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2017年8月

2017年8月31日 (木)

聞かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 9月版

関東はもう夏は終わりといった風情です。

*1日(金)ラモー レ・パラダン 遍歴騎士(ジョイ・バレエ・ストゥーディオ):練馬文化センター大ホール
*2日(土)歌劇ポッペアの戴冠(アントネッロ):川口リリアホール
*5日(火)鈴木優人と旅するクラシック・イタリア編:よみうり大手町ホール
*14日(木)ラ・ヴィオール・セルティーク(サヴァール・トリオ):王子ホール
三鷹公演もあり。
*  〃   寺神戸亮デュオリサイタル:近江楽堂
*21日(木)ファビオ・ビオンディ バロック・ヴァイオリン:王子ホール
*24日(日)聖母マリアの夕べの祈り(バッハ・コレギウム・ジャパン):東京オペラシティコンサートホール
*  〃   タブラトゥーラがやってくる!:所沢市民文化センターミューズ

これ以外はサイドバーの「古楽系コンサート情報」をご覧ください。

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2017年8月27日 (日)

「哀しきよろこび」:背中は見えども音は遠い

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フランスの古歌を旅する
演奏:夏山美加恵ほか
会場:近江楽堂
2017年8月10日

サブタイトルの通り、中世からルネサンスのフランス世俗歌曲コンサート。
古くは吟遊詩人アダン・ド・ラ・アル、マショーから始まり時代順にバンショワ、オケゲム、セルミジ……などが続く。ラストはゲドロンである。

歌手は各声部一人ずつで、それに器楽がフルート、ヴィオール(とフィーデル)、リュートの3人だった。テノールの及川豊やバリトン根岸一郎は他のグループでもおなじみだ。
楽器は中世とルネサンスを使い分けていて、その境目がバンショワとデュファイの間というのが興味深い。二人とも生年は同じなのだが。
中世リュートというのは初めて見た(聞いた)。ウードと同じような長細いバチを使って弾いていた。ウードはリュートの祖先というから、バチも似ているのかね。

全体に雅な雰囲気で、サンドランの「甘い思い出」とそれに対するセルトンの返歌「よろこびは去った」なんてのもあるのが、平安時代の和歌のやり取りみたいでますます宮廷っぽい。
ステージは真ん中に設定されて、楽器の奏者も歌手も円形に座っている。客はさらにその周りを取り囲むように座るようになっていた。曲ごとに歌手は立って位置を変えたりしつつ歌うという次第。

ただ、この方式は眺める分にはいいのだが聞くことについては、どこに座るかでかなり違ってくるのが難である。特に楽器は位置を変えないので、リュートを奏者の背後から聞く羽目になったりする。
歌手についても同様で、曲によって歌う位置を変えることによって、聞こえ方の均等性を保つのは難しくなる。歌手としての技量を試されてしまう羽目になるだろう。普通に壁の片側にステージをセッティングしていればもっと「音楽」が届いたかもしれない。(近江楽堂は不均等な8角形、でいいのかな

まあ、なんでこんなことを言うかというと、最初に座った座席の側に演奏中にひっきりなしにチラシやプログラムをバサバサしているヤツが複数いて移動したからである で、場所を移ったら聞こえ方が全然違うので驚いたのだった。
全体の構成は面白かったので、そこが残念な点だった。

いつもはエアコン効きすぎで寒い近江楽堂、なぜかこの日は珍しく暑かった。中央部にある楽器にエアコンの風が直接当たらないようにするため(?_?)かな。


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2017年8月26日 (土)

「遠藤利克展 聖性の考古学」

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会場:埼玉県立近代美術館
2017年7月15日~8月31日

埼玉近美(略称は「埼近」か(^^?)はほぼ一年前の「ジャック=アンリ・ラルティーグ 幸せの瞬間をつかまえて」以来だ。感想をブログに書く暇がなかったが、写真史的には非常に重要人物だというのに、館内にはほとんど人気がなかった(*_*; 
いや、でもゆっくりじっくり見られてよかったですよ

