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2016年3月

2016年3月31日 (木)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 4月版

いつの間にかはや新年度。なんだか前のめりになって生きているような気がします。。

*6日(水)シェイクスピアと音楽(ジョン・エルウィス&渡邊順生)
*9日(土)G.F.ヘンデルのリコーダーソナタ(木の器主催)
*17日(日)時をかけるジョングルール(ジョングルール・ボン・ミュジシャン)

他にはこんなのも。
*1日(金)バロック音楽の旅 7 ルイ14世の音楽家たち(菊池かなえ&外川陽子)
*2日(土)スペイン・バスク幻の伝統楽器チャラパルタ(オレカTX)
*3日(日)ディミニューション一騎討ち(菅沼起&坂本龍右)
*9日(土)名橋たちの音を聴く 日本橋編12&神田川編5(都市楽師プロジェクト)
*14日(木)「若冲展」プレ・コンサート 2 ヴィヴァルディと若冲 生きものたちの楽園 (江崎浩司ほか)
*  〃   音楽の情感 リコーダー、ヴァイオリン、リュートによる音楽(向江昭雅ほか)
*17日(日)バッハ ”原”マタイ受難曲(大塚直哉+コーヒーカップ・コンソート)
どういう内容なのか不明。
*23日(土)佐藤亜紀子のリュートは語る 3 リュートdeルネサンス
*  〃   フォルクレの肖像、二つの楽譜(品川聖&中田聖子)
*29日(金)バロック・オーボエの音楽(大山有里子)

月末には山梨古楽フェスティヴァルあり。
サイドバーの古楽系コンサート情報(東京近辺、随時更新)もご覧下せえ。

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2016年3月27日 (日)

「ベテラン」:巨悪を倒すには過激をもってせよ

160327
監督:リュ・スンワン
出演:ファン・ジョンミン
韓国2015年

この映画のエンドクレジットの背景には、場面をコミックス風に再現したイラストが使われている。まるで、スチール写真をそのままなぞってコマ割して並べたようだ。
な、なるほど(+o+;)、これって日本だったら青年マンガ誌の劇画をそのまま映画化したようなもんだ--と最後に思い至った。
そう思えば全てがバカバカしいほどに大げさなのも納得だあ~\(◎o◎)/!

規格外れ刑事対大企業の御曹司というのが基本線だが、主人公の刑事とそのチームはいい加減さ・デタラメさと紙一重な捜査で大活躍している。オーバーに言えばどっちが犯罪者か見分けがつかないほどだ
一方の御曹司は我がままが度を過ぎ--というよりは、あなた病院行って一度見てもらった方がいんじゃないですかあ(?o?)と言いたくなるほどの傍若無人ぶりである。(誰もが「ナッツリターン事件」を想起)

この両者が激突するのだからただでは済まない。双方ともやり過ぎの感あり。笑える場面も多いが、見てて疲れてしまったですよ( -o-) sigh...
もっとも、カーチェイス&クラッシュ場面は大迫力だった。あと、繁華街のど真ん中で二人が必死で大格闘しているのに、周囲の野次馬その他大勢が傍観してるスマホで撮ってるだけというのは、いかがなものかとも言いたくなっちゃった(^v^)

しかも、この中に登場するひどい暴力場面は実際に起こった事件をモデルにしているという。え゛~~っ(>O<) 恐ろしい。
この映画を見て皆さん溜飲を下げたんだろうか、韓国では大ヒットしたとのこと。やはりあちらの国でも不満が溜まっているようである。

韓国映画を年に一度見るか見ないかの人間なので、役者さんは知らない人ばかり。久々の超弩級悪役の御曹司を演じているユ・アインはこれまで、好青年をやってたという線の細い二枚目だが、そのギャップが面白いところだ。
それから、何かと飛び蹴りを食らわす凶暴な女刑事の女優さんは、韓国ではトップクラスのモデルとか……。とても信じられません
監督は『ベルリンファイル』をやっていた人。物語のタッチは逆だが、観客を引きずり回す強引な展開は得意技なようで。

観客は韓流ファン女性も多数。なんでもない場面で突然笑いが起こっていたが、誰かカメオ出演していたんざんしょか?


