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2018年5月

2018年5月31日 (木)

聞かねばならない時もある マイナー・コンサート 6月版

また鬱陶しい季節がやってまいりましたよ\(◎o◎)/!

*2日(土)フルートデュオの世界 有田正広&前田りり子:近江楽堂
*9日(土)Ut/Fa(渡邉さとみほか):近江楽堂
*14日(木)野入志津子アーチリュートリサイタル:近江楽堂
*29日(金)~7月1日(日)チェンバロ・フェスティバルin東京:浜離宮朝日ホール

調布国際音楽祭もありますね。
これ以外はサイドバーの「古楽系コンサート情報」をご覧ください。

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2018年5月28日 (月)

「ギエルミ・アンサンブル」

180527
会場:東京文化会館小ホール
2018年5月10日

一家3人+日本人1名で来日、3回の公演にプラスしてソロ公演もありというツアー。鍵盤の兄ロレンツォとヴァイオリンの平崎真弓は過去に別のグループで来日していた。

とはいえ、この日の中心はロレンツォと弟のガンバ弾きヴィットリオなのは間違いない。二人で、バッハ、マレ、フォルクレと半分の時間を演奏したのである。バッハのガンバ・ソナタはかなりゆっくり目でちょっと意外だった。

ただし、聴衆の耳目を引いたのは平崎真弓だろう。オルガン原曲のバッハのトリオ・ソナタで休憩前におおーっと感心させ、後半のコレッリ、そしてヴィヴァルディの「ラ・フォリア」ではその激越さに拍手喝采となった。
彼女の演奏単独で取り上げれば「イタリア過激派」的スタイルだが、アンサンブル全体だとそういう風に聞こえないのは、ギエルミ兄弟の通底がガシッと堅固&頑固だからと見た(聞いた)。

なお三人目のギエルミはもう一人のヴァイオリン、ロレンツォの娘さんだった。まだ若い(&美人)んで、これからの活躍を期待しております。

会場の大きさも響きもこのアンサンブルに適していて、いい心地に聞けたコンサートだった。


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2018年5月25日 (金)

「リメンバー・ミー」(字幕版):ノー・ミュージック、ノー・ライフ 瞼の爺

180525 監督:リー・アンクリッチ、エイドリアン・モリーナ
声の出演:アンソニー・ゴンサレス
米国2017年

ふと気付いたら2カ月間も日本の映画興収ベスト10に入り続けた本作、さすがピクサーだ……というより、日本人こういうのが好きなんだなあ(!o!)なんて思っちゃいました。

『ブラックパンサー』が全編アフリカ押しだったのと同様、こちらは完全「メキシコ押し」。舞台やキャラクター、声を演じる役者もみな完全統一だ。

少年ミゲルは家業の靴屋より音楽をやりたいが、なぜか家では音楽はタブー。原因は大昔にミュージシャン目指して妻子を捨てた爺さんの爺さん(曾々爺さんてことですね)にあった。
彼はひょんなことから死者の国に迷い込み、曾々爺さんを探す羽目になる。

今回の特徴は鮮やかなネオンカラー。当地のお祭り「死者の日」や死者の国の描写で、ふんだんに美しく使われている。
もう一つは人物の顔の造形だ。『トイ・ストーリー』から幾歳月。昔は人間や生き物は今一つな出来だったが、ここでは本物の人間よりも(?)表情豊かだ。男の子が大人に対して不満を抱きムッとした顔をするあたりはお見事。こちらに感情が伝わってくる。
曾ばあさんのシワシワな顔の変化も見どころだろう。

死者の国では過去に亡くなった親類縁者がホネホネ状態で生活(?_?)している。伝説の大物スターの大邸宅には警備員がいて--というところで「この死人たち、生きてる時も警備員だったのかしらん」などと思ってしまった。あの世に行っても働かなきゃいけないのかい

本作はアカデミー賞の長編アニメーション賞と歌曲賞を獲得した。公開前にTVでアカデミー賞の中継を見た私は「なんかパッとしない曲だなあ」と正直思った。セットは作中のコンサート場面を復活させてて(というのは映画鑑賞後に分かったが)豪華だったけど、曲自体はかな~り地味である。事前の下馬評で受賞確実だったというのが疑問だったほどだ。しかし……