そして、今年はこの「遠藤克俊展」である。
じつはこのアーティストの事は全く知らなかった。彫刻家だというが、名前さえ聞いた覚えがない。しかし、この展覧会を紹介している美術系のサイトで、作品の画像を見た途端、私の頭にはすぐにとある詩を連想した。
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それは入沢康夫の「『木の船』のための素描」である。学生の頃に読んでいたく感動したのだが、それきり忘れていた。再び思い出したのは一年ほど前、「図書」(岩波書店PR誌)に連載の池澤夏樹のエッセイの中に取り上げられているのを読んだ時だ。
そこに描かれているのは誰も全景を知らない巨大な迷路のような箱舟であり、同時に棺とおぼしき木箱でもある。しかも、それは万葉集の中の一首に由来するのだという。

もし外部から見たとすればこの船は単に一個の木箱に過ぎない

それがそのまま眼前に現われたような作品があるというのなら、見に行かずばいられようか(!o!)--ってなもんだ。

さて、作品は デカイ
そして、それらが狭苦しい中に展示されていた。

もともと広い美術館ではないが、これは狭すぎでしょう(>_<)……と思ったら、わざと小さくスペースを区切って展示しているのだという。

彫刻というよりはインスタレーションに近い。巨大な木製の円型オブジェ(高さ2.4m×直径4.5m)やら長~い木の円筒(20メートル近い)を横にしたもの。また、カヌーを引き延ばしたような細長い船もある。その規模に度肝を抜かされる。しかも木の作品はみな燃やされて表面が黒く焼け焦げているのだった。
壁際にギリギリに置かれているものもあるので、下手すると触ってしまいそうである。太って腹の出たヤツが通り抜けようとして「お客様、お腹で作品を触れないようにお願いします」とか注意されそうだ。(もっとも、常設展会場に展示されている作品は広いスペースにある)

大きさには言葉もなく圧倒されるが、それだけでなく焦げた表面には何か威圧感あるいは不可触感がある。不吉、不安、不穏--なにやらそんなものが充満している。
「水路」というそれこそ水路の断面を横から見たような木の板の連なりには、表面に木目が残り、ソリソリとした感触を放つ。

そして目的の「寓話V-鉛の棺」はまさしく棺であった。「鉛」とタイトルにあるが本体は焼かれた木であり、上部の蓋に鉛の帯のような飾りが付いている。
私は何度も周囲をグルグル回って見た。「棺」というからには中に死者が入るのだろうか。表面が焼け焦げているのは、火葬ということではなくて何か禍々しいものを封じ込めるためであろうか。--などと色々、心に湧き上がってくる。
それにもかかわらず、その巨大な「棺」からは入沢康夫の詩の結末とは異なり、かぐわしい木の香りが微かに漂ってくるのだった。

非常に見ごたえありだったが難を言えば、黒焦げに燃やす過程も含めて一つの作品というコンセプトだという割には、その焼く過程を見せるビデオのモニター(二か所)が小さくてしょぼかった。(場所も目立たない)
吹き抜けに設置されている「薬療師の舟」は、吹き抜けの外から見なければならなかったけど、もっと近くに寄って見たかった。
あと、作者の解説が作品ごとに貼られているのだがこれがまた難し過ぎて、何を言っているのか素人には全く理解できぬ代物である。

夏休みと言えば、大抵の美術館ではファミリー向けにマンガやらアニメ関連の企画を行うのが定番となっているが、その風潮にあえて真っ向から挑むような内容、よくぞやったものよと英断に感心してしまった。
見に行ったのは平日とはいえ、やはりかなりの客の少なさであった。まあ今回もゆっくり見られてよかったけどな……(^o^;) こんなだと、県議会で「夏休みなのに入場者が少ないのはいかがなものか」などと言われないか、余計な心配をしてしまう。大丈夫か

