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2018年4月

2018年4月24日 (火)

「シェイプ・オブ・ウォーター」:イリーガル・エイリアン 鰓から愛して

180424 監督:ギレルモ・デル・トロ
出演:サリー・ホーキンス
米国2017年

遂にヲタク監督がアカデミー賞を しかも監督賞と作品賞だっ。感動と涙に包まれた授賞式おめでとうヽ(^o^)丿
もちろん期待を目いっぱい大きくして映画館へ向かったのは言うまでもない。

しかし、またも期待は裏切られたのだよ(ーー;)
シリーズ「期待したけどダメだった」パート3だ。(なおパート1パート2はこちらであります)

『美女と野獣』をひっくり返したような「美人でもない中年女と半魚人」の恋である。事前にあらすじを耳に挟むにつれ、こりゃ、どうもおとぎ話的ファンタジーじゃないということが分かってきた。
となると、私としては「卵生の魚と人間では生殖器の構造が違い過ぎて、どうやって××致すのであろうか(^^?;)」な点がすごーく気になってくるのだった 実際見てみると、冒頭からヒロインの風呂での○○場面が出てきて、エロさ回避しません宣言がなされるのである。

彼女はロクに姿も見てない(オスかメスかどうかも不明)囚われの半魚人を、積極的に自分から誘う。どうして誘うかは不明である。
もっとも、相思相愛的雰囲気になってからは純愛モードになる。しかしドタバタの脱出劇の行く末は、グロと暴力となるのだった。

ハンディキャップを持つヒロインを助けるは同僚の黒人女性、隣人のゲイの画家、ソ連のスパイ。対する敵役は--M・シャノン演じる男は、かつて彼が『ボードウォーク・エンパイア』で演じた捜査官をそのまま持ってきたようなヘンタイ野郎である。

冷戦下の時代だから軍の陰謀やスパイ話が出てきても不思議ではないが、マイノリティの問題を入れて、「美女と野獣」だけでなく「人魚姫」や「シンデレラ」、あるいは往年のミュージカル映画の数々(ヒロイン名は『マイ・フェア・レディ』?)など様々な要素を散りばめて、さらに全体の雰囲気はJ・P・ジュネ(&キャロ)っぽいという荒業は見事なもんである。よく出来ていると感心した。

しかしながら、納得できない点が多々あり、感心もいささか薄まってしまう。
そも冒頭から一瞬しか見てない半魚人を誘惑しようとしたのか描かれてないし、同僚は彼女から××したと聞いても全く驚かないし(いくらなんでも少しぐらい驚くんじゃないの)、半魚人は終盤では全知全能の神様みたいになっちゃうし……だったら最初からその力発揮しろよと思っちゃう。
風呂の場面もなんだかわざとらしくて白けてしまった。S・ホーキンスがやはり出ていた『パディントン』でも似たような場面があったが、参考にしたんだろうか。まあ、雰囲気は全く異なるけど。
それから、川で捕まったのになぜ塩が必要なのか(?_?)という案件もありましたな。
おとぎ話って、別にいい加減な話ということじゃないよな。なんだか、B級物語をA級の技術で描いたみたい。

というような事情で、今一つ素直にノレなかったのだった。
もちろん、役者の皆さんの演技はA級。段々キレイになっていく主役のサリー・ホーキンス、手話で必死に喋る所は迫力だ。
オクタヴィア・スペンサーは定番の「善意の隣人」ならぬ「善意の同僚」役だが、ここまで来ると立派な職人芸である。M・シャノンのヘンタイ悪人も職人の技であろう。

さて、もう一つこの映画は「美人でもない中年女の性欲を素直に肯定している」ということでも評価する意見がある。
しかし、ひっくり返して考えてみると美人で若くてキラキラした女の子がヒロインだとして、そんな娘さんが風呂の中で○○したり半魚人を誘惑したり、どこかへ行っちゃう……などという話を許容できるだろうか。よーく考えてみて欲しい。

 

 

 

 

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2018年4月20日 (金)

「音楽と美術の幸せな結婚 1」:哲学者か英雄か

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大塚直哉レクチャー・コンサート・シリーズ
音楽と絵画が映し出す栄光の17世紀スペイン:「プラド美術館展」の名画と音楽
会場:よみうり大手町ホール
2018年4月13日

大塚直哉が美術展に合わせて3回のレクチャー・コンサートを行う第1回め。会場からして当然、読売新聞社が主催に入っている展覧会が対象だが、この日は「プラド美術館展 ベラスケスの絵画と栄光」でベラスケスが7作品展示ということで話題になっているものである。

