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2018年9月

2018年9月30日 (日)

「スパイナル・タップ」:バンドあるある

監督:ロブ・ライナー
出演:クリストファー・ゲスト
米国1984年

あの伝説のロック映画が今、初の正式公開!ということで見てきた。もっともソフトでは出ていたらしい。
今でいう「モキュメンタリー」、疑似ドキュメンタリーの走りで、英国のバンドの米国ツァーを取材するという体裁を取っている。もっともらしく、バンドの歴史やインタビューも登場。
監督のロブ・ライナーも実際に監督役で顔を出している。

元々は地元の友人同士のフォーク系(?)デュオが、時代に即して姿を変え、その後ビートルズ風→サイケデリック・ロック→ハードロック/ヘビメタ*今ココという変遷を遂げて、晴れてツァー開始\(^o^)/という状況から始まりだ。
バンドを見ていて(聞いて)思い浮かぶは、チープ・トリック、キッス、ヴァン・ヘイレン、AC/DC……まあ、特定のバンドではなくそれらのイメージを混ぜ合わせたものと言っていいだろう。
音楽自体も、いかにも当時はやっていたサウンドや曲である。そして歌詞はものすごくバカバカしくて笑える。これが全部オリジナルで作ったというから大したもの。

そしてバンドを次々と襲うトラブル
歴代ドラマー謎の連続死。アルバム・ジャケットのデザインでもめて発売中止。メンバーの女が音楽に口を出す。
ツァー中に、主要メンバー仲たがい(そういや、実際に来日中にメンバーの一人が帰っちゃったバンドありましたな)。大規模豪華セットを作ったはずが使えず。ホテルの部屋撮り損ない。
マネージャー辞職。人気がなくなって音楽性の方向を変える。軍の基地にドサ回り。

と畳み掛けられれば気付く。なるほどこれは「バンドあるある」だっ(!o!) バンドにまつわるどこにでも起こる事案を笑いと共に積み重ねているのである。
しかし、楽屋を出て迷子になってステージにたどり着けず--なんて本当にあるの?

さらにトラブルで解散寸前のバンドが日本経由で復活って、なんかどっかで聞いたことがあるような……と思ったら「アンヴィル!」だった。でも向こうはもっと後に作られた実際のドキュメンタリーなんだけど??

ロックファンなら必見の笑いと感動の一作に間違いない。
この、バンドであるスパイナル・タップは実際にバンドとしてコンサートにも出てたとか。まさに虚実の間をすり抜ける奴らであろう。
しかし、あの恥ずかしい歌詞を歌ってたのか。まあ、どこのバンドも似たようなもんですかね

 

 

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2018年9月27日 (木)

「秘めたる悲しみ ド・ラ・リューの世俗音楽」:美しき非モテな歌

180926
ピエール・ド・ラ・リュー没後500年記念コンサート
演奏:相川郁子ほか
会場:近江楽堂
2018年9月7日

今年はクープラン祭りと思っていたら、なんとルネサンス期のピエール・ド・ラ・リューも没後500年ということだった。
この作曲家は2枚ぐらいCD持ってたかなー、などと思いつつ夜の回の方へ行った。

編成は歌手4人はいいとしても、ルネサンスフルート4、コルネット(ツィンク)、サックバット(トロンボーン)、ガンバ各1という珍しい……というか、今まで聞いたことのない組合せだった。

タイトルはド・ラ・リューとなっているが、もう一人の主人公はネーデルランド総督マルグリット・ドートリッシュ(1480~1530年)という人物。彼女は仏王や領主と三回結婚しては死別という波乱万丈の人生で、大河ドラマのネタが尽きたらぜひ(^.^)bとNHKに推薦したいぐらい。
ド・ラ・リューは晩年に彼女に仕えた。で、彼女が編纂した豪華楽譜集の中からこの作曲家の作品を演奏するという趣向である。
曲の合間には彼よりもドートリッシュの生涯の方を詳しく解説するという熱の入り方。もしかしてみなさん歴女(^^?)

