« 2018年6月 | トップページ | 2018年8月 »

2018年7月

2018年7月30日 (月)

聞かねばならない時もある マイナー・コンサート 8月版

真夏のコンサートは効き過ぎの冷房との闘いもあります

*3日(金)甘き歌声、天使の響き(中原智子ほか):近江楽堂
*6日(月)音楽と美術の幸せな結婚 「ルーヴル美術館展」の名画と音楽(大塚直哉+ヤマザキマリ):よみうり大手町ホール
*15日(金)ラ・ムジカ・コッラーナ:豊洲シビックセンターホール
*22日(水)ルネサンス・フルートとサクバットで綴るオデカトン(ソフィオ・アルモニコ):サルビアホール
*  〃   ビーバーとケルル 17世紀ドイツとオーストリアの教会音楽(コレギウム・ムジカーレ):日本福音ルーテル東京教会
*26日(日)パーセル・カンパニー:近江楽堂
*31日(金)ラモー カンタータ「オルフェ」(アンサンブル・レ・フィギュール):近江楽堂

これ以外はサイドバーの「古楽系コンサート情報(東京近辺、随時更新)」もご覧くださいまし。

| | | トラックバック (0)

2018年7月29日 (日)

「イカリエ-XB1」:ファイナル・フロンティア 前世紀との遭遇

監督:インドゥジヒ・ポラーク
出演:ズデニェク・シュチェパーネク
チェコスロヴァキア1963年

S・レム原作(日本では未訳)、1963年チェコ製SFである。『2001年』や『スタートレック』に影響大--となれば、やはり元SF者としては見に行かずばなるまいよ。

2163年、地球外生命とのファーストコンタクトを求めて巨大宇宙船が旅立つ。乗員は科学者の男女40名。船内にはスポーツジムなど娯楽施設も完備、ダンスパーティをやったりもするのだ。(未来のダンスはちょっと笑ってしまうかも)
このような設定や指令室の内部を見ると、確かに『スタトレ』の元ネタっぽい。
また、宇宙船内部の通路のデザイン、丸いポッドに乗って船外活動に出るという場面は『2001』に似ている。
音楽はバリバリの電子音楽で、今聞くとレトロフューチャーっぽいのだった。

もっとも、50年代にはハリウッド製のSF秀作も多く作られていて、この作品もその影響を受けているのは否定できないだろう。当然、東側では公開もされなかったろうから密かに見たのだろうか。

事故で死者が出たり、病気が流行ったり--というアクシデントの中で、興味深いのは途中で遭難した地球の宇宙船を発見する件りである。争いのためか全員死亡しているが、乗員はナチスのような軍服を、女性はドレスを着ていて、極秘裏に第2次大戦中末期のあたりに旅立ったように見える。しかも、核ミサイルを搭載していたのだ。
副船長は「アウシュヴィッツ」と「ヒロシマ」を「20世紀の遺物」と呼び、ここで遭遇したことに驚く。
2163年にはこの二つが消滅して無縁になっていると、映画の作り手は考えたのであろう。しかし、現実には世紀をまたいでも絶縁できていないわけなのだが……。

ラストは、明確には描かれていないものの明るい展望への示唆で終わる。
ここから、ファースト・コンタクトの相手がソラリスの「海」へと至った、レムのその後について考えざるを得ないのだった。

 

| | | トラックバック (0)

2018年7月26日 (木)

「私はあなたのニグロではない」:イン・ザ・ヒート・オブ・ヘイト 今ここにある差別

180726 監督:ラウル・ペック
米国・フランス・ベルギー・スイス2016年

ドキュメンタリーというと、普通は特定の個人や出来事をカメラが追うという形を思い浮かべるが、これは違う。
アフリカ系作家ジェームズ・ボールドウィンが遺した30ページのテキスト(朗読はサミュエル・L・ジャクソン)と、彼の演説・講演・TV番組などの映像・音声、さらに過去の様々なメディアの映像をコラージュしたものである。
言ってみれば、近現代の米国における「人種差別」のイメージそのものを描いているのだ。

