「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」:書いても書いてもまだ足らぬ
監督:マイケル・グランデージ
出演:コリン・ファース、ジュード・ロウ
イギリス2015年
フィッツジェラルドやヘミングウェイを担当した編集者が主人公--で、タイトルから推測すると、彼の功績を描いているのかと思ってしまう。しかし、見てみると「ベテラン編集者が見た天才作家の真実」みたいな物語である。もちろん実話ベースだ。ちなみに原題も「天才」である。
その天才の名はトマス・ウルフ。主人公のパーキンズは彼の分厚い持ち込み原稿を受け取り、その才能を確信し、添削校正(とにかく長いんで)して世に送り出して成功する。
若い作家と彼は疑似親子のような関係になり、自宅に呼んで食事したりするが、天才の常として奇矯で人付き合いは悪く、傍若無人でズケズケものを言い、トラブルを呼ぶのであった。
そもそも原稿を持ち込んできたのは、ウルフの愛人バーンスタイン夫人なのだが、彼女の立場が今一つ分かりにくかった。演劇の衣装デザインをやっていて、彼女の夫とは別居中(?)、ウルフと同棲しているということか。しかも、パーキンズとウルフの仲の良さに嫉妬して狂言自殺を図るほど執着しているのだ。
ニコール・キッドマン扮する彼女はいささか亡霊っぽくて怖い(>y<;)、『ツィゴイネルワイゼン』の大谷直子を思い出した。
ウルフが主人公や「世間」と関係がぎくしゃくしていく経緯の描写に付き合っていると、この映画は事前に予想してた「感動系」では決してなく、シビアで重たく感じるのであった。
そのせいか寝ている人多数
既にその世界で評価を得ている人物が、特殊な背景を持つ若き天才を引き上げる--というのは、ある種の定番なのか。私は見ていないがほぼ同時期に公開された『奇蹟がくれた数式』も似ているようだ。
パーキンズは実際にいつも帽子をかぶっていたそうで、この映画でも職場どころか自宅、さらにパジャマ姿になってもかぶったままである(!o!) ベッドでもかぶってるんかしらなどと疑ってしまった。
それ故、彼が唯一帽子を脱ぐ場面は感動的なはずなのだが、むしろわざとらしく思えた。監督は芝居の演出をやっていたそうだが、一つのモノに象徴的な意味を与えて扱うのは舞台では有効でも、映画だとやり過ぎになるかも。
米国の国民的作家の話なのに、なぜか主人公の妻役のローラ・リニー以外は英国かオーストラリア出身というのはどうしたことよ(+o+)……と思ったら、そもそも英国製映画なんですね。
押しのジュード・ロウ、引きのコリン・ファースといった印象の二人の演技合戦は一見の価値はある。
ガイ・ピアースのフィッツジェラルドが、書き過ぎなウルフとは逆に「今日も一行も書けなかった(T_T)」「『ギャツビー』はほとんど売れなかった」などといつも情けなくボヤいているのには笑ってしまった。
ウルフの小説の一節は作中に出てくるが、どうもあまりに詩的というか装飾過剰過ぎて読みたいとは思えない。昔、英文学の授業で「小説の文体はヘミングウェイが登場して劇的に変わった」という話を聞いたのを思い出した。そういう端境期だったのだろうか。
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