私が悪うございましたm(__)mガバッ

終盤で改めてこの歌が使われる場面になって、もう号泣である(T^T) 客席を見回すとみんな泣いていた。映画見てこんなに泣いたのは久し振りである。泣かすな、バカ~と言いたくなるぐらいだ。また、そこまでと違って素朴なトーンで歌われるのもいい。
てなわけで、涙のラストが全てのわだかまりを押し流したのであったよ。

靴屋か音楽かみたいな強制をする「家」とはどんなものよという意見を見かけた。確かに、「昼は靴屋で、夜は流しのギター」に変身してもいいんじゃないかと思う。ラストでは靴屋やめちゃってたっけ? そういう極端な家に生まれたという設定かも)^o^(
ただ、曾々爺さんは音楽の道あきらめて戻ってきても、きっと2、3か月もするとムズムズしだしてまたどっか行っちゃう可能性大と見た。

犬のダンテと猫(名前忘れた)は何者(^^?)

字幕版で見たのだが、少年が逃走中に死者男の腕だけ持って先に来ちゃう場面、予告でもやっててその時はセリフがジョークっぽい訳で(確かこっちも字幕?)笑わせたはずなんだが、本編では普通の訳になってた。残念である。

 

冒頭上映の短編は「アナ雪」の、短編というより番外編(20分近くある)だった。布の感触とか素晴らしかったが、もっと寒い時に見たかったですよ(+_+)

 

 

 

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2018年5月19日 (土)

ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2018

180519
モンド・ヌーヴォー 新しい世界へ
会場:東京国際フォーラム&東京芸術劇場
2018年5月3~5日

今年から「ジャパン」が取れて「TOKYO」が付いたLFJ。しかも池袋と丸の内という分散開催になった。ピーター・バラカンがラジオで「オリンピックの関係で国際フォーラムの一部が使えなくなったため」と言っていたけど、そうなんですか?

まあ、基本会議室であるフォーラムよりは、芝居用ホールもあるとはいえ、音楽鑑賞には池袋の方が向いているに決まっている。
ただ、両会場の移動は30分かかるからハシゴする人には大変だろう。

今年は古楽関係は少なく、とりあえず2グループだけにした。
パリサンダーというリコーダー四重奏のアンサンブルがあったが、時間が朝の早目と夜ラストしかなくて迷っているうちに、満員御礼になってしまったのだよ(T_T)


「中世の伝統歌 1」「 〃 2」(アンサンブル・オブシディエンヌ)

複数回公演があったが、私が見たのは「1」は3日昼の池袋で、「2」は5日夕方の有楽町だった。
平均年齢は高めな、女2人&男3人。歌専門は男声1人のみでいざとなると全員で楽器をやりながら歌ったりもする。
どちらの回もプロローグ→「トリスタン」→「投獄・幽閉」→「修道院」→「死」→「巡礼」→「十字軍」とテーマが付いて二、三曲まとめて演奏するが、両日で重複した曲はなかった。

「モンセラートの朱い本」のような中世歌曲からルネサンス物、またケルト系の伝統曲もまじえたりして、とにかく聞いて見て楽しかった。片手で三つ穴のタテ笛吹きながらもう片手でタイコ叩き(これは中世ものでよくあるパターン)、2枚のホタテ貝の外側をすり合わせてカスタネットみたいにして使うというのもあった。
歌と朗読をやっていた男性歌手は白髪頭でかなり年齢高そうだったが、元気でハツラツとしていた。

中世ものは端正、完璧に演奏するより、このように大道芸ぽく雑味があった方が面白い。その点では日本のジョングルール・ボン・ミュジシャンと同じ指向で、完全に張り合っている。是非ともいつか対決共演してほしい。

また使用楽器が珍しいものが多数。チェンバロの原型プサルタリー、ピアノの原型ティンパヌム(ダルシマー)、中世フィドルはまだしも見たことあるが、クルース(クラウス)というウェールズの楽器は弦を弓で弾いたり竪琴みたいにはじいたりもする。
それと一番驚いたのは木のタテ笛で、本体と吹口の間に紙風船みたいがあって、強烈な音がする。なんじゃこりゃー(!o!)と思わず見入ってしまった。バグパイプの一種で、フーセンみたいのはブタの膀胱だそうである……