演奏の方は声楽に器楽オンリーの曲もあり。編成も様々である。
歌手とフルートそれぞれ3にガンバ、ツィンク、コルネットという曲でも、滑らかに溶け合い、聞いててウットリする。鏑木綾を始めとする歌手陣も充実。しかし、楽器によって音量の差があるのはアンサンブルとして大変そうだった。
意図的に世俗曲を選んだということなのだが、恋愛曲というより何やら暗~く世をはかなむような内容が多い。

「でも、ああ、私は逃れられない 悲しみに破壊されてしまう」
「見捨てられ、ひとり、喜びもなく いずれ私は死ぬのだから」
「恋人というものが語られる時 私はそこに含まれておらず」

といった具合で、息も絶え絶えな様子。三番目なんか500年前にも非モテを嘆く歌があったのかい(!o!)と思っちゃう。
しかし、そんな内容にもかかわらずいずれも華麗にして美しい曲なのであった。

楽器の解説も合間にあった。サクバットはオルガンが普及する前は教会で中心的に使われていたとか、ガンバはこの時代に存在していたかは怪しいなど。

なかなかルネサンス時の音楽を聞ける機会は多くないので、聞けて満足 今年の末までクープランだけでなくド・ラ・リュー押しでお願いします。


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2018年9月24日 (月)

「ザ・ビッグハウス」:見えない所に真実はあり

180923 監督:想田和弘ほか
米国・日本2018年

想田監督のドキュメンタリー、過去に見たのはこちら→(『精神』『Peace ピース』『選挙2』

この度のテーマは米国文化の華ともいえるフットボールである。ただ、いつもと異なるのは、大学の授業として学生たちを含めて総勢17人で撮影したということだ。フットボールの試合という取材場所は同じでも、どこに目をつけるかはそれぞれの撮影者次第なのである。(ただし編集は想田監督)
ということで、単にスポーツの試合というだけでなく、多面的に対象が浮かび上がる結果になった。

舞台となる《ザ・ビッグハウス》とは、ミシガン州アナーバー市にある巨大スタジアム。驚くことに収容人数は全米最大の10万人で、市の人口とほぼ同じとのこと。州立ミシガン大学アメフトチームの本拠地で、試合となると各地から観衆が集まってくる。
見ていると、その規模の大きさに驚いてしまう。

大きな人波に地元は大賑わいで、飲食店も繁盛。
道端では辻説法、選挙の応援、各種宗教の勧誘、ストリートミュージシャンなどなどあらゆるものが押し寄せるのであった。
スタジアム前ではチョコレート売りの黒人の親子が。父親が指導して男の子に売らせる様子に『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』を思い出してしまった(娘を連れて観光客に香水を売りつける場面あり)。

スタジアムの内部は厨房(すごい量の料理)、救急士、清掃員、高額なVIP席、さらには場内アナ、チアリーダー、マーチングバンド、試合にも華麗なチアリーディングにも背を向け監視する警備員など、あらゆるものが画面に登場する。。
しかし、肝心の試合だけはこの中にほとんど描かれることはない。

チームの監督のインタビューや、試合に合わせたホームカミング・パーティー(結局同窓会みたいなものなのね)の様子によって、これほどの巨大なイベントが成立する背景が分かる。
州立大とはいえ、予算のほとんどは裕福な卒業生の寄付に頼っていて、アメフトチームの成績によって額が左右されるという。
チームが大学の存在を支え、市の主要産業の一つとなっているのだ。したがって、チームの監督が高給を得て、選手がハリウッドスター並みに人気があるのも当然である。

--と、このような実相がナレーションもない中、明らかになっていくのだった。
多くの人々が集まり楽しむ巨大なパワーが集積する試合の陰に、シビアな現実が潜む。大いに見ごたえありのドキュメンタリーだった。
まあ、しかしこれだけ巨大なのも米国ならでは、という感がある。

話はそれるが、かつて読んだドキュメンタリー本『ミズーラ』には、モンタナ州立大学のフットボール選手のレイプ事件が取り上げられている。犯人はスター選手で、本を読んだ時にはピンと来なかったが、この映画に描かれているのと同様な地元の英雄で、やはり大学の名声や価値を担っていたのだとしたら、被害者がそれを訴えるのは相当な勇気が要っただろう(実際、誹謗中傷にさらされる)。それを実感した。

さて、この手法で日本を描くとしたら題材は何がいいだろうか?

