「シェイプ・オブ・ウォーター」:イリーガル・エイリアン 鰓から愛して
監督:ギレルモ・デル・トロ
出演:サリー・ホーキンス
米国2017年
遂にヲタク監督がアカデミー賞を しかも監督賞と作品賞だっ。感動と涙に包まれた授賞式おめでとうヽ(^o^)丿
もちろん期待を目いっぱい大きくして映画館へ向かったのは言うまでもない。
しかし、またも期待は裏切られたのだよ(ーー;)
シリーズ「期待したけどダメだった」パート3だ。(なおパート1、パート2はこちらであります)
『美女と野獣』をひっくり返したような「美人でもない中年女と半魚人」の恋である。事前にあらすじを耳に挟むにつれ、こりゃ、どうもおとぎ話的ファンタジーじゃないということが分かってきた。
となると、私としては「卵生の魚と人間では生殖器の構造が違い過ぎて、どうやって××致すのであろうか(^^?;)」な点がすごーく気になってくるのだった 実際見てみると、冒頭からヒロインの風呂での○○場面が出てきて、エロさ回避しません宣言がなされるのである。
彼女はロクに姿も見てない(オスかメスかどうかも不明)囚われの半魚人を、積極的に自分から誘う。どうして誘うかは不明である。
もっとも、相思相愛的雰囲気になってからは純愛モードになる。しかしドタバタの脱出劇の行く末は、グロと暴力となるのだった。
ハンディキャップを持つヒロインを助けるは同僚の黒人女性、隣人のゲイの画家、ソ連のスパイ。対する敵役は--M・シャノン演じる男は、かつて彼が『ボードウォーク・エンパイア』で演じた捜査官をそのまま持ってきたようなヘンタイ野郎である。
冷戦下の時代だから軍の陰謀やスパイ話が出てきても不思議ではないが、マイノリティの問題を入れて、「美女と野獣」だけでなく「人魚姫」や「シンデレラ」、あるいは往年のミュージカル映画の数々(ヒロイン名は『マイ・フェア・レディ』?)など様々な要素を散りばめて、さらに全体の雰囲気はJ・P・ジュネ(&キャロ)っぽいという荒業は見事なもんである。よく出来ていると感心した。
しかしながら、納得できない点が多々あり、感心もいささか薄まってしまう。
そも冒頭から一瞬しか見てない半魚人を誘惑しようとしたのか描かれてないし、同僚は彼女から××したと聞いても全く驚かないし(いくらなんでも少しぐらい驚くんじゃないの)、半魚人は終盤では全知全能の神様みたいになっちゃうし……だったら最初からその力発揮しろよと思っちゃう。
風呂の場面もなんだかわざとらしくて白けてしまった。S・ホーキンスがやはり出ていた『パディントン』でも似たような場面があったが、参考にしたんだろうか。まあ、雰囲気は全く異なるけど。
それから、川で捕まったのになぜ塩が必要なのか(?_?)という案件もありましたな。
おとぎ話って、別にいい加減な話ということじゃないよな。なんだか、B級物語をA級の技術で描いたみたい。
というような事情で、今一つ素直にノレなかったのだった。
もちろん、役者の皆さんの演技はA級。段々キレイになっていく主役のサリー・ホーキンス、手話で必死に喋る所は迫力だ。
オクタヴィア・スペンサーは定番の「善意の隣人」ならぬ「善意の同僚」役だが、ここまで来ると立派な職人芸である。M・シャノンのヘンタイ悪人も職人の技であろう。
さて、もう一つこの映画は「美人でもない中年女の性欲を素直に肯定している」ということでも評価する意見がある。
しかし、ひっくり返して考えてみると美人で若くてキラキラした女の子がヒロインだとして、そんな娘さんが風呂の中で○○したり半魚人を誘惑したり、どこかへ行っちゃう……などという話を許容できるだろうか。よーく考えてみて欲しい。
| 固定リンク | 0
| トラックバック (0)