« 2017年3月 | トップページ | 2017年5月 »

2017年4月

2017年4月30日 (日)

聞かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 5月版

一か月の間に4枚もチケットを無駄にしてしまいました。トホホ(+o+)であります。

*3日(水)大塚直哉チェンバロリサイタル:ウェスタ川越
*8日(月)フランソワ・クープラン趣味の融合への道筋(天野寿彦ほか):近江楽堂
*21日(日)ラ・フォンテヴェルデ定期:ハクジュホール
*23日(火)ダンツァ!(ル・ポエム・アルモニーク):王子ホール
*24日(水)聖母マリアの夕べの祈り(コントラポント):東京カテドラル聖マリア大聖堂
*27日(土)ジョングルール・ボン・ミュジシャン 都電荒川線ライブ:三ノ輪橋~大塚駅前

4日(木)~6日(土)はラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン開催。
舞曲がテーマにも関わらず正直、古楽関係は期待外れだった。もう期待しない方がいいんですかね。

これ以外にはサイドバーの「古楽系コンサート情報」もご覧ください。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

「彷徨える河」:闇の奥の奥の闇

170430
監督:シーロ・ゲーラ
出演:ヤン・ベイヴート
コロンビア・ベネズエラ・アルゼンチン2015年

コロンビア映画史上初めてアカデミー賞外国語映画賞の候補になったという作品。
アマゾンの密林の中、河沿いに独り暮らすシャーマンの元へ米国人の学者が、幻の薬草を求めて訪れる。長い孤独の中で記憶さえ失ったシャーマンは、数十年前にドイツの民族学者が同じものを探して現われたのを突然思い出す。

この時代を隔てた、二つの河を遡る旅を重ねるように交互に辿っていく。
その旅は当然『闇の奥』を想起させるが、こちらの主人公は西欧人ではなく先住民側のシャーマンである。しかし、狂気と混迷の旅であることは変わらない。異文化と衝突して混乱するのは西欧人だけではないのだ。

特に不気味なのは河の途中にある、白人の僧が建てたカトリックの修道院のエピソードだ。現地の子どもたちが大勢いて、神の名のもとに狂的な支配と統率を行なっている。二度目の旅でもまだその修道院は残っているのだが……恐ろしい(>y<;)

入れ子になった構造、モノクロの映像は圧倒的、これがマジック・リアリズムというやつか(!o!) いささか長く感じたが、歴史の上に堆積した人々の悲惨と傷が余すところなく描かれている。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月23日 (日)

バッハ「マタイ受難曲」:劇的と静寂のはざま

170423
演奏:バッハ・コレギウム・ジャパン
会場:彩の国さいたま芸術劇場
2017年4月15日

恒例のBCJの受難曲公演、さいたま芸術劇場でやる時はいつも、オペラシティの本公演ではなくこちらを選んでいる。中規模の会場で音響もいいのだ。
それでも、座席自体は端や後方しか取れないのが常だが、今回はなんとほぼ真ん中の座席をゲットできた。ヤッタネ(^○^)
満員御礼で追加席も出たくらい。運が良かった 周囲に騒音を立てる者もいず、前席に背の高いヤツもいないという、理想的な鑑賞環境となった。

冒頭の合唱がゆっくりなテンポで驚く。オペラシティではもっと遅かったというから相当なもんである。
それに加えて、いつになく劇的であった。福音史家のB・ブルンスは声量たっぷりで会場の隅々にまで響き渡り、押し出しも強い。過去のBCJでのG・デュルクとは対称的だ。
またイエス役のバス、C・イムラーもやはり感情を強く表わした歌唱である。これなら、今までBCJをアッサリし過ぎていると敬遠していた人も納得な演奏であろう。
ただ、終盤の65番のバス・アリアは劇的がたたって、この曲のさわやかで晴れやかな面があまり感じられなかったのは残念だった。こういうところはさじ加減が難しい。

常連ロビン氏は本来コーラスに入っているはずが、入口に急告チラシが立っていて、別の女性アルトが代役で入るとのこと。独唱だけを担当したのだった。これはこの日からなのか(?_?) それとも前日のオペラシティでも同じだったのか。
ともあれ、代役作戦が功を奏して感動的なアリアを聞かせてもらいました。

ソプラノのH・モリソンは超が付くくらいの小顔なのに驚く。チラシの写真と違って髪がショートカットになっているので余計にそう見えた。首をちょっと傾げて歌うさまはモディリアニの絵の女性像みたいである。
彼女のソロも素晴らしく、最後の晩餐の場面から12番のレチ→13番のアリアという流れは聞き入ってしまった。
また「全曲でただひとつ通奏低音を欠いたアリア」である49番の独唱も極めて印象的だった。この曲でもフルに威力を発揮していたオーボエは三宮正満とあのトーマス・(涙のオーボエ)・メラナーであるよ(^o^)丿 最強オーボエ・コンビと言ってよし

あと楽器関係でチェロ&ガンバはE・ジラール担当だったが、ガンバが活躍する57番のアリアではやはりビミョ~な音に…… やはりS・クイケンがマタイ来日公演でやったぐらいに、長い時間をかけて調弦しなおさないとダメなようである。バッハ先生の時代はどうしてたんだろか?