N大アメフト部……(>y<;)イヤダー
大相撲……(・o・)エエーッ
目線を変えて
国会……(@_@;)ナンダカナー
それなら
コミケ……(!o!)これだっ
巨大イベントで、、国内外で興味を持つ人多数いるはず。その裏側にはみな興味津々。ドキュメンタリーを作る価値は充分あり。(作る方は大変そうだが)面白そう。
ぜひお願いします(^人^)

 

 

 

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2018年9月17日 (月)

「大塚直哉レクチャー・コンサート J.S.バッハ”平均律クラヴィーア”の魅力」:素人からマニアまでビックリの弾き比べ大会

180917a
ポジティフ・オルガンvsチェンバロその1
会場:彩の国さいたま芸術劇場
2018年9月2日

近年、チェンバロやオルガンの普及活動に励む大塚直哉、さいたま劇場でレクコンサートがあるというので行ってきました。
自由席なんで、開場時間に行ったら長い行列ができててビックリ(!o!) いくらチケット代2000円とはいえ、こんなに人気があるとは意外である。日曜の昼間だから?
なんと配布のプログラムの数が足りなくなってしまうという事案も発生だ。

ポジティフ・オルガンは劇場所有のもので、それを活用しながら講座やレクコンサートなどやって来たのだが、今回は「平均律クラヴィーア曲集1」をオルガンとチェンバロで弾き比べで聞くという趣旨だった。プログラムには第1番からプレリュード、フーガそれぞれ冒頭部分の楽譜が載っている。
で、大塚氏によると本来はオルガン、チェンバロ、交互に曲を弾いていくはずだったのが、どちらも捨てがたいということで、全ての曲を双方で弾くということになったそうだ。
で、時間が足りなくなるので11・12番は次回回しにするとか(@_@;)

最初に曲集の表紙のコピーを見ながら、成立の過程や書かれた背景などの解説。さらには「平均律」は良い訳ではなく「ご機嫌なチェンバロ」(←大塚氏の友人による)というのがふさわしいなんて話も。
音大の学生さんあたりから素人な方々まで対象とした話をするから大変だ。さすがに「チェンバロとは」なんて基礎知識の説明は省略である。

で、曲ごとに解説を加えつつそれぞれ2種の鍵盤で弾いてゆく。
全く同じ曲ながらやはり風合いが完全に異なる印象だ。特に低音の響き方は別の曲のよう。この曲集はチェンバロで演奏するのが普通なので、オルガンの方は特に目新しい響きである。

しかし、当然解説付きで繰り返して弾くから時間がかかる。結局、休憩含んで3時間たっぷりとかかったのだった。これはやはりチケット代を考えると超お得演奏会といえよう。
これだけ一人で奮闘した大塚氏の鍵盤普及活動には頭が下がりますm(__)m
で、11・12番は片方ずつでしか弾けなかったので、「その2」で復活戦やるんでしょうか(^^?)
180917b

←大塚氏所有のチェンバロだそうな。

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「名盤レコーディングから読み解くロックのウラ教科書」

180917c
著者:中村公輔
リットーミュージック2018年

以前とあるバンドのアルバムを順に聞いてて、4枚目以降がどうも気に入らなくなってしまった。しかし、メンバーも曲調もアレンジも何も変化はないし、これといった欠点も見つからない。一体何が違うのか。何度聞いても分からないのである。だが、何かが異なる。
そして、唯一の違いはプロデューサーが変わったことだった。
このよく分からない変化はサウンド(漠然とした意味の)にあるのではないか--と感じたことから、この本を録音とか機材などは全く無知なのだが読んでみた。