とはいえ、小学生高学年ぐらいの子が一人で見て回っていて(夏休み課題?)、「スゲー」を連発していた。ということは、やはり作品の力はお子ちゃまにも伝わるものなのであろうか。


なんでこんなこと心配しているかというと、もう遥か昔(二十年以上前?)のこと、埼玉近美の予算がいきなり削られてしまい、「せっかく企画したのにできなかったんだよ、チクショー」(←脳内翻訳)展みたいなものでお茶を濁さざるを得なかった、という事案が起こったのである。今、サイトを見ても記録がないのだが、確か宮島達男を取り上げようとしたのだと記憶している。
これからも文化果つる地で、硬派な企画を頑張っていただきたい。
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←大きさをエレベーターのドアと比較してください。


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2017年8月20日 (日)

「真夏の夜のパーセルの夢」:教会と激情

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歌とヴァイオルのファンタジー
演奏:高橋美千子ほか
会場:日本福音ルーテル東京教会
2017年7月20日

ソプラノ高橋美千子とガンバ4人の組合せ、前回はフランスルネサンス歌曲だったが、この日はパーセルの作品だった。
有名な歌曲と、ガンバ合奏「ファンタジア」集などの中から交互に演奏するというプログラムである。

聞きなれたパーセルの曲も、高橋女史が歌うと一味ふた味違って聞こえる。
特に「薔薇よりも甘く」--これまでは劇音楽の中の曲とはいえ、なんだか不協和音の嵐の中で曲の表情がクルクル変化して取っつきにくくてよく分からんなー、などと思っていた。しかし、彼女の歌唱で聴いて初めてヘンデルのオペラのアリア並みに激情を秘めた歌だったのだと納得した。
途中でドレスのお色直しも含めて、高橋女史は鮮やかに歌姫ぶりを印象付けたのであった。

早逝したが様々なジャンルですぐれた作品を残したパーセル、ファンタジア集も素晴らしい。ナマで聞くとガンバの音が表情豊かに染み入るようだ。

ただ、不満だったのは照明である。教会だから凝った照明など無理なのはわかっているけど、ステージより客席の方が明るいってのはどういうことよ。集中力を甚だしく削がれる。独唱といっても、この日のように歌手が動き回って動作を付けるような場合は特にである。

オペラのようなパフォーマンス入っている舞台は別だが、どうもクラシック系のコンサートって一般に背景や照明に無頓着過ぎだと思う。
音が良いと評判の某ホールなんか、ステージに立つ歌手にうまく照明が当たっていなくて顔が暗くなってしまい、「お化け屋敷か(!o!)」と思ったことが度々あった。最近は改善されたようだけど。
一般ピープルのクラシック離れなど論議するんだったら、曲に合わせて照明変えたり、背景に映像流したりするのを検討してもいいんではないのか。大体にして、コンサート中にステージ見ないでチラシ眺めてる人も珍しくないし。


客席に若い人が多いなーと思ったら、始まる頃に皆ノートを広げて( ..)φメモメモ開始。どこかの大学のレポート課題かっ

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2017年8月16日 (水)

「メットガラ ドレスをまとった美術館」:ゴージャス 汗と涙と交渉と

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監督:アンドリュー・ロッシ
出演:アナ・ウィンター
米国2016年

結論から言うと非常に面白いドキュメンタリー映画だった。ファッション界やアートに興味のある人は見て損はしないだろう。

タイトルのメットガラとは、米国はニューヨークのメトロポリタン美術館で年に一度開かれる服飾部門の資金集めイベント&パーティのことだそうだ。展覧会と連動して行われる。2016年には15億円集めたというからすごい。
ヴォーグ誌の編集長アナ・ウィンター(美術館理事)とそのスタッフが全面協力する。

