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2016年6月

2016年6月26日 (日)

「室内楽の夕べ バッハとテレマン」:タテのものをヨコにも吹かない

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主催:木の器
会場:近江楽堂
2016年6月17日

この日の面子は宇治川朝政&福間彩の定例コンビにオーボエ三宮正満、ガンバのジョシュ・チータムで、タテ笛で攻める曲が中心だ。
タイトル通りテレマン4曲に、バッハ先生3曲、そして息子C・P・E・バッハ1曲というプログラムだった。

テレマンはほとんどが4人での演奏で、特に協奏曲ト短調は三宮氏の小技が効いてオーボエが堪能できた。一方、そのオーボエが抜けたリコーダーソナタは、今度は宇治川氏のリコーダーが独壇場の活躍。思わず「テレマンにはタテ笛がよく似合う」とか言いたくなっちゃうのであったよ(^^;)

逆にリコーダーなし息子バッハのオーボエソナタは、明るさがあれどテレマンとは違ってやや重い熟成の味わい。こちらも良かった。

面白い趣向だったのはバッハのトリオソナタホ短調である。原曲はオルガン曲だが、さらに元となったカンタータがあって、そのカンタータのシンフォニアを演奏し、ついでにトリオソナタには使われていないアリアも編曲して演奏したのだった。このアリアがなかなかに甘い二重奏だったけど、ガンバとオーボエでは後者の方がどうしても音が大き響いてしまうのが、少し残念な印象である。

それから忘れてはイカンのが、ガンバ独奏によるパルティータBWV1013。何やらちょっと風変わりな曲の感じで、陰陽が入り混じった複雑なきらめきが近江楽堂のドームに満ちた。
原曲はなんだろうと思ったら、無伴奏フルート曲(息継ぎする所がないので有名な)だったのね。やはりチータム氏、今回も素晴らしい演奏だったですヽ(^o^)丿

二本のタテ笛饗宴、満足できたけど、今回もやや客が少なめだったのが気になった(前回は結構入ってたのに)。次回の9月公演では事前に宣伝したい。
それから、湿気の強い日だったのでエアコンを効かせ過ぎてて、楽器はともかく人間の方はマイッタ(@_@;) カーディガン羽織ったけどそれでも足りぬ。次はもっと厚手の上着を持ってこよう……って、前にも書いたような(^^ゞ 学習能力ゼロよ


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2016年6月25日 (土)

「ルーム」:部屋は我が家に非ず

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監督:レニー・アブラハムソン
出演:ブリー・ラーソン
米国2015年

日本での出版時、ミステリー・ファンに話題になった小説を原作者自身が脚本担当で映画化。アカデミー賞に複数部門ノミネートされ主演女優賞を獲得した。

当然、話題作なわけだが、見た結果はどうも今一つな印象を受けた。
17歳の少女が変態野郎に拉致監禁されて、物置小屋みたいな狭い所に何年も閉じ込められて男の子も生まれ……という件りが、意外と早く終了するのは予告などで大体予想できてたので、以外ではなかった。
息子をなんとか脱出させてその後自分も解放されて以降が結構長く、力点が置かれている。しかし、ここの描写があまり納得いかないものだったのである。

初めての外界にパニック状態となる少年が、子どもゆえに柔軟な適応力があり世界になじんでいくのに対し、自宅に生還したヒロインの方は逆に段々とうつ状態に陥っていく。

だがここの描写が物足りない。本来ならマスコミ取材は苛烈で最低一か月ぐらいは張りついているだろうに、帰宅した時にちょこっと騒ぎを見せるだけ。
それに、ご近所、親類縁者、昔の同級生やら恩師やら何やら怒涛のように押し寄せてくると思うのだが、そういう場面や言及は一切なし。
また、実の父親が少年(孫にあたる)に触れるどころか見もしないと、帰宅直後にヒロインがブチ切れるのだが、直接そのような場面は登場しない。だから、彼女がいきなりヒステリックに叫んでいるように見えてしまう。
父親役は折角のウィリアム・H・メイシーなんだから、もう少し登場させてくれてもいいのに、ほとんど出番なく早々に退場しちゃうのだった。

ヒロインを追い込むような描写があまりしつこいと観客の方もいたたまれなくなってしまうが、TV出演のエピソードぐらいしかないというのもどうよ(?_?) 全て少年目線の語り口だから仕方ないとはいえ……
ラストは感動的なだけに残念である。

彼女は陸上選手だったというから、狭い部屋に閉じ込められてその苦痛は想像するだに恐ろしい。ちょうど日本でも似たような事件が発覚したので余計にだ。
狭い部屋も息苦しいが、広いはずの外界も息苦しい。そして、演技合戦の映画も息苦しさを感じるのであった。

