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2016年2月18日 (木)

「白鯨との闘い」:クジラに負け○○に負けた

160218
監督:ロン・ハワード
出演:クリス・ヘムズワース
米国2015年

大学の英文科を出た(ウン十年前に)知人二人に、この映画に出てくる『白鯨』の話をしたら「それってヘミングウェイの?」と二人とも反応したのには驚いた。そりゃ『老人と海』じゃっ(!o!)
とはいえ、私も作者を間違えて言っちゃった……(´・ω・`)ショボーン(誰と間違えたかは恥ずかしいのでヒミツ) それに私も『白鯨』読んだわけじゃなくてグレゴリー・ペックの映画を子どもの頃に見ただけなのだ。(でも、あのラストシーンだけはよーく覚えている)

かように現代日本ではマイナーな『白鯨』ではありますが、もちろん世界文学全集の類には必ず入るような名作なのであるよ。
さて、この映画ではその作者、若きH・メルヴィルがこれから書こうとする小説の取材のために、とある男の元を訪ねる。彼は実際に30年前に起こった捕鯨船の漂流事件の生き残りである。その男からなんとか話を聞こうとするが問答無用で断られてしまう……。

時代は19世紀初頭、捕鯨の盛んな米国ナンタケット島(ボストンに近いらしい)から鯨油を求めて捕鯨船が旅立つ。出港したからには、船倉に鯨油の樽が満杯にならなければ戻らない覚悟。しかし、その船には出港前から船長と一級航海士の間にトラブルの種があったのだ。
というわけで、対照的な男二人が指揮を執り何かにつけて対立したまま、航海を続けること一年以上(!o!)

現在から見ればあまりにちっぽけな帆船に全てを預け、長期間をかけて航行し、小さな手漕ぎボートで海に乗り出し巨大なクジラを追って銛を打ち込む。なんとも恐ろしい。
もっとも、大昔にはカヌーで大海原を渡った人々もいたんだから不思議ではないのだろう。

物語の展開で驚いたのは、巨大なクジラに帆船が体当たりされて沈没--はまだ序の口で、実はその後に延々と漂流譚が続くことである。大海のど真ん中で漂流、となれば当然行き着くのは……(>O<)ギャー

そんな悲惨な話であるにもかかわらず、印象に残っているのは船員たちのキビキビとした動きだ。嵐が来るとなればそれに備え、船が沈むとなればありったけの食料を運び、帆を素早く切り取り持って行く。
このようにして人は海の中で生きてきたのかと思える。前近代に足を半分まだ置いているような彼らのそんな営みは、結末で終焉を迎えることを告げられるのであっだ。巨大クジラに負け、時代の波にのまれて消え去るのが彼らの運命である。

良かったのは、一番肝心なところは言葉で説明しないところ。あのクジラの眼--というよりマナコを見る場面である。あれを見たのは航海士と語り手の少年だけなのだが、そこに何があったのか起こったかということは、全く言葉では語られない。観客一人一人が想像するだけだ。

クジラが体当たりする原因となったのはクリス・ヘムズワース扮する航海士の行為のせいだろう。いささか不満なのは、彼にもう少し演技として「怒り」とか「執念」を垣間見せて欲しかった。ちょっとアッサリし過ぎ。
ブレンダン・グリーソンやキリアン・マーフィの助演組の演技は着実。マーフィは体格からすると海の男というイメージではないが、意外にはまっていた。

ロン・ハワードの演出は手堅い。ただCG、特に航海士の家からの遠景が安っぽい印象だった。海の場面になるといいけど、その前に見た『ザ・ウォーク』の出来と見劣りがしてしまう。(船が難破する場面は迫力あった)
あと、この邦題も最近増えてきた、説明的なタイトルだよなあ(v_v)

見終わった後、例の『白鯨』をモーレツに再見したくなった。ジョン・ヒューストンが監督で、レイ・ブラッドベリが脚本に加わっているのである。ケーブルテレビでやってくれんかな(^^)/


一難去ってまた一難度:10点
船頭多くして船山に登る:8点


【関連リンク】
実際に捕鯨船エセックス号がたどった航路とその後について(激しくネタバレあり)
《「白鯨」の元ネタは小説より壮絶だった》


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