« 「MEMENTO MORI 古楽の夕べ」:死人に口なし、耳はあるか | トップページ | 「哭声/コクソン」:恐怖の三択 »

2017年4月 2日 (日)

「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」:凡庸ならざる悪

170402
監督:ラース・クラウメ
出演:ブルクハルト・クラウスナー
ドイツ2016年

近年「アイヒマン」ブーム到来(?_?) というわけでもなかろうが、アイヒマン関連の映画がまた一つ。これはあの裁判の前日譚である。あの裁判に至るまでは実は大変な困難があったのだという実話だ。

1950年代の末、フランクフルトで鬼検事長である主人公が、戦犯アイヒマンがアルゼンチンにいるというタレこみの手紙を受け取る。だが、検察や政界もナチの残党がいるので妨害され逮捕できない。
インターポールに依頼するも、政治犯は対象外とのこと。で、遂にイスラエル秘密警察モサドに接触するのだった。バレれば国家反逆罪になってしまう。

とにかく主人公のオヤジ検事が強烈なキャラクターである。「正義のためなら台所がなんだ!」とか「憲法があるだけで安心してはダメだ」などキビシイ主張をし、テレビ番組にも出たりする。(冒頭、実物が出演した番組の映像から始まる)

彼の原動力は、戦前収容所に入れられたが「ナチに協力する」と証文を書いて出してもらった--という自らの過去への激しい後悔であったのが途中で明らかになる。
これに、協力する部下の若い検事(架空の人物とのこと)が罠に陥れられる話が絡んで来る。
主人公が持つもう一つの「秘密」を共有するこの部下が、若い頃の彼が過去にありたかった姿を投影している、という感想を読んで、なるほどと思った。

というわけで、感動というよりも重いという雰囲気が全編覆っているのだった。映像もそれに合わせたか、なにやらフィルムノワールっぽい暗い色調である。

戦後のドイツをナチが牛耳っていたというのは知らなかった。当然、彼の行動は監視されていた。
この後の時代の話が『顔のないヒトラー』になるらしい。どのようにドイツが変化したのか、見逃してしまっていたので今度見てみたい。

ところで、ここに登場するアイヒマンは「凡庸」ではなく真に「悪」に見えるのだが、実際どうだったんでしょな(?_?)

| |

« 「MEMENTO MORI 古楽の夕べ」:死人に口なし、耳はあるか | トップページ | 「哭声/コクソン」:恐怖の三択 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」:凡庸ならざる悪:

« 「MEMENTO MORI 古楽の夕べ」:死人に口なし、耳はあるか | トップページ | 「哭声/コクソン」:恐怖の三択 »