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2016年9月

2016年9月25日 (日)

「ミモザの島に消えた母」:母を求めて30年

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監督:フランソワ・ファヴラ
出演:ロラン・ラフィット
フランス2015年

この映画、まったくノーチェックだったのだが、『生きうつしのプリマ』と同じような話でしかもこちらの方が面白い、という他人の感想があったので、気になって見に行くことにした。

妻子に逃げられたばかりの男が、30年前の子どもの頃に亡くなった母親の死を探ることに熱中し始める。あまりに熱中し過ぎて、事故を起こしたり、自分の娘に当たり散らしたり、勘当されたりして、仲の良い妹も引いてしまう。

謎がズルズルと出てくるのでサスペンスが盛り上がるというわけではない。メリハリないので長く感じてしまう。その間、主人公は母が死んだ別荘のある島を行き来しつつ、暴走したりカンシャクを度々起こすので見てて疲れてしまった。

謎が明かされた後は、兄よりも妹の方が激昂するのは意外だった。彼女もまた兄同様に何か感じていたのか。

家族というものの悪いところと良いところをコワく描いている、と言えるだろう。特に、とある人物の本性が分かる件りは家族不信になりそうだ。
そういう所を含めて、確かに『プリマ』とよく似ている。
父親が母について秘密を持っていて隠している。子どもがそれを探る。そして、男性の肉親同士のケンカ(身体的な)がある。--という点まで一致するのだ。
ただ、タッチは全く異なるので言われてみないと気にならなかったかも。

で、どちらが面白かったかというと……うーむ(=_=)どっちもなあ、というのが結論であった。

妹役のメラニー・ロランは人気がある人なのか? チラシや広告では写真が大きく使われているが、時間的にはそれほど登場するわけではないのでご注意。


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2016年9月22日 (木)

「フローベルガー生誕400年記念シリーズ 第3回 大塚直哉」:あんこギッシリたい焼き状態フローベルガー

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神聖ローマ帝国オルガニストとしての矜持
会場:近江楽堂
2016年9月21日

このシリーズを聞くのは今回初めて。テーマを決めて作品を演奏していくもよう。4回の内で「丸ごと全部フローベルガー」なプログラムは今回だけのようだ。
ウィーンの宮廷楽団に入ったフローベルガーは、フレスコバルディに学ぶためローマへ留学。二度目の留学の後に1649年、神聖ローマ帝国の皇帝に献呈したのが「献呈譜第2巻」ということになる。

この日は第2巻全曲演奏をした。大塚氏によると、やはり全曲いっぺんに弾くというのは珍しいそうな。4つの章に分かれてそれぞれ6曲ずつのトッカータ、ファンタジア、カンツォンと続き、最後はパルティータで舞曲による組曲集となっている。

会場にはオルガン、チェンバロ、クラヴィコードが置いてあり、大塚氏は曲毎に楽器を変えては弾いた。章の終曲はいずれもクラヴィコードによる演奏だった。
あえかなるクラヴィコードの音と比べると、チェンバロは巨大音響発生装置みたいに聞こえてしまうのがスゴイ。

典礼用としてオルガンでの演奏を念頭に書かれている曲もあるそうだが、それ以外の曲はどのように演奏する楽器を決めたのかは、トーシロには不明であった。

楽器によって表情を変える曲たち。大塚氏は几帳面に楽譜と楽器に対峙し、フローベルガーの世界を描き出していたようである。

近江楽堂の中とは夏場とは逆に蒸し暑くって参った(気温の低い日だったのに)。おまけに私は持病の関節痛が出てしまい(季節の変わり目になると出る)、医者のくれた鎮痛剤を持ってこなかったため市販のを飲んだが、そんなのでは1時間半ぐらいしか持たず、コンサートは2時間20分ぐらいやったので途中で痛み出すという悪条件であったよ。


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「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」:アカ勝てシロ勝て

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監督:ジェイ・ローチ
出演:ブライアン・クランストン
米国2015年

頑固で元気な父さんと健気な母さん、そして二人の子どもたち--まるで昔の米国ホームドラマのような理想の家族 しかし、その家族には恐ろしい秘密がありました。
なんと脚本家のお父さんは共産主義者だったのですう~(> <)キャーッ

でも負けない\(◎o◎)/!
ム所行って仕事を干されても、変名を使って頑張るお父さんを家族は全面バックアップ。湯船に浸かって酒を飲みながらヒスを起こしても、「デートに行くより仕事手伝え」とか言われてもじっとガマンで支えるのであった。