映画で取り上げられた2015年の展覧会テーマは「鏡の中の中国」、ファッションにおける中国のイメージを取り上げるということで、まず事前の折衝を山のようにしなければならない。それらを全て仕切るのが服飾部門のチーフであるA・ボルトン、40代ちょっとでまだ若い人だ。

館内の中国部門の責任者は所蔵品が単なる背景の飾りとして使われないか心配で、イチャモンを付ける(でも、そもそも「イメージ」としての中国なんだから無理では……)。政治的に微妙なので中国政府にも直接談判、在米中国人会の了解も得る。色々あって大変だ。
オリエンタリズムに陥らないか、差別と言われないかという不安もある。
ここで企画に参加している映画監督のウォン・カーウァイの説得が、かなり功を奏していた。貫禄ですかね

前段で、そもそも服飾が美術であるかどうかという問題が取り上げられていた。中国部門から見れば、やってることは派手でも数千年もの歴史を持つ美術品と比べられてたまるかと思うだろう。

一方、パーティはステージの出演者や招待客の選定、そして席順決めも大変だ~。会場のデザインも難しい。アナ・ウィンターが決めては変えていく。
彼女は『プラダを着た悪魔』で有名になったが、見ていると実物はあのイメージとはかなり異なるようだ。(インタヴューでその話題も出る)

オープニング前夜(いや、当日早朝か)も会場のセッティングは終わらない。一人黙々と展示されたドレスの裾の位置をしつこいほどに修正するボルトンの姿を、カメラが延々ととらえる。その背中には誰も踏み込めない執念のようなものが見える。

果たして展示もパーティもうまく行くのか 分かっていても、見ててドキドキしてしまう。信念を持ったプロフェッショナルの仕事を見せてもらったという気分だ。
とにかく見てて飽きることのない緊張感が続く。ドキュメンタリーとしてはナレーションを一切使わない形式で、密着取材と編集の技が発揮されているといえよう。

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2017年8月13日 (日)

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」:カミング・ホーム 君は一人じゃな

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監督:ケネス・ロナーガン
出演:ケイシー・アフレック
米国2016年

マンチェスター……イギリスの話なのかなあ、などとボンヤリ思ってたら大間違い 「バイ・ザ・シー」も入れて一つの町名で、米国が舞台なのであったよ。

ボストンでしがない一人暮らしをする男、兄が急死して故郷の町に戻ると、高校生のおいっ子の保護者になるように求められる。しかし、彼にはこの町で暮らしたくないいきさつがあったのだ。
その「過去の事件」が回想をまじえつつ徐々に明らかになっていく。

そんな過程が、極めて淡々とゆっくりと美しい港の風景と共に描かれていく。あまりに淡々としている上に137分という長尺なので、途中で寝るヤツがいても不思議ではない。とにかく長いのである。
甥はバンドをやったりして高校生ライフを楽しみ友達も多い(父親が死んだばかりなのに鳴り物鳴らすというのはちょっと驚いた)。しかし、それは事件が起こるまでの主人公も同様だったのだ。そのような生活は彼にはもうない。

彼は立ち直れぬままであり、周囲の人間(兄の元奥さん、自分の元妻)も立ち直っているようで、実は立ち直っていないのが明らかになっていく。
私は枡野浩一の『くじけな』という詩を思い出した。

「くじけな/こころゆくまで/くじけな/せかいのまんなかで/くじけな」

他にも「二人でいると人生は二倍淋しい」とか「あしたがある/あしたがあるから困る」などと、読んでいると甚だしく落ち込みのスパイラルに陥る。そんな世界である。

他の人の映画評で、この作品に登場する「善意の隣人」について書いているのを読んだ。フィクションでは珍しくはないが、果たして現実にはそのような「隣人」が存在するか?というような趣旨だったが、そういえば『裁かれるは善人のみ』にもそのような隣人が登場する。もっとも、主人公が不幸な目にあう原因に、その隣人が一役買っているのだが……。