悪行度:9点
正義度:6点

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2016年3月26日 (土)

「黄金のアデーレ 名画の帰還」:名画の魂、百億円までも

160326
監督:サイモン・カーティス
出演:ヘレン・ミレン
米国・イギリス2015年

主人公がヘレン・ミレン以外に考えられないというぐらいハマリ役で、彼女が表看板となって支えている。
彼女が演じるのはクリムトの有名な絵画のモデルとなった女性の姪で、たまたまシェーンベルクの孫である若い弁護士と知り合い、接収しているオーストリア政府を訴えて絵を取り戻そうとする。これは実際にあった裁判とのこと。

ナチスがオーストリアを占領した時に、裕福なユダヤ人の財産を没収。その中には絵画など芸術作品もあった。彼女の家族の若い世代は米国に逃げたので、クリムトの絵は終戦後もそのままになっていた。主人公の姉が訴えていたのを、1998年、没後に引き継いだという次第である。

もっとも、個人が国を訴えるのだから困難を極める。そもそも米国とは法律も違う。
てっきり裁判の話が中心なのかと思っていたら、回想で彼女が若い頃に夫と国境を命からがら越える逃避行などハラドキなサスペンス・シーンもあった。
また、大戦前の優雅かつ豪奢なウィーンの生活の描写もあれば、それが段々ときな臭い時代へと突入していく歴史物の要素もある。特に一般市民が、通りがかりのユダヤ教徒のヒゲを切り落とす、といったような日常的な差別の場面は、これまであまり見たことがなかったので驚いた。

というような様々な要素がうまくつながっていて、見ごたえあり
後日談として、折角勝ち取った絵をギャラリーに売ったという話が字幕で出てきて、絵にこだわっていたのにあっさり他人に渡しちゃうの(?_?)的な疑問が浮かぶが、細かいことは気にしないのが吉であろう。
あと、弁護士の奥さんが物分りよすぎ。そこら辺の心理描写はなかったようだ。

現実と回想が溶け合うラストは極めて美しく感動的である。思わず泣いちゃった(;_;)ですよ。

ところで最近増えているように思えるのが、当時のドイツ人や占領下の人々でもナチスと闘ってユダヤ人排斥に反対した、という内容の映画である。しかしこちらの作品は、いやいやそんなことでは帳消しにはされんぞ、というようなユダヤ側からの釘差しでもあるのでは--と内容の評価とは別に思えたのだった。

見終わって、H・ミレンはもはや怖いものなし……と誰しも感じるだろう。弁護士役のライアン・レイノルズは「あの作曲家の孫」には思えぬあか抜けなさがプラスになったか。ダニエル・ブリュールは出番少ないがお得な役どころだった。


黄金度:8点
裁判度:6点


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2016年3月21日 (月)

「テレマン パリ四重奏曲集全曲演奏会」:今テレマンが熱いのか?

160321
演奏:片岡博明ほか
会場:近江楽堂
2016年3月9日

パリ四重奏曲全6曲を昼と夜の二部構成で、全曲演奏するという趣向のコンサート。平日なので私は夜の方だけ聞きに行った。1・2・5・6番という順序のプログラムだった。

フルートの片岡博明という人はどうも過去に名前を聞いた記憶がないなあと思ってたら、経歴を見ると名古屋の方で活躍しているようだ。
他にガンバ福沢宏、ヴァイオリン廣海史帆、チェンバロ山縣万里という顔ぶれである。

当時の人気一番手にして多作家のテレマン、この曲集もパリで一流奏者によって演奏され、仏国王のお墨付きで出版されたそうな。ゆえに、全体を通して安定の美に貫かれ、明朗快慶にして軽快である。

そんな曲集を日本の実力ある演奏家によってきっちりと聞かせてもらいました。会場の聴衆もみなさん満足だったもよう。

なお、7月にもやはりこの曲集の全曲録音発売記念ということで前田りり子、寺神戸亮のアンサンブルのコンサートがあるそうだ。にわかにテレマンブームなのか(^^?)