1957年、白人しかいない高校にただ一人入学した黒人の少女の報道をパリで見て、ボールドウィンは衝撃を受け、米国に帰国したという独白から始まる。

あまりのひどい状況に彼ともう一人の作家がロバート・ケネディに面会して「大統領が一緒に登校すれば」と進言するが、「見世物だ」と一蹴される。(結局女子生徒は4日としか登校できなかったらしい)

続いて、暗殺された3人の黒人指導者(メドガー・エヴァース←B・ディランが歌を作った、マルコムX、キング牧師)について回想する。
その合間に講演や番組でのトークでの、彼の鋭い舌鋒が紹介され、さらに昔の映画や写真の一部が流れる。
サイレント時代の「アンクル・トム」、ミュージカル「パジャマゲーム」、さらにはA・ヘプバーンの「昼下がりの情事」まで。そして一見感動的なはずのシドニー・ポワチエの「手錠のままの脱獄」「夜の大捜査線網」を当時の黒人たちがどう見ていたかも語られる。(当然、「世評」とは逆)

そして最後には、白人の側こそが「ニグロ」を必要としているのではないかという痛烈な問いに至るのだった。
その厳しい批判はR・ケネディの「いつかは黒人の大統領も登場……」という発言に対しても、「大人しくしてりゃそのうち大統領にしてやるだとさ!」(ちょうどオバマの映像が映し出される)と向かうのだった。

かようにボールドウィンの弁舌は聞いていて鋭く迫力がある。そして流される映像と共に差別にまつわるイメージが今そこに茫洋と立ち上がる。
非常に見ごたえありのドキュメンタリーだった。シメのディランストーンズだっけ?の歌に意表を突かれて、大きな効果あり。

ただ、字幕でテキスト読んでよく理解しようとしても、どんどん次の文章へ行っちゃうのでこちらの理解が追い付かんのであった_| ̄|○トホホ 映像に気を取られすぎてもまた分からなくなる。吹替えだとまだよかったかも。

しかし、『タクシー運転手』と続けて見たのだが、いずれも他国の話(回りまわって無関係ではないとはいえ)。これが日本や自分自身に向かってくるようなテーマだったら、正視していられるだろうか--などと心細く思ってしまうのもまた事実である。

テーマに全く関係ないけど、過去の映画やTVの映像で『駅馬車』のスタントはやっぱりすごいなあとか、『ゴングショー』懐かしいなあ(実は大好きでよく見てた)とか思ってしまった。
で、その中に、とある映画の白人のチンピラが黒人を殴り倒す場面が出てきたのだが、そのチンピラ役どこかで見たなと思ったら若い頃のリチャード・ウイドマークで驚いた。
彼は悪役出身だったけど、こういう役もやっていたわけだ。

さて、監督のラウル・ペックはアフリカ系でハイチ出身なのだが、彼が2000年に作った『ルムンバの叫び』という劇映画、日本で公開された時見に行ってたのだ(!o!) コンゴで実際にあった大統領暗殺事件を描いたものだが、当時「ミステリマガジン」誌の裏表紙に広告を出てたくらいで、よくできた政治サスペンスだった。
この監督さんもなかなか興味深い人物ですな。

 

 

 

| | | トラックバック (0)

2018年7月19日 (木)

「ミサ・ムンディ 祈りの歌、祝いの歌」:歌う門には神来たる

180719
演奏:セコンダ・プラティカ
会場:日本福音ルーテル東京教会
2018年7月11日

セコンダ・プラティカは器楽声楽合わせて多国籍の9人のグループ。メンバーの一人が日本人(ヴァイオリンの鷲見明香)で、ずっと来日の機会を考えていたという。2回のコンサート以外にも男声だけの小公演やワークショップなどをやったらしい。

