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2018年7月19日 (木)

「ミサ・ムンディ 祈りの歌、祝いの歌」:歌う門には神来たる

180719
演奏:セコンダ・プラティカ
会場:日本福音ルーテル東京教会
2018年7月11日

セコンダ・プラティカは器楽声楽合わせて多国籍の9人のグループ。メンバーの一人が日本人(ヴァイオリンの鷲見明香)で、ずっと来日の機会を考えていたという。2回のコンサート以外にも男声だけの小公演やワークショップなどをやったらしい。

この日のプログラムは16世紀ごろを中心に、ポルトガルで歌われた曲を取り上げたもの。3つの種類があって、教会でラテン語で歌われた宗教曲、同じく宗教歌ながら教会の外で作曲家が作りポルトガル語で歌われたもの、さらに民衆に伝わる宗教的な伝承歌や舞曲である。

教会内の聖歌は写本をそのまま大きな譜面台に置いて、当時のようににみんなで見て演奏する。ポルトガル語の聖歌はステージ前方で、さらに伝承歌はステージを降りて歌う、と分けていた。
典礼曲の合間に様々な曲が入り、まったく聖俗の区別なくとりまぜてパフォーマンスが続き、渾然一体となっている。
ある時はアカペラ、またある時は器楽含めて全員で……という調子で、楽器と歌の両刀使いの人もいた。

途中での解説によると(ちょっと声が聞き取りづらい位置の席だったので、不正確かも)、音楽は人生の一部で人々と切り離すことはできない。ルネサンス期の人にとっては人間の一部であり、ポルトガルから南米に向かう船には必ず4人の音楽家を乗せたほどである。ジャンルの違いはあっても人が必要としたものなのだ。
この日の曲目の中には400年間歌われることがなかった初演の曲もあるし、700年前のグレゴリオ聖歌もある。
そのような文化遺産をどう演奏するか。過去の教会音楽がどう歌われたのかは今では分からない。しかし、民族音楽を研究することで宗教音楽を歌うことができる。民衆の間で、今に至るまで長く歌われてきた伝承曲によってルネサンス期を学べるのだ。だから、伝承歌も入れた--ということである。

まこと、それにふさわしく、当時の民衆の信仰や心情が生き生きと立ち現われてくるようなコンサートだった。思わず熱烈拍手( ^^)//゙☆゙☆゙☆

なお、開演が30分遅れたのだが、なんとメンバーの一人が道に迷って、開演時刻までにたどり着けなかったとか 新大久保のネオンに目がくらんだかな。

それと、余計なお世話だが、会場は教会の礼拝堂。コンサートに関係なく「ペットボトル持ち込み禁止」掲示がしてある。神社やお寺の本堂で飲食しないでしょう。
しかし、堂々と礼拝台(←でいいのかな?名称不明)にペットボトル置いて飲んでいる人多数いた。開催者はちゃんとアナウンスすべきではないだろうか。


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