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2018年6月

2018年6月16日 (土)

「ラブレス」:サーチ・アンド・ロスト 非情の町

180616
監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ
出演:マリヤーナ・スピヴァク、アレクセイ・ロズィン
ロシア・フランス・ドイツ・ベルギー2017年

前作『裁かれるは善人のみ』は国内で非愛国的と非難されるも、国外で映画賞に数多くノミネートされたズビャギンツェフ。この新作もオスカーは取り損ねたものの、米国ではLA批評家協会賞外国映画賞、そしてカンヌでは審査員賞を受賞している。

2012年のロシア、巷では「世界の終りが来る」という噂が漠然とした不安と共に流れている。
主人公は離婚寸前の夫婦で、夫は一流企業に勤める高給取り、モデルのような容姿の若い妻は美容院を経営している。二人にはそれぞれ愛人がいて、特に夫の相手は妊娠中。もはや関係は完全に壊れていて、双方とも別れる気満々fullである。
しかし、問題は小学生の息子がいることだ。夫婦のどちらとも引き取る気はさらさら無いのだ。互いに子どもを押し付け合う二人……。
そんな二人だから、ある夜息子が行方不明になったのに気付きもしなかったのであるdanger

失踪届を出すという騒ぎになって、徐々にこの夫婦の背景が明らかになってくる。
妻はデキ婚で若くして結婚したが、その理由の一つは実家を出たかったらしい。さらに年上の男性に惹かれるのは、不在の父親の代わりを求めているように見える。
夫はかつては誠実だったとしても適当な性格で、年下の若い娘に目移りする性癖がある。しかも、離婚騒動が知れれば会社を首になるのを恐れている。

そして妻の実家を訪ねれば、これが恐ろしげなド田舎の一軒家。まるでD・リンチ映画にそのまま出てきそうなたたずまいである(>y<;)コワー
中にいるのは世にも猛烈な毒母bomb 見ている観客も倒れそうだ。
振り返ってみると、妻が息子の朝食の食べ方を厳しく見張って文句をつける場面があったが、実は彼女は全く同じことをこの毒母にされていたのではないかと思えてくる。


 ★注意sign01以下、結末は明かしていませんが、ネタバレ度高し。これから見るので何も知りたくない、という人は避けた方がいいかもです。


やる気のない警察の代わりに、捜索をボランティア組織に頼ることになる。そして市街や周辺の林を探索して回るのだった……。
こういうボランティア団体はロシアに実在するらしい。専門家として冷静に対処する彼らと、事件で内心を露呈しますます傷を大きくしていく夫婦が対比的に描かれる。

その内面を表象するようなそれぞれの家(部屋)の内部、そして周囲の風景--これまでのズビャギンツェフ監督の作品同様、冷徹で容赦ない描写である。

延々と続く捜索の光景、そして遂には、カメラはあきらめたように全く何も起こらない町の風景を映し出す。
廃墟のビル、森の中、川、マンションのエレベーター、バス停--。

これは退屈だろうか? いや、その変哲のない光景にさえ何かただならぬ気配が存在するのが感じられる。それは少年の「不在」の気配である。

”もうあの少年はいない””もうあの少年はいない””もうあの少年はいないのだ”

あらゆる光景がそう囁いてくる。
そして、ラストシーンに至っては……あんまりだー(ToT)と叫びたくなってしまった。
映画を見てこれほど打ちのめされたのは、久々である。私は映画館の出口をヨロヨロと這い出る羽目になった。

しかし、これはただこの夫婦だけの問題ではない。背景には体制の不穏、隣国の戦乱、市民の享楽的生活、社会の不寛容、家族関係の破綻などが存在する。それはいわゆる先進国社会では共通の問題なのだ。

正直、ズビャギンツェフ監督またやってくれたねgoodという気分だ。
特に衝撃が大きかったのは、ビルの廃墟場面。実在するものを撮影に使ったとおぼしいが、恐ろしいほどの迫力で壮絶としか言いようがない。昔の廃墟アートを想起させる。

エンドクレジット眺めてたら、夫役がアレクセイ・ロズィンだったのでビックリ(!o!) 彼は前々作でどうしようもないボンクラ息子、前作ではボンクラ警官の隣人、とボンクラ演技が絶品だった常連役者である。しかし、今回はいかにも高給取りっぽい雰囲気を醸し出してて全く気付かず(ヒゲ生やしてたしsweat01)。さすが役者であ~る。でも、そう言われれば微かにボンクラ味があるような……(^O^メ)
なお主人公の勤める職場で、同僚がくだらない冗談を言ってはヒンシュクを買う場面あり。いやー、ロシアでもオヤジギャグ言う奴がいるんだ。核兵器と共にオヤジギャグを全世界から廃絶banしよう。