終了時にフライング拍手の類は一切なく、これもヨカッタ
ふと思ったが、バッハ先生がこの曲ぐらいに渾身の力をこめてバロック・オペラ作曲したらどんなだったろうか。まあ、宗教曲と世俗曲を比べても仕方がないか。


いつも受難曲を聞くと、その折々でグサッと来るコラールの歌詞が異なるのだが、どこぞのミサイル騒ぎが続くこの日は32番の「主よ、この危機にあっても私を顧み、どうぞ偽りのたくらみから私をお守りください」という一節が身にしみたのであった。

それにしても休憩入れて約3時間半。全国ツァーで4連チャンやるというのは、本当に大変だなあと感じた。演奏家はタフでなくてはやっていけないのね


| | | トラックバック (0)

2017年4月15日 (土)

ミュージアム・コンサート「ティツィアーノとヴェネツィア派展」記念コンサート3:花より宴会、コンサート

170415
演奏:太田光子ほか
東京都美術館講堂
2017年3月31日

恒例、桜の季節を中心に上野で一か月間に渡り行われる「東京・春・音楽祭」である。
この日はタイトルの美術展に合わせてのコンサートの一つだ。昼間開催なので、休みを取って行きましたよ。

プログラムの趣旨はティツィアーノがいた同時代のヴェネツィアで活躍した作曲家たちの作品である。合唱曲や世俗歌曲もあるが、それらをすべてリコーダー・アンサンブルで演奏する。最多数は8人、当時の大聖堂でのように4声部ずつで2組に分かれる。

個人的には8人リコーダーというのは初めて聞いた。(もちろん曲により人数は変わり3人の時もある)
ヴィラールトやガブリエーリなら知っているが、グアーミとかグッサゴなんて名前も聞いたことのない作曲家が登場。
曲ごとに太田女史が色々と解説してくれた。『「泉にて」によるディミュニューション』という曲では装飾の付け方が実地に分かるような演奏だった。

現在の人間が知らないだけで、当時のヴェネツィアの地では美術以外にも芸術の花が咲き誇っていてたというのを充分感じられるコンサートだった。

太田女史によると、このような機会でないとマイナーな作曲家たちの作品はなかなか吹く機会はないとのことで、奏者にとっては嬉しいとのことだった。
ただ、聞く側としてはもうちょっといいホールで(講堂は講演会向けなので残響が少ない)聞きたいところだ。

昼間のコンサートなので圧倒的に中高年女性、しかも集団で来ている客が多くて驚いた。
今年のハルサイは私にとってはこれにて終了。本当はあと二枚チケットを買ったのだが、一つは仕事が忙しくて行けず、もう一つはBCJとダブルブッキングしてしまったという、情けなさなのであった(/_;)

この日はあまり天気がよくなく桜もまだ満開とはいかない状況だった。しかし、金曜日ということもあって企業の場所取りがいっぱいあった。一人で番してるサラリーマンの方々ごくろーさんですm(__)m
コンサートが終わった時には雨が結構降ってきて、片付けている所も。中には円陣で宴会を始めてしまったらしく上からすっぽりとブルーシートを被ってなおも宴会を続けている団体も。根性である……と感心したけれど、シートで肝心の桜が見られないじゃ意味ないんでは


| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月 9日 (日)

「哭声/コクソン」:恐怖の三択

監督:ナ・ホンジン
出演:クァク・ドウォン
韓国2016年

國村隼が出演し男優賞を受賞して話題となった韓国製ホラー。あまりにも話題なので行ってみた。

ひなびた山村で一家殺戮という猟奇的な殺人事件が起こる。犯人はその家族の一員で、さらに他所で殺された別の男の死体も一緒に見つかる。毒キノコを食べたための錯乱が原因という結論になるのだが、山の奥の小屋に住みついてる謎の日本人がどうも怪しいという噂が広がるのだった。