この日のプログラムは16世紀ごろを中心に、ポルトガルで歌われた曲を取り上げたもの。3つの種類があって、教会でラテン語で歌われた宗教曲、同じく宗教歌ながら教会の外で作曲家が作りポルトガル語で歌われたもの、さらに民衆に伝わる宗教的な伝承歌や舞曲である。

教会内の聖歌は写本をそのまま大きな譜面台に置いて、当時のようににみんなで見て演奏する。ポルトガル語の聖歌はステージ前方で、さらに伝承歌はステージを降りて歌う、と分けていた。
典礼曲の合間に様々な曲が入り、まったく聖俗の区別なくとりまぜてパフォーマンスが続き、渾然一体となっている。
ある時はアカペラ、またある時は器楽含めて全員で……という調子で、楽器と歌の両刀使いの人もいた。

途中での解説によると(ちょっと声が聞き取りづらい位置の席だったので、不正確かも)、音楽は人生の一部で人々と切り離すことはできない。ルネサンス期の人にとっては人間の一部であり、ポルトガルから南米に向かう船には必ず4人の音楽家を乗せたほどである。ジャンルの違いはあっても人が必要としたものなのだ。
この日の曲目の中には400年間歌われることがなかった初演の曲もあるし、700年前のグレゴリオ聖歌もある。
そのような文化遺産をどう演奏するか。過去の教会音楽がどう歌われたのかは今では分からない。しかし、民族音楽を研究することで宗教音楽を歌うことができる。民衆の間で、今に至るまで長く歌われてきた伝承曲によってルネサンス期を学べるのだ。だから、伝承歌も入れた--ということである。

まこと、それにふさわしく、当時の民衆の信仰や心情が生き生きと立ち現われてくるようなコンサートだった。思わず熱烈拍手( ^^)//゙☆゙☆゙☆

なお、開演が30分遅れたのだが、なんとメンバーの一人が道に迷って、開演時刻までにたどり着けなかったとか 新大久保のネオンに目がくらんだかな。

それと、余計なお世話だが、会場は教会の礼拝堂。コンサートに関係なく「ペットボトル持ち込み禁止」掲示がしてある。神社やお寺の本堂で飲食しないでしょう。
しかし、堂々と礼拝台(←でいいのかな?名称不明)にペットボトル置いて飲んでいる人多数いた。開催者はちゃんとアナウンスすべきではないだろうか。


| | | トラックバック (0)

2018年7月15日 (日)

「クープランとその後」

180715
フランス・バロック トリオの夕べ
演奏:天野寿彦ほか
会場:近江楽堂
2018年7月9日

サブタイトル通り、フランスでクープランが初めて取り上げたソナタ、そしてその同時代や後年の作曲家たちの作品をたどるプログラム。
天野氏以外のメンバーはもう一人のヴァイオリンが吉田爽子、ガンバ平尾雅子、チェンバロ辛川太一である。

クープランとその後継者ルクレールは2曲ずつ。いずれも過去に録音で聞いたことがある作品だった。全体にテンポは遅めで、じっくり強く攻めるといった演奏である。
同時代に宮廷楽長だったルベルはあまり取り上げられない作曲家……の割には「リュリ氏のトンボー」は聞きおぼえがあるなあ(゜_゜)と思ったら、ロンドンバロックやリチェルカール・コンソートのCDに入って聞いてた。
この演奏もかなり重々しく激しいものだった。

珍しかったのは、ジャケ・ド・ラ・ゲールのソナタ。彼女の作品は大昔のFM放送で「ルイ14世に寵愛された女性作曲家」として紹介されたチェンバロ曲しか聞いたことがない。こういうアンサンブル曲も作ってたのかと驚いた。
これがまた、二つのヴァイオリンが互い違いに絡み合って、その中央にガンバがズンズンと入ってくるという、かなり変わった印象のソナタである。

さらに、1698年生まれのフランクールに至っては初めて聞いた(多分)。年代的にはプレ古典派に入るだろうけど、このプログラムの中ではあまり違和感なし。こういう所で、フランス・バロックの特殊性を感じるのであった。
アンコールは、内容にふさわしくクープランの「リュリ讃」で終了。