迫りくるはハリウッド・タカ派代表ジョン・ウェイン、元女優ヘッダ・ホッパー……しかし、才能ある者はいつしか不死鳥のように蘇るのだった。

というように、ハリウッドの赤狩りの内実というより、「ハリウッド・テン」の代表的存在D・トランボの人物像と、闘う父を助ける家族の愛情が強調されて描かれている。

そんな頑固オヤジを、TVシリーズ『ブレイキング・バッド」で人気役者となったブライアン・クランストンが魅力的に演じている。(ゴールデン・グローブやアカデミー賞でノミネートも納得)
もっとも後半ではそんな彼も「良き父」「良き友人」ではいられなくなるのだが。
しかし、最後は感動と共に米国の良心として復活するのである。

劇中には、E・G・ロビンソン、カーク・ダクラス、O・プレミンジャーなども登場。ジョン・ウェイン役はあまり似ていない。ヘレン・ミレンは憎たらしい敵役で生き生きとしている。妻はお久しぶりなダイアン・レイン。皆さん、達者な演技である。

懐かしい役者や名画が頻出するせいか、映画館は中高年で満員だった。しかも東京で一館しかやっていないのでなかなか入れなかった。
私の隣に座ったオヤヂさんは、『ローマの休日』とかカーク・ダグラスとか、登場する度に「おお」とつぶやいたり、ウンウンと頷いて、正直うるさかったですよ(=_=)

トランボを素朴な理想主義者(思想的には)として見れば、『ヘイル、シーザー!』の描き方もそれなりに正しかったのかもしれないと思えた。というか、見る順番逆だったらもっと面白かったかも。

赤狩り自体は、思想云々というより「魔女狩り」の様相を呈したのが問題だったように思える。その傷跡は後々まで残り、エリア・カザンのアカデミー名誉賞受賞時にも再燃した。
他の映画人の中には、R・アルドリッチやJ・ロージーのようにヨーロッパに逃走した者もいた。特にロージーは最後までハリウッドを許さず英国から戻らなかった。
そんな暗黒面に思い到ると、この映画もドタバタ喜劇の体裁を取った『ヘイル、シーザー!』と、構造的には変わらないのではないかと思えてくるのだ。


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2016年9月18日 (日)

「AMY エイミー」:成功と不幸

監督:アシフ・カパディア
イギリス・米国2015年

見ようかどうか迷っていたが、この日、お目当ての映画が満員御礼だったので急きょ見ることにした。
アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を取り、日本での評価も高かったけど、なぜ迷っていたかというと、私はエイミー・ワインハウスのことをほとんど知らなかったからである。多分、不慮の死を遂げたというニュースで名前を聞いたのが初めてではないか。

2011年に27歳でアルコールが原因で死去--ということで、既に気軽に映像を撮っては記録しておける時代ゆえ、公式だけでなくプライベートやらパパラッチやらの映像がふんだんに使われている。
さらに昔からの友人、バンドのメンバー、ミュージシャンなどのインタヴューを、ナレーションなしにつなげていく形式である。編集はうまく、私のようにほとんど彼女のことを知らない人間でも飽きることなく見られてよく出来ている。。

元々はベッシー・スミスなどの昔のジャズ歌手に憧れ、アルバムを出して地道に活動する--はずが、思わぬ大ヒット曲が出て一躍スターに。
以前からアル中だったのが悪い男がくっついてヤク中に。さらに、子どもの頃は別居していた父親がバックステージ・パパのように強引にスケジュールを仕切るのであった。

と、なんだか過去にも様々なミュージシャンや役者にあったトラブルが凝縮されている印象である。
ただ、昔だと単にこんな背景があったらしいよと風の便りに伝わってくるものが、現在はダイレクトに映像付きで見られてしまうのが異なるところだ。

不在だった父親の代わりとしてか、依存的にベッタリとしてしか男を愛せず、またその父や男を含む周囲が更生や健康な生活をはばむという悪循環。もう誰にも止められない。破滅へとまっしぐらだ。
そんな中での「ドラックがないと全てが退屈」という言葉は衝撃である。

デビューしたての頃のTV番組のしっかりした受け答えを見ていると、下手に大ヒットしてしまったのがいけなかったのかなと思えてくる。そういえば、自殺したカート・コバーンも「ソニック・ユースぐらいに売れればいいと思ってたのに、こんなに人気が出るなんて」とボヤいていたのを思い出す。

それを考えると、U2とかさらにはストーンズのような長寿バンドなんか、色々と言われながらも長年音楽活動をトップで続けてきているということは、鋼のような神経を備えているんだろうな、などと思ってしまった。

彼女の声はクセがあって(歌い方はビリー・ホリディにも似てる?)やはり苦手な感じだ。私生活を題材にした歌というところも。
死後とはいえ無名時代のプライベートな映像(アカンベーしてるような)を公開されてしまうのも、つらい感じである。

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2016年9月17日 (土)

「室内楽の夕べ 18世紀イタリアとフランスの音楽」:近江楽堂に怪奇現象発生?!

