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2016年3月20日 (日)

「J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリンの夕べ」:いつまでも聞けると思うな親の小言とベテランの演奏

160320
演奏:シギスヴァルト・クイケン
会場:ハクジュホール
2016年3月8日

この前の週にやった「マタイ受難曲」は広い会場で満員御礼だったというのに、なぜかこの日は300席という会場でも空席があった。
ええっ、なんで(?_?) てっきりこちらも満員fullだと思ったのに。
あなたねえ、もうナマでS・クイケンの「無伴奏」なんて聞く機会は永遠にないかも知れないんですよっ(> <)……と言いたくなる。

思い返せば十ウン年前、私は今は無きカザルスホールにて彼の「無伴奏」を聞いて、感動のあまり涙を流した(T_T)のだった。あの感動をもう一度。何があっても行かずばなるまい。
それなのに空席があるたあ、なんてこったいannoy

しかし、かくいう私も前夜睡眠に失敗して、朝から一日中、頭がモ~ロ~spa状態。まぶたがドヨーンと垂れ下がってくる。よりによってこの日にだ。
私は必死で祈った。「神様、どうかあの邪悪な眠気虫を私から遠ざけてください」さもなければ、イエスさんに怒られた弟子のごとくいぎたなく眠りこけてしまうであろう。
なので、職場で密かに隠れて十五分ぐらい仮眠をしたら少し回復したようだ(^^;

曲順は1→3→2番で、ラストはやはり「シャコンヌ」である。
彼は「マタイ」の時と同様に、楽譜を前に猫背で覗き込むようにして演奏した。その音は……老いてますますギコギコdangerと言いたくなるようなものだった。
高音と低音がまるで別の楽器のように異なり、至る箇所でねじくれたりきしんだりして、不均衡に空気を震わせる。モダン楽器のような滑らかな音に慣れた人には聞くに堪えないだろう。
E・ガッティのヴァイオリンの、あの丸っこい音が他の人間には出せないように、シギスのギコギコ音も彼だけの特質な音であり他には真似できないものなのだろうか。そう思わせるような響きであった。

だからこんな演奏を聞かされてはもう、均質で滑らかで一点の曇りなく美しい「無伴奏」なんてもう聞く気にはなれないpunch 近代的な「美」とは全く異なる美がそこにはあったからだ。

「マタイ」の時は後列のヴァイオリンの列の壇を上る姿になんか老けたなと感じてしまった。シギスの生年はなんと先日亡くなったキース・エマーソンと同じである。エマーソンは病気で思うように楽器を弾けなくなったのが原因で自殺したという噂をネットで見た。
それが真実かどうか知らないが、シギスにはいつまでも達者で弾きまくって欲しいもんである。後継者はF・フェルナンデスぐらいしかいないもんなあ(唯一彼だけが、なぜかバッハを弾く時に限って師匠譲りのギコギコ音になる)。

ところで、「シャコンヌ」の中盤あたりになって近くの座席からアメの包み紙をむく音が……(それも長々と)。よりによってここでやるかと思ってしまった(-"-)


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