若手二人のうち吉田女史は秋からスイスに留学とのこと。がんばって~(@^^)/~~~
もう一人の辛川氏はなんか見覚えが……(^^?)と思ったら、「アントレ」誌の6・7月号の記事で、今年の山梨の国際古楽コンクールで入賞者として紹介されているじゃあ~りませんか。
まだ22歳の大学院生若いしかも達者な演奏 今後も期待大であります(o^-')b


さて、若いと言えばこの日オペラシティに向かう人波がなぜかキャピキャピと「若い娘」度がやたらと高い。はて、珍しいこともあるものよと、近江楽堂のそばにあるチケットカウンターの掲示を見れば、同じ時にコンサートホールでやるのは某音大のブラスオーケストラの公演であった。
な、なるほど、こういう内容だと平均年齢が50歳ぐらい下がる(当社推定比)のね さらに近江楽堂に間違えて来るオバサンの類も皆無だった。

| | | トラックバック (0)

2018年7月14日 (土)

「タクシー運転手 ~約束は海を越えて~」:ドライヴ・トゥー・フリーダム 決死取材は片道切符

監督:チャン・フン
出演:ソン・ガンホ
韓国2017年

光州事件、当時新聞で見た記憶があるもののその内容はほとんど知らなかった。
韓国でも現在の政権になって風通しが良くなったせいだろうか、過去の事件の内実を暴いたものが堂々と作られてヒットしているようだ。

事前の宣伝だと、在東京のドイツ人記者が民主化運動弾圧の噂を聞きつけ、韓国へ。そこで出会ったタクシー運転手と共に、事件が起こる光州へ潜入する。その二人の絆を描く実話……というような印象だったが、若干違った。
これは「タクシー運転手同士」の絆の話だったのである

こういう過去の大事件を取り上げつつもエンタメの基本を押さえているのには恐れ入る。笑い、涙、サスペンス、アクション、社会性--ありとあらゆるものが入っている。ラストは怒涛のような感動である。
137分とは思えないほど。見ててあっという間に経ってしまった。

しかし、正直なところ事件自体が悲惨で衝撃的である上に、感情表現が過多なので、そのタブルパンチで見てて倒れそうになってしまった。もうお腹いっぱい、これ以上何も入らねえ~(@_@)
いや、けなしているわけではないんですよ

作中ではソン・ガンホ演じるタクシー運転手はかなりいい加減な奴であり、金になりそうな仕事なので、英語もロクに出来ないのに他の運転手から依頼を横取りした、という設定である。
しかし、実際には以前から記者とは知り合いで、英語も話せて外国人ジャーナリストをよく乗せていた人だったという。

また、ハラハラドキドキと感動をさらに5割増しさせ、運転手の絆を強調するラストのカーチェイスもフィクションとのことだ。
一方、ドイツ人記者の方は何を思いどう考えていたのか、ほとんどその内奥は描かれない。徹底的な他者である。従って、運転手仲間の方に比重が置かれ感情移入するのは当然だろう。

毎度ながらソン・ガンホは名優ぶりを発揮。「いいヤツ」で子ども思いだが、ずる賢く打算的なのが、終盤に向かって変化していく--というような役柄だ。こういうある意味ベタな役をやっても嫌みがない。
それを支える他の運転者役の「地味顔」(←誰かの感想で見かけた表現)な方々(韓国映画でよく脇役で見かけるけど、いまだ名前憶えてないm(__)mスマヌ)もグッジョブであった。

ところで、邦題の「約束は海を越えて」について「韓国とドイツは地続きだ!」という指摘あり。確かにそうだわ(・o・) まさに日本の「島国根性」的表現というところか。

 

| | | トラックバック (0)

2018年7月 8日 (日)