知っている人は知ってるのかも知れんが、シロートには驚きの記述が続出。
生楽器と電気楽器の共演は録音でもライブでも難しい。
ギターの低音を有効に聞かせるために、ベースの音を消してしまうことあり。
パンチのある音になるよう音を大きく録音するために、音量を部分的に圧縮する。
バスドラムに性能の違う二本のマイクを離して立てて、後でその二つの音をミックスする手法あり。
出来上がったサウンドがどのように作られたのか、ミュージシャン自身にも分からないことがある。
楽器を鳴らす場所(スタジオ、ホール)も楽器の一部。
弦楽四重奏とオーケストラでは録音の手法は全く違う。
ストーンズ「シャイン・ア・ライト」で、C・ワッツは高齢のため強くキックを踏めないので、過去の自分の音源からバスドラの音を抜き出して差し替えた。(後から入れ替えたのではなくリアルタイムで)
サンプリング技術は進んでいて、素人には元の楽器の音と区別が付かない。
オートチューンの登場でヴォーカルのタイミング、ピッチ共に完全に修正できるようになった。
アナログレコードは音質が良いのは外周部分。内側に行くにつれ歪みが出る。

いやー、知らなかった!ことばかり。
プロデューサーが変わればエンジニアも交代するらしいので、音が変わるのは当然か。

スティーリー・ダンについて、私は「エイジャ」からどうも熱心に聞けなくなってしまったのだが、それはサウンド的に大きな変化があったからだろう。この本に取り上げられているのはその次の「ガウチョ」だが、もう一度聞き直してみるか。

また、クラシックの録音についてはどうなのだろうか。例えば、録音を小節ごとに切り貼りすることはあるのか。また音程の怪しい部分を修正したりとかは(^^?)
ロックやポップスほど、クラシックではプロデューサーやエンジニアについて語られないが(そもそもクレジットがない場合も)その存在はどうなのか。

私がクラシック……というか古楽の録音について疑問を感じるようになったのは、アンサンブル・クレマン・ジャヌカンを聞いてからである。多分、録音では彼らの演奏は十分の一ぐらいしか再現できていない。一体この差はなんなのだろうか。知りたいもんである。

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2018年9月13日 (木)

「ルイ14世の死」:実録・あの人の最期は

180912 監督:アルベルト・セラ
出演:ジャン=ピエール・レオ
フランス・ポルトガル・スペイン2016年

ルイ14世が病床に就き臨終を迎えるまでの数週間を、ジャン=ピエール・レオがひたすら演じ続けるというので話題になった作品である。
冒頭以外はずっと王の寝室と控えの間ぐらいしか登場しない。彼はほとんど寝たきりで、半分眠っているかごく少量の食事を取るぐらいしかしない。
周囲には侍従や医者たちがいて、たまにマントノン夫人や王太子などが見舞いに現れては消えるぐらいだ。
そういう点ではかなり退屈である。

見ててこれはJ・P・レオのパフォーマンスをひたすら見る映画だなと思った。こういうパフォーマンス系の作品がたまにある。
私が最初に意識したのはM・ハネケの『セブンス・コンチネント』である。
これは映画館で初めて見たハネケ作品で、上映したユーロスペースは満員だった。座席はすべて埋まり、私は通路に座って見た。この監督はこんなに人気があるのかとビックリしたもんである。
しかし、同じ映画祭で他の作品はそんなに客が入っていなかった。要するに『セブンス・コンチネント』は、一家が自宅の中の家財道具を壊しまくるシーンが延々と続くのだが、その行為が話題になっていたので、みんな見に来たらしい--とかなり時間が経過してから気付いた。

映画のテーマとか意図とか演出とか関係なく、作品の中で行われるパフォーマンスを特化して見るということはある。
派手なアクションがある映画では「細けえことはいいんだよ」と大雑把な展開だったり、見事な特撮の怪獣が暴れ回るような内容ではまず一番の注目は怪獣である。さらには『ウィンストン・チャーチル』だってそうだろう。あれは英国の宰相の伝記を見に行くのではない、G・オールドマンの名人芸とメイクアップを見るために行くのである(そうだと意識してなくても)。