そう思い返してみると、主人公と隣人夫妻との関係、親を失った少年に対して彼らがラストで取る行動、頻繁に挿入される海の光景--など、『裁かれる~』とかなり似ていることに気付いた。テーマや作風は全く異なるけど。どこか影響受けているんだろうかね。

ケイシー・アフレックはこの演技でアカデミー賞の主演男優賞をゲットしたが、うーむ、どうだろうか(?_?; 悪くはないけど、同じくノミネートされたA・ガーフィールドやヴィゴ・モーテンセンと比べて図抜けているというわけでもない。
むしろ、甥役のルーカス・ヘッジズ(やはり助演男優書にノミネート)がよかった。若いんで今後の注目株であろう。
お懐かしやマシュー・ブロデリックが出演。見てた時は分からなかったですよ

音楽はヘンデルやパーセルなど、なぜかバロック音楽が使われているが、使い方が唐突でしかも音量がデカい。なんなんだろう


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2017年8月12日 (土)

バッハ・コレギウム・ジャパン第124回定期演奏会:祝賀ムードで

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世俗カンタータシリーズ9
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2017年7月17日

祝!世俗カンタータ全曲演奏……というわけで、今回の公演はいかにもメデタそうという理由から選ばれた管弦楽組曲の3番から始まった。トランペット隊のトップはもちろん常連マドゥフ氏だいヽ(^o^)丿

前半もう一曲は、何のために書かれたのか不明というソプラノ独唱のカンタータであった。歌手は、見る(聞く)のは十年ぶりぐらいのキャロリン・サンプソン。お懐かしやという感じである。
久し振りに見た彼女はすっかり貫禄が付いていて、外見だけでなく歌唱の方も堂々たるものだった。
ただ、このBWV204は歌詞の内容がどうも抽象的でいささか説教臭く、しかも長い これをずーっと休みなくソロで歌いっぱなしである。聞いてて酔いしれるというよりは、ご苦労様でしたと頭を下げたくなるm(__)mものだった。

後半は領主就任の式典に際し祝賀のヨイショを歌うBWV30a。こちらでは独唱歌手4人がそろい踏み。アルトがロビン・ブレイズ、テノール櫻田亮、バスはD・ヴェルナーで、代わる代わる新領主を褒めたたえる歌を歌う。まこと世俗カンタータ最終演奏にふさわしい華やかな曲だった。

なお、今回はデュエット曲はなかったが、キャロリン&ロビンの組合せではヘンデルのオラトリオの中から選曲した録音が出ている(エイジ・オブ・エンライトメントが共演)。かなり甘甘な感じがよろしいのでオススメであるよ。


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2017年8月11日 (金)

「タブラトゥーラたなばたライブ」:Tシャツ売ってくれ~

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会場:ハクジュホール
2017年7月7日

タブラのライヴに行くのは久し振りである。前に行ったのは2年以上前のようだ。
その2年の間に変化はあったようで、

☆曲間のつのだ団長の喋りが長くなった。
☆みんな走り回らなくなった。

高齢化のせいだろうか、以前は団員全員がステージどころか会場内をぐるーっと走り回ったこともあったのに、それを思うと隔世の感がある。
で、演奏自体はさすがに変化はなし。あ、たまに団長が次の曲の楽器を間違えて持ったりしちゃいましたな(^<^)

定番曲「夜の蟹」とか「新しい自転車」などを演奏のほか、一部、昔のCDに入っていた古楽曲(スザート作曲とか、英国伝統歌)をやったのが却って新鮮であった。
江崎氏の「2本リコーダー同時吹き」も久々に見た気がする。
それからプレゼントコーナーもあり、くじ引き方式で聴衆に怪しげな(?)品物がプレゼントされたのだった。