「Ut/Faコンサート」:暑さ寒さもエアコン次第

180708 演奏:宇治川朝政ほか
会場:近江楽堂
2018年6月9日

これまでリコーダーの宇治川朝政とチェンバロ福間彩のユニットとして二人だけでやっていたUt/Fa(ウトファ)、今回はゲスト参加があった。ヴァイオリンの渡邉さとみである。

彼女は宇治川氏とヨーロッパ留学中に同じ学校にいて共演したことがあるとか。以前はフランスでレザール・フロリサンなどに参加していたらしいが、現在は日本で活動中。確かBCJでもお見かけした記憶がある。
単独で演奏するのを聞くのはこれが初めてである。

フランスもの特集ということで、マレの組曲から始まりデュパール、ルクレール、クープランなどが演奏された。
ルクレールのヴァイオリンソナタはかなり個性的でアクの強い印象。それを渡邉女史は剛腕風に弾きまくる。
また、「王宮のコンセール」は優美さよりはキレッキレでカミソリの如き演奏で、うわーっこんな弾き方をする人だったんだと驚いたのであった。会場はその強力さに思わず茫然の体となった。

他に、福間女史のチェンバロ独奏はやはりクープラン。
そしてリコーダー曲はラ・バール(←多分、初めて聞いた)の元々はフルート作品より。ここで、宇治川氏はおもむろにフランスで作ってもらったという「オトテールが残したテナーリコーダーのレプリカ」を(嬉しそうに)取り出して使用した。これが外見が尺八っぽくて、音の方もなんだかシブい。
終章のシャコンヌがかなり技巧的で、楽器だけでなく演奏も見事なものだった。

 

アンコールはリュリのコミック・バレ「恋は医者」の編曲版より。曲の説明を宇治川氏が始めたのだが途中でなぜかグダクダになり、結局、福間女史にバトンタッチしたという……。大丈夫か(@_@)

 

1週間前に同じ会場でやった有田正広&前田りり子のコンサートでは冷房が寒くて震えたので、今度はしっかり防寒対策して行ったら、この日は効いてなくて暑かった(!o!) なんたること。
気温が上がるとチェンバロとリコーダーは逆方向に音程が変わるそうなので、調律は大変だ~。

 

次回は新企画のレクチャーコンサートをやるらしい。楽しみであるよ

 

 

 

 

| | | トラックバック (0)

2018年7月 5日 (木)

「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」:アメリカン・ウーマン 血と汗と涙のトリプルアクセル

180705 監督:クレイグ・ギレスピー
出演:マーゴット・ロビー
米国2017年

公開される前から「アリソン・ジャネイの毒母ぶりがすごい」と話題になっていた本作、おかげで彼女はオスカーの助演女優賞を獲得したぐらいだ。

1994年に起こった「ナンシー・ケリガン襲撃事件」、フィギュア・スケートのファンでもない私には「ああそんなこともあったな」という程度の記憶しかないのだが、翻って考えれば、ファンでなくても知っているのだから、当時相当の話題になったわけである。

スケートの技術的な面では極めて優秀だったトーニャ・ハーディングが、なぜライバルを襲撃したなどというスキャンダルに巻き込まれたのか。
そもそも、貧しい家庭ながらも幼い彼女にフィギュアを習わせ、一旗揚げようと猛訓練する母親……しかし、問題なのはそれだけではなかった。後半は毒母から縁が切れても今度は、若くして結婚したDV亭主、さらにそのアヤシイ友人が、彼女の人生をかき乱すのであった。
もっとも、彼女の方も全く負けていない。かなりのビッチぶりを発揮だ。

この4人はそもそも「不誠実な語り手」である。本当のところ、事件の真実は分からない。で、映画は疑似ドキュメンタリー風に彼らに過去の事件を語らせる。さらに、それ以外の場面でもカメラ目線で喋らせて、それぞれの立場と正当性を主張させるのだ。
なるほど、複数の関係者の主張が食い違う事件についてはこのような描き方が有効かもしれない。例えば『デトロイト』とか……。でも、あの題材でこんな手法取ったら冗談じゃすみませんわな(@_@;)