で、本作もやはり同じように感じた。観客が延々と眺めるのは瀕死状態のJ・P・レオなのである。
当時の史料を元に再現し、小道具や衣装もそのまま復元し、ドキュメンタリー風に撮っているとのこと。その割にはルイ14世の本物の寝室は派手過ぎなのでやめた、というのは、ちといい加減ではありませんか。
あと、音楽好きの王だというのに音楽がほとんど出てこない! 古楽ファンは期待して行くとガッカリである
唯一、宗教曲らしいのが流れるのだがなんとモーツァルト……(・o・) エンドロールにはクープランの「スルタン」が流れるが、大仰なオーケストレーションによる演奏だ。

瀕死パフォーマンスを楽しめるのならいいが、そうでない人は眠ってしまっても仕方ないだろう。

ラストにビックリするような場面が出てくるが、これを蛇足として見るかシニカルかつ批評的視点ととらえるかによっても、評価は異なってくるだろう。

監督は『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』を撮った映画作家ユイレ&ストローブの後継だそうだが、正直50年早いと思った。

 

 

 

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2018年9月 8日 (土)

「ジャン=フィリップ・ラモー」:フランス・バロック最後の光芒

180908
演奏:アンサンブル・レ・フィギュール
会場:近江楽堂
2018年8月31日

パリ在住の日本人演奏家4人によるグループ、前回はベルニエとクレランボーのカンタータだったが、今回はラモーである。他はどこもクープラン祭りなのに何故珍しいと思ったが、過去にやったからですかね。
昼夜2回公演で、私は夜の方を聞いた。

ゲストはテノールのブノワ・ラモーとヴィオローネのブノワ・ベネットである。このぐらいの小編成でヴィオローネって珍しい気が……。

前半の中心はカンタータ「オルフェ」、後半はオペラ・バレの「ピグマリオン」によって構成されていた。
加えて「コンセールによるクラヴサン曲集」などから合奏曲も演奏。

テノールのラモー(!)氏は声量がかなりあってドーム型の小ホールではガンガンと響き渡ってしまったきらいあり。もう少し大きめの会場の方が良かったかも。

ラモーの声楽曲はあくまでも明晰な印象。抒情的な要素も極めて統制が取れていて感傷に走ることはない。
器楽曲についてはこれまでややとっつきにくい--なんか晦渋さを感じていたが、その裏にあるウィットに富んだ部分を感じ取れたのが新鮮であった。

なお前回の公演でバロックザール賞というのを受賞したそうで、また同じカウンターテナーと共に記念コンサートをやるそうである。メデタイ


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2018年9月 1日 (土)

聞かねばならない時もある マイナー・コンサート 9月版

長い夏も終わりですね(^^♪

*2日(日)シャルパンティエの宗教音楽(コントラポント&フォンス・フローリス):上野学園石橋メモリアルホール
*  〃  バッハ”平均律クラヴィーア”の魅力 ポジティフ・オルガンVSチェンバロ(大塚直哉):彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール
*7日(金)秘めたる悲しみ ド・ラ・リューの世俗音楽(鏑木綾ほか):近江楽堂
*8日(土)フランスの色彩 クープラン生誕350年に寄せて(石橋輝樹ほか):近江楽堂
*14日(金)レクチャーコンサート 謎解きバロック1 ヘンデル(木の器):近江楽堂
*17日(月)海を渡ったメロディ(高橋美千子ほか):求道会館
*21日(金)大江戸バロック(桐山建志&大塚直哉):近江楽堂
*28日(金)ミュージアム・コンサート11 リコーダー(山岡重治ほか):上野学園石橋メモリアルホール
*30日(日)英国に渡ったサクソン人 ヘンデルのファンタジー(有田正広&千代子):自由学園明日館