年齢の高齢化は客席にも及び、アンコールでステージに上がってダンスを踊る人がさらに減っているようだ。ここは若年層に向けてさらにテコ入れが必要なようである。

なお、会場ではタブラトゥーラTシャツを売っていたが、サイズのことで迷っていたら、あっという間に売り切れてしまった もっと枚数用意してよ~(-"-)


近くの座席に変なオヤジが座っていて、やたらと身動きして、ステージが盛り上がると身を乗り出したり背を伸ばしたりするのだった。小学生みたい(~_~;) 私は横の列だからよかったけど、後ろの人は迷惑だったろうなあ……


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2017年8月 6日 (日)

「ハクソー・リッジ」:サイレンス・ソルジャー 独立愚連衛生兵

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監督:メル・ギブソン
出演:アンドリュー・ガーフィールド
オーストラリア・米国2016年

『沈黙』に続き、再びガーフィールドがいぢめられる役に(>y<;) 思えば『アメイジング・スパイダーマン』でも、いじめられっ子の高校生役だったからその手の役が似合うヤツなのであろうか。

主人公は第二次大戦で兵役を志願するも、宗教上の信念から戦闘行為は拒否。軍法会議もはねのけて念願の衛生兵になる。そして向かった先は激戦地の「ハクソー・リッジ」……。
これが実は沖縄の前田高地だというのを、日本公開に際し隠して宣伝していたということが話題になった。隠しても、実際見に行ったら分かっちゃうのであまり意味はないと思うけど、事前に公開反対運動が起こったりすると困るということか。

それはともかく、戦闘シーンは相当な迫力。『プライベート・ライアン』の冒頭部分が延々と続く感じで、もういつ弾丸飛んできて当たってもおかしくない気分になる。おまけに人の手脚が容赦なく吹っ飛ぶんで、その手の場面が苦手な人は避けた方が吉であろう。

約140分という長さも含めてメル・ギブソンの監督としての力技発揮というところか。激しい戦闘にさらされた兵士が陥るパニック症状で、死の淵をのぞいたような眼になってしまうというのを、映像で初めて見た。

役者は父役のヒューゴ・ウィーヴィングに注目だろう。ヴィンス・ヴォーンの鬼軍曹は、過去の同様な映画に比べるとどうしても「鬼」度に欠けるようで。

なお、私の父はまさに衛生兵だったが、それは体格が貧弱だったからだそうだ。日本軍では衛生兵とはそういう者がなったらしい。

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映画短評5~6月期

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★「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」(字幕版)

監督:ジェームズ・ガン
出演:クリス・プラット
米国2017年

前作の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』をあんまり気に入らなかったのに、今度こそは面白いかな~と思って見に行ってしまった。
で、やっぱり気に入らなかった(>_<) なんたることよ

どうも冒頭の、他のメンバーが闘う脇でグルートが踊ってる場面からして、まずノレない。その後は大宇宙規模の話が「家族」の絆と同じレベルで展開する。
色んなものがテンコモリ過ぎて、最後は泣かせるけど消化不良になりそうだ。

カート・ラッセルがこちらでは大物中の大物を演じている。こういう役が回ってくる風格あるベテラン役者の域に達したのかと思うと、感慨深いものがあるのう。

フリートウッド・マックの『ザ・チェイン』が肝心な場面でここぞと多用されているけど、あれって男女間のドロドロした妄執の歌なんでは……(~_~;)

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★「スプリット」(2017)

監督:M・ナイト・シャマラン
出演:ジェームズ・マカヴォイ
米国2017年

シャマラン監督、久々の復調 予告も面白そうだヽ(^o^)丿 23重人格の男が女子高生を誘拐だって!