しかも演奏のゲストは波多野睦美、美術サイドは「怖い絵」の中野京子という豪華布陣だ。こりゃ満員御礼かっと思ったら、空席がチラホラあったのはやや意外だった。

ベラスケスの同時代の作曲家の作品を3曲、大塚氏がオルガンとヴァージナルで演奏した後、ステージ背後のスライドを使用して中野女史が15分間のレクチャーを行なった(演奏中もスライドは上映されていた)。
ベラスケスと、同じ時代に英国にわたって活躍したアンソニー・ヴァン・ダイクを比較。二人とも仕えた王は統治に関しては無能だったが、芸術の審美眼はあった……など共通点や、作風の相違など面白い話が聞けた。

曲の方では、明るいと思われがちなスペインの暗い美しさを聞かせるスカルラッティのソナタ、メディオ・レジストロというオルガンの左右で異なるという音色で演奏されたアラウホ(初めて聞いた!)が面白かった。

その後は波多野睦美が登場して、絵画に合わせた曲を歌った。彼女の歌を聞くのは久し振りだったが、3曲目のフレスコバルディの宗教曲が圧巻の迫力だった。

後半の最初は3人でトークセッション。ヴェチェッリオという画家の「音楽にくつろぐヴィーナス」という絵で、オルガン弾きが横たわる女神のどこを見ているかという話題で爆笑になった。大塚氏は絵と同じオルガンの鍵盤を押さえてみせたり(●^o^●)
中野女史によるとヴィーナスは人間の眼には見えないはずなので、このオルガン奏者は超能力者ではと考察していた。しかし私は、彼には女神が見えてなくて、寝台の上にたまたま金か宝石が落ちてるのを凝視していたという仮説を立てたい。

その後は再び演奏へ。ヴィーナスにちなんだパーセルの「美しい島」は伴奏がオルガンだったが、なんだか印象がかなり違う。チェンバロの方が違和感なしだったかも。
ラストはストロッツィの「恋するヘラクレイトス」だった。これも長めの曲でやはり波多野女史の歌唱はイケイケと押し寄せるような迫力で聞かせた。
トークの時に出た話題だが、「ヘラクレイトス」とは神話の英雄ではなくて哲学者なんだそうだ。
えええーっ\(-o-)/あたしゃ今までヘラクレスと勘違いしたまま聞いてましたよ。お恥ずかしい~

4000円の元はバッチリ取れたレクチャー・コンサートであった。次回は「ルーヴル美術館展」をネタにナオヤ氏独奏によるフランス・チェンバロ曲をたっぷり聞けるもよう。おまけにゲストはなんとヤマザキマリ これは必聴だろう。


さて、私はこのホールは初めて行ったのだが、新しくて音響もよく、おまけに全座席の背中に小テーブルが引きだせる(ライトまで付いている!)サービス付きだ。
新聞社ビルに付属したホールというと、朝日新聞社の隣の浜離宮朝日ホールが思い浮かぶんだけど、対抗してるのかな(^^?) 収容人数も似たような感じだし。ここでも朝読対決が火花を散らす
それと、地下鉄の出口と直結がウリらしいので私は丸ノ内線のホームから行ったのだが、ウネウネと通路を歩き、その出口までなかなか行き着かない(@_@;) 帰りは地上から行ってみたら、なんと1ブロック直線歩いただけで丸ノ内線まで行けてしまった。なんなのよ
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2018年4月16日 (月)

「スリー・ビルボード」:ファイア・パトロール 非のない所に看板は立たぬ

180416 監督:マーティン・マクドナー
出演:フランシス・マクドーマンド
イギリス・米国2017年

町はずれに立つ、3枚の古く巨大な赤い看板。そこにレイプ殺人の事件捜査が遅々として進まぬことへの警察批判が掲げられた。怒り発心で広告会社に依頼したのは、被害者の母親である。田舎町は大騒動に……。
こりゃ面白そうだ。おまけに映画賞に幾つもノミネートされ、二人の役者はアカデミー賞大本命(私が見た時点では。その後受賞した)。詰まらないはずがない

しかし、期待は裏切られたのだよ(ーー;)

極端な設定で話を次々と展開していくのはいいけど、いかんせんわざと過ぎるところが目立ちすぎませんか(^^?)

