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2017年8月26日 (土)

「遠藤利克展 聖性の考古学」

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会場:埼玉県立近代美術館
2017年7月15日~8月31日

埼玉近美(略称は「埼近」か(^^?)はほぼ一年前の「ジャック=アンリ・ラルティーグ 幸せの瞬間をつかまえて」以来だ。感想をブログに書く暇がなかったが、写真史的には非常に重要人物だというのに、館内にはほとんど人気がなかった(*_*; 
いや、でもゆっくりじっくり見られてよかったですよ

そして、今年はこの「遠藤克俊展」である。
じつはこのアーティストの事は全く知らなかった。彫刻家だというが、名前さえ聞いた覚えがない。しかし、この展覧会を紹介している美術系のサイトで、作品の画像を見た途端、私の頭にはすぐにとある詩を連想した。
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それは入沢康夫の「『木の船』のための素描」である。学生の頃に読んでいたく感動したのだが、それきり忘れていた。再び思い出したのは一年ほど前、「図書」(岩波書店PR誌)に連載の池澤夏樹のエッセイの中に取り上げられているのを読んだ時だ。
そこに描かれているのは誰も全景を知らない巨大な迷路のような箱舟であり、同時に棺とおぼしき木箱でもある。しかも、それは万葉集の中の一首に由来するのだという。

もし外部から見たとすればこの船は単に一個の木箱に過ぎない

それがそのまま眼前に現われたような作品があるというのなら、見に行かずばいられようか(!o!)--ってなもんだ。

さて、作品は デカイ
そして、それらが狭苦しい中に展示されていた。

もともと広い美術館ではないが、これは狭すぎでしょう(>_<)……と思ったら、わざと小さくスペースを区切って展示しているのだという。

彫刻というよりはインスタレーションに近い。巨大な木製の円型オブジェ(高さ2.4m×直径4.5m)やら長~い木の円筒(20メートル近い)を横にしたもの。また、カヌーを引き延ばしたような細長い船もある。その規模に度肝を抜かされる。しかも木の作品はみな燃やされて表面が黒く焼け焦げているのだった。
壁際にギリギリに置かれているものもあるので、下手すると触ってしまいそうである。太って腹の出たヤツが通り抜けようとして「お客様、お腹で作品を触れないようにお願いします」とか注意されそうだ。(もっとも、常設展会場に展示されている作品は広いスペースにある)

大きさには言葉もなく圧倒されるが、それだけでなく焦げた表面には何か威圧感あるいは不可触感がある。不吉、不安、不穏--なにやらそんなものが充満している。
「水路」というそれこそ水路の断面を横から見たような木の板の連なりには、表面に木目が残り、ソリソリとした感触を放つ。

そして目的の「寓話V-鉛の棺」はまさしく棺であった。「鉛」とタイトルにあるが本体は焼かれた木であり、上部の蓋に鉛の帯のような飾りが付いている。
私は何度も周囲をグルグル回って見た。「棺」というからには中に死者が入るのだろうか。表面が焼け焦げているのは、火葬ということではなくて何か禍々しいものを封じ込めるためであろうか。--などと色々、心に湧き上がってくる。
それにもかかわらず、その巨大な「棺」からは入沢康夫の詩の結末とは異なり、かぐわしい木の香りが微かに漂ってくるのだった。

非常に見ごたえありだったが難を言えば、黒焦げに燃やす過程も含めて一つの作品というコンセプトだという割には、その焼く過程を見せるビデオのモニター(二か所)が小さくてしょぼかった。(場所も目立たない)
吹き抜けに設置されている「薬療師の舟」は、吹き抜けの外から見なければならなかったけど、もっと近くに寄って見たかった。
あと、作者の解説が作品ごとに貼られているのだがこれがまた難し過ぎて、何を言っているのか素人には全く理解できぬ代物である。

夏休みと言えば、大抵の美術館ではファミリー向けにマンガやらアニメ関連の企画を行うのが定番となっているが、その風潮にあえて真っ向から挑むような内容、よくぞやったものよと英断に感心してしまった。
見に行ったのは平日とはいえ、やはりかなりの客の少なさであった。まあ今回もゆっくり見られてよかったけどな……(^o^;) こんなだと、県議会で「夏休みなのに入場者が少ないのはいかがなものか」などと言われないか、余計な心配をしてしまう。大丈夫か

とはいえ、小学生高学年ぐらいの子が一人で見て回っていて(夏休み課題?)、「スゲー」を連発していた。ということは、やはり作品の力はお子ちゃまにも伝わるものなのであろうか。


なんでこんなこと心配しているかというと、もう遥か昔(二十年以上前?)のこと、埼玉近美の予算がいきなり削られてしまい、「せっかく企画したのにできなかったんだよ、チクショー」(←脳内翻訳)展みたいなものでお茶を濁さざるを得なかった、という事案が起こったのである。今、サイトを見ても記録がないのだが、確か宮島達男を取り上げようとしたのだと記憶している。
これからも文化果つる地で、硬派な企画を頑張っていただきたい。
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←大きさをエレベーターのドアと比較してください。


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