私が見た(聞いた)限りでは「1」の方が盛り上がっていたようだ。最後にブラボーも飛んでた。「2」は会場が横長のもろレセプション用のB5ホールで、演奏者はやりにくそうだった。私の座席はステージの真横だったので、最悪であった。
ただ、楽器の説明の時に池袋ではいなかった通訳が、さすが国際フォーラムでは付いたのはよかった。おかげで「もちろん、ブタの膀胱は洗ってから使います」とか「ホタテ貝の中身の方は食べます」などというジョークを聞くことができた(#^o^#)


「Ararat~アラーラ(アララト山)~」(カンティクム・ノーヴム)

総勢11人のグループで、リーダーのE・バルドンは元々はチェロ奏者でサヴァールやニケの元にいたらしい。中東と西欧が混合するような地域・時代の音楽をやっているとのことだが、この日の公演はテーマが決まっていて、第一次世界大戦時にトルコがアルメニア人を追放・虐殺した事件にちなんで構成されたプログラムである。
この事件はタハール・ラヒムが主演した『消えた声が、その名を呼ぶ』で初めて知った。(トルコ政府はこれを否定している)

意外だったのは、PAシステムを使用していたことだ。人数はアンサンブル・オブシディエンヌの倍もいるのだが。会場は池袋のシアターウエストで、そんな聞こえにくい場所とは思えない。恐らく、フェスティバルなどに出演することが多くて常に使用しているのだろうか。

アルメニアの宗教歌や民謡、舞曲などが器楽や歌で綴られていく。中東系の色彩が濃いサウンドである。ただし、武骨なところはなくて心地よく聞きやすい印象だ。
三人の歌手のうち真ん中で歌う男性が、まるでマフィア映画に出てくるボスのような風貌だった(どうでもいいことですが(^^ゞ)。

この公演でもウードやダルシマーが使われていたが、左から3人目の若い男性が弾いていた弦楽器が見たこともない珍しいものだった。膝の上に横倒しにしてヴァイオリンみたいに弓で弾くのだけど、たくさんついているピストン状のものを押して弦を押さえるらしい。しかもたまに指で爪弾くことがあった。謎である(?_?)


さて、来年の開催についての発表はなくて、中止の噂も出ているようだ。そうでなくとも、2020年は五輪の影響で開催は無理らしい。五輪は街だけでなく文化も容赦なく壊していくんだのう


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2018年5月15日 (火)

TVドラマシリーズ「ウエストワールド」シーズン1:アンドロイドは永遠の愛を夢見るか

Photo
遅まきながら米国のドラマ「ウエストワールド」シーズン1全10話を見た(レンタルDVD)。日本ではスターチャンネルで放映して、その後ネットでも見られるようである。
感想は一言で言えば、「いや~、面白い」であった。

原作はマイケル・クライトンだが、同じなのは設定ぐらいで恐らくかなり変えているに違いない。
大昔ユル・ブリンナー主演で映画化されたのを見た。それはほとんど後年の「ジュラシック・パーク」に似たようなものだった。つまり精巧なロボットによる西部劇そのままの遊園地があって、ある日トラブルからロボットが人間を……というような話。(中学生ぐらいに見たので記憶あやふやだが)

このシリーズではアンドロイドはもっとグレードアップされた存在で、管理者が設定した西部劇風の複数のシナリオに沿って毎日繰り返し生活し、それに客の人間が入ってきて新たに展開するという仕組みである。その世界の自然は広大で美しいが、エログロ暴力なんでもし放題の良い子には見せられねえ設定もあれば、ご家族向けの健全な設定もあり、人間の現実の世界とは異なりなんでも可能なのである。
そしてアンドロイド側はそのループを毎日ただ繰り返す。

というわけで、画面には正視に耐えぬ(といっても見ちゃうわけだが)エロや残虐行為が溢れるし、毎夜回収されて補修されるアンドロイドたちは一糸まとわぬ姿で、ボカシが至る所に(日本では)頻出するのであった。ここら辺は、制作がさすがHBOというところだろう。

そんな「世界」の中を徘徊し、さらに輪をかけて残虐な行為をしまくる謎の黒服の男が出没する。エド・ハリス演じる男は最初から人間であることが明示されるが、その意図は不明。さらに、その黒ずくめの姿は過去の映画版のユル・ブリンナーを想起させるのであった。

