっつかまって沈没していた。
セリフが脈絡なく分解されている芝居を見るのは、個人的にはつらいのう
この地点という劇団はどの戯曲も、こんな風に解体して演じるんだよね。だとしたら、もう二度と見ることはないだろうなあ。刺激的ではあったけど……(ーー;)


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