署長はあんなにマメに手紙を書いたんだから、ついでに新聞社に「今回の件は彼女と関係ありません」ぐらい送ってやれよ。→主人公、さらに窮地に。
犯罪者でもない人を一人窓からブン投げてお咎めなしの警官。いや、これは米国のド田舎は実際そんなもんかも(>y<;)コワー
そしてブン投げられても許す男。ここは感動的場面と決まっている。
さらに改心する男。ここも上書きで感動だ。
突然の鹿登場。抒情的場面(やはり感動)。

それから火事……私は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』の冒頭で、小枝グルートが踊ってる場面を思い出して笑ってしまった。だって、あれで気付かないって不自然じゃないの あと「裏口はないのか?」とも思っちゃった。

監督脚本は英国人の劇作家らしいが、わざと不自然なほどに極端な設定をした上で、それをひっくり返すような行動をさせたり、異なる一面を見せれば感動が生まれる--というのが彼の作劇術なのかね。

まあ、自分の性格&体質に合わんものを見てしまった(+o+)ということで仕方なかろう。
それでも役者の方々の演技は立派。主役のフランシス・マクドーマンドと「悪い警官」役のサム・ロックウェルがオスカーを手にしたが、特にマクドーマンドの後ろ頭の剃り上げがスゴイ 触ればジョリジョリと手に刺さりそう。
ルーカス・ヘッジズが真面目な息子役で地味ながら登場。実はこの子が一番とばっちり受けてんじゃないの?という印象だった。

 

 

 

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2018年4月14日 (土)

「エル ELLE」:スキャンダラス・ウーマン 女、外に出れば7人のヘンタイあり

180414 監督:ポール・ヴァーホーヴェン
出演:イザベル・ユペール
フランス2016年

予告ではサスペンス・スリラーのように宣伝していたが、実際見ると全く違った。私が思い浮かべたのは『大人の事情』のような、人間のバカバカしさを描いた喜劇であった。

アダルトゲーム会社を経営するヒロインは或る夜、謎の侵入者に自宅で襲われる。しかし彼女は警察に届け出たりせず、平然とそのまま息子に会い、友人たちに被害を告げて反応を見る。自分で犯人を探し出そうと画策するのであった。
もっとも、彼女は子供の頃に父親の犯した犯罪に巻き込まれた過去があるので、「被害者」にはなりたくないということで警察沙汰を敬遠したかったのかもしれない。

ここで、周囲の男たち(容疑者候補も含む)がロクでもない奴ばかりなのが描かれる。元夫、親友の夫、息子、母の愛人、若い社員たち……。
もっとも、女の方はマトモかというと、そんなことはない。これまたどうしようもないのである。母親、息子の嫁、親友、母の愛人の浮気相手……。極めつけは隣人の妻だろう。彼女の最後の発言には、観客全員があきれるはずである。

こんな変人たちに比べたら、確かにヒロインは言動が過激とはいえ、まだマシかも知れない--などと思えてくる。
あと宗教に対する皮肉はかなりなもん(^_^メ)

ヴァーホーヴェンの演出は一貫して登場人物の心理を描かず、ただあきれた行状をそっけなくスクリーンに映し出すのみ。
ここから得られる教訓は--ないっ 苦笑するだけである。

 

 

 

 

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2018年4月11日 (水)

「女の一生」:ターゲット・オブ・ラブ ジョウロいっぱいの愛を

180411 監督:ステファヌ・ブリゼ
出演:ジュディット・シュムラ
フランス・ベルギー2016年

なぜ今『女の一生』映画化 それもスタンダード・サイズ画面とは(!o!)
すみませ~んm(__)m モーパッサンの原作読んだことありません 本来ならばパスするところではありますが、見ることにしたのは監督が「ティエリー・トグルドーの憂鬱」のステファヌ・ブリゼだったからである。

ヒロインのジャンヌは男爵家の一人娘。父母に愛されて育つが、教育のため窮屈な修道院へ。やっと開放されて、素敵な殿方と結婚と夢を膨らませる。しかし、夫となった二枚目のカッコエエ子爵はまさに「色男、金と力はなかりけり」を地で行く野郎で、加えて誠意もない食わせ者なのだった。

なんと彼女の親友とも言える召使娘に手を出してしまう。破局寸前のところで今度は彼女が妊娠。夫に裏切られた代償か、今度は生まれた息子を溺愛するも、彼は父親譲りらしくどうしようもない甘えん坊の浪費家なのであった。おかげで家は没落していく。

と、ロクでもないエピソードが延々と続く。しかもこの監督の手法で、重要な事件の場面を直接描かずその後のリアクションだけを見せるので、ドラマ的に盛り上がることはない。