一方でウエストワールドの創始者フォード(アンソニー・ホプキンスTVドラマ初出演だそうな)がいて、数十年に渡り管理してきた。その姿は研究者のようであり創造主のようでもあり、経営側の「役員会」とは対立している。彼も本心を見せない謎な部分が多い。

やがて、見ている側にはよく分からない瑕疵のような出来事が続いていく。それがあらかじめ管理され仕組まれたことなのか、それとも本当にアクシデントなのか、見ている側には分からない。
「あの事案は管理センターが把握しているのに、こっちは気付かないの?(このドラマ)いい加減じゃない?」とか思って見ていると大変なことに……(>y<;)

そして最終回はええーっ(!o!)ウソだ~~という驚異の事実が判明。こいつはやられました。
思えば、過去のエピソードに少しずつ伏線を出しているんだけど、そんなの分かりませんわな。壮大なうっちゃりを食わされた気分。
謎を羅列しっ放しで「次シーズンに続く」で終了してしまうドラマが多い中、こいつは見事であった。

ただ、複数の指摘があることだけど、感情移入できる登場人物がいないということと、意識や記憶といったことに関して哲学問答のようなものが行なわれる、というのは見る人を選ぶかもしれない。(あと、エログロ苦手な人も)
理屈っぽいところや、似たような場面の意図的な反復は、往年の『プリズナーNo.6』を思い起こさせる。

それと、もう一つ驚くのは役者の皆さんの演技すごいなあということ(ただし若干1名を除く)。身体の動作、メンタルの表現いずれも実力発揮しまくっている。
個人的にはセンターの管理職の一人テレサ役のシセ・バベット・クヌッセンに特に感心。ある場面で、恐怖と困惑がモザイク状のようになって表情に浮かんでは消えるのを見て、神技と思ったほど。
もちろん、主演と言えるエヴァン・レイチェル・ウッドも迫力である。

それにしても皮肉なのは人間というのは、ある意味いい加減でどんどん変化していくのに、アンドロイドたちは変わらないことである。永遠の愛を何の疑いもなく語れるのは、彼らだけなのだ。

さて、日本でも5月の末からスターチャンネルでシーズン2が放映されるとのこと。一体、このテンションで話が続けられるのか。そうなったらすごいことだが。(私はレンタルDVDが出るまで見られん)

なお、この後にはネタバレ追加感想があります。

★ネタバレ注意★


以下は完全ネタバレです


自己責任でお読みくだせえ(^^)


*最終回で黒服男に少し同情してしまった……
あの変貌ぶりは驚くばかりだが、惚れた女に35年間、毎回知らない顔をされたら仕方ないのか。

*二つの時間軸が混ざっていることは、ウィリアムへローガンがドロレスの腹を割いて機械部分(最新時点のアンドロイドならそんなのはない)を見せた時点で分かるはずなのだが、1回目ぐらいに彼女を「外見では分からないが、初期のタイプだ」という説明をしているシーンがあって騙されてしまう。

*フォードは旧約聖書の神に似ている。アンドロイドたちに苦痛を与え続けることが意識を与える、とか発言していなかったか。まるで、わざと人間に苦難を与えて信仰を試す神のようだ。
しかも、彼らを通して人間も操っているように思える。テレサがそうだが、あとウィリアムがさらに追加して所有権を買ったのもドロレスのせいだ(そんな発言あり)。わざと買うように仕向けた?

*で、さらにイヤなのは、探し求める真実(ワイアット)が目の前にあるのに気付かないウィリアムを、フォードは全て知っていながら冷笑的にずっと観察していたわけである。イヤ過ぎである。

*ラストシーンの展開を、既に第6話目でジオラマを使ってフォードが考えている場面を見つけた人がいるらしくて感心した。私はその場面を「技術が進んでいる未来なのに、コンピューターじゃなくてジオラマでやってるのか、懐古趣味のオヤジなのかね」としか思わなかった(^^;