全編シニカルなコメディタッチで、脱力系の笑いに満ちているが、それでもヒロインが鏡の前で号泣する場面はド迫力だった。なんだかこの全く共感しがたい人物に同情してしまう。
演じたマーゴット・ロビーさすがである オスカー、候補にはなったけど取れなくて残念でした。

返す刀で、さんざん大騒ぎした揚句にO・J・シンプソン事件が起こると波が引いたようにいなくなってしまったマスメディアを斬り、狭量なスポーツ界を指弾、さらには米国風サクセスストーリー自体を批判し、感動を求めスキャンダルの好きな観客をも避難する。
演出と脚本、編集共にお見事である。
おっと、普通の試合中継では見ることができない間近なスケート場面の映像も、思わず見入ってしまうものだった。

ラストに当時のニュース映像がちょっと流れるが、実物のご本人はM・ロビーよりもずっと華奢な感じでお人形みたい。だから、言動とのギャップが余計に目立ったんだよね。

亭主役はバッキーことセバスチャン・スタン--って、えー(!o!)言われないと分からなかった。
あと、その友人ショーン(P・W・ハウザー)については「絶対に見ているだけでイライラする」「二度と目にしたくない」超弩級の悪役、久々の出現である チラシによるとこの男は「自称元諜報員。実際はニートで童貞」とか書かれちゃってるのだが、これって典型的中二病か……(+o+)

なお、使用されている音楽が懐かし過ぎ。ハート、ZZトップ、バドカン、フリート・ウッドマック、このあたりはみんなアルバム買いましたヽ(^o^)丿
と思ったら、ネットの感想に「歌謡ロック」とか書かれていて、そうか、私は歌謡ロックが好きだったんだ~と今さらながら自覚した次第である。

 

 

 

| | | トラックバック (0)

2018年7月 3日 (火)

「フルート・デュオの世界 その2 有田正広&前田りり子」:吹いてから喋るか、喋ってから吹くか

180703
フルートの肖像 14
会場:近江楽堂
2018年6月2日

同じ会場でバルトルド・クイケンと共演コンサートをやってからはや5年(!o!)も経っちゃたとはビックリ。そして、第二弾はやはり師匠の有田正広とである。
昼夜2回やったが、私は夜の方に行った。

意外にも、二人だけで共演するのは初めてだとのこと。
曲は大体時代順に進んだ。オトテールに始まり、ブラヴェ、W・F・バッハ……。使う楽器もそれぞれ変えていく。
合間にクヴァンツとテレマン、それぞれ独奏タイムもあった。りり子女史演奏のクヴァンツは「メチャクチャ難しい曲」で、なんでも吹くのは学生の時以来だそうだ。
W・F・バッハの二重奏ソナタは第1・第2パートが入れ子のようにクルクルと入れ替わり、まるでエッシャーのだまし絵のようだった。こんな曲を書いてたんですなあ。
最後はもはや古典派といった感のシュターミッツという作曲家で終了した。

演奏も共演なら合間のトークも共演。りり子女史が、幼少期よりフルートを始めてバロックと出会った経緯をつんのめるように語れば、それを鷹揚に受けて語る有田氏、という印象だった。トークも夜は2回目だからか、滑らかに進行であった)^o^(
モダンをやっていた彼女がバロックフルートを吹くようになったのは、福岡での公開レッスンをきっかけに師事したいと思ったからだそうだ。しかし、彼が大学で教えているのはバロックだけ、ということで急きょ「転向」して受験したとのこと。

一方、有田師匠の方は学生時代に高額なバロックフルートを見つけて入手したかったが、金がないので父親に借金して購入。結局そのまま借金踏み倒してしまった……など。
師匠は高そうな楽器を何本も所有しているので、てっきりものすごい資産家なのかと思っていたら、なんと親不孝者だったという恐るべき過去が明らかになったのである。

