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2015年12月 5日 (土)

地点×空間現代「ミステリヤ・ブッフ」:円環の狂躁

151205
フェスティバル/トーキョー15
作:ウラジミール・マヤコフスキー
演出:三浦基
音楽:空間現代
会場:しにすがも創造舎
2015年11月20日~28日

マヤコフスキー正直言って、名前しか聞いたことありません。それでも行ってみましたよ。

彼はロシアの革命詩人で、この芝居は革命一周年記念に祝祭劇として上演されたという。しかし十数年後、彼は粛清されたらしい(これまでは自殺とされていた)。

会場は円型で、中央に穴の開いた同じく円型の台が据えられている。客席はそれをぐるっと360度取り囲んでいる。
ただし、座席の前にドラムが設置されているブロックがある。開演するとそれぞれ三角形を成すように、別の通路にベーシストとギタリストが現れて演奏し始める。

初めは6人の男女が木製の椅子を頭に乗せて登場し、絶えず円型ステージの周囲を回ったり、昇ったりしつつ、落とさないように不安定な動作をしながら、マヤコフスキーの戯曲のセリフ(多分)を喋る。
しかし、そのセリフは妙な抑揚で引き延ばされたり区切られたりしてるので、全く別の意味にも聞こえる。何回か繰り返し聞かされてようやく意味が分かった時には、悲しいかな中高年の記憶力減退ゆえ、その前の文脈を忘れてしまい、結局何を語っていたのか分からなくなっているのだった。
さらに間歇的にバンドがガンガンガンと大きな音で奏でると、円型の台の電球がピカピカと輝き、その間セリフを中断してみな一斉に哄笑するので、ますます分からなくなる。加えて、誰かを指弾しているのか時折「ゴルァ~」という罵声も入るのだった。

何が何だか分からんですよ(^^?)
恐らく元のテキストは完全に分解されて散乱しているようなので、明確なストーリーは存在するのかどうかさえ不明。
「箱舟を作って」とか「アララト山」とか聞こえてくるので、多分ノアよろしくどこかへ行こうとしているようだとしか分からない。

そのうち、椅子を一人で幾つも担いで歩く者があれば、マイクで怒鳴るものあり。スモークが噴き出してたステージ中央の穴の上に、椅子を置いて演説ぶったり--。
やがてどこかの地へたどり着いたらしい。と、そこで天へ上っていく者あり。しかし今度は降りられなくなってしまう。

グルグル走り回る者が出現すると、遂には全員で走り回る。そのうちに客席との間にあった柵上のものが取り払われて、ステージとの境界が消失する。
6人はグルグル回りながら、観客の鼻先で激しく取っ組み合いを始めるのだった。回る狂騒状態だ。

狂騒が止んでハッと気付いた時には中央の円形台の上に、椅子と柵で完璧なオブジェが作られていたのだった。終了……(・o・)
あれだけ激しく動きながら不安定な(ように見える)形のオブジェを作ってしまうとはすごい。見ていて茫然である。
その前日に見た『地上に広がる大空』に比べたら--いや、比べようもなく洗練された空間造形だ。目が回る~(@_@;)
完全に芝居の一部と化してとして演奏していたバンドにも感心した。

何が何だか把握できないうちに終わってしまい、その後は芝居脳どころか脳ミソ全体がグジャグジャと撹拌された気分だった。
やはり難解である。家族連れで来てた小学生と、別の中年男性は最前列で眠気虫にとっつかまって沈没していた。
セリフが脈絡なく分解されている芝居を見るのは、個人的にはつらいのう
この地点という劇団はどの戯曲も、こんな風に解体して演じるんだよね。だとしたら、もう二度と見ることはないだろうなあ。刺激的ではあったけど……(ーー;)


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