と大いに期待して行ったが、見事に裏切られたのだった。
前半はJ・マカヴォイの多重人格芸炸裂見事過ぎてあっけにとられるというか、ちょっと笑っちゃうけど面白かった。
後半はドタバタと展開し意外な方向へ--果たしてこれが私の見たかったものなのであろうか(?_?)なんて思っちゃった。

そして、ラストは過去作の『アンブレイカブル』へとつながる。なんとこれは三部作の2作目になるんだって そんな話は聞いとらんぞ~(-"-) いやもうどうでもいいです。

ヒロインと共に誘拐される二人の娘っ子のうちの一人が、すごく演技が下手くそだった。なんとかしてくれと言いたくなるレベル。オーディションしたんだろうし、なんで採用したのか分からん。


★「オリーブの樹は呼んでいる」

監督:イシアル・ボジャイン
出演:アンナ・カスティーリョ
スペイン2016年

ケン・ローチ作品の名脚本家として知られるポール・ラヴァーティの脚本を彼の奥さんが監督した作品、ということで興味を持って行ったが、いや~久々にどうしようもなく詰まらない映画を見た

もう、始まって10分ぐらいで「××でやってる○○○を見に行けばよかった」とか「△△で※※※もやってたっけ」などと思い浮かべては後悔する羽目になった
どう詰まらなかったのか説明する気にもならないぐらいである。
今年のワースト映画決定。もし今年中にこれ以上詰まらないのを見たとしたら、豆腐の角に頭打ち付けたくなるだろう。


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2017年8月 1日 (火)

「バーニング・オーシャン」:デンジャラス 燃える水平線

監督:ピーター・バーグ
出演:マーク・ウォールバーグ
米国2016年

2010年メキシコ湾原油流出事故の実録ドラマ。石油の掘削施設が破損して火災になった揚句、噴出&流出し、環境汚染もひどかった。
親企業と複数の下請け会社が同じ施設内にいて、事故の予兆があってもなかなか連携できない状況が描かれる。
あと不思議だったのは、事故がひどくなっても非常放送とか警報が入らないこと。冒頭の裁判の場面で言及あったっけ(?_?) 最初のトラブルで責任者に連絡もしないし……

安全をないがしろにして進行を早めたい親会社とか、後で責任を問われるとマズイので決定的な処置ができなかったり救難信号出せないとか、こういうのはいずこの国でも同じだなあと思った。

主人公の電気技師を始め、登場人物のほとんどは実在の平凡な市民なので、そちらの方面での盛り上げは無理(人間関係は丁寧に描かれている)。よって終盤の災害場面が最大の見ものとなる。
一旦事故が始まると画面炸裂何が起こっているのか見てて分からない。実際、その時現場にいた人もそうだったのだろう。
施設全体が燃え上がる場面はものすごい迫力で、思わず口アングリ(@O@)状態だった。

主役のマーク・ウォールバーグは事故を生き抜いた強さと共に弱さも見せる男を熱演。しかし、悪役を一人で担う親企業の上司ジョン・マルコヴィッチと、親方風威厳を見せるカート・ラッセルの二人に全てを持って行かれたようである。
ラッセルとケイト・ハドソンの親子共演も話題になりましたな)^o^(

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聞かずに死ねるか:マイナー・コンサート編 8月版

ムシムシムシ……(ーー゛) 湿気で腐りそうです。が、昨年の夏より注目コンサートが多いもよう。

*5日(土)デュファイ祭:淀橋教会小原記念聖堂
*10日(木)哀しきよろこび~フランス古歌を旅する(夏山美加恵ほか):近江楽堂
*  〃   音楽の諧謔~17世紀イタリアン・バロック名曲選(鈴木美登里ほか):日本福音ルーテル東京教会
*19日(土)フランス音楽の彩を楽しむ6(宇治川朝政ほか):近江楽堂
*23日(水)ヴェネツィアへの誘い(La Musica Collana):ミレニアムホール
*24日(木)”フレンチ・カンタータ”の時代の音楽 2 シルセー(横町あゆみほか):近江楽堂
*27日(日)大塚直哉レクチャーコンサート:彩の国さいたま芸術劇場

これ以外にはサイドバーの「古楽系コンサート情報」(東京近辺、随時更新)もご覧くだせえ。

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