「トーマス・ルフ展」「杉本博司 ロスト・ヒューマン」:写真から遠く遠く離れて
*トーマス・ルフ
会場:東京国立近代美術館
2016年8月30日~11月13日
*杉本博司
会場:東京都写真美術館
2016年9月3日~11月13日
ルフはドイツの写真家である。ポスターに使われている女性のポートレート写真が印象的で展覧会に足を運んだが、だいぶ予想していたのとは違っていた。
実際のポートレートは巨大に引き延ばされていて、似たような若者を撮ったものが何枚もある。若い頃に学生仲間をモデルにしたとのことだ。
その後の作品は一転、家具や建築を写したスナップ写真といった趣のものだ。このシリーズが一番「写真」らしい。先のポートレート写真を白黒反転させる、といった写真自体を題材にしたものが増えてくる。
近年のものは自分で撮影はせず、天体写真や報道写真など「ありもの」をデジタル変換した巨大作品となっている。
火星の表面を撮影したものに彩色したものなど一見するとミニマリズム系の抽象絵画のように見えた。
そうなると元の写真が何であれ変換した意図がどうであろうと、鑑賞者にとっては大型絵画をみているのと変わらなくなってくる。そこでは既に「写真」という実態は消失しているのだ。
巨大作品の中で写真の存在は融解していた。私は一体何を見に来たのであろうかと、自問する羽目になってしまった。
写真撮影可ということで、場内はスマホなどでやたらと撮影する人が多数だった。私もガラケーで頑張って撮ってみましたよ(かなりピンボケ)。巨大な「火星」シリーズの一枚。
常設展の方の写真作品を集めた一画にもベッヒャー、リヒター、ルフの別ヴァージョン作品などがあった。
盛りだくさんの常設展を回って疲れた頃に、ジュリアン・オピーの広重(?)風のインスタレーションにたどり着くと妙になごむのであったよ(^o^)丿
久々に東京国立近代美術館行くのに、大手町で地下鉄乗換をしたが、ただでさえ分かりにくいのに工事しててさらに分からなさが増量 遠回りしているのではないかと不安になった。
駅のホームで中年白人観光客の団体が10人くらい、案内板を見ながらずっと議論していた。日本人だって分からないのに、旅行客じゃもっと訳ワカラン状態だわな。
東京都写真美術館のリニューアルオープン第一弾は杉本博司展。見に行く前から賛否両論の意見が聞こえていた。さて、実物はどんなもんか。
展示は3つに分かれていて、一番大規模なのは〈今日 世界は死んだ もしかすると昨日かも知れない〉である。人間の文明が衰退し、その破滅の様相を様々な立場(職業)の人間が語り、「遺物」を展示するという趣向である。
世界は既に廃墟化しているので、その展覧会場も古いトタン板のバラック状になっている。薄暗いその中を観覧者は解説のリーフレットを読みつつ、ウロウロするのであった。展示されている「遺物」もレトロっぽいものが多く、相当にうさん臭い雰囲気だ。(中には過去の自作も混じっている)
このように特定の設定によるテーマパーク状態の展示だと、人はなぜか見て回ることに熱中し、鑑賞自体はどこかに置き忘れてしまうのであった。30分おきに火花がバチバチ飛んだり、ラジオから歌が流れたりするので、その度に人はそこに殺到する。
現代アートといえ、小学生低学年の子どもも喜んで見て回っていた。
では展示自体はどうなのかというと……ウムム(-_-;)となってしまう。
例えば、ラブドールが語る滅亡は、展示されているのは明らかにデュシャンの作品のバロディなのだが、木の塀に四角く切り取られた穴から長椅子に寝るラブドールを眺めても粗雑な冗談にしか思えない。
意図的に質が悪いものにしているんだろうけど、なんだかなあである。
別のフロアでは「劇場」シリーズの発展形である「廃墟劇場」が展示されていた。前シリーズは営業中の映画館を借り切って上映された映画を撮影したが、今度は廃業して半ば朽ちた映画館で撮影している。
天井が落ち壁が崩壊しているようなホールもあって、こんな所で上映できたのかと驚いたが、プロジェクターなど一式持ち込んだという。忘れ去られ廃墟となった豪奢な映画館で上映される名画--その終末感はかなり迫ってくる。
杉本博司が選んだ映画作品はどれも名作だが(一つだけ『ディープ・インパクト』が名作かどうか疑問(^_^;))、完成した作品上を見る限りでは、実際にはいずれもほとんど差異のない長方形の光としてしか認識できない。
鑑賞者がそこに記された映画名を見た時に湧き上がる想念のようなものが、かろうじてその長方形の光の差異となるように思えた。その想念の上澄みを味わうしかないのだ。
だから、映画についての解説がついているのはその映画を知らない者のためだろう。ただ、文末にある日本古典の一節(「平家物語」など)は言わずもがなという気がした。
もう一つは三十三間堂の千手観音を撮った九枚の大型写真である。これは確か以前にどこか(森美術館か?)で見たと思うが、真ん中に大きな柱があって視角を遮りやや興ざめだった。
ルフにしても杉本博司にしても、既成の写真の概念から逸脱していくことを作品の推進力にしているようである。写真は写真だけで成り立たないのであろうか。写真は写真でなくなった時に記録から真にアートになるのだろうか。
……などと思ってしまった。
リニューアルした写美だが、どう見てもコインロッカーが足りないと思う。私が帰るころには、それほどの混雑ではないのに既に空きが一つもなかった。まあ、混雑しないような企画を目指すというならいいんですけど(^_^メ)
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