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恒例「木の器」主催のコンサート。今回はチェロ(&ガンバ)の武澤秀平がゲストである。
サブタイトル通り、前半イタリア後半フランスの18世紀の曲を演奏するという趣向だった。

18世紀と銘打っているだけあって、ケッレーリのトリオソナタは穏健、ロッティは明快な印象と、既に半分古典派に足を突っ込んでいるようだった。
それに引きずられてか、1663年生まれのヤッキーニのチェロと通底のソナタまでもが、古典派っぽく聞こえてしまった(^o^;)

一方、チェンバロ独奏でD・スカルラッティのソナタを2曲、福間彩が弾いた。87番は夢見るようなきらめき、対称的に113番は極めて技巧的だったが、いずれも奏者の性格(?)を反映してか生真面目さを表出していると思った。

フランス組のボワモルティエとフィリドールについては、リコーダーが入った演奏としては定番だろう。
後者の組曲が演奏されている時になぜか部分的にリコーダーが二重奏に聞こえる部分があった(!o!) まるでエコーのように朦朧と聞こえるその音に、まさか宇治川氏、穴を押さえるのを巧みに捜査して2つの音を出しているのか(そういや、2本のリコーダーを同時に吹いた人もいましたな)、それとも若くして夭折したリコーダー吹きが、あきらめきれずに夜な夜な近江楽堂に出没しては「もっと笛を吹きた~い」と勝手にアンサンブルに加わっているのであろうか(>O<)ゾ~ッ

この謎の「怪奇現象」は後になって陰から(ただしタテ笛じゃなくてフルート)奏者が特別参加していた、と種明かしされで一件落着となったのだった。

珍しかったのはL・deケ=デルヴロワという作曲家。初めて名前聞きました!……といってもかなり覚えにくい名前だけど。M・マレの弟子だそうな。
このガンバの組曲が師匠譲りというか、なかなかに味わいのある渋い作風だった。

最後のJ・モレルという人の組曲はどこかで聞いたような気がするのだが……思い出せぬよ(ーー;)

全体としては、個人的な趣味で古典派寄りのイタリア組よりフランス組の方に軍配を上げたいぞ
アンコールはボワモルティエを2曲。

この日も客は多いとは言えなかった。次回はクリスマス・コンサートなので(またプレゼント抽選ありかしらん(^^?))皆様ぜひご来場を。目指せ近江楽堂満杯。


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2016年9月11日 (日)

「ブルックリン」:大西洋に掛ける二股

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監督:ジョン・クローリー
出演:シアーシャ・ローナン
アイルランド・イギリス・カナダ2015年

アカデミー賞の数部門にノミネートされて、日本でも評判がよかったので行ってみた。
アイルランドの田舎町に暮らす若い女性が、このままではロクな働き口もないということで、教会の斡旋で母と姉を残してニューヨークへ渡る。
そこで高級デパートの売り子となって働くが、どうも自信を持てない毎日が続く……。

時代が同じでニューヨークのデパート、ということで『キャロル』と似た所がある。さりげない衣装に力の入れ具合とかも。

やがて葬式があっていったん帰郷することになる。その頃には、ヒロインはもう有能な働き手として自信をつけ、洗練されたファッションをまとっている。もはや故郷は狭い田舎町に過ぎない。

そこに現われたるはエエお屋敷の息子 かつては彼女を鼻にも引っかけなかったが今や積極的にアプローチしてくる。二枚目で屋敷付き庭付き、親は他所へ引っ越す予定、という超優良物件である。
ニューヨークに彼氏はいるが、心揺れるのであった。

身もふたもない言い方をすれば、二股愛ということになる。そこだけ見れば、ヒロインはずるいということになるが、ニューヨークでの変化などに描写を割いており、若者の成長譚としても見られる。

お屋敷の息子を選べば階層を上に昇ることができるし、ニューヨークのゴチャゴチャした街並みに比べ故郷の自然は美しい(海岸の描写に対比されている)。
しかし、無学なイタリア移民の息子とはいえ、働き者で誠実な青年も捨てがたい……って贅沢な悩みであるよ(~_~メ)

しかし、ニューヨークの彼氏はヒロインが帰郷する直前に結婚届を出していたのはヨカッタ。男の鋭い勘か そうでなかったら、彼女はズルズルと故郷に残って結婚してしまったに違いない。いくら待っていても故郷から戻ってこないので、彼が金をためてアイルランドに渡って迎えに行った頃には子どもまで出来ていた(!o!)--という事態になっていただろう。