多く時間が割かれるのは、自然と四季の描写であり、ヒロインがその中にたたずむ姿が繰り返し登場する。頻出する海辺の場面は寂しく陰鬱である。
一方、夕刻の室内の場面なども照明が完璧で、まるでラ・トゥールの絵画をそのまま再現したかのようだ。

父親から庭園の手入れの仕方を教わり、菜園にジョウロで水をやる場面も繰り返される。「あふれる愛をただジョウロで注ぎ続け、息子を根腐れさせてしまう」という感想を書いてた人がいて、思わずウンウン(゚ ゚)(。 。)と頷いてしまった。
彼女は水をドボドボ注いで、いつもその泥の跳ね返りがスカートの裾を汚しまくっても全く気に留めないのである 象徴的なシーンといえるだろう。

ラストは、それまでの彼女の下降人生を一変新たな希望を得たように見える。しかし、「懲りずにまた同じこと繰り返すんじゃないの(^^?)」と観客が思っちゃうのも事実。監督はあくまでもヒロインを冷厳に突き放して描くのであった。
主役のジュディット・シュムラも世間知らずなお嬢さんから頑迷な初老の女まで見事に演じている。
善きにつけ悪しきにつけ、まさに「女の一生」はかくの如しなのだった。

前作では劇伴音楽は使用してなかったと記憶しているが、今回は幸せな場面のみフォルテピアノによるデュフリと(名前読み取れなかった)もう一人の作曲家の曲を流していた。ちょうどフォルテピアノが使用されていた時代のようだ。

 

 

 

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2018年4月 9日 (月)

「デトロイト」:ミッドナイト・モーテル 暴動の響き

180409 監督:キャスリン・ビグロー
出演:ジョン・ボイエガ
米国2017年

おお、久しぶりの社会派バリバリのドラマだ~--と期待して映画館に駆け付けたのだが、それは全くの見込み違いであった。

1967年に起こった黒人暴動を背景に行われた警官3人+警備員1人による事件。多くが存命中の各人の証言を元に復元(?)されているので、不明瞭な部分は不明瞭なままなのである。裁判沙汰になったのだから、ウッカリしたことは言えないだろうから曖昧になってしまうのは仕方ない。
ただ、映画の方も不明瞭になってしまっては元も子もないのではないか。

例えば、警備員(黒人)が持ち場から離れて、犯罪の舞台となったモーテルまで行ってウロウロしていたのはなぜなのか。いくら暴徒を警戒するったって、やり過ぎでは(?_?)と思っちゃう。

それから白人警官たちが発砲事件尋問で行う「死のゲーム」も謎である。これはそのモーテルにいた全員が発砲を見たという仮定でなければ成り立たない。
早い話が、たまたま「死人」役の男が実は単独で隠れて発砲してたのだったら、他の者は何も知らないのだから、長い時間かけて幾ら脅しても無駄である。
となれば、このゲームは単にその場にいた住人たちをいたぶるためにやっていたに過ぎないのでは?……というような当然の疑問については、この作中では言及されない。
「玩具の銃」についてもよく分からない。

煮え切らない証言をそのまま再現した映画は、煮え切らないままに終了するのである。
別に唯一の「正解」を求めるわけではないが、「えーと、あなたのお考えではどうなんで?」と作り手側に聞きたくなっちゃう。

さもなければ、これは尋問に合った黒人たち(+白人女性2人)の理不尽な恐怖だけを観客に体験させるものなのであろうか。だとしたら、社会派風に見せるのはやめてホラー映画だと言っていただきたい。

ただ、尋問場面をウリにするには前半が長過ぎだった。
それと群像劇の形を取っているが、視点が分散し過ぎてとっちらかっている。心情を描くのは歌手だけにしといた方がよかったのでは?

過去に見たビグロー監督の作品(「ハート・ロッカー」「ゼロ・ダーク・サーティ」)いずれもやはりおなじ印象を受けた。
どうも、ビグローとは相性がよくないようだ。

日本ではアカデミー賞候補確実と見込んで時期をずらして公開したようだが、残念ながら全く候補に入らなかった。そもそも米国では全くオスカー狙いではない早い時期の公開だから無理だったろう。
「悪い警官」役のウィル・ポールターは助演男優賞にノミネートされてもよかったかも。でもサム・ロックウェルと役柄がかぶっちゃうから、どのみちダメだったろうね。

 

 

 

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2018年4月 6日 (金)

「ルソン・ド・テネブル 暗闇の朝課の読誦」:猫とクープラン(特に関係なし)

