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2016年5月 8日 (日)

「消えた声が、その名を呼ぶ」:娘を求めて三千里

160508
監督:ファティ・アキン
出演:タハール・ラヒム
ドイツ・フランス・イタリア・ロシア・ポーランド・トルコ2014年

トルコで20世紀初めに起こったアルメニア人キリスト教徒の迫害に端を発する物語である。
オスマン・トルコ統治下、職人として家族と平穏に暮らしていたアルメニア人の主人公が、いきなり憲兵によって強制労働に徴収される。一方で女・子供・年寄りは難民キャンプへ送られる。
奴隷同然に荒野で働かされた揚句処刑されそうになり、助かったもののその時の傷が原因で声が出なくなってしまう。

妻と二人の娘が送られたキャンプへと向かうが、そこは名ばかりで収容者が餓死するのを待っているだけの砂漠だった。ここの光景はかなり衝撃的である。
その後、娘たちがまだ生きていることを知った彼は、延々と娘の足跡を追いかける。
アレッポ(ここで第一次大戦終了)→レバノン→キューバ→米国と、延々と移動を続けるのだ。

その間、約十年。そしていかなる場所にも暴力と不正が横行するのだった。
なかでも米国人の描写はいい所のなしの、ひどいもんである。誰もが主人公をいじめまくる。そのせいだろうか米国ではロケしていない。(ラストシーンはカナダ)
さらに中東の地から移住するために人々が海を渡ってたどり着き熱狂するのは、米国……ではなくキューバという描写にもイヤミが含まれているかも知れない。

その様々な土地の光景はどこも美しいというより厳しい。主人公はある時は他人に助けられながら、またある時は悪事を犯しながら、なんとか生き延び娘たちを追いかけるのである。それは執念としか言いようがない。いや、執念こそが彼をかろうじて歩かせているのだろうか。
監督はインタビューで「彼をもっと悪人にすればよかったかも」と語っていたが、そこは難しいところだ。これ以上悪事を重ねたら、ラストに納得いかない観客多数になってしまう可能性がある。

そのラストは、劇中に登場するとある映画の場面とそのまま重なる。その感動を成り立たせているのは、冒頭以外はセリフのない主人公を演じたタハール・ラヒムの「顔力」に寄るところ大だろう。

音楽がレディオヘッドっぽいなあと思ってたら、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの元メンバーが担当とのこと。こちらの方が元祖ですわな。
またしても説明的な邦題来たーっだが、原題はシンプルに主人公の喉の「傷」である。

トルコ系ドイツ人である監督は、いうなれば迫害した側であり、トルコ国内でも論争中というこの事件についての撮影は苦労だったようだ。「難民キャンプに送ったのは彼らを保護するため」とか「自分で進んで家を出たのだから強制ではない」とか論議が闘わされているのだろうか。犠牲者の数についても5万7千人から150万人と諸説あるらしい。
アレッポを始め、この中に登場する土地の大半が今もなお混乱や紛争の舞台となっているのは偶然ではあるまい。

もう一つ印象的だったのは、トルコ兵に「イスラム教に改宗すれば帰してやる」と言われて躊躇しながら数人が進み出る場面だ。背中に「裏切り者」「ユダめ」という罵声が投げつけられる。宗教というものの厳しさを感じさせるのだった。


父親度:9点
悪人度:5点


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