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2016年3月20日 (日)

「J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリンの夕べ」:いつまでも聞けると思うな親の小言とベテランの演奏

160320
演奏:シギスヴァルト・クイケン
会場:ハクジュホール
2016年3月8日

この前の週にやった「マタイ受難曲」は広い会場で満員御礼だったというのに、なぜかこの日は300席という会場でも空席があった。
ええっ、なんで(?_?) てっきりこちらも満員だと思ったのに。
あなたねえ、もうナマでS・クイケンの「無伴奏」なんて聞く機会は永遠にないかも知れないんですよっ(> <)……と言いたくなる。

思い返せば十ウン年前、私は今は無きカザルスホールにて彼の「無伴奏」を聞いて、感動のあまり涙を流した(T_T)のだった。あの感動をもう一度。何があっても行かずばなるまい。
それなのに空席があるたあ、なんてこったい

しかし、かくいう私も前夜睡眠に失敗して、朝から一日中、頭がモ~ロ~状態。まぶたがドヨーンと垂れ下がってくる。よりによってこの日にだ。
私は必死で祈った。「神様、どうかあの邪悪な眠気虫を私から遠ざけてください」さもなければ、イエスさんに怒られた弟子のごとくいぎたなく眠りこけてしまうであろう。
なので、職場で密かに隠れて十五分ぐらい仮眠をしたら少し回復したようだ(^^;

曲順は1→3→2番で、ラストはやはり「シャコンヌ」である。
彼は「マタイ」の時と同様に、楽譜を前に猫背で覗き込むようにして演奏した。その音は……老いてますますギコギコと言いたくなるようなものだった。
高音と低音がまるで別の楽器のように異なり、至る箇所でねじくれたりきしんだりして、不均衡に空気を震わせる。モダン楽器のような滑らかな音に慣れた人には聞くに堪えないだろう。
E・ガッティのヴァイオリンの、あの丸っこい音が他の人間には出せないように、シギスのギコギコ音も彼だけの特質な音であり他には真似できないものなのだろうか。そう思わせるような響きであった。

だからこんな演奏を聞かされてはもう、均質で滑らかで一点の曇りなく美しい「無伴奏」なんてもう聞く気にはなれない 近代的な「美」とは全く異なる美がそこにはあったからだ。

「マタイ」の時は後列のヴァイオリンの列の壇を上る姿になんか老けたなと感じてしまった。シギスの生年はなんと先日亡くなったキース・エマーソンと同じである。エマーソンは病気で思うように楽器を弾けなくなったのが原因で自殺したという噂をネットで見た。
それが真実かどうか知らないが、シギスにはいつまでも達者で弾きまくって欲しいもんである。後継者はF・フェルナンデスぐらいしかいないもんなあ(唯一彼だけが、なぜかバッハを弾く時に限って師匠譲りのギコギコ音になる)。

ところで、「シャコンヌ」の中盤あたりになって近くの座席からアメの包み紙をむく音が……(それも長々と)。よりによってここでやるかと思ってしまった(-"-)


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2016年3月14日 (月)

バッハ「マタイ受難曲」:劇的なるものを越えて

160314
演奏:シギスヴァルト・クイケン&ラ・プティット・バンド
会場:東京オペラシティコンサートホール
2016年3月5日

聖金曜日にはBCJが「マタイ」をやる予定の会場に、一足早くラ・プティット・バンドがやってきた。
今まで彼らの演奏で聞いたのは器楽曲、合奏曲ばかりで、声楽は初めでてある。