180406
F・クープラン生誕350年記念
演奏:野々下由香里&鈴木美登里
会場:近江楽堂
2018年2月22日

2月22日はニャンニャンニャンで猫の日~(=^・^=)
じゃなくて--またもクープラン記念公演なのであった。

ルソン・ド・テネブル、宗教曲とはいえ華麗なるソプラノ2人の競演である。私が最初に聞いたのは、かつてのNHK-FM「朝のバロック」でエマ・カークビーの歌でかかった時だ。うろ覚えだが、今調べてみるともう1人はジュディス・ネルソン、鍵盤はホグウッドだった。
その後、マレとサント・コロンブを扱った映画『めぐり逢う朝』の劇中でも流れたのがまた印象深かった。

録音は何種類か買ったのだが、どういうわけか実演では聞いた記憶がない(多分) なので、ユカリ&ミドリのベストコンビで聞けるのは誠に嬉しいっ(#^o^#) おかげで近江楽堂は満員御礼であった
この曲以外に同じ作者のモテットや、ガンバ福沢宏&オルガン今井奈緒子による器楽曲も加えて構成されていた。

こうして、奏者の呼吸も間近に聞こえるような小さな会場で聞いてみると、常に淀みなく濁りもなく(って、当然と言えばそうなんですが)均一に隅から隅まで声を届けるってのは身体的なコントロールがスゴイ(!o!)--と、トーシロなのでつくづく感心してしまうのであった。大きなホールでは逆に得られない感覚だろう。
二人の声はドーム状の天井に天使の如く響いたのである。

最後にやった復活祭のためのモテットは、カークビー盤に追加で一曲収録されてたのと同じ。やはり、お二人とも初めて聞いたのは彼女の歌だったんでしょうか。


ただ、側に座っていた若い男がだらしなく荷物やジャケット広げていた(狭い会場なのによ)だけでなく、曲の合間ごとにペットボトルをゴクゴク飲んでたのには驚いた。さすがに演奏途中は飲んでなかったが……(~_~メ) でも、アンコールの時に野々下さんが話してる時もやってたな。
あと、スマホの着信音を最小だったけど、鳴らしてたぞ。

で、帰宅したらネットに「I教授」の訃報が流れていてビックリしたのであった。


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2018年4月 4日 (水)

「フランス音楽の彩を楽しむ 7」:ク~~~プランと伸ばしてみよう

180404_2
F・クープラン生誕350年記念
演奏:宇治川政朝、ジョシュ・チータム、福間彩
会場:近江楽堂
2018年2月16日

クープランと銘打ってはあるが、彼の作品は6曲の内半分。18世紀初めのフランス・ソナタによるプログラムということで、残りはオトテール、フィリドール、ドルネルだった。

驚いたのはクープランの組曲ホ短調。よく取り上げられる名曲ながら、J・チータムは非常にゆっくりなテンポで弾いた。こんなにゆっくりなのは聞いたことがない(!o!)っていうぐらい。しかも気候のせいか、さかんに調弦を繰り返していた。おかげで前半がかな~り長くなりました。
なお、彼はヨーロッパの悪天候のせいで日本にたどり着くまでに時間がかかり、パリの空港に足止めを食らったとか。ご苦労さんです。

あと福間彩のチェンバロ独奏によるクープランの「目ざまし時計」という曲は、いかにも「時計」なので笑ってしまった。
フィリドールには、ちゃんとリコーダーを指定しているソナタがあり、ここでは宇治川氏のタテ笛が冴えていた。

ラストとアンコールは「王宮のコンセール」より。いかにもフレンチな響きの世界を楽しめた。また、ガンバの調弦しやすい時期にお願いします(@^^)/~~~

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2018年4月 3日 (火)

聴かねばならない時もある マイナー・コンサート4月版

*13日(金)ラ・フォンテヴェルデ定期~薄情な女たちのバッロ:浜離宮朝日ホール
*  〃   音楽と美術の幸せな結婚 「プラド美術館展」の名画と音楽(大塚直哉ほか):よみうり大手町ホール
3回シリーズで、この日のゲストは波多野睦美と中野京子。
*17日(火)悲しみのカンタータ(村上雅英ほか):中目黒GTプラザホール
*20日(金)ジュリアン・マルタン氏を迎えて~テレマン リコーダー二重奏ソナタ(木の器):近江楽堂
*21日(土)  〃  ~フランスの室内楽作品: 〃
*26日(木)ヘンデル ルクレツィア(阿部早希子ほか):近江楽堂

これ以外にはサイドバーの「古楽系コンサート情報」をご覧くだせえ。

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