*視聴者から見ていちばんおかしいのは、フォードがジェフリー・ライト扮するバーナードと会話している場面である。第三者がいない二人きりの場面でも、自分が製作したアンドロイドなのにまるで何も知らない人間に対するように話している。
しかし、これもフォードが壊れかけている初期のアンドロイド(酒場にいる呑兵衛?)とあえて普通に会話しているのを見せて、彼はそういう対話を楽しむような人間なのだという布石をあらかじめ打っているのだ。

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2018年5月 9日 (水)

「ハッピーエンド」:ファミリー・トラブル 幸せならスマホしよう

180509a 監督:ミヒャエル・ハネケ
出演:イザベル・ユペール
フランス・ドイツ・オーストリア2017年

前作『愛、アムール』がカンヌのパルムドールやさらにはアカデミー賞外国語映画賞まで取ってしまったハネケ。しかし、最新作はそれを反省したかのようにまたもやイヤミと皮肉に満ちたものであった。

冒頭、スマホの画面が写る。どうやらどこかの家庭で洗面所にいる女性を撮って、明らかにSNSに流している。続く映像も同じ家のようだが、ペットのハムスターを殺し、さらに穏やかならぬ事態を映し出していく。
と思えば、突然に工事現場で大規模な事故が起こる様子を淡々と捉えた監視カメラの映像が続く。

イザベル・ユペール扮するアンヌは親の事業を継いだやり手の経営者(こういう役多いですな)で、その息子は先ほどの事故を起こした工事の責任者である。しかし、有能なアンヌに対し、「無能」で引け目を感じている。
引退したどうも父親はボケかかっているように見える。
アンヌの弟は離婚して二度目の妻子と共に実家の豪邸に同居しているが、元の妻が急死し小学生の娘も生活に加わる。その少女が冒頭のスマホ映像を撮った本人なのである。

その穏やかならざる一族に、さらに何やら不穏なことがヒタヒタと続いて描かれる。
工事で怪我をしたとおぼしき作業員の家へ息子が(恐らく)謝罪に行った揚句、ブン殴られる。その一部始終をロングの長回しで捉えるカメラのイヤらしさよ 同様に老父が車椅子で街をさまようのをやはり延々と撮る。ハネケ流のイヤミ炸裂だ。
おかげで、近くの座席で見てた中年女性は途中で席を立って出て行ってしまったではないか。どーすんのよ~(^_^メ)

加えて、パソコンのモニター画面に出現するいかがわしく濃厚なメール。誰が誰に送っているのか?

自殺願望をチラつかせる老父を演じるのはジャン=ルイ・トランティニャンで、ユペールとの父娘組合せは、どう見ても『愛、アムール』を思い起こさせる(人物の設定は全く異なるのだが)。その彼に亡き妻を介護した体験を、毒舌で否定的に孫娘へ語らせるとなると、「どうあっても、もう『愛』なんて語らねえぞ、コンチキショー」という監督の決意を感じるのであった。

「死」という共通する要素を見出した少女とその祖父と繋がりは、「家族」からはみ出した者同士の共感であり、抵抗である--とも解釈できる。
だが一方で、ヒマや金を持て余したら「死」を引き寄せて戯れるほかない空疎な姿に見えた。

最後にまたもスマホの映像で終了するが、そこに描かれているのは悲劇なのか喜劇なのか、もはや観客の側には分からないのである。
ちなみに、映画のチラシも通常のB5でなくてスマホサイズの比率で作られている。最初、気付かなかったですよ(^^ゞ

名優たちの中で、少女役のF・アルデュアンの目力の強さに驚いた。(彼女が「IJAPAN」のTシャツ着ているのは、日本の某事件をモデルにしているから--というのはホントか?)
また、クラシック・ファンにはガンバ奏者のヒレ・パールが出演しているのも驚きだろう(そのままにガンバ奏者の役)。『愛、アムール』ではA・タローの出演が話題となったが、今作の彼女は重要な人物とはいえ、セリフは一言ぐらいしかない。ただし、マラン・マレ(?)の「フォリア」の終章をかなり乱暴に弾く場面あり。
コンサートでの彼女は明るい美人さんという印象だが、作中では淫蕩でビョーキな雰囲気だ。加えて、かつてハネケ映画の常連だったJ・ビノシュにかなり似ているのに気付いた。

 