「マタイ」というと、通常は(特にモダンでは)大規模編成なわけだが、この日はそれとは対極的な布陣だった。
基本、一人一パートで主要な歌手は第1・2グループそれぞれ4人ずつである。通常ならばグループから外れるはずの福音書書記も第1グループに入っているのだった。それ以外にピラトや女中などの「端役」を歌う3人の歌手がいる。
また、左右対称でない変わった配置のオーケストラも最小限。しかもチェロやコントラバス(あとチェンバロや、ファゴットも?)がいなくて、代わりにバス・ド・ヴィオロンがひとりずつ。これは過去の公演でも同じだった。

と、これはどこかで見たような……とおもったら、ジョシュア・リフキンが指揮した日米合同公演でやったのとよく似ている。同じ研究成果に基づいてやってるのだろう。

その編成に比例するように、演奏自体も極めて簡素で、「そっけない」と言っていいほどにさりげなく、そして全くもって「劇的」ではなかった。リフキンの時だって、歌手の人数が少なくても非常に劇的だったというのに。
過去にこれほどまでにドラマティックでない「マタイ」は聞いたことがない、と断言していいくらいだ。
やはり受難曲といえば劇的なのが「売り」ではないか。大編成で迫るモダン演奏はもちろん、少なめの編成のBCJの演奏でだって、合唱がグサグサと入れる鋭い突っ込みは迫力があって聞くたびに飛び上がる心地だ。そのようなものさえなく、物足りなく感じてしまうかも知れない。

しかし、さらに演奏が始まる時に驚いたのは
指揮者がいない
ということであった。8人歌手たちが舞台前方に並んだ後にS・クイケンがヴァイオリンを抱えて登場し、なるほど弾き振りなんだーと思って見ていたら、そのまま最後列のヴァイオリン組の端に行ってしまったのである。
た、確かに指揮台のようなもんは存在しないわ~(@_@;)と気付いた時には、冒頭曲が始まっていたのであった。

クイケンの真ん前に背中向けて座っているフルートやオーボエの奏者は、全く彼が見えないだろうからどうやって演奏のタイミングを得ているか不明。もっとも、見えていたとしてもほとんど指揮っぽいことはしていなかったのだが。
実質な出だしなどは第1オルガン担当のパンジャマン(天才)アラールがやっていたようである。それでもコーラスの始めが乱れるところあり。第二ソプラノのマリー・クイケン(娘さん?)など、終始ジギスの方を覗きこんでいた。

アッサリ風味の演奏にふさわしく、進行もサクサクと進んでいった。例外はバスのアリアで、クイケンがヴァイオリンからガンバに持ち替えた際に調弦する間、他の奏者も聴衆もジッと静かに待っていた。そして、イエスの死の直後に長ーい沈黙の休止を取った時である。

私の席からは方角的に彼がよく見えたのだが、終始ヴァイオリンの調弦を気にしていて、一度など弾いてる途中に自分だけ演奏を止めて調弦してたこともあった。それほどやっているのに、ヴァイオリン独奏になった時はやはり例のギコギコ音なのであった 不思議である。

歌手では、エヴァンゲリスト兼第1テノールのS・シェルベはまだ若くて、明るい声質の人である。他人のアリア以外は歌いっぱなしなのだから、若くなければやってられないだろう。ごくろーさんm(__)mとしか言いようがない。それでも最初の頃は高音が割れたり、後半は声がよれたりしてた。
イエスをやったバスのS・ヴォックもやはりあまり重くない明るめの声だった。こちらは終始、安定してた。

全体的な感想としては、怒涛のようなドラマティックな大感動というようなものはない。そして権威的でもない。代わりに、質素で胸に染み入ってくるような感動があった。
聴衆もフライング拍手などはなく、雑音は時折入ったが、満員御礼とは信じられないほどの集中力で驚いた(!o!) 長い休止の時も静かだったし、最後も拍手をできる限りこらえていたのだった。ただ、受難曲でブラボー連発はいただけませんな

日本公演はこの日以外は神奈川でやっただけで、折角来日したのだからせめて関西方面でもう一回ぐらいやって欲しかった。採算の関係とかあるんでしょうか。


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2016年3月12日 (土)