確かに主演のブリー・ラーソンはオスカーの価値はあるだろう(他のノミネート作品を未見なので比べられないが)。この人、『ショート・ターム』の主人公だったのね。まだ若いのでこれからに期待。
息子役の少年の屈託ない演技に感服した。それと、母親の再婚相手役のトム・マッカムスとワンコが、重苦しい中で救いです(^o^)丿


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2016年6月19日 (日)

「バンクシー・ダズ・ニューヨーク」:NYお宝探しツァー

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バンクシー……「英国出身」という以外は何も明らかになっていない正体不明のアーティスト。作品は高額で取引されるが、正直言ってうさん臭い。まあ、もっとも現代アート自体うさん臭いと言えばそれまでだが。

その彼がニューヨークでの新しいプロジェクトを行なった。一か月間、毎朝インスタグラムでストリート・アートを公表する。展示場所は不明だがオーディオ・ガイド付きで、それを追って行けばその作品にたどり着けるというものだ。
ファンや好事家など人々は右往左往して探し回り、ラインで情報が流れては皆が押し寄せる。SNSを使ってこの騒動もアートの一部にしているようである。
しかし、これってなんか人をおちょくってないか?

ドキュメンタリーは、バンクシーのおっかけカップルに密着取材。毎朝、二人が作品を求めてニューヨークを走り回る様を見せる。この取材自体は金もかからずお手軽な作りである。

作品の多くはグラフィティ・アートで、いたずら書きする奴、消す奴、保存処置する奴、見物料金取る奴、怒る者いれば喜ぶ者もいる。さらにはギャラリーに持って行って売ろうとする者まで現れる。

ただし、この手のアートはその場にあってこそのもの。その証拠にギャラリーに飾られた石積みのスフィンクスはなんと詰まらないことか。やはり、薄汚い工場街の水たまりにあるからこそのインパクトである。
一方、路上のみやげ物屋のおぢさんに自分の真作を60ドルで売らせるという、イヤミでいたずらなパフォーマンスも。街ゆく人は気にも留めずほとんど売れなかったという。(←これは当時日本でも報道された) 3枚も買った旅行者は大もうけですな

いずれの作品も用意周到、手際よく計算されている。自分で起こした騒動をせせら笑ってに眺めているようだ。
これらをアート自体の価値を問う行為と見るか、冷笑的な売名と見るか、その答えは観客によって様々だろう。
とはいっても正直、人々が右往左往する様は面白い……ってなっちゃうんだよね(~_~ゞ

上にドキュメンタリーとしての取材はお手軽だと書いたが、ネットの画面を挿入したりしつつかなり編集はうまく、全体はサクサクと進んで飽きさせない。ラストも皮肉だ。もっとも上映時間自体が81分と短いんだけど。

バンクシーの正体は作中で論議されているように、大掛かりで、多くの人手を使っており(口外しないように契約書を交わしているとか?)恐らくは事前にスペースや機材を借りたりしているのだろうから、一人ではなく集団だろう。もちろん強力なリーダーに率いられている可能性もある。

--と思ったら、新聞の特派員コラムにバンクシーについての記事が出ていた。フランスのカレーに作られた難民キャンプで、バンクシーが出現してS・ジョブズの絵を描いたというのだ。それを目撃した難民によると、白人男性が一人で現れて絵を描いたという。たき火にあたりながら「反難民」気運を批判し、助けになりたいと熱く語ったそうな。
うむむむ……昔の画家の工房みたいに弟子が分担して描いているのかしらん(^^?)


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2016年6月18日 (土)

「ストレイト・アウタ・コンプトン」:成功のち分裂、時々裏切り

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長いこと見るかどうか迷っていて、結局ロードショー終了間近になって見に行った。
なぜ迷っていたかというと、私はラップとかヒップホップが非常に苦手だったからである。

しかし見てみると、ミュージシャンの成功→分裂→和解の物語としてかなり正攻法な作りであった。
ただし、若い黒人を取り巻く環境は暴力的で、困難を極める。何せLAの街角じゃ集団でたむろしているだけで警察のお縄を頂戴する羽目になってしまうのだから。

彼らのグループNWAが成功するにつれ、待遇の差などが表面化し、メンバーはバラバラになる。一方で、白人マネージャーの長年の不正が発覚する。
ここで疑問だったのは、中心的に描かれているイージー・Eがどうしてマネージャーをあそこまで信頼していたのか、ということだ。ヤクの密売人やってて他のメンバーよりスレていたと思うのだが、他に何か理由があったのだろうか。
生き残ったメンバーが製作に関わっている分、描けなかったことも多数あるのだろうかと思ってしまう。