ところで、スマホでなんでもかんでも撮りたがる風潮、全く今どきの若いモンは……と言いたくなるところだが、翻って考えてみるに、頼まれてもいないのに見た映画や読んだ本の感想を延々とネットに綴るという行為も似たもんではないか。
さらに、私の父親の世代は(戦前生まれ)文学青年のたしなみとして、日記をつけるというのがあったらしい。他人に知られたくない行為をわざわざ文章にして記録し、さらにそれを他人の見られるような所に放置するというのは、やはり他者に公開したいという欲望があったのではないかとしか思えない。
それを思えば、昔も今もメディアが変わっただけでやってる行為は変化なし、といえるだろう。

180509b ←このスチール写真、少女だけカメラ目線になっている(もちろん意図的)、という指摘があった。

 

 

 

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2018年5月 3日 (木)

「ジュリアン・マルタン氏を迎えて」:一心同笛

180503
*「テレマン リコーダー二重奏ソナタ」
2018年4月20日
*「フランスの室内楽作品」
2018年4月21日
会場:近江楽堂

木の器主催公演、今回はフランスのリコーダー演奏家ジュリアン・マルタンをゲストに2日間連続で行われた。

1日目は宇治川朝政と二人で全曲テレマン二重奏。アルトリコーダー、ボイスフルートを使い、一曲だけマルタン氏の独奏があり、頭からシッポまでテレマン尽くしヽ(^o^)丿の感があった。

迫真の演奏でいつになく宇治川氏の顔も緊張で引き締まっていたような……あ、普段はだらけているとかという意味じゃないですよ(^^ゞ

2日目はチェンバロの福間彩が加わって、フランスのアンサンブル曲。こちらはオトテールがメインで一曲だけマレのトリオ作品が入っていた。

元々二人は同年代のタテ笛吹きとはいえ、面識はなくて、ただ共通の友人が多いとのこと。で、いつか一緒にやるといいよ、と言われてたそうな。
コンサートは金・土曜だったが、マルタン氏が月曜に羽田に着いて、それが初対面だったそうである。で、その後リハーサル……ということは正味4日間ぐらいしかなかったということか。
そのせいか、マルタン氏の呼吸を宇治川氏が探りながら合わせているような印象だった。(だから余計に真剣な面持ちに見えた?)

それと、二重奏と独奏では演奏のニュアンスが微妙に異なるのだなあ、とも感じた。自分で楽器をやっている人なら当然のことかもしれないが、部外者にはそうなんだと思った次第である。

それにしても大いに聞きがいがある演奏だったのに、あまり客の入りが良くなかったのは残念無念 特に土曜日の方は少なかった。
この手のマイナーなコンサートはやはり声楽が入ってないと難しいのかしらん(?_?)などと考えてしまったですよ。


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2018年5月 1日 (火)

「ブラックパンサー」:デザイン・イズ・パワー 猫だ!虎だ!いや○○だ!

180430 『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』にも出てきたブラックパンサーが満を持して単独で登場である。
彼が王位に継ぐことになる事件が『シビル・ウォー』で起こったわけだが、そも母国のワカンダとは貧しい農業国--とは仮の姿。してその正体とは、謎の鉱石の存在によって超が付くくらいに発達した文明国であった(!o!) 正体を隠しつつ各国に隠密ならぬスパイを放ち、今日も今日とて諜報活動を行う。

ここで、そんな優れた国がご近所の国の貧困や紛争を傍観していていいのかという問題が浮上する。これは現在の米国と繋がる事象といえるが、そんな事をよーく考える間もなく正式に王位につくための決闘場面が来たっと見ているうちに、気付けばカジノでの乱闘やらソウル市街での猛烈なカーチェイスに突入しているのだった。

悪役は、素顔で見るのはお久しぶりなアンディ・サーキス……と思ったら、さらに上を行く奴が出現だ 彼はなんと正当な手段で王位を簒奪してしまう。悪者といっても、ディズニー製作なのでいきなり王様専用ハーレムを作ったりはしない。
ここでも、悪いヤツと分かっても正式な手段で選ばれたなら従うべきかという矛盾が生じ、米国の大統領問題を思わせる展開になる。

悪役のキルモンガーは複雑な背景を持つ人物だが、監督はコロンビア映画の『彷徨える河』を参考にしたという ええっ、あのマジックリアリズム作品の一体どこら辺を(?_?) 修道院のエピソードか、それとも二つの時代で同じことが繰り返される構造か? とにかくビックリだ。