「フェラボスコ、フェラボスコ!」:親子で英国に来たりてガンバ弾く

160312
演奏:ザ・ロイヤルコンソート
会場:日本福音ルーテル東京教会
2016年3月2日

英国のガンバ・コンソート曲を主に演奏するグループ、ザ・ロイヤルコンソート。マイナーなプログラムを聞かせてくれることが多いが、今回は英国ルネサンス期に活躍したフェラボスコである。

しかし、私はここで初めて知ったのだが、なんとフェラボスコは二人いたっ(!o!)……というか、親子で作品を残しているのであった。それぞれフェラボスコ1世・2世と呼ばれているらしい。

上村かおりの解説文によると、父の方はイタリアから英国へ渡ってきて、その後ヨーロッパ各国と英国を行ったり来たりして、エリザベス女王陛下のスパイ説もあるのだという。なるほど、音楽家なら色々な宮廷に出入りしてもおかしくはない。
また息子の方は王子のガンバ教師をしていたというから、親子そろって王室のお覚えめでたかったようである。

そんな親子の曲を交互に演奏。他の楽器のない純粋なガンバ一本勝負である。……といっても、ガンバは一本じゃなくて(^^ゞ トレブルからバスまで4種を揃え、さらにバス・ガンバは5本もあるという驚きの布陣なのだった。
なぜ5本もあるかというと、特別な調弦をしたリラ・ヴァイオルとして使う曲もあったからだ。

最低二人、多いときは五人で様々なガンバをとっかえひっかえ。父フェラボスコのもろにルネサンスの香り芬々たる、やや古めかしく堅固な対位法の曲あれば、息子のメランコリー(当時の流行か)風味な舞曲あり。さらには時代を先取り?バッハの無伴奏チェロ曲を連想させるものまであった。
小さな教会の中にさながらガンバの小宇宙のようなものが形作られていたのだった。

前の方の席を取ったので、ガンバの響きを直接浴びて心地よかった。
急に暖かくなった気候のせいか、調弦がやたら長かった。リュート奏者の例に倣えば、「90歳のガンバ弾きがいたら、そのうちの70年は調弦している」と言いたくなるぐらいだ。
おまけにエアコンがやたら暑くなったかと思えば、冷風が吹いてきたりして参った
加えて、客電が明るすぎてこれまた参った。休憩時間中より明るくするんだもん、まぶし過ぎだ。
それから、閑散という程ではないけど客がいつもより少なかった。コントラポントの公演が重なったからだろうか。同じルネサンスものでぶつかっちゃったからのう。


さて、会場となっている教会についてである。しばらく前の新聞での人物紹介コーナー記事に、牧師だけのロックバンド(ヘビメタ?)のリーダーという長髪の牧師さんが登場していた。ちらと読んで、「へー、こんな人がいるのか。まあアメリカにもクリスチャン・ロックとかあるからなー」などと思った。
しかし教会で撮ったとおぼしき写真が載っていて、背後に写っている十字架がどうもなんだか見覚えがある。で、もう一度記事をよくよく読んでみたら、なんと古楽系コンサートでよくお世話になっている日本福音ルーテル東京教会じゃないですか。ビックリよ
まあ、教会でロックのコンサートはやらないだろうけど(^o^;

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2016年3月 6日 (日)

バッハ・コレギウム・ジャパン第116回定期演奏会:ヨイショ♪の陰に政治あり

160306
世俗カンタータ・シリーズ7
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2016年2月26日

今回の冒頭オルガン曲と世俗カンタータ2曲は「宮廷つながり」だそうだ。
オルガン曲の方はバッハのワイマール宮廷時代に音楽好きな公子が作曲した協奏曲を編曲したとのこと。ちょっと珍奇な感じで、オルガン曲らしさはあまり発揮されてないように思えた。