その他、「古楽とは何か」などという対話もあったりして、トークの方も興味深かった。
アンコールはモーツァルト、テレマン、オトテールだった。
またそのうちデュオ・コンサートお願いします。次の共演は誰とになるのかな。

なお、同じ会場で数週前にやった佐藤豊彦のコンサートでは冷房が効かなくて困っていたのが、今度は逆に効き過ぎて寒いぐらいだった。外はかなり気温高い日だったと思うが。
ニット一枚持っていたが全く足りないぐらい。要対策である。

| | | トラックバック (0)

2018年7月 1日 (日)

「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」:オールスター・バトル 世界は君の手に

180701 監督:アンソニー・ルッソ、ジョー・ルッソ
出演:ロバート・ダウニー・Jr
米国2018年

「アベンジャーズ」シリーズも遂に3作目。でも、これで終わらなくて後に続編あり、というのは以前から聞いていたが、実際見るとあと一回で片が付くんですか~(>O<)と叫びたくなった。
何せ、マーベルのヒーロー全員集合みたいな感じで(欠席者あり)、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』が新たに参入。しかもストーリー上、これが一番重要な位置付けになっているのには驚かされた。あ、『ドクター・ストレンジ』も新規参入でしたな。(おかげで、事前にTV放映を見てしまったじゃないの)

しかも、それぞれのシリーズは全く性格が異なってキャラクターのノリも違うのに、そのテイストを残したままよくぞ合体できたものよ。その手腕には頭が下がる。
一番、ワリを食ってるのはキャプテン・アメリカか。見せ場はあまりなし。盾を返却しちゃったからかしらん?

加えて、銀河を股にかけた複数の戦闘を同時並行して描くという離れ業である。問題は、見ているこちらが老化激しく記憶力減衰のため「あれっ?6個のインフィニティ・ストーンてどんなだっけ」になってしまったことだろう。
と、思ったらこちらのブログでちゃんと解説してくれてました。予習復習に大変役立ちます(^.^)d

その戦闘シーン、最強の敵サノスとその手下たちが宇宙から次々と襲撃してくる。で、これまでの作品ではなんとかなっていた個々の能力の描き方が、さすがに無理になってきたのではないかと感じてしまった。いくらなんでもブラック・ウィドウみたいに「生身」の人間が異種生物と闘うのは難しいんじゃないんですかね(^^?)

……と、そんなことをよく考える暇もなく次々へと展開して、最後にはあっと驚く結末に至る。おまけに、スパイダーマンとアイアンマンの絡みのシーンではちょっと涙ぐんじゃったし
ええー(>O<)どうなっちゃうのギャーッ……と叫びたくなるのをこらえたまま終了。は、早く続きが見たい。しかも、新キャラクターが参入の予兆もありだ。
というわけで、口アングリ状態のまま終了。この後どうなるか判明するまでは評価もくだせねえ(いや、もちろん面白かったですけど)。次回持越しである。

様々なキャラクター登場しての複数展開なので、ちゃんと把握できたのかも心もとないので、もう一度ぐらい見たかったのだが、結局ヒマがなくて無理だった。
そのうちTV放映するだろうから、その時に見直そう。

なお、お気に入りの場面は、慣れぬパワードスーツに悪戦苦闘するハルクを、冷たく見下ろす『ブラックパンサー』のオコエ姐さん。厳し過ぎよん

ところで、米国では興行的に大人気を博した本作(この文章を書いている時点でまだランキングに入っている)、日本では今一つパッとしなかった。まあ『名探偵コナン』が、ぶっちぎりで強すぎたとはいえ……。
日米でこんなに差が出たのは、日本人は複数の話が同時的に重なり合うような話に慣れていないからだ、という説を見かけた。しかしそれだったら、他シリーズに関係なく単品で鑑賞可能な『ブラックパンサー』もまたウケなかったのはおかしい。何か他の理由があるんですかねえ。

 

 

 

| | | トラックバック (0)

« 2018年6月 | トップページ | 2018年8月 »