さて、夫婦が子どもを押し付け合うという事案について、「これだからロシアは……」みたいな意見を見かけた。でも、こういうことは日本だってあるんじゃないの(?_?)
しばらく前の新聞記事で見たのは、夫婦が別居してどちらも子どもを引き取るのを拒否したために、なんとその中学生の娘は施設に入らざるを得なかったという。両親とも健在なのに、だ。

また、警察が失踪者の探索に熱心でないというのは、日本の警察も同じだろう。というのも、9割の行方不明は二、三日後に見つかるかららしい。
例の「タリウム殺人」の関連で見た報道(かなりうろ覚えでスマン)では、被害者の一人が行方不明になって、警察に捜索願を出したが全く動いてくれず、仕方なく家族が探偵に頼んで探してもらったことから発覚したという。もし、家族が自ら動かなかったら未だに発見されてないかも。

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2018年6月12日 (火)

「バロックリュートリサイタル 「せせらぎ」シャコンヌ集」:弦の切れ目が演奏の切れ目

180612
演奏:佐藤豊彦
会場:近江楽堂
2018年5月17日

しばらく前にCD「せせらぎ~フランスバロックのシャコンヌ集」を出した佐藤豊彦が、同じタイトルのコンサートを行なった。CDの方は全15曲中シャコンヌは10曲で、合間にアルマンドとトンボーが収録されている。
ところが、このコンサートでは全曲シャコンヌ尽くしでしかも休憩なしのイッキ弾きonなのであった。

一曲目は老ゴーティエから、ドイツやフランスの様々な作曲家のシャコンヌを弾いていく。(調弦しやすくできるような順番らしい)
しかし、冒頭から「弦が切れそう」ということで、騙しだまし弾いていたのが、遂に3曲弾いたところでギブアップdanger なんと、ステージ上で弦交換という珍しい事態となった。
佐藤豊彦によると、これまで舞台の脇で交換したことはあるが、客の目の前でやるのはさすがに初めてだそうだ。
そもそも休憩なしにした理由は、その弦が今にも切れそうだったからとのこと。
また、ド・ヴィゼーの曲では調弦と共にフレットの位置も動かしてこれまたビックリimpact トーシロなんでそんなこともするとは知らなんだ。

調弦が手間取っていたのは、一つに会場の気温が高いためだった。外の廊下の方が断然涼しい。佐藤氏がエアコン強くしてくれといっても、なかなか効かないのであった。

シャコンヌは南米経由のダンス……と聞いていたが、CDの解説を読むと、アラブまたはアフリカからイベリア半島へ→「卑猥」ということでキリスト教によって一掃→大航海時代に南米へ伝わる→ヨーロッパへ優雅な舞曲として逆輸入recycleという複雑な経緯を経ているそうだ。
リュート曲だと踊れるような曲ではなく、低音部で繰り返される「せせらぎ」のような循環になる--とのことで、このようなタイトルになったわけだ。

微かに爪弾く繊細な弦の一音一音が耳に届き、その響きや流れを感じ取ることができた。もはや「優雅」を超えた純粋ならぬ「純水」mistの域であろうか。このような小さな会場にふさわしい演奏だった。

本当はアンコールにするはずがうっかりプログラムに曲名入れてしまったという、ヴァイスのシャコンヌで終了。
最後に、もう歳なんで夜の公演は無理、昼にしたいという佐藤氏の爆弾bomb発言あり。そうすると昼間働く勤め人は聞けなくなっちゃうですよ(@_@)


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2018年6月10日 (日)

「野々下由香里 ソプラノリサイタル」:涙のダブルブッキング

180610
フランス古典を辿る
会場:近江楽堂
2018年5月11日

目に付くと面白そうなコンサートのチケットは即購入することにしている。BCJの定期が出たーと買い、野々下さんの十八番おフランスもののソロ公演があると聞けばまた買い--と、気が付いてみれば二つとも同じ日時じゃあ~りませんかっ(!o!)
トホホsweat02全くドジである。しかも、会場が都内の西と東に遠く分かれていればまだしも、同じビルの同じフロアで隣り合っているのだ。悔しさもひとしお。
よーし、こうなったら二つの会場を行ったり来たりするぞー\(◎o◎)/!