今月は13日のNHK-BS「クラシック倶楽部」でアンタイ&センペ@目黒雅叙園の再放送がありますよ。
これ以外の公演についてはサイドバーの「古楽系コンサート情報(東京近辺、随時更新)」をご覧ください。

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「音楽と美術の幸せな結婚 2」:音は人なり

180830
大塚直哉レクチャー・コンサート・シリーズ
肖像を刻む-視覚と聴覚によるポートレート:「ルーヴル美術館展」の名画と音楽
会場:よみうり大手町ホール
2018年8月6日

美術展にちなんだ大塚直哉のレクチャーコンサート、2回目はルーヴル美術館展である。(1回目はこちら
ゲストはなんとマンガ家ヤマザキマリですよ(!o!)

今回は主にフランスのチェンバロ独奏曲から人物を描いたものを演奏し、その合間に二人がトークをするという構成である。
実際の展覧会と同じ区分けで、男の肖像、芸術家、女……というようになっている。
冒頭はクープランで、クラヴサン曲集より「ラファエル」(ラファエロのことだと推測されている)が演奏されると、ヤマザキマリがラファエロについてここぞとばかり熱弁を振るうという次第。
ラファエロ自身もすぐれた肖像画家であり、一方クープランは様々な人々の肖像を音楽で描いた(大塚氏談)という共通点があった。

続いては、フォルクレとクープランがそれぞれに描いて作曲したオルレアン公(ただし曲調は正反対)と絵画における彼を比べる。
また、肖像には死者の思い出や記録という面もあるということで、フローベルガーが捧げたフェルディナント4世とブランロシェ氏(例の階段転落事件の人)への哀悼曲も。

当然、トークではヤマザキマリは猛烈に喋り倒していた。これに対抗するにはチェンバロ一台では到底足りぬ。バロックトランペット3本呼べ~と言いたいぐらい。
話題は時間が足りないぐらいにあちこち飛び、大塚氏も日頃の上品さからは想像できぬギャハハハ笑い(^O^)を連発していた。

ラストは人間ならぬ神様の「ジュピター」(フォルクレ作)で、これが驚くほどに速い演奏だった。それまでのギャハハハ笑いを返上、ビシッと決めたのてある。

肖像画を描かせる時は強調したいものを一緒に描くとのこと。例えば、指輪とか衣服とか……ということでアンコールはクープランの肖像画で彼が持っている楽譜の曲だった。

ヤマザキマリは舞台向け風(?)のドレスを着て現われたのだが、一時間ぐらい前に初めて顔合わせした時とあまりに差があったそうで(かなりカジュアルな格好をしていたらしい)、大塚氏がマジに驚いている様子が伝わってきた。そんなにスゴイ落差だったんかい

この日の使用チェンバロはなんと1月に近江楽堂で聞いたモンキー・チェンバロであった。レクチャー・コンサートの趣旨にピッタリである。ただ、音はやはり近江楽堂で聞いた方がずっといいけど……。
休憩時に黄金色の脚をよくよく観察したら、ヒヅメが割れてなかったんで馬の脚らしい。

それから、大塚氏がコソッと言ったので目立たなかったが、女性像のところで弾いたクープランの「フランスのフォリア、または色とりどりのドミノ」は全12曲並べるとタイトルが女性の特徴を年齢ごとを順番に表わしているらしい。それで、鈴木雅明は「これは女の一生だな」と言って、コンサートの時に全く原タイトルにはそんなことは入っていないのに、プログラムに「女の一生」と書いてしまったそうである。こりゃ、タイトル詐称じゃないの\(◎o◎)/!
180830b

さて、ヤマザキマリがゲストにも関わらず、後ろの方の座席は結構空いていたとのこと。勿体ない。第3回目は是非満杯にしてほしい。
でも「ブリューゲル展」がテーマだから、そうするとルネサンス音楽になるのかな? ゲストは山田五郎が予定されているらしい。(あくまでも予定)

追記:次回のゲスト、山田五郎に決定したようです。演奏家の方は西谷尚己とR・ダンクザークミュラー。


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