二つのカンタータの方はザクセン選帝侯(兼ポーランド王)に捧げられている。BWV215の方は、選帝侯一家のライプツィヒ訪問に際し数日間で完成させたものだという。
ぼーっと聞いていると単なるヨイショ曲に聞こえるが、実際には歌詞の背景には政治的な動きがそこここに入っているらしい。8曲目の3人の歌手によるレチにトランペット(もちろんマドゥフ組)による突撃ラッパもどきが入っているのが面白い。フランスとの対立を歌っている内容だからだ。
通して聞くと、そんな突貫工事で作られたとはとても思えないカンタータである。

後半はBWV206一曲のみの演奏。こちらは4つの河を擬人化して、4人の独唱者が選帝侯が「おいらのもんだぜ」と奪い合いを歌うという変わった趣向だ。こちらも政治的暗喩が隠されているらしい。
テノールのエルベ河と共にコンマスの寺神戸亮(珍しく若松さんじゃなかった)が細かく寄せる波のようなヴァイオリンを独奏した。
負けじとアルトのドナウ河の時の、オーボエ2本とファゴットの絡み合いも素晴らしかった。
しかし、最後に登場するはハナ・ブラシコヴァが歌うプライセ河 彼女(河)が全てを持って行ってしまった。背後にフルート3本も付いているのも強力だ

かようにハナたんの声は美しく力強く、いつにも増して会場を光で満たしているようであったよヽ(^o^)丿
世俗カンタータではお馴染み、バスのロデリック・ウィリアムズはいつも通りブレなしの安定感だった。一方、初めて見た(聞いた?)テノールのチャールズ・ダイエルズは、外見は小柄で元気なおじーさんという印象だが、やや歌い方に癖があり、好みが分かれるところだろう。
カウンターテナーは青木洋也で、昔はかなり不安定な歌唱だったのが、そういう部分は少なくなって立派なソリストぶりだった。


次回の「ヨハネ」はパスして(日韓共演とのことなので聞いてみたいんだけど)、さらにその次のルター500プロジェクトになる予定。

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2016年3月 1日 (火)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 3月版

平穏だった1・2月に対し、突然の公演ラッシュ。春ですかねえ~。

*2日(水)「フェラボスコ、フェラボスコ!」(ザ・ロイヤルコンソート)
*5日(土)マタイ受難曲(ラ・プティット・バンド)
東京公演は完売とのこと。6日にも横浜公演があります。
*8日(火)バッハ 無伴奏ヴァイオリンの夕べ(シギスヴァルト・クイケン)
前回、カザルスホールで聞いた時は泣きましたよ(T^T)
*9日(水)テレマン パリ四重奏曲集全曲演奏会(片岡博明ほか)
*12日(土)チェンバロのひみつ(上尾直毅&荒木優子)
土曜出勤の日と重なっちゃったが、頑張って行きます。
*26日(土)東京・春・音楽祭 「シェイクスピアの時代」(波多野睦美、つのだたかしほか)
*28日(月)東京・春・音楽祭「カラヴァッジョ展」記念コンサート 1(坂本龍右)
展覧会の内容に合ったコンサートなんですが、会場はレクチャー用のホールなんで音的にはあまり期待できないところ。
*31日(木) 東京・春・音楽祭「ボッティチェリ展」記念コンサート 3(平尾雅子)
*  〃   大江戸バロック バッハ331歳の誕生日に
果たして時間差で2つ聞けるか?神のみぞ知る。

他にはこんなのも。
*2日(水)華麗なるシャルパンティエの音楽(コントラポント)
ロイヤルコンソートと重なってなければ行きたかったんですが……。
*19日(土) 東京・春・音楽祭「ボッティチェリ展」記念コンサート  1(ヴォーカル・アンサンブル・カペラ)
*21日(月)ハッピー・バースデイ・バッハ!(有田正広&芥川直子)
*26日(土)サイモン・スタンデイジと仲間たち
*29日(火) 東京・春・音楽祭「カラヴァッジョ展」記念コンサート 2(アントネッロ)

BCJの「マタイ」はひと月の間に「マタイ」を二度聞くのは避けたい、ということで残念ながらパスしました。行った方はぜひご感想を(^^)/

なお、サイドバーの「古楽系コンサート情報」もご覧ください。

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