これを見て、抑圧に反抗する若者の音楽というかつてのロックが担っていたものを、今やラップ・ミュージックが取って代わったのが身に染みてよーく分かった。世界中の若者に受けるわけだ。時代は変わる、音楽も。
もっとも、TVドラマ『エンパイア 成功の代償』を見ていると、ラップ/ヒップホップ界も今や立派なエンタテインメント・ビジネスのようであるが。

それにしてもミュージシャンが成功すると、酒・ヤク・裸のねーちゃんに溺れるというのが人種民族音楽ジャンルに関係なく共通のようなのは困ったもんだ。(別に困ってない?)

マネージャー役のP・ジアマッティはさすがの貫禄。この人、『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』でも似たような役をやっていたけど、完全モードの悪人やら卑俗な弱さをチラつかせる小悪党やら、演技の自由自在な目盛を持っているらしい。
若者たちでは、アイス・キューブの息子が父親クリソツなのが微笑ましい。
ラップの部分はオリジナルを使って吹替えてるのかな?


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2016年6月11日 (土)

「アーロと少年」:ペットか友人か

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監督:ピーター・ソーン
米国2015年

早くもピクサー新作登場。今年はまだ『ファインディング・ドリー』が控えているから、半年に一作の割合で投下してくるのだろうか。
対象年齢がかなり低めなせいか、字幕版は公開されてなかった。仕方なく吹替え版で見たのであった。もっとも、セリフの量が少な目だからあまり影響はなかったかも。

恐竜が隕石のせいで絶滅しなかったという一種の並行世界、現在では恐竜の方が進化を遂げている。畑を耕して暮らしている恐竜少年アーロ一家の周囲に「害獣」が出没して収穫を荒らす。そいつが人間の小さな男の子なのだった。こいつが言葉も持たず、野犬というか、こすい小動物というか……。
賢く勤労する恐竜一家に対して人間がペットや野生動物並みって、かなりブラックな設定である。

中心のテーマは、弱虫で落ちこぼれっぽい少年アーロの波乱万丈な成長物語という王道なのだが、見ているうちにこれは西部劇でもあるということが途中で判明してくる。
そのせいか悪役の所業が容赦ないのに驚く。近年、大人向け作品でも生ぬるい悪役が多いが、それとは一線を画す。この場面はとてもお子ちゃま向きとは言えません。あ、それと変な果物食べてラリる場面も\(◎o◎)/! よい子は真似しちゃいかんぞ(よい大人もな)

山や森、草原、そして川の流れる水の描写が非常に美しい。思わず見とれてしまうぐらい。他にも雄大な自然の描写はかなりリキが入っている。色々と個性的な動物植物が登場するのも楽しい。
そして出会いがあれば、当然別れもあるんよ……(T_T)/~~~

ピクサーものとしては、設定も展開もかなり複雑だった『インサイド・ヘッド』よりも、簡潔単純さゆえに却って気に入った。
音楽はトラッド味があって映像とよく合っていたが、ラストのテーマ曲が日本人の曲なのには参った(@_@;) 興ざめである。 次の「ドリー」は是非とも字幕版の公開を望む。


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2016年6月 6日 (月)

バッハ・コレギウム・ジャパン第118回定期演奏会:殺意と寄付

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ルター500プロジェクト2
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2016年5月31日

宗教改革500周年を記念する一環のプロジェクトして、コラールカンタータを演奏するシリーズ。前半はオルガン曲も含めて「わが魂は主を崇め」をテーマとした作品で統一されていた。

オルガン曲とカンタータ10番の間に、プレトリウス作曲のやはり同一テーマによるマニフィカトが合唱(無伴奏だったっけ?)によって歌われた。これがかっちりと決まっていて豊かなコーラスの世界が浮かび上がった。日本でこういう曲を明晰に歌えるグループはなかなか見つかるまい、と思うほどである。

BWV10は、バスの歌と執拗に争うようなチェロが入るアリア、そしてアルトとテノールの二重唱ではトランペットが絡み合う--と、楽器と声の関わりが特徴的だった。

後半ではBWV94の冒頭の合唱曲で、演奏がいかにも難しそうなフルート(菅きよみ)が入る。菅女史は後のアルトのアリアでも大活躍であった。
名曲78番では、つんのめるようなリズムのソプラノ&アルトのアリアが聞くたびに面白い。この日のデュエットは松井亜季とロビン・ブレイズだった。