それから、雑貨屋のオバサンの言動に田舎の意地悪さと偏狭さを見るという意見があったが、本当に意地悪だったら本人に言ったりせずに、お屋敷の母親に直接ご注進するものだ。
「息子さんが付き合ってるあの娘、とんだ食わせ物みたいよ~)^o^(」なんちって。

個人的にもう少し、若い女性の生き方で悩む的な部分が多かったらよかったと思った。いくら評判が良くても自分のガラに合わんものを見てしまったのは失敗だったようだ。

ヒロイン役は『つぐない』の子役だったのか。立派な女優さんになりました。

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2016年9月10日 (土)

「生きうつしのプリマ」:死者と生者どちらがコワイか

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監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ
出演:カッチャ・リーマン、バルバラ・スコヴァ
ドイツ2016年

『ハンナ・アーレント』が話題となったトロッタ監督の新作。

ミュージシャン志望ながら鳴かず飛ばずの女性が、父親からネットで見たニューヨークのオペラ歌手の写真が母親とそっくりなんで、行って会って来いと頼まれる(どちらかというと、命令される)。
この冒頭部分からして「?」印が付いてしまう。
ドッペルゲンガーではないが、世に自分とソックリな人間は7人いると一般に言われる。ネットの画像ぐらいでドイツからはるばるNYまで行くか(?_?)ってな疑問を抱くのであった。(結局、心当たりがあったってことか)

彼女は同棲してた恋人ともついでとばかりにアッサリ別れ、ニューヨークへ向かう。なんとその女性はメトロポリタン・オペラのプリマ歌手なんであった……。

謎なのは、母親がいつ何歳で亡くなったのかというような詳細が、最初のうちは明言されないこと。だから見てて混乱してしまう。初めのうちは「死んだと思っていた母親が生きていた!」というような話かと思っていた。
なぜそっくりなのかという謎は段々と明らかになってくる。それと共に最初はヒロインを拒絶していた歌手とも段々と打ち解けてくる。

母親の隠された過去と父親の「罪」について、何があったのか--という主題は、求心力を持たせるような描き方ではないのでサスペンスは盛り上がらない。かなりとっちらかった印象である。
描かれたのは家族の絆について考えさせ、感動させる--というのではなく怖さを感じさせるような印象だった。ラストに至ってはホラー映画のようである。

ただ、父親のいい歳こいた「兄弟げんか」の場面には爆笑してしまった。

バルバラ・スコヴァはアーレントを演じてた時とは正反対。完全にプリマ歌手のオーラを堂々と放っている。しかも自分自身で歌っているのは感心した。

ヒロイン役はどこかで見たと思ったら、『帰ってきたヒトラー』で女性TV局長やってたひとなのね(!o!) あれとは打って変わって、結構アバウトな性格な女性を演じている。
でも、彼女が歌ってる場面は1回だけでよかったかな……

--と、いささかクサしてしまったが、これはなんと監督の実話を元にしているのだという 監督の写真を見た女性がある日訪ねてきたとゆう……ええ~っ、まさに事実は映画より奇なりである。


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2016年9月 3日 (土)

「木々との対話 再生をめぐる5つの風景」

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東京都美術館開館90周年記念展
会場:東京都美術館
2016年7月26日~10月2日

開館90周年記念と銘打ってはいるものの「ポンピドゥー・センター傑作展」の空いたスペースで併設しているような印象の展覧会である。

木を素材として使った5人の作家の作品を展示している。多くは木彫というよりインスタレーションである。
木材と煉瓦みたいなブロックによる、ワンフロアを占める巨大な作品(國安孝昌)は巨大すぎて上方から見下ろすしかない。(危険ということで内側には入れてもらえなかった)

かと思えば、小さすぎてどこにあるか教えてもらわないと分からないような繊細な作品(須田悦弘)もあった。

一番有名なのは舟越桂(彼の作品のみ撮影禁止)だろう。近年の彼の木像は「聖」というのを超えて、もはやブキミな域に入っているという気が眺めているうちにしてきた。

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見てホッとしたのは土屋仁応という人の動物の白っぽい彫像。眼の部分が水晶やクリスタルガラスが入っているのが特徴的である。
鹿や豹の実物大に近いもの、さらに麒麟・ユニコーンなんて空想上の生き物が全く違和感なく並ぶ。一方、ネコや子犬も。子犬はホントに生まれたてみたいでちっこくて可愛い。
どれも神聖なイメージであるが、サッパリアッサリしている。

「ポンピドゥー」の半券があると500円で入れるので、時間がある方はどうぞ。
ただ、順路が分かりにくいのでご注意

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←教えてもらわなければ気づかないような場所にある。葉っぱが木彫(?)作品。


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