そのうち新たな一家の殺戮事件がおこり、さらに主人公である警官の小学生の娘にも、犯人に共通する悪魔付きのような症状が出る。焦る主人公は暴走

聖書の引用から最初はミステリっぽく始まって、てっきり閉鎖的な村で日本人の男をめぐる疑心暗鬼がグルグル渦巻いていくような展開になるのかと期待していたら、そうはならずにイッキに不条理なホラーへと突入する。
いくらいい加減な性格とはいえ、警官としてどうよ的な放りっぱなし多過ぎ。日本人男のパスポートをスマホで撮ったはいいが、その後どうなったのか? また、同僚の警官が小屋で証拠になるようなものを見つけたのに何も言わずに出てきてしまうのも変だ。(操られていたとか言わないでくれい)

それを除けば「ド派手なもんを見せてもらいました」という気分である。祈祷師のお払いの場面はあまりに派手すぎて(ガムラン入ってた?)笑っちゃうくらいだし、ゲロ場面はこんなすごいのは見たことねえ\(◎o◎)/!とあっけにとられて感心してしまう(ここも笑った)。

それに子役の女の子のハイテンション演技も見ものである。國村隼に引けを取らない怪演であろう。
いや、全てにおいてハイテンションでテンコ盛り。あまりに過剰なんで展開から目が離せないけど疲れてしまう(上映時間も長い)。結局それに尽きる。韓国映画パワー恐るべし

あと、私はつくづくホラーは性に合わないと自覚した。見ててイライラして腹立ってきちゃうんだよねえ。一応、昔のホラーの名作なんかは見てるんだけど
で、謎が明確に解決されずに放置されて終了してしまう。最近のホラーはこんな感じなのか。まあ、見た人同士で謎についてワイワイやり合うにはいいだろうが。

祈祷場面で互いに攻撃しているようで、実は……というひっかけのあたりは面白い。しかし、「読者への挑戦」があるような本格推理小説なら全ての情報が提示されていなくては「フェア」ではないけれど、この手の映画では情報を出すも隠すも作り手の勝手、胸先三寸である。

以下に取りあえず思い出せる謎を列挙。

家に下がっている干からびた巨大ブルーベリー(?)みたいな植物の役割は何か。
死者がいた軽トラの周囲のローソクは誰が何のために置いたのか。
そもそもゾンビはなんの目的なのか。
被害者の持ち物は何のために使われたのか。
終盤に謎の女と主人公が話している時に挿入される自宅のシーンはリアルタイムで起こっているのか、それとも主人公の想像か。
逃走する祈祷師に虫を送ったのは誰?
ラストの日本人男の変貌は助祭の幻想かリアルなのか。

主人公の周囲に出没する謎の三者が上記の謎にどう関わっているかで解釈は違ってくるし、三者同士の関係も一部不明である。それどころか湿疹事案だって誰が起こしているのか怪しい。
だからと言って、それらの謎が解明されたところでこの映画への評価が変わるわけでもないのだ。

ということで、やはりキノコ説が一番説得力ありそう(^^;)

観客は老若男女一つの層に片寄らず入っていたが、謎なのが数年ぶりに映画館来たような中高年女性を複数見かけたこと。座席指定の入替制を知らないぐらいである。國村隼のファンか

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月 2日 (日)

「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」:凡庸ならざる悪

170402
監督:ラース・クラウメ
出演:ブルクハルト・クラウスナー
ドイツ2016年

近年「アイヒマン」ブーム到来(?_?) というわけでもなかろうが、アイヒマン関連の映画がまた一つ。これはあの裁判の前日譚である。あの裁判に至るまでは実は大変な困難があったのだという実話だ。

1950年代の末、フランクフルトで鬼検事長である主人公が、戦犯アイヒマンがアルゼンチンにいるというタレこみの手紙を受け取る。だが、検察や政界もナチの残党がいるので妨害され逮捕できない。
インターポールに依頼するも、政治犯は対象外とのこと。で、遂にイスラエル秘密警察モサドに接触するのだった。バレれば国家反逆罪になってしまう。

とにかく主人公のオヤジ検事が強烈なキャラクターである。「正義のためなら台所がなんだ!」とか「憲法があるだけで安心してはダメだ」などキビシイ主張をし、テレビ番組にも出たりする。(冒頭、実物が出演した番組の映像から始まる)

彼の原動力は、戦前収容所に入れられたが「ナチに協力する」と証文を書いて出してもらった--という自らの過去への激しい後悔であったのが途中で明らかになる。
これに、協力する部下の若い検事(架空の人物とのこと)が罠に陥れられる話が絡んで来る。
主人公が持つもう一つの「秘密」を共有するこの部下が、若い頃の彼が過去にありたかった姿を投影している、という感想を読んで、なるほどと思った。

というわけで、感動というよりも重いという雰囲気が全編覆っているのだった。映像もそれに合わせたか、なにやらフィルムノワールっぽい暗い色調である。

戦後のドイツをナチが牛耳っていたというのは知らなかった。当然、彼の行動は監視されていた。
この後の時代の話が『顔のないヒトラー』になるらしい。どのようにドイツが変化したのか、見逃してしまっていたので今度見てみたい。

ところで、ここに登場するアイヒマンは「凡庸」ではなく真に「悪」に見えるのだが、実際どうだったんでしょな(?_?)