……などとできるわけもなく、BCJはまたいくらでも聞く機会はあるということで、今回は野々下公演を選択したのだった。BCJ公演のランたんやギヨンにも未練は残るがのうdown

サブタイトル通り、16世紀から18世紀のフランス歌曲を歌うプログラム。チェンバロ担当は桒形亜樹子である。
前半は時代順に、まずルネサンス期セルミジのシャンソンから。続いてエール・ド・クールはボエセの作品。さらにイタリアオペラの影響を受けてより劇的なエール・セリユー(←この名称、初めて聞いた)は、ランベールとド・ラ・パールの恋愛歌が歌われた。
そしてF・クープランに至る。

後半はバッハと同時代のカンプラのカンタータ「エベ」。フランスのカンタータは、独唱でレチとアリアに当たるものを3回ずつ繰り返す。かなり長めの曲を力唱した。
最後はド・ラランドの「聖金曜日の第3ルソン」で、他の作曲家も同様の形式を書いていて、「エレミアの哀歌」を歌詞にしている。
曲は優雅で美しいが、詞の内容は民族の苦難を綴る。それを野々下由香里はグイッと力技で歌い切ったのであった。

どの時代のどの形式にも即して、フランス歌曲の優雅さと美しさ、そして力強さを充分に味わえたコンサートだった。頭からシッポまでおフランス趣味(^^♪

チェンバロのソロはクープラン家のルイとフランソワ、それぞれ一曲ずつ演奏された。桒形亜樹子の鍵盤さばきは剃刀の切れ味の如くhairsalonでしたよ。
使用したチェンバロの装飾が美しくて目がくらみそうだった。プログラムには何も書いてないけど、こちらの写真のやつ。金色と暗緑色の対比が美しい。(葉っぱはアカンサス?)

次回はぜひBCJと重ならない日にお願いしまーす(^^)/


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2018年6月 7日 (木)

「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」:ロンドン・アンダーグラウンド 首相はつらいよ

180607
監督:ジョー・ライト
出演:ゲイリー・オールドマン
イギリス2017年

『ダンケルク』は未見だし、英国近現代史にも疎い私σ(^^)なので、アカデミー主演男優賞とメイクアップ&ヘアスタイリング賞のお手並みを拝見しに行きましたよ。

チャーチルの実物はよく知らねど、別人のようにふくれあがったゲイリー・オールドマンが、押しの一手で困難な時期の指導者を熱演する。まさに一見の価値はあり。

党内のパワーバランスで首相になったものの、与党内でも嫌われ者につき議会運営に苦闘する。国王ともうまく行っていない。
しかし一方でナチスドイツの脅威が迫るのであった。和平か抗戦かpunch その揺れる数か月(首相就任からは一カ月間)に的を絞って描く。

ストーリーだけだとオヤジな政治家たちが暗い議事堂や地下の作戦本部でウロウロするのに終始してしまうのを、秘書や奥さんなどの女性からの視線や戦場場面を入れて単調さを防いでいる。
英国の議場って今でもあんな狭苦しいの? あれじゃ日本みたいに居眠りなんかしてたら一発でバレますわな(^○^)

ただ、後半の展開はやや強引過ぎではdashとも感じた。
チャーチルがロンドンの地下鉄に乗って市民の声に直に触れ(このことはフィクションらしい)、それに勇気づけられ声を引用しつつ、抗戦の演説を熱くブチ上げる。大変、威勢よく意気上がる展開であるが、地下鉄で職工風の男がドイツが攻めて来たら「棒を持ってでも戦う」と断言する場面を見て、「そういや昔、竹ヤリで首都決戦bomb」などと言って負けた国があったなあなどと思い出してしまうと、その熱気も冷めるというものだ。
まあ、その後ロンドンも空襲を受けるのだが……。

勝てば官軍、勝てば竹ヤリも美談になるというわけか。
そこら辺りは深く考えずに、重厚味あふれるセットや照明、撮影、役者の演技を楽しむべき作品かも知れない。

公開後、インドの評論家(?)が「チャーチルはこんなエエ奴じゃないわい」と批判した話が伝わってきた。それに対して「2時間の映画にテーマと直接関係ない部分まで入れられる訳がない」という反論があった。
しかし、歴史とは過去のものではなく現在の視点に他ならず、実話に基づいた歴史映画の二時間の中に何を取捨選択するかという事自体が、既に「政治」の表出に他ならない。

ということで、インド側からは是非、極悪支配者チャーチルに一矢報いる『バーフバリ』風活劇を作っていただきたい。

ところで、終盤、チャーチルの奥さんが軍服着て写真を撮る時に憂鬱そうな顔だったのは何故? その後何もなくて終わっちゃったんだけど(?_?)