平和と繁栄の陰から生じる矛盾や二律背反を突き付けられて、主人公は次第に窮地へ陥っていき、終盤は定番ながら両者の死闘になだれ込むこむ。

しかし、十代にして最優秀科学者な妹(妹萌え~な方に推奨)、女スパイの(元)婚約者、威厳たっぷりな母にして前王妃、唯一の白人枠CIA長官などなど多彩な人物が登場。本筋以外にも、設定の説明から始まり、例の鉱石やら過去の因縁やら王位継承の儀式やら色々あるので、説明不足だったり適当な部分が出てきちゃう。
例えば、部族長の一人が悪役に味方するのはどういう意図なのか、王様が突然変わっちゃって国民はどう思うのよ、など描かれていない。前後編に分けてもいいぐらいだろう。

とはいえ、全体のプロダクション・デザインが見事。ありとあらゆるところに多彩なアフリカの意匠が使用されていて、「アフリカ押し」で通そうとする強い意志を感じさせる。ここまでやったかという印象。この「押し」の力に感服した。
そういや、最近写真集が出て話題になったアフリカの伊達男「サプール」まで登場してましたな(^.^)

結論としては「行った見た面白かった」というぐらいに満足できた。
同じ監督で、キルモンガー役のM・B・ジョーダンが主演の出世作『フルートベール駅で』録画したまままだ見てないので、連休あたりにでも見なくっては

主役のチャドウィック・ボーズマンは快調だけど、元々愛嬌のある顔つきなんで、強くて賢い女たちに囲まれた主人公がどうも「黒豹」というよりは「若殿」っぽく見えてしまうのは仕方ない。
さらに、どう見ても主人公より強そうなオコエことダナイ・グリラ率いる女戦士軍団、カッコ良すぎです。憧れちゃう~(*^.^*)ポッ

さて、本作はスタッフ・キャスト共に多く黒人が起用され、米国、アフリカはもとより他の国々でも大ヒットとなった。確か日本よりも一週間早く公開されたはずだが、これを書いている時点で米国ではまだランキングのベスト10に入っている。
その画期的意義や含まれるメッセージ、大人気の理由などを語った文章はネットでも多く見かけたが、なぜ日本ではそれほどの人気が出なかったのか?--ということを解説してくれるのは、まだ見たことがない。大いなる謎である。
本当にどうしてなんですかねえ(´~`)

 

 

 

 

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聞かねばならない時もある マイナー・コンサート 5月版

*3日(木)~5日(土)ラ・フォル・ジュルネ東京:丸の内&池袋
池袋と丸の内に分かれたせいで、はしごも楽ならず。
*10日(木)ギエルミ・アンサンブル:東京文化会館小ホール
*11日(金)バッハ・コレギウム・ジャパン定期:東京オペラシティコンサートホール
*  〃   野々下由香里ソプラノリサイタル:近江楽堂
ダブルブッキンクの失態 さてどちらを聞くべきか。
*12日(土)人間の声、天使の声(ヴィットリオ・ギエルミ):近江楽堂 ♪ガンバ独奏公演
*13日(日)バッハ&テレマン!未知の世界(水内謙一&ミリアム・ミニョル):近江楽堂
*17日(木)バロックリュートリサイタル「せせらぎ」シャコンヌ集(佐藤豊彦):近江楽堂
*18日(金)ロレンツォ・ギエルミ オルガン・リサイタル:東京カテドラル聖マリア大聖堂
*19日(土)・20日(日)チェンバロの日!2018:松本記念音楽迎賓館
*     〃       二期会ニューウェーブ・オペラ劇場ヘンデル アルチーナ:めぐろパーシモンホール
*20日(日)春の都電荒川線ライブ(ジョングルール・ボン・ミュジシャン):三ノ輪橋⇔大塚駅前
*30日(水)エクス・ノーヴォ室内合唱団:豊洲シビックセンターホール
*31日(木)ヴェルサイユの華 マラン・マレ生誕を祝して3(品川聖ほか):ラリール

これ以外はサイドバーの「古楽系コンサート情報」(東京近辺、随時更新)をご覧ください。

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