演奏自体は問題なかったが、最後の最後でフライング拍手があったのはいただけなかった。早過ぎる拍手に、鈴木雅明が心なしか残念そうに腕を降ろしたように見えたのは私だけか。私を含めて多くの観客に殺意がひらめいたのは間違いないだろう。

独唱者でよかったのはロビン・ブレイズと櫻田亮だった。終演後に熊本の地震の寄付金を入れる箱を出演者が持っていたのだが、それで私は櫻田氏の箱に入れた。彼は入口のところに立っていたからよかったものの、マサアキ氏は箱を持って挨拶しながらウロウロ歩き回ったので、寄付をしようと財布を開けたまま何人もの客が彼を追いかけるという珍妙な光景が見られたのだった(^o^;)


さて、同じ日同じ時間にお隣の近江楽堂では、辻康介がなんとマラン・マレを歌うという珍しいコンサートが行なわれていたのだ。もしBCJと重なっていなければ絶対行ったのに……。クヤシイッ
休憩時間中に近江楽堂の前を通ったので、「すいませーん、ちょっといいですかーっ」と突撃したいところだったが、断念した。残念よ((+_+))


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2016年6月 5日 (日)

「ロイスナーの音楽」:古リュートやかすれ飛び入る弦の音

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演奏:佐藤豊彦
会場:近江楽堂
2016年5月25日

はて(?_?)ロイスナーとは一体誰とまず疑問がわくCD発売記念のコンサート。私も初めて聞いた名前であるが、17世紀の中ごろから後半にかけて活躍したリュート奏者とのことだ。
この日は、1676年に出版された曲集より二つの組曲が演奏された。内省的でかつ短いロイスナーの作品と芭蕉の俳諧の類似を感じた佐藤氏は、それとは対照的なテレマンとヴァイヘンベルガー(過去にやはりCDを出している)の作品も対比の意味で組み合わせた。

前半はかなりリラックスしゆっくりとした進行であった(^o^;) 
録音では齢400歳の老リュート様のグライフを使ったが、どうも実際にはロイスナーはもう少し小ぶりな楽器を使ったらしいということで、ネックが3センチほど短いリュートを使用していた。

加えて、ロイスナーは史上初めて「組曲」という形態を作った人と聞いて驚いた。当時のイベリア半島には様々な民族がいて、アフリカ大陸から来たダンスから舞曲も生まれたなど、個々の曲ごとに解説が入ったりした。

前半だけで1時間以上かかってしまったためか、後半はお喋りを少なくしてスピードアップしたのだった

テレマンの曲については、結構作品数はあるものの書き方が今一つ面白くない、弟子が書いたのかもなどという評価だった。この日の曲は当時のリュート奏者が書き加えた可能性もありとのことだった。
以前にも、某チェンバロ奏者が「どうも、テレマンの鍵盤曲はいいのがなくて」とぼやいていた(結局、テレマン特集なのに他人の作品を弾いた)こともあり、どうもテレマン先生は楽器の奏者によって評価が分かれるようである。

ロイスナーは確かに地味で渋過ぎて、佐藤氏ご本人によるチラシの解説にあるように一回聞いただけではよく分からなかった。CDをゲットしたので、これからよーく聞きこんでみよう。

本邦初演の曲もあったのに、近江楽堂はかなりスカスカな椅子の配置で満員には程遠かった。関東一円のリュート・ファンは何やってんじゃい(*`ε´*)ノ☆

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2016年6月 2日 (木)

聴かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 6月版

古楽器には向かない季節が近付いてまいりました

*17日(金)室内楽の夕べ~バッハとテレマン(三宮正満ほか)
*26日(日)トン・コープマン オルガンリサイタル
川崎公演もあり。この日は見事にBCJの「水上の音楽」とバッティング(泣)
*26日(月)ヴェネツィアの休日(ベルリン古楽アカデミー)

他にはこんなのもあり。
*5日(日)二人のヨハン バッハ×パッヘルベル(アンサンブル・ミリム)
*7日(火)ラケル・アンドゥエサ&ラ・ガラニア
この人はどんな感じなんでしょうか。感想求む。
*16日(木)有田正広レクチャーコンサート
クラヴィコードとフルート8本使用とのこと。
*22日(水)フランス・バロックとバッハの宴(オリヴィエ・ギャルドほか)
*23日(木)ヨハン・セバスティアン・バッハと息子カール・フィリップ・バッハ (ベルリン古楽アカデミー)

調布音楽祭も開催です。サイドバーの「古楽系コンサート情報」もご覧あれ。

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