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月 1日 (土)

「MEMENTO MORI 古楽の夕べ」:死人に口なし、耳はあるか

170401
第20回国際音楽学会記念演奏会
演奏:大塚直哉ほか
会場:東京藝術大学奏楽堂
2017年3月21日

国際音楽学会というのが開催されているというのは知らなかった。何年に一度やるのかは知らないが、この年は藝大が開催側ということなのだろう。で、学会には全く関係ないけど、チケットは一般に売られていたので、その記念コンサートに行ってまいりましたよ。

タイトルの「メメント・モリ」が示すように、死にまつわる古楽を特集したもので、演奏は古楽科、声楽科、卒業生を中心にしているとのことである。
学会の参加者を対象にしているので、プロクラムも正規のものは英語だった。

まず、楽理科教授の大角欣矢という人が出てきてプレトークをした。(英語の通訳もあった)
ルネサンスからバロック時代にかけては往生術に関する音楽が多数作られたという。「往生術」というと何かピンと来ないが、死を平静に迎え入れるための準備・心構えということらしい。

中世の葬送歌からバッハまで、合唱を中心に演奏された。ソリストは鈴木美登里、上杉清仁、櫻田亮、小笠原美敬という面子である。
ヴァイオリンは若松夏美、戸田薫コンビ。他にガンバ福沢宏、リュート佐藤亜紀子など。全体の指揮と鍵盤は大塚直哉だった。

シュッツは様々な作品集から4人のソリストがそれぞれ歌曲を歌ったが、鈴木美登里の「神よ、速やかに私を救い出し」が強烈なパンチ力があって印象に残った。
また、長らくバッハの曲と誤解されてきたシュテルツェルのオペラ曲「あなたが側にいてくだされば」では櫻田亮が美声を披露。
ラストのバッハ先生のモテット「来たれ、イエスよ、来たれ」はかなりゆっくりなテンポだったのが、ちと意外であった。

器楽曲はフローベルガーのチェンバロ独奏とローゼンミュラーの合奏曲があったが、それよりもF・トゥンダーのカンタータでのヴァイオリンが、実は火が出るような熱さを感じさせていたのであったよ。
通底のリュートはほとんど出っぱなしでご苦労さんモード。雨の日だったんで、調弦も大変だったようだ。

会場には鈴木ヒデミ氏や皆川先生もいたようで……。
この内容で2500円は安過ぎありがたいこってす。

ところで、急病のため予告と演奏者が一部異なっているとプログラムにある。で、チラシを見てみると、ソプラノのソリストは野々下由香里になっていたではないか(!o!) ミドリさんピンチヒッター? 野々下さん大丈夫かしらん


| | | コメント (0) | トラックバック (0)

聞かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 4月版

と言ってもさしたることなく過ぎていくようです。

*5日(水)ミュージアム・コンサート「東博でバッハ」35(大塚直哉):東京国立博物館
あの大塚先生が上野でゴルトベルクを
*6日(木)「バベルの塔」展プレ・コンサート 1(ソフィオ・アルモニコ):東京都美術館講堂
*7日(金)ゼンフルとヴァルター ルター時代の教会音楽(ベアータ・ムジカ・トキエンシス):東京中央教会
*14日(金)La Belle Danse ルイ14世の愛した舞踏と音楽(植山けいほか):ルーテル市ヶ谷ホール
*  〃   バッハ マタイ受難曲(バッハ・コレギウム・ジャパン):東京オペラシティコンサートホール
*15日(土)「バベルの塔」展プレ・コンサート 2(永田平八&吉澤実):東京都美術館講堂
BCJマタイの埼玉公演とダブルブッキングしちゃいました。泣くよ(/_;)
*21日(金)イタリア音楽の旅 オペラへの道(レ・グラース&ムジカ・レセルヴァータ):イタリア文化会館

これ以外にはサイドバーの「古楽系コンサート情報(東京近辺、随時更新)」もご覧ください。

| | | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2017年3月 | トップページ | 2017年5月 »