「女は二度決断する」:リベンジ・オブ・ネメシス 嘆きの聖母
監督:ファティ・アキン
出演:ダイアン・クルーガー
ドイツ2017年
これを見た人は、終盤までは『スリー・ビルボード』に似ている--と思うだろう。
双方とも母親である女性が家族を理不尽な犯罪によって殺され、司法や行政が正しく対応せず、犯人は罰せられない。周囲の人々も無理解である。
そしてふつふつと湧き上がる復讐の念
で、結末まで行って「二度決断」とはこういうことかと分かった。でも、何やらモヤモヤするものを感じてしまった。確かに意見が分かれる結末ではあるが、その決断自体よりも「これはこうに決まってて、あれはああなんだから」というような展開がどうも納得できない。ヒロインの人物設定もストーリーに沿うようなものになっている。
結論ありきで、そこに至るまでの描写には何一つ揺らぎはないのである。(ヒロインが決断に迷う、ということを言いたいのではない)
そういう点でも、『スリー・ビルボード』に似ている。
こう感じてしまったのは、この映画の前に『ニッポン国VS泉南石綿村』を見たせいかもしれない。(このドキュメンタリーにも被害者の遺族が登場する)
加えて、映画全体がダイアン・クルーガーの泣きの演技に頼りっぱなしなのも気になった。そりゃ、見ている側はもらい泣きしてしまうわなあ(/_;)
考えてみれば、彼女はこの演技でカンヌの女優賞、『スリー・ビルボード』のフランシス・マクドーマンドもアカデミー賞主演女優賞を獲得している。やはり「母親」役は受賞率が高いのか。
アキン監督作は『消えた声が、その名を呼ぶ』はよかったが、その次の『50年後のボクたちは』今イチどころか今サンぐらいだった。もう次作は見ないかも。
ところで、ヒロインがサムライの入れ墨をするのは、特攻精神を表わしている--って本当かい それと、ドイツの裁判ものってあまり見た記憶がないが、刑事裁判で被害者も弁護士雇って参加するのは驚いた。しかも、検事はほとんど発言しなくて、被害者側ばかりが反対尋問するってのはどういうこと。控訴するかどうかも被害者が決めるのか(?_?)
朝日新聞の映画欄で、記者がアキン監督に論争を挑むようなインタビューをしたということで話題になったが、どのメディアを見ても同じような生ぬるい記事よりはいいんじゃないかと思ったですよ。
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