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2018年6月 4日 (月)

「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」:ハーストーリー 男たちと悪だくみ

180604
監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:メリル・ストリープ
米国2017年

事前の予告や宣伝だと、政府対新聞の衝突impactを描いた社会派映画という印象だったが、実際見たらそうではなかった。
むしろ突然重責を負わされた女性の戸惑いと葛藤がメインであった。

メリル・ストリープ扮するキャサリン・グラハムはワシントン・ポストの社主だが、元々はダンナが亡くなったために仕方なく引き継いだという経緯がある。1971年当時はメディアでそのような地位に着いた女性は皆無だったとのことだ。
経営に不安ある中、銀行が出資するかどうかという時に、ベトナム戦争について政府の不正を暴く文書を入手。編集サイドでは当然掲載したいが、そうなると法廷沙汰は避けられず、銀行は手を引くのが予想される。
彼女は役員会と編集側の板挟みになる。

セレブな私生活の中でもまだ男女の障壁が存在する時代であるのがさりげなく描かれ、ましてや公の場では……という時代、本来はエエとこの奥さまであったグラハムが断固とした決断下す経緯を描いていく。
裁判所を出た彼女を階段で若い女性たちが支持の眼差しで迎える場面に、監督の訴えたいことは端的に表れていると言えよう。
いやー、こんなに女性にエールを送っている映画とは予期しませんでしたよ(^.^)b

メリル・ストリープはもはやアカデミー主演女優賞に毎年特設枠を設けてもいいくらいである。トム・ハンクスも安定の演技だが役柄的にはやや助演寄りだった。

ひょいひょいと動き人物の関係と心理を表わすカメラワーク、家々に飾られた花々が微妙にその場の状況を示唆する、勇気を鼓舞して躍動する輪転機--など、もはやスピルバーグの演出は職人芸とも言うべき見事さである。これがトランプ出現後の米国に危機感を持って、短時間で撮られたとはとても信じられない完成度だ。

ラストは、続いて起こったウォーターゲート事件を描く『大統領の陰謀』へと完全に重なるのであった。
見ていて、現在の日本と重なる部分多々あり。とても他人ごとではないtyphoon しかし、今の日本のメディアには期待できないのであった(+_+)

とはいえ、スピルバーグの天才は疑うところはないけど、やっぱり『大統領の陰謀』の方が面白いよなあ、などと思ってしまうのもまた事実なのであるよ。


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2018年6月 3日 (日)

「ヴィットリオ・ギエルミ ヴィオラ・ダ・ガンバ・リサイタル」

180603
会場:近江楽堂
2018年5月12日

ギエルミ・アンサンブル公演の後にロレンツォとヴィットリオ兄弟はそれぞれソロ公演を行なった。兄のソロは過去に聞いたので、弟の方のガンバを聞いてきましたよ。
会場は定員100名の近江楽堂。いくらなんでももっと大きな所でもよかったろうに--と思うが、日程の都合とか色々あったのかな?
もちろん満員御礼full

様々な作曲家のガンバ独奏曲を取り上げたこの公演、時代順というわけでもなく、冒頭はマレの作品7曲で始まった。
続いて時代を遡り英国に飛んでトバイアス・ヒューム、かと思えばフォルクレ。合間にギエルミ自作を挟んだのはご愛嬌か。「バグパイプ」というタイトル通りにかなり騒がしい曲だった。

数年前に発見されたばかりのテレマンのファンタジアは、かなり難しそう。ちょっとバッハっぽいかなー(^^?) で、続いてそのバッハ作品、無伴奏チェロ曲から。
そして、ガンバの最期を飾ったアーベルでやはり終了となった。アーベルってこうして聞くとかなりぶっ飛んでる印象ですなあ。ここまで爛熟したかという感じ。

ヴィットリオの演奏は穏当なところなしdanger 極端でアクセントが強い。キョーレツなものであった。しかも休憩なし公演で1時間20分ぐらい(多分)弾きっ放しではないですか(!o!) エネルギッシュで圧倒された。

なお、あのサスペンダー氏を目撃。メジャーな公演ではよくお見かけするが、近江楽堂みたいな小さな所では初めてである。しかも、やはり最前列に座っていたsign03(自由席先着順) 演奏者の真ん前で(距離約1メートル半)ひっきりなしにアメを剥いて食べていたのであったよ……。

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